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猟犬たちの夜そして復讐という名の牙★★

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フレンチ・ノワールの旗手オリヴィエ・マルシャルが脚本を手がけた「猟犬たちの夜/オルフェーヴル河岸36番地、パリ警視庁」の続編で、4話構成、計207分の長編TVドラマ。2011年フランス。DVDは前編と後編に別れていました。
あらすじ:前作で凶悪事件を解決したものの無謀な捜査の責任を取らされて刑務所送りになったヤック刑事(フレデリック・ディファンタール)が出所してくる。
かつて相棒だった殺人班のコンスタンティン刑事(ヤン・サンベール)は、ヤックが全ての罪をかぶってム所入りしたのを知っている。職もなく娘も妻も取り上げられたヤックが、同じように警察をクビになった友人ルイに、ナイトクラブのオーナー、バタアーリアを紹介される。
バターリアはコンスタンティンたちが追っている裏組織のボスだった。やがて武装強盗の情報を得た殺人班が張り込む中、強盗犯の1人としてヤックが現れるのだが、・・・。
<感想>かつて親友だったふたりの刑事がたどる運命を描くノワールアクション。警察内のミスにより、逮捕したマフィアのボス・ドミニクが釈放されてしまう。警視庁の腕利き刑事2人の明暗が別れた生き様が、交差するマルシャル脚本の巧さに唸らされます。とはいっても単にギャング対警察の攻防だけでは、全編後編という脚本の構成がもたない。見どころは何と言っても元警察官というマルシャルの経歴を活かした警察署内のディティールにあると言っていいだろう。
部下たちを守ろうとする女署長のレアや、官僚化した検事局の横やり、殺人班の刑事たちの思惑や、規則一辺倒の嫌らわれ者の班長、内務班による取り調べといった、刑事たちの暴走を規制するさまざまな亀裂が描かれ、ありきたりの刑事ドラマにない奥行を与えている。

その一方で、ギャング側も新しく興ったチンピラ組織とのいざこざや、愛人の裏切りなど、単なる悪玉に止まらない人間的苦悩が描かれていて、クライマックスには服役中の息子を脱獄させるという情愛絡みの犯罪に走るところがせつない。
今回マルシャル自身は、ギャングのボス役で出演。ヤック役には「TAXi」シリーズのフレデリック・ディファンタールと、コンスタンティン役のヤン・サンベールの適役として作品全体を支える重責を担っている。
そして女署長レア役には、マルシャル夫人の、カトリーヌ・マルシャルが続投。監督は前作のニコラ・キッシュに替り、新鋭ティエリー・プティが担当。スケール感はないものの、テンポのいい語り口が取り得ですね。
2013年DVD鑑賞作品・・・29 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキングへ


クロユリ団地 ★★★.7

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『リング』シリーズや『仄暗い水の底から』などの鬼才、中田秀夫がメガホンを取ったホラー。とある団地へと引っ越してきた女性が、そこで続いている変死事件の真相を追ううちに想像を絶する恐怖を体験していくさまが描かれる。『苦役列車』の前田敦子がヒロインにふんし、渾身(こんしん)の絶叫演技を披露。

『ドロップ』などの成宮寛貴が、彼女と共に団地の忌まわしい秘密を知る清掃員役で共演する。ホラーの名手としても知られる中田監督ならではの容赦ない恐怖演出に加え、社会問題となっている孤独をテーマにした物語も見ものだ。
あらすじ:老朽化したクロユリ団地へと移り住んできた明日香(前田敦子)は、隣室から聞こえる何かを引っかくような音にへきえきしていた。ある日、鳴りやまない目覚まし時計の音を発端に、隣室で亡くなっている老人を見つけてしまう。それを機に周囲で頻発する怪現象に対する恐怖、老人を救えなかったという罪悪感から、精神的疲労を募らせていく明日香。老人が何かを伝えようとして音を立てていたのではないかと思った彼女は、遺品整理で隣室を訪れる特殊清掃員・笹原(成宮寛貴)とその真意を探ろうとするが。

<感想>物語の舞台となるのは、高度成長期による人口増加と共に全国に急増した団地。かつての日本を象徴する集合住宅もいまや活気を失い、老朽化した建物が静かに立ち並んだ光景はまるで現代の幽霊屋敷のようでもある。本作の団地は「呪われた団地に幽霊が出る」というお決まりの都市伝説を連想させておきながら、実はお約束をどんどん破壊する仕掛けの野心的な映画となっています。

看護師を目指す主人公の明日香に前田敦子がヒロインを演じて、それは顔色が化粧で薄汚れているような感じで、ちょっと恐ろしい顔になっていて、けれど演技の方も力が入ってやり過ぎって感じもしました。お隣の部屋から毎朝5時過ぎにめざまし時計のベルが鳴り響きうるさくて目を覚ましてしまう。しかし、お隣には誰も住んでいないことを知っているから、じっと耐えるしかない。それに、壁越しに聞こえるごん、ごん、ごんという不気味な音が。

それにしても、こんな団地に家族と住んでいて、朝食のシーンが繰り返し映されるのですが、これってもしかして両親も弟も死んでいるのでは?・・・それと、夜に団地の公園で砂遊びをしていたミノル君という男の子も、これはすでに死んでいる子なのかも、なんて序盤からなんとなく分かるストーリーと思ってしまった。

だから、明日香がお隣の部屋へ入っていき、お爺さんの遺体を見つけた時は白目むいている爺さんの顔が怖かったです。最近多いですよね、身寄りのない老人が誰にもみとられることなく死んでいる孤独死って。爺さんの亡霊登場シーンは、部屋の中に散らばる古い写真など猛烈におぞましい雰囲気に満ち溢れて恐怖を煽る。
例えば壊れた三輪車が捨てられている光景を見て、それを片付ける人がいない。つまり誰からも気づかれない「存在」が「時間が止まったままの状態」でそこにいる。もしも、そのことに気づいてしまった人がいたとしたら、それが今回の主人公明日香なんですね。もちろん明日香には霊能力はない。でも、想像力は他の人よりも優れている。それは彼女が大きな喪失感を抱えているから。つまり彼女自身が「時間が止まっている人」なんですね。

明日香は、小学生のころ家族でバス旅行へ出かけて、途中でバスが崖下へ転落して、その時、両親と弟が亡くなり、自分だけ助かったという悲しい過去があるんです。その事故から彼女の時間はずっと止まってしまっているようなのです。だから、旅行へ行く何日か前の朝の家族との会話が、何度も繰り返されてそこで時間が止まってしまっているのでしょう。
だから彼女は死者に思いを馳せることもできる一方、そのことをお隣の老人の部屋に来た遺体清掃会社の成宮寛貴くんに話すのです。彼も事故で愛する彼女を植物人間にしてしまい、いつも心に闇を抱えている人。成宮寛貴くんに紹介してもらった手塚理美さん演じる霊能者から「あなたのやっていることは無責任で残酷なことなんだ」とたしなめられる。

それは、公園で男の子ミノル君が遊んでいて、声をかけて友達になって家の中へ入れてしまったこと。それは死者が見えたことで、他人には見えない存在だから。いつも朝になると、家族を囲んだ食卓が現れるのも、明日香の心に死んだ人との交流を楽しんでいるような感じもしました。

だから、死に憑りつかれてしまった明日香を救うために、霊能力者が祈祷をしてくれるんですが、いやぁ、手塚理美さん最初はそこら辺にいる普通のおばさんだったのに、下ヨシ子風にアレンジしたのか女優魂に火が付いたようで、全身で除霊をしてましたよ。
しかし、除霊をしているときに悪魔が憑りついたみたいに血を吐いて、その後どうしたんだろう、映画の中では明かされてません。
そこへやっぱりミノル君がやって来るんですね。初めは明日香も断ってましたが、だんだんとミノル君の声色が、亡くなった家族の声に変わり、弟の声で「開けてよお姉ちゃん」と言われると辛いですよね。それでも開けなかったのに、墓穴を掘ってしまった成宮寛貴くんが、自分の愛する彼女の声に変わった途端ドアを開けてしまった。だから、ミノル君は成宮寛貴くんを地下の地獄へと連れ去ってしまう。

その地獄とは、ミノル君が子供のころにかくれんぼで遊んでいて、ゴミ置き場の鉄のゴミ箱の中へ隠れて、誰にも見つからず次の朝に清掃車によって焼却炉の中へと。これは恐いですね、ミノル君の身に起こったことが、成宮寛貴くんの身にも起こると言う結末には、どうしてって、そうか彼も事故で死んだかもしれないのに生きているってことを後悔している人。ちょうどこのシーンの時に、宮城県で地震が起きて劇場が揺れるし恐いしで体感度もマックス状態でした。明日香は一人取り残されて、床を掻き毟っていたということで、そのまま養父母に引き取られて行きました。もう明日香は精神が病んでしまっているので、精神病院へ入れないといけませんね、これでは。
今までの『リング』シリーズや『仄暗い水の底から』などから比べると、怖さは半減してますが、しかし地震が加わってなおのこと恐怖が募りました。
2013年劇場鑑賞作品・・・105  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

中学生円山 ★★★★

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マルチに活躍する宮藤官九郎が、SMAPの草なぎ剛と初タッグを組んだホームドラマ。エッチなことばかり考えている男子中学生が、同じ団地に越してきた謎のシングルファーザーとの出会いを経て成長していくさまを、CGやアクションを駆使した妄想シーンを交えて描かれる。共演には、宮藤監督が脚本を手掛けたテレビドラマ「11人もいる!」の平岡拓真をはじめ、坂井真紀、仲村トオル、ミュージシャンの遠藤賢司、『息もできない』のヤン・イクチュンら多彩な顔ぶれがそろう。
あらすじ:思春期を迎えた中学生・円山克也(平岡拓真)は、ある目的のために柔軟な体が必要だと判断し自主トレに励むうちに、妄想の世界にトリップするようになってしまう。そんなある日、同じ団地に謎めいたシングルファーザーの下井辰夫(草なぎ剛)が引っ越してくる。ある日、近所で殺人事件が起こり、克也は下井が犯人ではないかと妄想し始め……。

<感想>脚本を手がけたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」が好評の宮藤官九郎。「少年メリケンサック」以来となる監督3作目も、自らのオリジナル脚本による妄想アクションムービだ。監督自身の妄想をちりばめたという本作。何事にも興味津々で多感な中学生の願望や感情など、思い出を振り返って共感する人が多いのではないだろうか。
部屋にセクシーな女性の(男性の場合で、女性はイケメンの)ポスターを貼ってみたり、クラスの気になる女子との会話にドキドキしたりと、・・・。ちなみに監督は中学生当時斉藤由貴のファンで、近所の電気屋さんにあった等身大のパネルを持ち帰り、朝起きたら本物に変わってないかなぁと、想像したそうです。映画の中でも克也の部屋に貼ってあるポスターの女性が、克也の前に現れ優しく声をかけ、なぜか梨を食べさせてくれるお姉さんに興奮してる妄想シーンがあります。

その他にも、クラスの好きな女の子と一緒にプールで遊ぶ姿を妄想。それに、初めて自分の部屋に女の子が遊びに来て、普段寝ている克也の二段ベッドの上段に無造作に横になる同級生の女の子は、何もしてないのにエロいのだ。初キッスを妄想するシーンとかもね。
ここで、主役は中学生の克也なのかと思っていたら、とんでもない草なぎ剛がいい人に見えて、掴みどころのない下井を演じているのですが、克也の妄想の中で登場する凄腕の殺し屋“子連れ狼”をシャープに熱演しているのだ。ゴミ捨てのルールに厳しく、ビデオで撮ったゴミ捨てを守らない違反者に“アダルトビデオ“とマジックで書いて各部屋に配布するのだ。アダルト大好きな克也の父は、夜に密かに楽しみ、ゴミ捨て場の映像に驚く。それに下井は突然過剰にキレるし、普段の不穏な佇まいも絶妙で子育てパパとしては申し分がない。バギーカーを使った切れ味抜群のガンアクションは痛快である。その強烈な存在感に草なぎ剛の俳優魂を見た。

また、草なぎくん同様に、現実と克也の妄想の世界とで異なるキャラを快演している人たちにも注目するべし。二枚目俳優の印象が強い仲村トオルが、平凡なサラリーマンと、紫のコスチュームを着たヒーロー“キャプテンフルーツ”に変身して胸の膨らみからレモンジュースを発射、なんてコミカルに演じているのも必見ですぞ。韓国映画「息もできない」で注目されたヤン・イクチュンも、元韓流スターの電気屋と、狂暴な“処刑人プルコギ”を演じ分けて魅力を爆発。その韓流スターの大ファンである克也の母坂井真紀も、壊れていない電化製品を壊しては家へ入れて、ヤン・イクチュンにすり寄る主婦は当然エロいし、ベットインまで繰り広げるなんてことを。坂井は“マママンゴー”に変身する。
さらには伝説のロッカー遠藤賢司が、ロックを熱唱したかと思えば、マシンガンをぶっ放す“認知症のデスペラード”に変貌。それはもう圧倒的な存在感を見せてますよ。
おが付かない正真正銘の馬鹿映画だ。馬鹿とは何か?・・・男子中学生が自分の○○ポコを舐めようと必死になる。そのために柔難体操をし、部活はレスリング部へ入り、前屈の連続をして閃きが起き正義の味方、妄想と現実がごっちゃになっていく。初めは過剰なバカバカしさと悪ふざけと観ていたが、近所で起きた殺人事件の犯人は、下井ではないのか?・・・と妄想を膨らませてビビる克也。だが、下井が中学生円山に「届いた?」と度々聞いてくる。ところがである、克也が部活で必死に妄想を膨らませて○○ポコに「届く」クライマックス。下井が北海道で元警官だったことと、妻が未成年の変質者に殺された悲劇などの過去が明らかになる。そして、犯罪撲滅のためにスーパーヒーローになって、だいぶ前に(2011年)に観た「スーパー!」の、あの主人公のちょっとおかしくて行き過ぎた正義感のあり方を思い出してしまった。

映画は妄想癖のある中学2年生、円山克也の妄想をそのまま受け止める謎めいた“大人”であり、草薙剛の独特の存在感もあって、不思議なキャラクターに仕上がっている。見ようによっては、下井が中学生の妄想がそのまま成長してしまったような人物にも思えるのだが、・・・早い話がド変態なんですけど、「HK変態仮面」よりは笑いの面でも面白くて爆笑してしまった。
今回もクドカンワールドが全開である。豪華&個性派キャストが、他の作品では見せないような怪演を披露していて目が離せませんから。
2013年劇場鑑賞作品・・・106  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


愛さえあれば ★★★★

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『ある愛の風景』『アフター・ウェディング』で知られるデンマークの鬼才、スサンネ・ビアによるラブストーリー。妻の死を乗り越えることができない男と夫の浮気を知ってしまった女が、それぞれの子どもの結婚式で出会ったのを機に惹(ひ)かれ合っていく姿を描く。『007』シリーズのピアース・ブロスナンとデンマークが誇る実力派女優である『未来を生きる君たちへ』などのトリーヌ・ディルホムが、心に傷を負った主人公たちを快演。南イタリアで繰り広げられる大人の恋愛模様に、胸が高まる。
<感想>「未来を生きる君たちへ」でアカデミー外国語映画賞を受賞した監督スサンネ・ビア、脚本アナス・トーマス・イェンセンのコンビによるラブコメディーである。それもだいぶお年を召した主人公のピアース・ブロスナンとトリーヌ・ディルホムのお二人さん。これがとっても魅力的で、年老いてもこんなラブロマンスがあったらいいなぁと思わせる極上の作品です。現実ではどんなに妄想抱いても実現不可能だけど、劇場のスクリーンの上でのお話でも、中年のおばさんとしては心がウキウキして、胸がキュンとなり涙が出るくらい素敵なお話です。

トリーヌ・ディルホム演じるイーダが、乳癌の治療も一段落して、娘の結婚式にためイタリアのソレントへ行くことになる。ところが、その前に、病院から家へ戻ると、なんと夫が会社の女と浮気の真っ最中に出くわすわけ。驚くやらどうしていいのか分からず、ただ南イタリアへ行こうと車にのり空港へ。すると空港の駐車場であわてていたので、障害者用のスペースへ停めたため後ろも見ないでバックする。横から来た車にドカンとぶつけてしまい、怒った車の紳士がイーダの髪の毛を掴み、つまり抗がん剤を飲んでいたため頭はハゲ、あわてた紳士は驚いて謝る。
その紳士が実は、娘の相手花婿の父親フィリップだったのです。もちろん飛行機も一緒で、待合室でコーラを満タンにして零すイーダ。家を出るときに夫の嫌な思い出を、イタリアで癒そうと思っていたので、素敵な紳士と親戚になるのは嬉しいですよね。それに、ソレントへ着くとフィリップは優しくて、傷心の彼女を慰めてくれる。

彼女が海で、裸で泳ぐ姿を見つけたフィリップは驚いて駆け付けるのだが、彼女は自分の身体のことは隠したりしない。だからなのか、そういう彼女を守って上げたいと、誰でもそういう気持ちにはならないが、フィリップの場合は特別に彼女に優しく接するのだ。
ところが、夫があろうことか、浮気相手の女を連れて来たのには呆れかえる。それもその女、ずうずうしいことにもう離婚が決まっているとばかりに、婚約したと嘘をついて派手な衣装で奥さん気取りなんですから。そこへ軍隊へ入っている息子も来たのだが、怒り心頭で父親に殴りかかり喧嘩になってしまう。

結婚式前夜の、パーティでは盛り上がってダンスをフィリップと楽しそうに踊るイーダ。それを見てヤキモチを焼く亭主、いきなりイーダの手を引っ張りダンスの相手をさせる。それに、もう一人のお邪魔虫が、亡くなった奥さんの妹というおばさんが、フィリップに夢中でモーションをかけてくる。
そして、結婚する娘と婿どのとの間になにやら険悪なムードが。どうやら婿殿が実はゲイだったということが発覚して、可愛そうなのは花嫁の娘だ。結局結婚式は取り止めになり、みんな帰り支度をする。
デンマークへ帰ったイーダに、あの浮気夫が真っ赤な薔薇の花で絨毯を埋め尽くし、花束をたくさん飾って「やり直そう、君しかいないんだ」なんて甘い言葉につい心を許すイーダ。私なら絶対に許さないし、慰謝料がっぽり貰うのに。優しいのよね、イーダは。まだそんな夫でも愛しているんだもの。だから、せっかく美容院までフィリップが訪ねてきて、プロポーズしてくれたのに、断ってしまうなんて。
彼が帰った後に、大切な人の存在を認識したイーダは、単身ソレントへと向かうのです。良かったです、ここでは中年のラブロマンスを綺麗に表現して、甘くなく、辛くなく、軽やかなのがいい。勇気を持って彼の胸に飛び込んだイーダに幸せあれ!トリーヌ・ディルホムが輝いて見えた。
とにかく南イタリアの風景が素敵で、まぶしい太陽と緑の葉のレモンの木と黄色い果実たわわに実る道、そして斜面に立つ大きな屋敷。何度も映す朝日が昇る景色と夕日が沈む景色も、秘密の場所の入り江も、夜の港の灯りもロマンチックで絶妙ですね。
原題は「愛は君が必要なすべて」っていうのですが、邦題の方が分かりやすくていい感じですね。
2013年劇場鑑賞作品・・・107  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

私は王である  ★★

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韓国の歴史上もっとも偉大な王といわれる世宗大王が王位に就くまでの秘話を描く歴史ドラマで、二年の兵役から戻ったチュ・ジフン「アンティーク」が二役に挑戦している。共演は「ヨンガシ/変種増殖」のイ・ハニ、イム・ウォニ他ほか。監督は『先生、キム・ボンドゥ』『ラブリー・ライバル』のチャン・ギュソンで、初の時代劇となる。
あらすじ:十五世紀初頭の朝鮮、国王大宗は長男の度重なる問題行為を身かね、三男のチュンニョンを王位後継者指名する。だが、彼は博識ではあるが何事も人任せの温室育ちで、王になるきはなかった。
チュンニョンはある夜密かに逃亡しようとし、王宮を逃げ出した途端に若い男とぶつかってしまう。気を失ったその男ドクチルと着物を取り替えて、チュンニョンは夜の町へと消えてゆく。
チュンニョンを捜す護衛のヘグとファングは、ドクチルを応じだと勘違いするが、すぐに偽物だと気づき、ヘグは町へ王子を探しに、ファングは宮廷でドクチルの世話をすることになった。
世間知らずだったチュンニョンは、様々な民に出会い、政府の圧政や悪徳貴族の横暴にふれ、次第に王としての責務に目覚めていく。一方、ドクチルもまたかつての雇い主の娘スヨンが、中国への貢ぎ物になるところを助けたりするうち、即位式の日が近づいてくる。

<感想>史実の中で空白となっている王位継承から即位までの3か月間を描く歴史ドラマである。だが、先日公開になった、イ・ビョンホン主演の「王になった男」と同じような物語。あちらは替え玉という内容だったが、下層の者が良く似た王にすり替わる内容は同じなのでちょっと間延びした。

イ・ビョンホンに比べてといってはなんだが、笑いも子供っぽいし、偽王子を扱った映画が先に上映されているので、幼稚なコメディ要素を強めた本作は、残念ながら映画としての雅がない。テレビドラマのドタバタが見合う場面がきりもなく立て続きに、チュ・ジフンも異なる衣装で一人二役に見せているだけで演技力に欠けている。

さすがにイ・ビョンホンの演技力から異なる王と芸人の演じ分けを見てしまうと、これは貫録負けですね。豪華な衣装やセットは鮮やかだが、主人公たちの後先を考えない行動は、物語の上の配分が悪いし、道草をくい、調子外れなギャグも目立って鼻につく。

取り得と言えば、当時の朝鮮が中国の奴隷のようになっていたことがよく分かることぐらいですね。偉大な国王が改革する前の、封建的悪徳が許されていた時代の、愚かな貴族たちの暴力をネタにしたドタバタ喜劇。
この時代にこんな物があったらいいなぁ〜というふでぺんなるもの。墨が竹の筒の中に入っていて押すと出て来るアイデア。大砲もイギリスやフランス輸入じゃなくて工夫して作った大砲は、コメディ要素抜群で、とんでもないところへと飛んできます。

現代が舞台でも韓国映画はやはり、階級の主題が好まれるけれども、だからこそ下ネタも含むトイレのギャグは同じだ。王に入れ替わった男が、お付の女性にお尻を拭いてもらって、複雑な表情を浮かべる話。それに下層階級に落ちた王子が、トイレをする時、いつもお付の者にお尻を拭いてもらっていたので、外でも家来のヘグに頼むという情けなさ。
それでも、どの辺で入れ替わるのかのかなぁ〜と思っていたら、どうってことはなく入れ替わってしまった。「王になった男」のような、お尻にアザがあるとか、絶対に王子と分かる認証が欲しかったのに。
それでも、貧しい民の暮らしを見て、国王たるもの民を飢え死にさせるわけにはいかないと、それに下層階級の者は文字を書けないし、読めないのだ。このことも、自分が無類の本好きなので、子供たちに読み書きを教える世の中にしようと心がける王子の顔が清々しい。
2013年劇場鑑賞作品・・・108  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


セデック・バレ 第一部 太陽旗★★★★

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日本による台湾統治時代に発生した、先住民による大規模な抗日運動「霧社事件」を映画化した歴史大作の前編。文化や風習を否定され、野蛮人として扱われたセデック族が、部族の誇りを懸けて武装蜂起するまでを描く。監督は、『海角七号/君想う、国境の南』のウェイ・ダーション。主人公の部族の頭目を、映画に初めて出演するリン・チンタイが熱演するほか、安藤政信、木村祐一など日本人キャストも出演。戦闘シーンの過激さに驚くとともに、彼らのさまざまな苦悩が観る者の心に突き刺さる。
あらすじ:昔から台湾の山岳地帯で生活している狩猟民族、セデック族。日本の統治下でセデック族の人々は野蛮人とさげすまれる一方、日本人化を推し進める教育などを受けることを余儀なくされた。統治開始から35年がたったある日、日本人警察官とセデック族が衝突したことをきっかけに、ついにセデック族は戦うことを決意。セデック族の頭目、モーナ(リン・チンタイ)を中心に、日本人を襲撃するが……。

<感想>今から80年前、日本統治下の台湾で長年の服従を強いられてきた原住民たちが一斉蜂起し、その双方が多大な犠牲を強いられた、歴史上知られざる悲劇があった__。この異文化衝突を血ヘドを吐くような苛烈なドラマと恐ろしくも強烈な皆殺しバイオレンス・アクションで綴った、一大抒情詩である本作。
舞台は1930年の台湾、日本統治時代。中国人が移住してくる前から台湾に暮らしているセデック族という原住民と日本軍の戦いの映画なのだが、言葉もセデック語と日本語だけ。中国語はない。セデック・バレとは、真実の勇者。通過儀礼を終えた一人前の男という意味で、成人すると顔に入れ墨(額と顎)をし、人間の首を狩る。狩猟採取民族だから、映画は1895年に日本軍が入ってくるところから始まる。険しい山奥のジャングルを、半裸で猟銃や槍、弓矢を持ったセデック族が裸足でまるで猿のように軽々と跳んで鹿狩りをするシーンから始まる。

この山にはいろいろな鉱物があるので、それを目当てに日本軍が侵攻して来る。それに対して、セデック族は得意のゲリラ戦で抵抗する。日本兵は道を一列に並んで歩いて山を登ってくるから、待ち伏せして彼らの射的の的になってしまう。
しかし、日本軍は村の女子供を人質にして、やっとセデック族を討ち鎮める。それから何十年か経った1930年、セデック族は日本の管理下で林業をして暮らしていたのだが、大切な銃は駐在所に管理されて、好きなように狩猟はできないのだ。
日本語を押し付けられ、小学校ではセデック語を話すと教師にビンタされるのである。日本は、琉球や朝鮮でも同じことをやっていたけれど、アメリカだってインディアンに英語とキリスト教を押し付けていた。その他の国でもみな同じようなことをしていたのだ。

確かに歴史で習ったことはあるが、映画を観るまではこれほど過酷な事が起こっていたとは。安藤政信演じる警官みたいに、彼らの文化に魅力を感じて深く研究した日本人も多かったそうです。彼らセデック族は、アイヌや琉球人と同じようで、肌が浅黒くて、顔の彫が深くて、目が大きくまつ毛が濃い。それに動作が活発で勇敢である。中国人とは全然違って、みんな山岳民の血を引いている。だから演じている人たちもみな台湾の山岳民で、とにかく面構えの良すぎる出演者ばかり。主人公モーナ・ルダオ役のリン・チンタイさんを初め、彼の住む部落にいる若者たち騒動員。

発端は、セデックの首長モーナの長男が駐在に酒を勧めたら殴られる。それはその酒というのは、穀物や果物を口で噛んで、唾液でアルコールにしたものなんですね。だから日本人にしてみたら、「そんな汚いもの飲めるか」って怒ったわけ。それが、逆にセデック族にしてみれば失礼だと。その駐在を袋叩きにしてしまう。このままだと部族は日本軍に処罰されて、民族の誇りを奪われ、また権利が奪われる。そこでやられる前にやれと、逆に武装蜂起を決意する。

日本人俳優で、木村祐一はあまり出番もなく直ぐに殺されてしまった。安藤政信演じる警官は、山岳民に理解があるのだが、妻や子供殺されてセデックを憎んでしまう。一番悲惨だったのが、霧の濃い朝だった運動会の日に、学校を襲撃して、学校ではセデックの子供たちが、それまで友達だった日本人の子供の首を狩る。
それは、学校では先生が、セデックの子供たちを蕃人(野蛮人)と差別待遇をするから。日本人の子供たちもセデックの子供に対して、野蛮人と蔑視の目を向けて辛くあたったからだろう。

1930年の10月27日の朝、霧社で運動会に集まった日本人134名が虐殺された。犠牲者の多くはセデックの風習に従って首を刎ねられ、そこには女子供も含まれていた。それはこの地に暮らす台湾原住民、セデック族による犯行だった。
ただちに日本軍と警察の合同部隊が結成され、討伐作戦を開始。山中で激しい戦闘が繰り広げられた。第1部のラストでは、300人のセデックの戦士たちが、日本人の集落を襲い、クライマックスとなる運動会襲撃シーンでは、分かっていてもショッキングな映像に、ただただ目を背けることはできません。

アクション監督は「オールド・ボーイ」(03)、「モンガに散る」のヤン・ギルヨンとジム・ジェウォン。それと、画面に見入るほどいい男ぞろいの、原住民キャストの熱演にも拍手したい。中でも決起のリーダーとなる、モーナ・ルダオ役を演じたリン・チンタイの神がかり的なかっこよさにはまいりましたです。映画初出演といいながら、威風堂々としているので普段は何をしているのだろうと。なんと牧師さんだそうです。

モーナを慕って戦いに加わる少年パワン役のリン・ユエンジエの活躍。同族でありながら日本軍に協力して宿敵モーナを追う、タイモ・ワリス役のマー・ジーシアンなど、印象に残る人たちばかり。そうそう、台湾女優のビビアン・スーがセデック族の妊婦役で、出演してました。
また日本人では小島巡査役の安藤政信を初め、討伐部隊の指揮官となる鎌田少尉役の河原さぶ、横暴な振る舞いで事件の原因を作る吉村巡査には、松本実ほか、日本人のキャストの好演も素晴らしかった。
未だ多くの謎を問いかける「霧社事件」の真実に迫る、1部、2部作、計4時間半の歴史アクション大作であります。
2013年劇場鑑賞作品・・・109  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

セデック・バレ 第二部 虹の橋 ★★★★

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「海角七号/君想う、国境の南」のウェイ・ダーション監督が、日本統治下の台湾で勃発した、原住民族“セデック族”による大規模な抗日暴動“霧社事件”を、壮絶なバイオレンス・アクションで完全映画化した歴史超大作。日本公開に際しては、海外向けの短縮バージョンではなく、第一部&第二部連続上映による全276分の完全版(台湾ドメスティックバージョン)での上映が実現。本作はその第二部「虹の橋」編。
あらすじ:霧社公学校を襲撃したセデック族は、日本人であれば女子供の区別なく容赦なくその手にかけ、多くの命を奪っていった。直ちに報復を開始した日本軍だったが、セデックは地の利を活かした戦いで日本軍を苦しめていく。それでも日本軍の圧倒的な武力の前に、次第に追い詰められていくセデック族だったが…。

<感想>10分間の休憩の後に、第二部を鑑賞。興奮冷めやらぬ思いでどうなることなのかと、・・・。山中に身を潜めたセデックと日本軍の壮絶な死闘が展開する。しかし、セデック族は山岳地帯を素早く動き、神出鬼没の活躍を見せるのだ。この映画は抗日アクション映画でもなく、イデオロギーに凝り固まったプロパガンダ映画でもない。異文化同士の衝突という観点から戦争を描き切った革新的な傑作です。首狩りや信仰も含めてセデック独自の文化、風習をつぶさに描いて、それが他の文化に抑圧されることで惨事を過程を丹念に描いている一方で、日本人も単なる悪役として一面的には描いてはいない。

中には、セデックと親交を深め、彼らを理解しようと努める小島巡査に安藤政信が、あるいはセデック出身のエリートとして高等教育を受けた、日本人へ恩義を捨てることが出来ない花岡一郎・二郎など、それぞれのコミュニティの中で、葛藤する者たちの内面をも映し出している。
そして、蜂起後に抗日セデックの多くが、女子供を含めて自殺した事実も、彼らの祖霊信仰に根ざしたものとして描かれている。観客はその悲痛な光景を目にして、なぜこんな事態になったのか?・・・という思いめぐらさずにはいられない。それは、なぜ戦争は起きるのか、どうすれば人はその悲劇を避けられるのだろうか。というメッセージも込められている。

それでも、圧倒的なスケールと迫力に満ちた、血わき肉踊るアクション活劇の大作でもある。主な武器は、セデック族の蕃刀(大きなナタ)と猟銃、槍に弓矢など、そして己の肉体のみという彼らの戦士たちが、険しい山岳地帯を裸足で自在に駆け巡り、日本軍の近代兵器で武装した1000人の軍隊を血祭りに上げていくのである。その勇壮な活躍は、日本人としての感情など通り越してひたすら痛快に映っている。

足場の悪い山肌、渓流の岩場、断崖絶壁などで繰り広げられる。その彼らの体を張った立ち回りは命がけだ。同じくらいにカメラワークも命がけ感がみなぎり、度肝を抜く仕上がりになっている。
断崖絶壁に架けられた吊り橋を切り落とし、日本軍はその断崖絶壁に細い道を恐る恐る歩くと、上から大きな石が落とされ銃撃がと、ひとたまりもなく死んでゆく。
第二部の後半で、日本軍に最後の突撃を仕掛ける大迫力の戦闘スペクタルでは、日本軍が容赦ない追い込みをかけるが、戦士たちは怯えることなく銃弾や砲弾の飛び交う戦場を、裸足で爆走する。

山奥でゲリラ戦をするセデックに対して、日本軍は榴弾砲を撃ったり、飛行機で毒ガス弾を撒いたりする。それでも彼らは屈することなく、倒すことができない。だからセデック族と敵対している山岳民を雇い、彼らの首を狙わせる。男は300円、女は200円、子供は100円とかお金を支払うのだ。もともと山岳民は部族同士が絶えず戦闘してきたから、それを利用される。戦いは密林でのゲリラ戦から真っ向勝負の最終決戦へと突入していく。

まるで「アポカリプト」のような、狩猟民族は、生き物は死んでも魂は死なないと信じているから、殺す罪悪感も死ぬ恐怖もあまり感じないらしい。だからなのか、ゲリラ戦になると、セデックの女子供たちは食料不足を見越して足手まといになると、自分たちで首をくくって集団自決するシーンもあります。
実際に290人も自決したらしいです。このシーンでセデック族の女たちも、男たちもみな虹が死後との世界を結ぶ橋だと信じて、虹の橋のたもとで待っているからと言いながら死んでいく。きっと日本軍に辱められ殺さられよりも、その土地の部族の掟とプライドなのだろう。

何だか、イスラムの自爆テロもそうだけど、死後の幸せを約束されると信じて平気で死ねる気持ちは理解できない。中でも日本化教育の優等生で、警察官になった二人のセデックの男。彼らは民族のためには近代化しかないと思って、日本人として花岡一郎・二郎と名前ももらい、生きるのだが結局最後は、妻と赤ん坊と一緒に自決するのである。
最後に、どうにもこうにも心に残ったのは、ラスト近くで、セデック族を鎮圧すべく日本から送り込まれた鎌田陸軍少尉が、彼らと面と向かって戦った果てに、逆にセデック族の内面に、日本人に勝るとも劣らぬ大和魂を見出して、ぽつりと言う言葉である。それは、この映画のテーマである、どうすれば人々の心の中にある憎しみ、恨みを解き放ち平和をもたらすことができるのか、ということなんですね。
2013年劇場鑑賞作品・・・110  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

コードネーム:ジャッカル

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韓国人アイドル・グループJYJのメンバーで、日本のテレビドラマ「素直になれなくて」などにも出演したキム・ジェジュンが主演するラブ・サスペンス。伝説の女殺し屋がトップスターを拉致したことから巻き起こる、スリリングな誘拐劇やさまざまな人間模様が描かれる。キム・ジェジュンが人気歌手を演じ、対する天然な殺し屋を『背景、愛してます』のソン・ジヒョが熱演。メガホンを取るのは、『彼女を信じないで下さい』のペ・ヒョンジュン。“壊れた姿”を披露するなど、キム・ジェジュンが演技で見せる新たな一面はファン必見だ。
あらすじ:ある日、トップスターのチェ・ヒョン(キム・ジェジュン)が拉致される。連れ去ったのは、伝説の女殺し屋ジャッカル(ソン・ジヒョ)。ジャッカルはチェ・ヒョンを殺害しようとするが、周囲の人々の思惑が絡み合い、遂には警察が出動し、事態は思わぬ方向へと進んでいく。
<感想>びっくりです、韓国アイドルのジェジュンファンの若い女の子でいっぱいでした。地方でも彼のファン(女子高校生)がたくさんいるんだ。
謎の暗殺者「ジャッカル」というと、1997年アメリカ、ジャッカルを演じたブルース・ウィリスと、元スナイパーのリチャード・ギアの競演を思い出す。古くはジャッカルと聞いて浮かぶのは、F・ジンネマンのやはり暗殺者「ジャッカルの日」が有名。しかし、この映画は韓国アイドルのキム・ジェジュンが主演なので、彼を狙う殺し屋の名前が「ジャッカル」なのである。それも若い女、ソン・ジヒョが変装して殺し屋を熱演しています。
若いジェジュンは歌手で、スポンサーに金持ちのおばさんが付いており、この日も高級時計をプレゼントするわけ。そして、ホテルでその見返りにいいことしましょ、という感じなんですね。そのホテルが、高級とはいえない場末の元ラブホテル。
さっそくホテルへ入っていくのに、後ろから日本人ファンに化けて付いていく女ジャッカル。主演のジェジュンは、要潤(私にはそう見えた)似のイケメン優男。女殺し屋は、アフロヘアーの鬘を被って青い革ジャン着て、すぐには殺さない。
ホテルの中でドタバタコメディが展開し、ジェジュンの元カノが出てきて、ストーカーまがいを展開。ドッタンバッタンと笑えるかと言えば、ノーですから。やはり韓国人アイドルキム・ジェジュンが、縛られたり、困った顔をしたり、挙句にパトロンおばさんとブチュとキスを濃厚にするんですね。これはキモかった。日本人の金持ちおばさんも、きっとホテルでこんなことしてんのかなぁ?・・・ゲロゲロ。
殺し屋を雇ったのは、このおばさんの亭主で、やはり以前から若い男に入れあげている事を知っていたのですね。それにですよ、「ジャッカル」の他に、もう一人男の殺し屋も雇うわけ。この人はいかにも暗殺者という風貌でした。ですが、女殺し屋「ジャッカル」の方が上手だったのですね。頭がいいんですよ、ジェジュン部屋でパトロンのおばさんと「ジャッカル」が鉢合わせして、殺すつもりがなかったのに、はずみでナイフでパトロンのおばさんを刺してしまうんです。
そこへ、もう一人の殺し屋がホテルへやって来て、ソン・ジヒョがこの男を利用して、警察に殺させていかにも「ジャッカル」を捕まえたりと手柄をたてたように見せかけるんです。
ホテルのフロントにいたドラ息子は、馬鹿なのか、いいやつなのか、お笑いの演技は良かったです。女「ジャッカル」の正体も最後まで表に出さず、殺されたということにして、クライマックスに明かされるわけ。全編、イケメン韓流アイドル、ジェジュン中心にスクリーンいっぱいに映して、内容なんて関係ないぞ、というようなドタバタ作品。アイドルスター・ジェジュンあってのこの映画ですね。

2013年劇場鑑賞作品・・・111 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


コズモポリス ★★

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『トワイライト』シリーズのロバート・パティンソンが、一日にして破滅へ向かう若き大富豪を演じるサスペンス・スリラー。人気作家、ドン・デリーロの小説を基に、『クラッシュ』『ヒストリー・オブ・バイオレンス』などの鬼才、デヴィッド・クローネンバーグ監督が映画化。共演には、ジュリエット・ビノシュや、ポール・ジアマッティ、マチュー・アマルリックなど一癖ある実力派キャストたち。過激な作風のクローネンバーグ監督が自身にぴったりのテーマを鮮烈に切り取り、観る者に大きな衝撃をもたらす。

あらすじ:28歳という若さで巨万の富を手に入れたニューヨークの投資家のエリック・パッカー(ロバート・パティンソン)。白いリムジンの中で金を動かし、天国と地獄が隣り合わせで一瞬先は闇という投資の世界に生きながら、一方ではセックスの快楽に夢中になっていた。しかし、エリックの背後に暗殺者の影が忍び寄る。さらに、自分自身わかっていながらも、破滅の道へと歩みを進めるエリックは……。
<感想>「ベラミ」では美貌の色事師を演じ、そしてこの作品では、暴動でごった返すNYの大渋滞に巻き込まれた、白いリムジンの中にいた投資会社を経営する青年エリックが、破滅へのと向かう若き大富豪という、新たなチャレンジを続けるロバート・パティンソン。特に今回は監督が鬼才として知られるデヴィッド・クローネンバーグだけに、ロブ様の新生面が期待できる。しかしだ、映像化が不可能と言われたドン・デリーロの同名小説が、クローネンバーグによって映画化されたもの。
すべてが欲しい、何もかもと、侵略するかのように買占めに走り、仕事相手も謁見式のように様々な客が入れ替わりリムジンの中に乗り込んでくる。まるで現代の王様のような存在の28歳のエリック。しかし、誰にも理解されない孤独と虚しさを埋めるために、ひたすら刺激を求めていく。

会社創立時からの部下シャイナーや人民元のチャート作りをする若い男と雑談を交わし、年上の愛人ディディ、ジュリエット・ビノシュとはカーセックスを楽しむ。ところ選ばず女たちと情事を重ね、女シークレットサービスとの情交の後に、「俺のDNAを痺れさせてくれ」とスタンガンの電撃をせがむほどに彼は、生の実感に飢えているのだ。渋滞に閉じ込められたリムジンの中でのエリックの性行為は、まるで「クラッシュ」を見ているようだし、飛び交う暗号のような株式の専門用語や、彼自身の内面の空虚さを埋めるように繰り返されるうんちくも、まるで「裸のランチ」のカットアップのようでもある。

ジョギング姿のシングルマザー(サマンサ・モートン)と論争しながら医師の身体検査を受ける。その合間には、これも富豪一族出身の新妻エリーズ、サラー・ガドンとランチ。しかしエリックはこの日、人民元の値動きを予測できず、全財産を失うほどの損失をこうむっていた。人民元の下落で破産の危機に直面しても、「俺は今とても自由を感じている」と解放されたかのように微笑む。

妻のエリーズからは破局を宣告され、おまけに警護官から暗殺者に狙われているという報告も入った。その警護官を射殺してしまうとは。昔から通っている散髪も途中でやめてリムジンを帰したエリックに、ついに暗殺者の銃弾が襲い掛かるが、彼は逆にその男、ポール・ジアマッティの部屋へ乗り込んでいく。

エリックはハイテク装備のリムジンから世界を見通す神であり、排泄もセックスもすべてリムジンの中で行う。このリムジンは虚無を象徴するバーチャル空間なのだ。彼はやがて車外へ飛び出し破滅的な運命にあうのだが、そこで見過ごしてはいけないのは、彼が終盤、彼の命を付け狙う暗殺者との2人の思考が交錯する原作の構成を、エリック1人の視点にまとめあげることによって、より彼の癒しがたい孤独を浮き彫りにしているようだ。エリックが、ついに拳銃にふれた瞬間に、自分の手を拳銃で撃ちぬく。それはスクリーンを支配するイノセントすぎる興奮のほとばしりに見える。そして、ジアマッティに拳銃を突きつけられる最期は、それは虚無を狂気で瞬時に飲み込むクローネンバーグならではの映画的演出なのだろう。

エリックのよりどころである資本主義の終焉を告げるような、リーマンショックやウォール街占拠デモを想起させるリムジンの車外に展開される暴動のイメージも、原作のビジョンを見事に具現化していると思われる。だが、観る側としては、まったくもって意味不明で自分の頭の中で解釈ができないのだ。されとて、ドン・デリーロの小説も読む気にならないのだ。
2013年劇場鑑賞作品・・・112  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

ポゼッション ★★★

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『スパイダーマン』シリーズを大ヒットさせたサム・ライミがプロデューサーに回り、『ナイトウォッチ』のオーレ・ボールネダルが監督を務めた驚がくのホラー。2004年に「Los Angeles Times」に載った都市伝説の記事を基に、ある少女を襲う衝撃の出来事を映し出す。主人公に抜てきされたのは、カナダ出身の新星ナターシャ・カリス。デンマーク出身の監督によって作り上げられた緊張感あふれる映像や、細やかな心理描写に戦慄(せんりつ)する。

あらすじ:3か月前に妻と離婚したクライド(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、週末に2人の娘と過ごすのを楽しみにしていた。だがある日、ガレージセールで古めかしい木箱を買ってからというものの、次女のエミリー(ナターシャ・カリス)の様子が一変してしまう。エミリーはまるで箱に取りつかれたようになり、徐々に異常な振る舞いがエスカレートしていくのだった。
<感想>「スペル」のサム・ライミ制作ということで鑑賞。両親が離婚したばかりの小学生の姉妹のエミリーとハンナは、父母の家を行ったり来たりしていた。ある日のこと、偶然通りかかった住宅街のガレージセールで、父親がエミリーにアンティークの木箱を買い与える。箱にはヘブライ語が彫られ、開けることはできない。だが、その夜から娘の様子がおかしくなる。

封印されていたのはディブックのなかでもアビズーという女の悪霊で、少女の身体を利用してこの世に現れようとする。
その箱を開けて以来、エミリーの奇行が目立つようになり、深夜に一心不乱に冷蔵庫の中を漁り、まるで獣のように食いまくるのだ。朝には朝食の席で、フォークで父親の手をぶっ刺し、エミリーを叱る父親が何も娘にしていないのに、まるで暴力を振るったように娘がビンタをくらい、そのまま裸足で外へ逃げる娘。エミリーを追いかける父親、いたのはゴミ箱の傍。ゴミ箱をあさりあの木箱を見つけて、豹変したエミリーが、街頭に向かって口から生きた蛾を大量に吐き出す。

原因を探るうちに、その木箱は「ディベック」=ユダヤ人伝説の悪霊が封じ込められていたことが判明する。
ディベックという妖怪とは、ユダヤ伝承にあらわれる人に取り憑く悪霊で、古くはイディッシュ語、演劇やポーランド映画で描かれ、本作ではそのディベックが現代アメリカに復活し、幼い子供に憑依するお話。
ビジュアルなインパクトが強烈で、「エイリアン」のフェイスハガーみたいなヤツが少女の顔面の内側を徘徊したり、エミリーのIRM画像の右側の部分に変なババアの顔が動いて見えたり、別れた妻と同居している男の歯がボロボロに折れてしまったり、娘の喉の奥からババアの手が飛び出して来たりと、ナイスなショック描写の連続でスリル満点です。

父親が、娘の身体の中に憑りついている悪霊を、自分の身体に憑りつかせようと頑張る姿もいい。娘の口から飛び出してきた悪霊の姿たるや、まるで地底怪物ゴラムのよう。
悪霊に取り憑かれた娘を救うために、父親はユダヤ教ハシド派のエクソシストに助けを求める。というわけで、これは「エクソシスト」に代表される、悪魔祓いを題材にしたホラー映画ということです。
離婚による子供の動揺と、悪魔憑きを重ね合わせている点も良く似ているが、ローマカトリック教会ではなく、ユダヤ教を背景にしているのが特色になっているのが興味深いです。カトリック教会ものでは、あの「エミリー・ローズ」、「ザ・ライト エクソシストの真実」と似ている部分もあります。
2013年劇場鑑賞作品・・・113  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

オブリビオン ★★★★

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トム・クルーズが「トロン:レガシー」のジョセフ・コシンスキー監督と初タッグ。48カ国でNO.1のオープニング成績を記録した注目作。
映画はトム・クルーズ扮するジャック・ハーパーのナレーションから始まる。時は2077年。今から60年前、スカヴと呼ばれるエイリアンが地球に侵略戦争を仕掛けてきた。人類は核兵器をもってこれに対抗、侵略は逃れたものの地球は完全に汚染され、すべての人類は故郷を捨て土星の衛星タイタンに移住した。スーパーボウルで賑わったスタジアムも2077年には廃墟となり、自由の女神やエンパイア・ステート・ビルは朽ち果て、NYはもはや見る影もない。 
    注意:ネタバレにてレビューしています。

ただしタイタンにはエネルギー源がないため、地球に巨大な採水プラントを設け海水をエネルギーに換えて送っている。いわば採水プラントは全人類の生命線。スカヴの残党はこの採水プラントの破壊を企んでおり、それを阻止するために攻撃型の無人偵察機ドローンが24時間監視体制を敷いている。
「トロン:レガシー」でコンピューターの中の世界をかつてない斬新なビジュアルで描き出したコシンスキー監督が創造した、近未来の地球の描写。それはどこまでも続く荒れ果てた大地と廃墟、砂漠とわずかに残る緑のバランス、刺すような陽光と雲がかかった空のコントラストが鮮やかで、独自のセンスを発揮している。

ジャックとヴィクトリアが生活しているのは、スカイタワーと呼ばれる地上1000mの高さにある塔の最上部。ここにはリビングやキッチン、寝室、バスルームなどが完備されスケルトンのプールまである。環境が破壊された地上に比べると、雲の上に位置するここでは快適に過ごせるようだ。ヴィクトリアが詰めるモニター室や、ジャックがパトロールする飛行艇バブルシップの発着場もある。この宙に浮かぶ無機質な建造物の不気味な対比に目を見張ります。

トムが演じるのは、ドローン管理のために妻のヴィクトリアと二人地球に派遣され、宇宙にあるマザーステーションの司令官サリーからの指示に従い行動する。ヴィクトリアは一日も早く任務から解放されたいと願っているが、ジャックは失われた時の痕跡が残るここが嫌いではない。密かに隠れ屋にしている地上の小屋には、NYヤンキースの野球帽にレイバンのサングラス、そして80年代のレコードまでこっそりと隠してたりする。前作の「アウトロー」でもそうだったが、最近のトムはアナログな男のイメージが強い。

ある時ジャックは、NY図書館の廃墟跡の暗闇の中でスカヴの集団に襲われる。天井に大きな穴が開いた図書館跡、穴からロープで降下するジャックは、ロープを切られて地面に叩きつけられる。16mの高さに吊られ、急降下するスタントを、いつものように自分でこなし、爆発の起こる中でテイクを繰り返した冴えわたるトムちんのアクション。

彼らはジャックを殺すのではなく生け捕りにしようとしていた。数日後、謎の飛行物体が地上に墜落。何とそれは60年前に発進した地球の宇宙船オデッセイ号だった。駆け付けたジャックは、飛行士たちの冷凍睡眠カプセルを発見。だが、飛んできたドローンは彼らを敵と識別し破壊する。助かったのはジュリアという女性だけだった。その女性を見て混乱するジャック。それは彼が任務のために着任する前の記憶を抹消させられていたのだが、そんな彼の夢に夜ごと現れる女性、それがカプセルの中にいたジュリアなのだ。しかもその夢の背景は地球が滅亡する前の、すなわち60年前のNYなのだ。
夢に出て来るジュリアが実際に目の前に現れたことで、物語の展開が一層面白くなる。というか何だか結末が予想できてしまう。

夢の中でのジャックとジュリアは、ロマンチックなムードを漂わせ二人が向かったのはNYのシンボルともいえるビル、エンパイア・ステートビルの展望台。そこで、ダイヤの指輪をジュリアにあげてプロポーズするということは、ジュリアは恋人であり未来の妻だったというわけですよね。それと、廃墟となったNY図書館でジャックがふと手にする一冊の本も、それらが後になって大きな意味やエモーションを生み出すのです。
宇宙船オデッセイ号のフライトレコーダーを回収しようと墜落現場に戻るジャック。
しかし覆面姿の何者かに殴られて気を失う。気付けば廃墟の屋内に拘束されていた。彼はそこで人間の生存者を目のあたりにする。ビーチと名乗る老人は、「ずっと君を観察してきた」と、そしてビーチの口から驚くべき真実が語られる。ビーチ老人にはモーガン・フリーマンが演じてます。

ならば人類の生命線と言われていた採水プラントは誰が何のために作ったのか。ジュリアが乗っていた宇宙探査船の目的は何だったのか?・・・その答えは、オデッセイ号のフライトレコーダーの中にあった。
脚本も巧妙に練られており、信じていたものが180度ひっくり返る中盤からは目が離せませんね。観終わった後に、「月に囚われた男」を思いだし、最後のどんでん返しを楽しむSF映画で、それに灰色の宇宙服のせいか、トムちんが若く見えて、50歳になってもこういう映画に違和感なく出られるのが凄いと思った。

美術的、ストーリー的にSFらしいSFは久しぶり。4K映像によって、壊滅し紫外線降り注ぐ地球の風景や廃墟をくっきりと映し出し、時速192キロで走行するモトバイクで荒野を突っ走るトムちんの姿。彼の得意とするバイクでのアクションの動きもスムースに追い、それぞれのこだわりを追求した映像を観るだけでも本作を観る価値アリです!
2013年劇場鑑賞作品・・・114  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング



グランド・マスター ★★★★.5

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ウォン・ガーワイ監督が、ブルース・リーの唯一の師として知られる伝説の武術家、葉問(イップ・マン)の生涯を描く。演じるのはトニー・レオン。他にチャン・ツィイー、チャン・チェンらのスター俳優を中国武術の様々な流派の宗師=グランド・マスターをめぐる対立と抗争劇に絡めて、後継者争いと復讐劇、愛と憎しみのドラマが展開する。

トニー・レオン演じるイップ・マンは、1893年、中国広東省生まれの武術家で、戦後に香港に渡りそこで武館を開いて詠春拳を広めた。「イップ・マン序章」と「イップ・マン葉問」でドニー・イェンが演じた実在の人物と同じである。少年時代のブルース・リーに拳法を教えたことで現在まで名前が残り、この映画の幕切れに少年リーが顔を出し、師匠の横で記念写真に収まったりしているシーンも感慨深いものですね。

舞台は1930〜40年代の戦争と混乱の時代。ガーワイは大陸の「南」の雄の葉問だけでなく、「北」の宗師の後継者争いから話を進め、南北統一と言う観点から中国武術をとらえ直す。オープニングから、主人公イップ・マンの雨の中での大格闘が展開する。まずはここが見もので、スローモーション映像を駆使した美しく、また幻想的な集団格闘シーン。道路は、故タルコフスキー監督の所作のごとく水浸しで、鉛色の雨粒を切り裂くように伊達男イップ・マンの蹴りが炸裂する。
スケールの大きな歴史絵巻を見ているような錯覚に陥るが、見せ場はなんといっても迫力満点のカンフーでしょう。このあたりのアクションシーンを、スローモーションで再現するのは、時に心地良すぎて眠気をさそうのだが。特に冒頭の雨の降りしきる中での決闘シーンでは、ジェット・リーとドニー・イェンとの「HERO」(2002年、チャン・イーモウ監督)の冒頭での決闘シーンと似ている。

香港映画はブルース・リーを初めとし、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー、ジェット・リーやドニー・イェンのように実際にクンフー(マーシャルアーツ)を会得した俳優が超人的なアクションを披露することで世界をリードしてきたわけだが、もちろん一般の男女俳優たちも過酷な体技に挑戦する。ジェット・リーたちのようにワンカットを長めに撮って、超絶の動きを一気に見せるというわけにはいかないが、本作でのトニー・レオンもチャン・ツィイーも、中国国民党の諜報員を演じるチャン・チェンも大特訓のすえに各種の格闘シーンに挑んでいるのである。

娼館の階段を利用した空中戦、BGMに流れる音楽は華麗なるオペラ曲。椅子が空中に飛び、ガラスが散乱する壮絶なシーンの連続なのだが、撮影前の数年間に渡る特訓の甲斐もあってか、レオンやツィイーの改造された肉体には惚れ惚れとする。もう一つの粉雪舞う駅のホームで、父親の仇である武術家マーサンとの最後の闘いに挑むルオメイの秘技など、工夫の凝らされたアクションシーンが全編を飾っている。本当に駅舎で背後から客車が爆音をあげて走ってくる場面では、簡単には決着がつかないのでこの蒸気機関車は何両編成なのかと不安になり、チャン・ツィイーが勝ちますようにと祈るばかり。
体の線の美しさを捉えた油絵のような光と影の濃厚な質感の映像は、この監督ならではでしょう。そこには紛れもないガーワイ、タッチが溢れだしている。
日本軍に邸宅を没収され、生活のために自分の金品や妻に与えた毛皮のコートを売り、娼館に食べ物を貰いにいく惨めさ。

裕福だったイップ・マン一家が困窮するシーンなど、お話は史実に添っているけれど、日本軍の侵攻も水たまりに日の丸が映し出されるという描写で、ガーワイ監督はあくまでヴジュアル主義を貫いているようだ。というよりも恐らく反日描写には興味がないのでしょう。
茶房に「愛の夢」という唄が流れ終盤のシーンで、真っ赤な口紅をひいた女武術家のルオメイが、思いを寄せていたグランド・マスターであるイップ・マンに「愛はもともと夢なのに」と呟く情感溢れるシーンでは、トニー・レオンとマギー・チャン共演の悲恋ドラマ「花様年華」の優美なまでの艶やかさというムードの名場面が再現されたように感じた。

終幕のツィイーとレオンの芝居場も、見世物に徹して最期まで緊張感が途切れることがない。登場人物のモノローグで繋ぐ手法のもろさ、儚さが大きな魅力に転じているのは、ガーワイ監督の演出力と言っていいだろう。幕切れには、ルイメイが父親から学んだものは「技ではない。心だ」ととも。動乱の時代に主人公たちは、それぞれに揺れ、人生を選択してゆく。古いアルバムの中の写真が突然動きだしような錯覚を覚えた。
エンドロールで席を立たないように、この後でトニー・レオンによる拳法の優麗な所作が観られます。
2013年劇場鑑賞作品・・・115  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

孤独な天使たち ★★★

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『ラストエンペラー』『魅せられて』などのイタリアが誇る巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督の、初メガホン作から50周年の青春作。ニコロ・アンマニーティの小説を基に、扱いにくい少年と腹違いの姉の地下室での短い共同生活がもたらす魂のぶつかり合いを映し出す。主演の姉弟を演じるのは、共に新人のテア・ファルコとヤコポ・オルモ・アンティノーリ。最初は反目し合いながらも、次第に心を通わせていく彼らの再生の物語が感動を呼ぶ。
あらすじ:孤独を愛する14歳のロレンツォ(ヤコポ・オルモ・アンティノーリ)は、家でも学校でも煙たがられていた。そんな彼が、学内恒例のスキー合宿に参加すると言い出し、母親のアリアンナ(ソニア・ベルガマスコ)は大喜びする。だが、ロレンツォは最初からアパートの地下室に隠れ、羽を伸ばして思い切り好きなことをするつもりだった。

<感想>ベルトリッチ監督が10年近い闘病を克服して、再び映画の最前線に復帰した新作。この映画に見られる孤独で人間嫌いの14歳の少年ロレンツォは、学校で集団で出かけるスキー旅行を勝手に取り止め、その期間を自宅のアパートの地下室に籠って過ごそうと決意する。この計画が順調に進みだしたとき、父親の先妻の娘、オリヴィアが突然出現し、内気な少年を混乱させる。二人が地下室に閉じこもったのは、他に何処にも行く場所を見つけることが出来なかったからだ。だがそこは、家族の過去の記憶の収蔵庫でもあり、それがオリヴィアを呼び寄せたのだろう。

気ままに心おきなく過ごすことの出来る避難場所に出現した珍入者を巡って、どう折り合いをつけていくのか。困難な状況から非難してきた乱入者に対して寛大に歩み寄り、互いに理解しあうことで、自分も同じ困難な状況から解放されることができるとすれば、・・・。
これは青春の物語なのだろうか、学校のスキー合宿をサボって地下室に引きこもった少年と、突然そこに侵入してきた麻薬中毒の義理の姉の間に育まれる密かな愛。その愛の中で、二人だけの晩餐の幸福があり、義姉、弟はそれぞれの朝を迎える。
だが、少年は14歳というより大人びて見えるし、義姉も世の荒波をくぐりぬけてきたせいか疲れ切って見えた。地下室は暖房が効いているようで温かいのか、義姉が下着姿で薬断ちの苦しむ姿を見て、自分が何もしてやれないまだ子供といういらただしさを覚える場面もある。睡眠薬を飲み眠りで薬断ちをするオリヴィア、睡眠薬を取りに病院へ、入院しているお婆さんのところへ忍び込み取りにいく少年。

地下室に籠った少年に社会は携帯電話を通して侵入する。母親は少年にメールをし、電話を掛けてくる。電話口で彼がスキー教室に参加していることを確かめようとして、教師の声を装ったオリヴィアにまんまと騙される。少年もまた電話口で母親を巧妙な作り話で騙している。
それとアルマジロと蟻が少年の分身として登場する。義姉の方はカメレオンだろう。アルマジロは硬い甲羅で覆われおのれを守る。蟻は地下に穴を掘り、カメレオンは周囲の色に完全に同化することでおのれを守る。しかし、地下室で引きこもる弟は、硬い甲羅を変化させ、カメレオンの義姉は薬物中毒を絶ちたいと苦しむ。その中で、地下室にある古びた衣装を着て男まで連れ込むオリヴィア。そして、少年の蟻のガラス箱を壊し、蟻が床に散らばる。
少年は、寂しさからなのか、それとも少年の性への芽生えなのか、義姉の寝ているソファに自分のベットを近づけて眠る。この濃密さの中で少年の義姉への愛は育まれるのだが、少年はその床に散らばった蟻を地上の路上へと解放するのだ。
カメラは街の風景の中で、地下室のある場所を外からも映すのだが、それは殺風景で寒々としている。ところが映画では地下室内の豊かさが際立たせられているではないか。色の濃淡、変化、奥行と真っ赤なベルベットのソファーから帽子まで、そこに置き去られたモノたちの重厚さは、地上の殺風景さに対して圧倒している。
映画の冒頭で少年が精神科医と話しているところから始まるのだが、その精神科医がベルトルッチ監督であり、少年も彼の分身なのだろう。最後の場面でオリヴィアが麻薬を断ち切ることが出来ないことも、少年が簡単に社会に順応していかないだろうと思われることも、暗示されて終わる。ということは、ここでは二人の成長が語られているわけではないのだ。早朝の人気のない街角での抱擁のあと、ロレンツォと別れたオリヴィアについては、不吉な暗示を示して終わっている。この作品を見て後に残るのは、この微妙な苦みと気掛かり、そして暗さである。
2013年劇場鑑賞作品・・・116  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

バレット ★★★

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シルヴェスター・スタローンが、『ストリート・オブ・ファイヤー』や『48時間』シリーズのウォルター・ヒル監督とタッグを組んだアクション。相棒の復讐(ふくしゅう)に燃える殺しのプロフェッショナルが、それを成し遂げようと若き熱血刑事と共に壮絶な戦いを繰り広げていく。スタローンがタトゥーで覆われた屈強なボディーを披露しながら、重厚感あふれる肉弾戦や銃撃戦を披露。『ワイルド・スピード』シリーズのサン・カン、『ソルジャーズ・アイランド』などのクリスチャン・スレイターら、実力派俳優が脇を固めている。

あらすじ:逮捕歴26回、有罪2回と、修羅場をくぐり抜けてきた殺し屋ジミー(シルヴェスター・スタローン)。相棒の復讐(ふくしゅう)を遂げようと奔走していた彼は、やむを得ない状況から敵対するべき相手である刑事テイラー(サン・カン)と手を組むことになる。言葉よりも弾丸で全てを解決しようとするジミーと法と刑事の職務を順守するテイラーは、衝突を繰り返しながらも奇妙な絆を育んでいく。やがて、そんな彼らの前にマフィアや警察、冷酷非道な殺し屋キーガン(ジェイソン・モモア)が立ちはだかる。

<感想>「エクスペンダブルズ」も成功させ、アクションスターのオーラ消えることのないシルベスター・スタローン。そんな彼にとっても、新しいチャレンジとなった単独主演作が本作なのだ。内容は、40年間、殺し屋を続けてきた主人公、名前がジミー・ボボ。相棒が殺されたことをきっかけに、あろうことか刑事とコンビを組んで巨悪と立ち向かう物語。真逆の掟に従って生きてきた男たちの攻防が、銃撃から肉弾戦まで荒々しいアクションとともに展開していく。メガホンをとったのは、10年ぶりの長編監督作となるウォルター・ヒル。アクション映画の“伝説”とでも呼んでもいい巨匠が、究極のハードボイルドの世界を超骨太に描いている。
元警官のグリーリーを始末する仕事を終えたジミーと相棒のルイス、その結果を報告するため出向いたバーで、謎の男に相棒が殺されてしまう。理由も分からず唖然とするジミーは復讐を誓い真相解明に乗り出すわけ。

相棒のために復讐に燃えるとはいえ、基本は殺し屋なので主人公のキャラは冷血。スタローンの悪の香りをプンプン漂わせる演技はド迫力だ。元悪徳警官グリーリーの相棒だった警官のテイラーは、ジミーを容疑者だと信じて接近。背後の組織を捜査しようとするうち、テイラーも何者かに襲われる。その窮地を救ったのがジミー。テイラーを演じているのが韓国人俳優のサン・カン。
どういうわけか、異常なくらいに理想主義の刑事テイラーと組んで仕事をすることになるジミー。彼は、テイラーが必要なくなればすぐにでも彼の頭を撃ち抜いてしまうつもりだった。逆も同じで、殺されてもおかしくない間の二人。そんなわけだから、最初は絶対に上手く行くなんて思えないんだが、目的が一致したことで、「48時間」のような水と油の即席コンビを結成。そしてニック・ノルティとエディ・マーフィのように喧嘩をし仲直りしながら標的を追い詰めていくわけ。これがアンチ・バディムービーなんだろうなぁ。

謎の男は超ムキムキの筋肉が自慢のジェイソン・モモア。彼は「コナン・ザ・バーバリアン」で主役を務めたアクションスターの階段を急上昇の男。ジミーの命を狙う元フランス外人部隊の、殺し屋キーガンで活躍。その他には、悪役で出ていたクリスチャン・スレター。あまりにあっけなく消える「スコーピオン」や「ザ・マーダ」まで、これほどに出てくれば死ぬ確率の高い俳優はいないだろう。でも「ソルジャーズ・アイランド」では最期まで生きて頑張っていたけど。

そんな彼らを待つクライマックスでは、当然ヒル流ですから、消防署の廃墟でジミーの娘が人質になっており、敵の不動産の悪事が詰っているPCカードと交換に受け渡すのだが、まるで「ストリート・オブ・ファイヤー」のハンマー・チャンバラをさらにハードコアにした“斧対決“を繰り広げるのだ。「これが俺たちのやりかただ」という声が聞こえてきそうな本作。
話の展開が監督ウォルター・ヒルの映画「ストリート・オブ・ファイヤー」の年老いた喧嘩やチャールズ・ブロンソンや「ダブルボーダー」のテキサスレンジャーのニック・ノルティのように、自分の生き方を変えられないヒルの映画ならではの武骨、かつ不器用な男。
その生き方は、アクションスターにこだわり続けるスタローンの生き様も彷彿とさせる。でも見ていて気になるのは、顔の皺もないし、身体の脂肪吸引でもしたのか綺麗に締まって見えるし、年齢的にも若く見えたけど、シュワちゃんとか年相応で良かったので、スタローンってこんなに若かったけっ。1946年7月6日生まれだから現在は66歳ってことなのに、なんだか無理しているように思えた。
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建築学概論  ★★.5

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韓国で恋愛映画の興行成績を塗り替え、大ブームを巻き起こした恋愛ドラマ。建築家の男性が大学時代の初恋の女性に仕事を依頼されたことにより動き出す二人の関係を、過去の記憶と現在の交流とを交錯させながらつづっていく。
あらすじ:建築家のスンミン(オム・テウン)のもとに、仕事を依頼しにやって来たソヨン(ハン・ガイン)。ソヨンは、15年前にまだ大学生だったスンミンの初恋の相手だった。ソヨンの実家のあるチェジュ島に新しい家を造りながら、スンミンの脳裏には初恋の記憶がよみがえり、また新たな感情が芽生えていく。
しかし、スンミンには婚約をしている女性がいて……。

<感想>だいぶ前に見ました。タイトルが「建築学概論」とお堅い感じがして抵抗があるが、物語はいたってシンプル、初恋に関するラブストーリーである。設計事務所に勤める主人公スンミンのもとに、ある日大学時代の初恋の女性が「私の家を建てて欲しい」と訪ねてくるところから始まる。これをきっかけに、親しい友人以上の関係に発展することはなかった当時の彼女、ソヨンとの思い出が、15年の時を経て甦る。だから、映画も15年前の学生時代の二人と、現在の二人の関係を軸に展開していく物語。

主人公の男女を、現代パートでは『私たちの生涯最高の瞬間』のオム・テウンとテレビドラマ「赤と黒」のハン・ガインが演じていて、医者と結婚して別居中のしたたかな女と、一人前の建築家を目指している男。大学時代を『高地戦』のイ・ジェフンとK-POPグループ「miss A」のスジが演じて爽やかな印象がのこる。鮮やかに描かれる初恋の思い出と揺れ動く二人の感情が、観る者の心をときめかせてくれます。
15年前に二人は同じ「建築学概論」の講義を受けて知り合う。お互いに一目惚れのようなそんな感じがしないでもない。デートを重ねていく二人にその後の結婚というハッピーエンドがあるのかというと、それはない。

この物語の根底にあるのは空間と人との関係。劇中でソヨンの依頼を受けることになったスンミンは、設計図を引く前に、ソヨンに“どんな家に住みたいのか?”と何度も問いただします。家とは、人がそこで暮らし、生きているからこそ成り立っているものだから。彼女がこれからどんな人生を送りたいのか、そのことを彼は考えて設計するという。彼女は夫と別居をしており、病気で入院している父親に、チェジュ島にある実家を改造して欲しいと願う。それは父の願い、音楽学校へ入れ娘をピアノ教師として生計を立てること。それと、海が見えるように窓をたくさん取り入れる事。
つまりこの物語は、スンミンとソヨンの家づくりの過程を通して、互いがこれからどう生きていくか、どう前に進んでいくかを描こうとしたのでしょう。この映画の中では、家づくりを進める現在と、大学時代の回想を交錯させている。それは彼らが、初恋という淡い恋が成就しなかったことの後悔を乗り越えて、不完全だった過去を完成させることで前に進んでいく姿を描いています。

それは恋愛映画の形をとった一人の男の成長物語になっている。個人的に強く胸に刻まれたのは、飲食店を営んでいて、女手一つでスンミンを育てた母親との関係。そして母と暮らした家に対するスンミンの思いでもある。スンミンの過去への後悔や反省は、ソヨンに対するものだけではないんですね。
幼いころから母親と暮らしてきた小さな古い家や、その家を象徴するかのようながさつな母親。彼はずっとそれが嫌でたまらず、大学時代の回想シーンでは、母親と喧嘩をして、家の入口の緑色した鉄の扉を蹴飛ばしたりもする。
けれど、どんなに嫌でも彼がそこで生きてしまった時間の重さというのは消すことはできない。それは彼が確実にいたという家=空間、彼そのものだからなのですね。映画の最後でスンミンは、そういう過去の自分を受け止めて、自信が進む方向、これから自分が居る空間を選択するのですが、それはソヨンとの関係に対して答えがあるだけでなく、母親、そして産まれ育った家に対しての答えでもあるんですね。
本作での設計、建築過程の描き方から見ると、イ・ヨンジュ監督は、元は、大学の建築学科を出、設計事務所に勤務していた設計士。10年、設計の仕事を続けた後、思うところあって、映画界に飛び込み、ポン・ジュノ監督「殺人の追憶」などの演出部でいろはを学んだ人物。しかし、映画界に転身した時には、すでに30代半ば。演出部の人間はみな若者ばかり。当然異邦人感を抱え、映画人としての不安定な時期が続いたのだが、そんな自分をきっぱりと建築から切り離そう描いたシナリオが、この作品だったというわけ。
ラストのスンミンの設計した家は、海辺に面した窓が大きく開放的で、もちろんピアノを教える音楽室もあり、庭には小さな池に金魚まで泳いでいるという。それは一流の建築家が設計をしたように素晴らしいデザインの家で、彼女がこの家でこれから過ごしていくには最高の家になっている。スンミンはというと、設計事務所の女性と結婚して、一緒にアメリカへ行くという最後には、女の尻に敷かれたような軟弱な男に見えて、一人残された母親がなんだか可愛そうに見えた。「初恋は遠くに思う甘酸っぱい思いで」
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イノセント・ガーデン ★★★★

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『オールド・ボーイ』『渇き』などで知られる韓国の鬼才、パク・チャヌク初のハリウッド作となるサスペンス・スリラー。広大な屋敷で暮らす母娘のもとへ、長期間にわたって消息を絶っていた叔父が現れたのを機に、次々と起こる不気味な出来事と、その裏に隠された驚がくの真相を息詰まるタッチで追い掛けていく。主演のオスカー女優ニコール・キッドマンや、『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカを筆頭に、実力派が結集。謎が謎を呼ぶ展開に加え、静謐(せいひつ)な美しさにあふれた映像も必見だ。
あらすじ:外の世界を遮断するように建てられた、大きな屋敷に暮らしている少女インディア・ストーカー(ミア・ワシコウスカ)。自身の誕生日に、愛していた父親が交通事故で帰らぬ人となってしまう。彼女は、母(ニコール・キッドマン)と葬儀に参列すると、そこへ行方がわからなくなっていた叔父のチャーリー(マシュー・グード)が突如として姿を現わす。彼と屋敷で暮らすことになるが、それを発端にしてインディアの周囲で不可解な現象が頻発するようになる。

<感想>この映画は少しひねりの加わったラブ・ストーリーにも見える。チャーリー叔父の兄への愛情、インディアに対する愛、その愛が変化する対象。インディアが抱く父への愛、母への愛、叔父チャーリーへの愛、要するに本作に登場する3人の主要キャラクターと4人目のキャラクターである父リチャードは互いに愛憎を抱き、とても複雑で歪んだ関係を築いている。
その一部は近親相姦のようなものでもあり、単なる見せかけの部分もある。愛が憎しみに変わるところもあり、ひどく複雑に入り組んでいるが、でも基本的にはラブストーリーとも言えるようだ。

美しすぎて震えおののく。イノセントな美しさと、目を背けたくなる、でも絶対に目を逸らせない。残忍な暴力性を対立させ描き出すことで、人間の聖と俗を暴きだしてきたパク・チャヌク監督。これはなんて贅沢な官能なのだろう。その美意識と哲学のすべてをヒロインであるミア・ワシコウスカの肉体に、しかも少女から大人へと移り行くその一瞬の隙を逃さずに映し出し魅せている。
彼女、ミア・ワシコウスカは、今の若手女優陣のなかで、ダントツで毒のある透明感を持っている。これまでの主演作「ジェーン・エア」とか「永遠の僕たち」では透明感ばかりが強調されがちだったように思う。もちろんそれはそれで素敵だったのだけど、本作のミアは違う。これまでずっと封印してきた毒の部分がついに花開いたといっていいと思う。
本作での物語は、表面的にはミステリー・サスペンス風に進行する。出て来る小道具や街の風景からすると、時代設定は現代のアメリカのはずだけど、画面から伝わってくるムードは、どこか古風にも感じる。主人公は鋭すぎる感覚を持っている18歳の少女インディア。父親を事故で亡くしたばかりの彼女は、仲の悪い母親と一緒に暮らしているが、お葬式の日に、行方不明だった叔父チャーリーが訪ねてきて、勝手に住み着いてしまう。彼の目的は何なのか?・・・そして、その日を境に、インディアの周りでは不可解な事件が次々に起こって、・・・。

古くから居る家政婦のおばさんが消えて、地下室のある冷凍庫の中に入っているではないか、それにインディアへ近づく男子生徒も、叔父さんが父親のベルトで首を絞め殺し、庭に穴を掘り埋める。その上に丸い大きな石を置く。次の殺人の標的は叔母さんに母親である。叔父のチャーリーは精神病院から出てきて、幼いころに3番目の弟を砂場に埋めて殺した。それから精神病院へ入っていたわけ。兄の父親が18歳になるインディアの誕生日に精神病院から退院をさせたのがまずかったようだ。
だが、これはパク・チャヌク監督の映画なので、当然のことながら、それだけでは終わらない。ヒッチコック監督へのオマージュと崩壊した家庭をめぐるメロドラマの地下で、煮えたぎるマグマのように渦巻いているのは、18歳のインディアの「めざめ」という、もう一つの主題ですね。

やはり特筆すべきは、ミア・ワシコウスカの圧倒的な演技力であり、凛とした少女の高潔さを演じてきた彼女が、本作ではその枠から大きく一歩踏み出し、女としての自我を表現している。母親のブラウスを着て、父の皮ベルトをつけたインディアが、自分が何者であるかを知ったという冒頭のモノローグはとても印象的に映った。
インディアの太腿を這い上がっていくエキゾチックな紋様のクモ。ピアノの上で無造作にリズムを刻むメトロノームの針。そして、極限までに尖がった鉛筆の芯と、滴り落ちる血、・・・それらのイメージの残像は、映画館を出た後も脳裏に潜み、ずっと居座り続ける。18歳の少女の「覚醒」は、ミステリー劇の真犯人なんかより、ずっとずっと怖いものなのだから。母親のニコールと一緒に絹のスリップを着てピアノを演奏する二人。親子で競っているような、若さにはかなわないのに、母親にしてみれば娘はまだまだ子供だと思っている。
ちなみに本作の設定は、ヒッチコック監督の43年の映画「疑惑の影」にとてもよく似ているというので、後で比較してみようと思う。大人への入り口に立つヒロインと、その分身である魅力的な叔父チャーリーとの愛と葛藤の物語を、ヒッチコックならもっと違った展開にしていたのではないか。この映画はまるでその夢想を盛大に実現してくれたかのようにもとれる。
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プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星★★★

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アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」(1979)、アレクサンドル・ソクーロフの「日陽はしづかに発酵し…」(88)などの原作で知られるロシアのSF作家ストルガツキー兄弟の「収容所惑星」を映画化したロシア製SF大作。

あらすじ:2157年、深宇宙。自由調査団の宇宙船パイロット、マクシム(ワシリー・ステパノフ)は宇宙飛行中に思わぬ隕石事故に巻き込まれ、謎の惑星に不時着する。何とか脱出したものの、その直後に宇宙船は爆発。住民によって捕虜にされた彼は、親衛隊のガイ・ガール伍長(ピョートル・フョードロフ)によって首都に連行されることに。しかしその道中、輸送車両が“ニュータイプ”と呼ばれる種族の襲撃を受けてしまう。
マクシムは瀕死の重傷を負ったガイを救出し、脱走に成功。この惑星“サラクシ”が、軍事独裁政権“匿名の父たち”によって支配されていることを知る。潜伏先の街中で偶然出会ったガイの妹、ラダ・ガール(ユーリヤ・スニギーリ)と恋に落ちるマクシム。
彼女と一緒にいたところを何者かに襲われ、優れた戦闘能力を発揮した彼は、ガイにその実力を認められて親衛隊候補になったものの、入隊を拒否したために処刑されてしまう。

ところが、特殊な治癒能力によって一命を取り留め、反政府組織のニュータイプに匿われる。そこでマクシムは、政府が惑星のあらゆる場所に“防衛塔”とは名ばかりの発信基地を設置し、そこから特殊光線を放射して民衆をマインド・コントロールしている事実を知る。こうして、マクシムは命懸けの“匿名の父たち”転覆計画に参加することになるが……。
本国ロシアでは2部作として公開された作品を1本にまとめた「インターナショナル版」が日本公開。

<感想>先週トム・クルーズの「オブリビアン」を観てきた。それとは違うのだが、面白そうなのでSF好きにはこういう映画たまりませんね。ロシアというより旧ソ連のSF作家ストルガツキー兄弟の「収容所惑星」。彼らの作品の映画化といえば、だいぶ前の世代のタルコフスキー監督の「ストーカー」だと思う。比較しては気の毒だが、比べるなというのも無理、と思いながら見初めたが、SF的な描写を一切使わずに、謎の立ち入り禁止区間「ゾーン」を観念的に表現したのだが、本作品では冒頭から宇宙船に、未来人?、そしてハデなバトルシーンなどが満載なんです。主人公は金髪のイケメン、ワシリー・ステパノフ。監督は40代半ばだから「ストーカー」と見比べてはいけませんね。

それにしてもストルガツキーの世界はかくも過剰なのか、と驚くばかりである。宇宙で自分探し中の若者マクシムが、偶然不時着してしまった惑星サラクシは、夢の未来世界ではなくて、支配階級に抑圧された人民がうごめくディストピアだった。
その悪い近未来があますところなく映像化されて、空は常に重く暗く、大気は汚染され、支配階級はいかにもワルで、それ以外の庶民は貧しく、非衛生的な生活を送りながら重労働や兵役に従事して、理不尽な抗争や戦闘を繰り広げている。

もちろんこんな映像には「ブレードランナー」その他で体験ずみという既視感をおぼえるのだが、それでもここまでの大盤振る舞いは見たことない。いったい何人のスタッフやキャストで、いくらの予算を掛けたのか、などと野暮なことを考えたくなるくらいのいわゆる娯楽作になっています。
物語は主人公マクシムが、この惑星の謎解きをしながら、彼自身、人々が圧政に苦しめられるこの星で、友情や恋愛、使命感に目覚めて立ち上がるという成長のスタイルを取っている。それ自体はとても古典的でいいのだが、そこはストルガツキー兄弟、単純な善悪の構図の中で、「戦った、戦った、成長した」というお話を書くわけない。原作の「収容所惑星」を読んではいないが、支配階級は本当にワルなのか、正義と思われる側も加担あるいは容認しているのではないか?・・・マクシムのやったことは本当に人々のためになったのか、といったむずかしい問いかけが仕込まれているのだ。

本作もそのあたりを完全に無視するわけにはいかなかったようだが、それを追求するとエンタメとしては後味の悪いものになりかねない。おそらくはその点が一番の悩みどころではなかったか、物語の中では、「ボクのやったことは間違っていたの?」というマクシムの葛藤はそれなりに克服されたように見えました。まぁ、それでも主人公がイケメンだったので、展開としては面白く観られましたよ。
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ある会社員  ★★★★

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商社と偽る殺人請負会社で働くプロの殺し屋が、殺しの仕事に懸けたそれまでの人生と愛する女性の間で揺れ動く姿を描くアクション・ドラマ。テレビドラマ「ごめん、愛してる」や『映画は映画だ』のソ・ジソブが主演を務め、『純愛中毒』などのイ・ミヨンが主人公が昔から憧れていた歌手を演じる。監督は、本作で長編映画デビューを飾ったイム・サンユン。殺し屋の完璧なテクニックやし烈なアクションが見応えたっぷりに描かれ、主人公のたどる過酷な運命からも目が離せない。

あらすじ:表向きは普通の貿易商社を装い、その実態は殺人を請け負う会社で働くヒョンド(ソ・ジソプ)は、会社に忠実で社内でも一番の殺し屋だった。そんなある日、ヒョンドは新人のフン(キム・ドンジュン)とコンビを組んで仕事をすることになるが、会社からは密かにフンの殺害を指示されていた。しかし、フンに若き日の自分の姿を重ねたヒョンドは心境に変化が起こりはじめ、ある決断を下す。フンは死の間際に「貯金していた全財産を家族に渡してくれ」とヒョンドに頼み、ヒョンドはその願いを聞き入れてフンの母親ミヨン(イ・ミヨン)に会うが、彼女はヒョンドが少年時代に思いを寄せていた相手だった。

<感想>人気二枚目スターソ・ジソプ演じる、平穏な暮らしを求め始めた殺人請負会社の社員の物語。表向きは金属を扱う貿易会社の会社員。実際の仕事は殺し屋として生きる男と、いう企画には、おそらく韓国という国の中に、そういう虚構を納得させるようなネガティヴな緊張感が潜在しているからなのであろう、と思いたくなる。
そういう想像は間違っているだろうか。殺人が空想社会の中で行われるのではなくて、韓国社会の現実の中でビジネスとして行われる、という設定には何だか無理があるようで、現実にはないだろう。

昔の邦画で松田優作主演の「甦る金狼」を思いだし、それが根底に流れる一途さが、この新人監督イム・サンユンの持ち味であろう。設定の面白さはなかなか活きてこないのに、設定の不自然さの方がどんどん目立ってくる一方で、これは会社人間として暗殺業にいそしむことの、滑稽さにもっと比重をかけるべきではなかったのではなかろうか。

ソ・ジソプ演じる殺し屋が、子分の母親に一目惚れしてしまい、デートを重ねるうち彼女が店を持ちたいというのだ。今まで稼いで貯めた金を、彼女にあげて店を持たせてやろうと思い実行するのだが、会社の社長(ボス)や部長が気が付いて、フンの親子を人質にして全部まとめて殺してしまえと、ところがソ・ジソプの殺し屋が強いのなんの。子分どもを皆殺しする。
こりゃあ、全然ダメだと思って見ていたら、クライマックスで鶴田浩二(古いか)みたいに単身で、機関銃一丁で会社へ乗り込んでいった主人公。それがごくありふれた白昼のオフィスで、ネクタイ姿の男性社員や真面目そうなOLたちと壮絶な銃撃戦を繰り広げるシュールさに感動してしまった。そこからラストまでの、演出の本気っぷりが凄すぎ。銃撃戦だけでなく、カンフーありの消火器を煙幕にして閉じこもり、男一匹死ぬ気の闘いに大いに元気をもらった。
満点を付けてもいいのだが、最後防弾ベスト着ていたから、ソ・ジソプはどこも傷がなく正面玄関から堂々と出てきた。刑事の中に、ソン・ガンホと似ているような男がいてソ・ジソプを怪しいと睨んでいたのだが、すんなりと通れたようですね。その後が、またもや仕事探しに会社へ面接しにいくソ・ジソプが観られ、笑ってしまった。
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くちづけ ★★★★

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演劇や映画、テレビドラマなどで演出家・脚本家・俳優として活躍する宅間孝行が原作と脚本を手掛け、知的障害のある娘と父との父娘愛を描いたヒューマン・ドラマ。知的障害者たちのグループホームを舞台に繰り広げられる温かな交流、ヒロインの恋、父の深い愛などがユーモアを交えながらつづられる。監督は、『トリック』『20世紀少年』シリーズなどのヒットメーカー・堤幸彦。主人公である娘と父を貫地谷しほりと竹中直人が演じ、宅間や田畑智子、橋本愛などが共演する。衝撃的な展開と強い親子愛に涙せずにはいられない。

あらすじ:知的障害を持つ娘のマコ(貫地谷しほり)を、男手ひとつで育てる愛情いっぽん(竹中直人)は、かつては人気漫画家だったが休業し、すでに30年がたっている。知的障害者のためのグループホーム「ひまわり荘」で住み込みで働き始めたいっぽんと、そこで出会ったうーやん(宅間孝行)に心を開くようになったマコ。しかしそんなある日、いっぽんに病気が見つかる。
<感想>知的障害者の自立支援を目的とするグループホームに生活する人たちの群像と、障害者を娘にもつ父親の悲劇的な顛末を描いた本作は、宅間孝行が2010年、自身の劇団東京セレソンデラックスのために書いた戯曲が基になっているようです。実際にあった事件を基にした作品ということからも、題材的に見れば社会派の側面もある映画だが、宅間さんとしてはあくまでもエンタテインメントとして描きたかったそうです。

映画の舞台となるグループホームひまわり荘で生活している知的障害者は、うーやん(宅間孝行)監督自ら熱演。うーやんと恋愛をするマコちゃんに、貫地谷しほりが、それは体は大人でも心はまだ7歳くらいの純粋な少女のまま。時には男性不信に陥り奇声をあげて発作をおこすことも。かなり勉強をしたとみえ、知的障害者の演技が動にいってました。
その他にも男の人で仙波さんに頼さん、島チンの5人がこのひまわり荘で暮らす住人です。みんな30歳は過ぎている年齢、ですが子供のように自由に発言し、行動する。下ネタなんて大声で連発するし、普通なら思っても口にしない「○○コ」とか「デブ」という言葉を平気で言ってしまう。常識が分からず、盗みや痴漢のような行為をしてしまうこともある。その一方で、バス停の時刻表をすべて暗記するような記憶力のよさを発揮することも。

初めは、宅間さんの舞台は見ていないので、何だかひまわり荘のリビングのセットや、彼らが芝居芝居した演技をしていることに違和感を抱き、映画というより芝居の方かな、なんて思ってました。ですが、暫くするとマコの父親いっぽんが、血を吐き肝臓がんということが判明するも、みんなには黙っている。一人で余命幾ばくもない自分の身体と、愛する娘マコの行く末を暗示て、一度は施設に預けた娘が、いつのまにかひまわり荘に戻ってきていて、ただただ頑固な父親なだけに、最後にあんな行動をとっても愚かにしか見えない。このひまわり荘も経済的に成り立たなくなり閉鎖をせざるを得なくなる。

その結果があのようなことになろうとは、実に涙がとめどなく溢れてきて、確かに自分の身内に知的障害者がいたなら、悩み苦しみ誰にも頼らずきっと同じことをしたと考えてしまいます。この父親役を竹中直人さんが演じて、娘に人生を捧げている元漫画家という、いつもと違う抑えた演技で良かったです。

ひまわり荘の住人の破天荒な言動は、物語の面白さとしてはいいと思う。その中で、「キモイ」となじった女子高生南が、逆にやりこめられて、「誰が知的で誰が普通なんだよ」と叫ぶ、中年おばさん袴田、岡本麗さんが演じているのだが、ノンベイで「知れば知るほど飲まずにやってられなくなる」とビールをあおり続け、「障害者の子供を抱えて理想論ぶってる場合じゃねえだろう」と手厳しい言葉を吐く。これには確かにそうだが、実際問題現場で働いている福祉員の人たちやボランティアで従事している人たちだって、つい大人の知的障害者の彼らに対応する余裕もないのだろう。
初めは生き生きと自由な発想で動く登場人物が、観客の心を捉えた後に、自由ではいられない人間の現実に立ち返らせる。マコちゃんが歌う「グッド・バイ・マイ・ラブ」の歌が切なくて、やるせなくてどうにもならない現実ってあるんだと思い知らされる。
障害者の経済的な困窮や、世間の偏見や差別は腹立たしいが、社会的弱者に対する目線は、この映画の中で優しくて温かく感じとれました。
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ローマでアモーレ ★★★★

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巨匠ウディ・アレン監督が、古都ローマを舞台にさまざまな男女が繰り広げる人間模様を軽妙なタッチで描くロマンチック・コメディー。『タロットカード殺人事件』以来となるウディが自身の監督作に登場するほか、ベテランのアレック・ボールドウィン、『それでも恋するバルセロナ』のペネロペ・クルス、若手実力派ジェシー・アイゼンバーグ、エレン・ペイジら豪華キャストが勢ぞろい。コロッセオやスペイン階段などの名所をはじめ、普通の観光では訪れることがあまりない路地裏の光景など、次々と映し出される街の魅力に酔いしれる。

あらすじ:娘がイタリア人と婚約した音楽プロデューサーのジェリー(ウディ・アレン)は、ローマを訪れる。婚約者の家に招待されたジェリーは、浴室で歌う婚約者の父がオペラ歌手のような美声であることに驚く。一方、恋人と同居中の建築学生ジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)の家に、恋人の親友モニカ(エレン・ペイジ)が身を寄せてくる。かわいらしい外見とは裏腹に恋愛に対しては積極的な彼女を、ジャックは少しずつ気になり始めていて……。

<感想>役者ウディ・アレンの復帰作であり、もちろん脚本、監督も。アレンが描いたローマへの、そしてイタリア映画とイタリア音楽へのラブレターの如き、愛すべき作品に仕上がっている。アレンが演じているのは、引退した音楽プロデューサー。愛娘の婚約者と両親に会いに、妻と共にローマにやってくる。飛行機が怖いのか、揺れる度に妻の腕にしがみつく。相変わらずの口達者で、観ていて痛快である。
婚約者の父親ジャンカルロは、現役のオペラ歌手ファビオ・アルミリアートが演じているのだが、シャワーの中で歌う声があまりにも見事なので、彼を売出して自分もカムバックを果たそうと画策するが、問題が一つあった。それは、ジャンカルロはシャワーを浴びながらでないと見事には歌えないのだ。ここから奇想天外な物語が展開する。
アレンはさすがに老けたが、身体の細かい動きよりも、微妙な表情はまったく衰え知らずで、細かい台詞のボケで大いに笑わせてくれる。「あなたは引退と死を同じもだと考えているのね」という妻のセリフには、手掛ける作品の多くに、死への恐怖が徹底して流れているアレンが、ひたすら映画を作り続けている理由が伺えて興味深い。

そして、ロベルト・ベニーニ演じる平凡な中年男レオポルドが、ある日突然全く何の理由もなくセレブに祭り上げられる。メディアが彼の日常をあれこれと報道し、街を歩けばパパラッチが群がり、美女はよりどりみどりとなるのだが、・・・映画の試写会に妻を同伴で行くも、奥さんの来ているワンピースやバック、靴下が伝線していることなど平気でレポートするパパラッチには腹が立つも、奥さんも夫が有名になったことで嬉しいらしく気にしてない。あまりにもちやほやされてる自分に酔いしれ、相手にされなくなって普通の自分に戻った時のギャップたるや。

有名建築家のアレック・ボールドウィンは休暇の最後に、かつて留学生活を送っていたローマを訪れ、若き日のジャック=自分、ジェシー・アイゼンバーグに出会う。エレン・ペイジは友人を頼ってアメリカからローマにやってきた女優志望の若い女性モニカ役を、ジェシー・アイゼンバーグは恋人の親友と知りつつも彼女に心惹かれて翻弄されてしまうジャック役を演じています。
ペイジは小悪魔的な女優さんと言う役柄。セクシーでありながらもありきたりのセクシーとは違う色気を表現できる女優さん。つまりマリリン・モンロー的にセクシーな女優ではダメなんですね。いわゆる静粛なるセクシーが演じられる女優さんで、空港のシーンで最初にモニカを観たとき、彼女はセクシーでもなければ美しくもないと思う。けれども彼女を知れば知るほど、興味がどんどん湧いてくる。だから、ジャックは彼女に夢中になってしまったわけ。
アレック・ボールドウィン扮するジョンは、ローマ市街で偶然出会ったジャックの前に幾度も現れ、モニカに誘惑されるなと警告します。ジョンが記憶の回廊を歩いて心の中で若き日の自分自身と出会い、その時何が起きて、どのように感じ、どんな過ちを犯してどれほど必死だったかを思い出している。昔の自分が、魔性の女に翻弄されているのを観て、苛正しさをおぼえ介入しようとするが、過去に起こってしまったことは取り返しがつかないのだ。
つまり、若き日の自分=ジャックとは違う、別の形で登場する若かりしのジャックの姿なんですね。この恋は、モニカと結婚まで決意したジャックなのに、彼女がNYで女優としての仕事が入り結局ダメになりフラレてしまう。サリーという同棲相手の恋人がいたのに、男って魔性の女に目移りするのはいけませんね。

ペネロペ・クルスは、ひょんなことから、田舎からローマに出てきた新婚カップルの妻ミリーとして行動する羽目になるコールガールで、アンナを演じている。今回はイタリア人と言う設定で、とびっきりの美女でもてもてのコールガールの役どころ。彼女のスマイルで、新婚の夫もあれよあれよと言う間に彼女の手練手管に参ってしまう。
新妻の方は、美容院へ行こうとホテルの外へ出て、迷子になり往年のイタリア人俳優、デブのハゲのサルタのファンだったこともあり誘惑されて、そのままホテルへと付いて行ってしまう。そのホテルで、強盗に出会い、中年俳優の妻まで現れてドタバタ騒ぎを起こし、最後はその強盗とベットインする新妻ってなんなの、乱れてるわよね。ペネロペとお寝んねする旦那も旦那だけどね。
展開される4つの物語に共通しているのは、どれも“セレブ”がなんらかの形でテーマとなっているということだ。アレン監督はすばり「セレブリティ」(98)という作品でおなじテーマを扱っているが、この作品はイタリアの巨匠フェリーニの「甘い生活」(パパラッチという言葉を生んだ映画)を強く意識した作品です。「セレブリティ」がダークな形のセレブ論だとしたら「ローマでアモーレ」は明るく楽しい、でもほろ苦さもあり、少しだけ毒も入っているセレブ論である。
最近はもっぱらヨーロッパ主要都市で映画を撮っているようだが、やはり絶賛するべきところは脚本でしょうか。映画ならではの手法を駆使せずに、言葉と描写と語りをメインにおく。でも、その街の表情や季節の移ろいとともに、その時の、その場所でしか起き得ない人間模様に、素晴らしい音楽のアンサンブルを着せて描いているのが好きなんです。
2013年劇場鑑賞作品・・・202  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング



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