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31年目の夫婦げんか ★★★

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結婚31年目に夫婦の絆を取り戻そうと奮闘する夫婦を、オスカー受賞のメリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズが演じるヒューマンドラマ。カップルセラピーに振り回されながらも、結婚生活を振り返り、未来のための答えを見つけ出すまでの夫婦の姿を描く。『プラダを着た悪魔』のデヴィッド・フランケルがメガホンを取り、夫婦に性生活などを指南するセラピスト役で、『40歳の童貞男』などのスティーヴ・カレルが共演。夫婦だからこその迷いを見事に演じる名優の演技に引き込まれる。
あらすじ:変わり映えのない毎日を送る結婚31年目の夫婦、ケイ(メリル・ストリープ)とアーノルド(トミー・リー・ジョーンズ)。これまでの夫婦の生活を改めたいと考えていたケイは、フェルド医師(スティーヴ・カレル)のカップル集中カウンセリングを知り、夫に知らせずに予約を入れる。セラピー参加に反対していた夫を連れ、二人はメーン州のフェルドのもとを訪れた。そして、カウンセリングがスタートしたものの……。

<感想>メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズが倦怠期の夫婦の危機と再生を演じると聞くと、この顔合わせが見どころかなって、思って見たら、もうね、これだけで「いい映画」要素が満載ですよ。芸達者な役者と身につまされるテーマ。しかもコメディタッチだから、いかにもなハッピーエンドも気にならない。
全米でセックスを語るブーム継続中?・・・と戸惑いがあった「ムービー43」と一緒に鑑賞した。こちらはファンタジーで、全然趣旨が違うんですけれどね。

結婚31年目を迎えた夫婦生活の沈滞を、打破しようとするのは妻であって、仕事を持っている夫ではないのはよく分かる。だが、専門医のカウンセリング(スティーヴ・カレル)に依存するというところが、いかにもアメリカ的なのだ。そして、結局のところ、二人のベテラン俳優の演技をもってしても明確な答えは出てこない。
でもね、夫婦の問題というよりも、あけすけに言ってしまえば性の問題を巡って繰り広げられるバトルを、間合いや目線を使いこなして演じる大物俳優二人のなんと楽しそうなことよ。

おまけにセックスシーンまで演じてしまうのだから、まさかこんな大物たちが出てくれるだなんて脚本家もさぞ驚いたでしょうに。
ソファに座る二人の距離の取り方など、要所を押さえた演出には、ラストシークエンスに至るまで、快調でユーモラスがあっていい感じである。
そいう意味では楽しい映画だったし、誰かが観るといっても止めはしない。軽い気持ちで観るのならいいんじゃないの。しかし、あくまでもファンタジーなので、ということを忘れて観てしまうと、ちょっぴり罪作りな作品にもなり得るようだ。
夫婦関係に問題を抱えた中高年カップルは、私の周りにもたくさんいて、こんな処方箋でどうこうなるとは思えないからだ。日本ではこういったカウンセリングは、夫婦では受けにいかないようだ。現実的には二人で話あって考えるか、一方的に別居か離婚を言い渡し、二人の関係は終わってしまう。

結婚生活31年もすれば、セックスレスで冷え切った夫婦なんてのはごまんといる。だからって夫婦がセックスをすればラブラブになれるなんて、そんなのあり得ないと思う。本当は愛し合っているのにセックスレスのせいで愛の表現方法を見失っていたなんて、そんな単純なことならバイアグラでも飲んでればってことになる。

だから、実にこの内容はファンタジーなんですね。お伽噺に過ぎない話を笑って観て、妻が描いた夢物語のような、また二人で結婚式をして誓いの言葉をいい、結婚記念日には外食をしてプレゼントも惜しまない。そして、どちらかがお墓に入るまで一緒に仲良く過ごしましょう、という夢物語。

子供も巣立って2人戻った夫婦が「別れるか、再び新婚を取り戻すか」に直面する熟年夫婦クライシス映画でもあります。安心感も保証付きの、「母の眠り」で感じた主婦を演じるときのメリルの巧さに今回も遭遇した。結婚前の二人で観て「会話の続く夫婦」になれるかを密かに検証するのにも最適かもです。
2013年劇場鑑賞作品・・・274   映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

ムービー43 ★

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『メリーに首ったけ』のピーター・ファレリー監督の提案により、ハリウッドの大物スター豪華共演が実現したお下劣コメディー。『トレジャー・ハンターズ』のスティーヴン・ブリルをはじめ多彩なメンバーがメガホンを取り、衝撃の物語を紡ぎ出す。オスカー女優のハル・ベリーやケイト・ウィンスレットらが捨て身の熱演を披露。若手からベテランまでオールスター総出の、ナンセンスで悪のり満載の内容にあっけにとられる。
あらすじ:脚本家のチャーリー(デニス・クエイド)は、ハリウッドの大物プロデューサー(グレッグ・キニア)のオフィスに乗り込み、自分の映画企画を何とか売り込もうとしていた。彼がうれしそうにまくしたてる驚きの内容に、経験豊富なプロデューサーは……。一方、ベス(ケイト・ウィンスレット)は、友人の勧めでミスターH(ヒュー・ジャックマン)とのデートに出掛ける。
<感想>絶賛する気満々で観初めたのだが、いかんせんこの手の映画は、私のもっとも苦手とする映画だった。不愉快な下品さが耐えられません。道徳的な規準から遠く離れてひたすら嫌悪感を煽ってしまっている。
もう下品で下劣でくだらない。でも笑えるしキャメロン・ディアスが奇跡のように可愛い「メリーに首ったけ」のファレリー兄弟が大好きな方には一見の価値ありですぞ。ゆえにこれも「全米ドン引き」「酷評の嵐」という前評判を知りつつ観たのですが、本当にそうでした(-_-;)
プロデューサーのところに売り込みに来た脚本化が次々と企画を披露、その内容は、・・・という構成で、ファレリーはじめ10人の監督が短編を撮っているのだが、いずれにしても下品で、下劣で、くだらないことのみを目的に掲げ、丁寧に、しっかりと、しかもやたらと豪華なキャストで作られている。

出ているのは、ハル・ベリー、ユマ・サーマン。ヒュー・ジャックマン、リチャード・ギア、ケイト・ウィンスレット、ナオミ・ワッツ等々。で、ネタはというと、ここに書くのをためらうほど恥ずかしい言葉で、○○タマ、ウ○チ、セックス、生理、などで、欧米のコメディ映画で「なんでこんなにウ○チとかゲロとか好きなのかなぁ」しかも、どうしてそのまま映すのだろう?・・・とぐったりするタイプのものでありますが、まさにそのどうしようもない恥ずべき内容の結晶である。

何を血迷ったのか、全員がフルスイングでキャリアを棒に振る熱演をぶちかましているのに驚くと同時に呆れてしまった。特に「喉元に玉袋をぶら下げたセレブ」を飄々と演じるウルヴァリンのヒュー様、「インポッシブル」で見せた役者魂を再び叩きつけるナオミ・ワッツの近親相姦ギャグ、特殊メイクの巨乳を揺らしながら戦慄の人体改造デートに挑むハル・ベリーらの勇姿には、思わず爆笑しながらも、彼女の醜悪な容貌と肢体で出ていることに嫌悪感をもよおし、それが狙いと言われればそれまで。本当は無視して黙殺すべきなのだろう。

「テッド」のセス・マクファーレン、「サタデー・ナイト・ライブ」の看板役者のジェイソン・サダイキスたちも、米国コメディ界のスターたちの登場も見逃せません。スーパーヒーロー同士の合コンという超くだらない設定では、なんか中途半端なコスプレしているのは、左からユマ・サーマン、ジャスティン・ロング、ジェイソン・サダイキスの面々。

だが、なによりもそのゲンナリするシロモノを観て、自分が笑ってしまったということなんですね。つい、声まで上げて笑ってしまった。あと、クロエ・グレース・モレッツが出ていて、秋に公開されるリメイク版「キャリー」が楽しみだなぁと思ったりしました。この映画では、やはり気の毒な役でしたが。

大小合わせて14編に及ぶエピソードは、いずれも下品この上ないしろもので、短編としての質は意外に高い。「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」式の詰め込み方ではなく、アメリカン・パロディのような感じ。でも出演者がみんなびっくりするくらいにノリノリだから、そこに波長を合わせられればそこそこに楽しく観られるのでは。
共同監督には「スーパー!」のジェームズ・ガンをはじめ、グリフィン・ダン・ジェームズ・ダフィ、女優のエリザベス・バンクスといった才人たちが参加している。ファレリー兄の狙いはただ一つ、ナンセンス・コメディの復権だと思う。
「俺たちはもっと心底下らなくて、何一つ人生の足しにならないコメディが観たいんだ」そんな魂の叫びを6年がかりで叩きつけた結果、本国アメリカでは興行・批評ともに惨敗。こんな浮世離れしたハリウッドの現実がみえ、更には世界の映画の多様さを考えてみたりもする。虚しさが残ってどうしようもない。アホな映画を完成させた人々の勇気と根気を讃えようと思ったが、「R指定」のコメディを作った子供が喜びそうなレベルに、無性に悲しみが募るばかり。
2013年劇場鑑賞作品・・・275 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

21オーバー 最初の二日酔い ★★

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『ハングオーバー』シリーズ第1作の脚本を担当したジョン・ルーカスとスコット・ムーアがメガホンを取ったコメディー。21歳の誕生日を祝って酒を飲んだ医大生とその友人たちが、泥酔して大騒動を巻き起こす。『ラビット・ホール』のマイルズ・テラー、『トワイライト』シリーズのジャスティン・チョンらが出演。畳み掛ける笑いの応酬に加え、友情の尊さを見つめたドラマ部分にも魅了される。
あらすじ:スタンフォード大学の医学生であるジェフ(ジャスティン・チョン)は、将来を左右する大切な面談を翌日に控えていた。そんなとき、高校時代の悪友ミラー(マイルズ・テラー)とケーシー(スカイラー・アスティン)が21歳の誕生日という人生の門出を祝いに押し掛けてくる。
とりあえずビールを軽く一杯ということに。もちろん、一杯だけという酒が本当に一杯で終わったためしなど、人類の歴史上一度も無く、3人の祝杯はどんどんとエスカレートし始め、ジェフは完全に泥酔してしまう。
それでも、店を変えながら飲み続ける3人は、いくつものパーティーに紛れ込み、問題を起こし、その混沌はすでに制御不能に陥っていた!!
行く先々でトラブルを起こしまくり、夜も更け、気付くと見知らぬ場所に。面談の時間が迫る中、無事ジェフを家に送り届けることが出来るのか?

<感想>飲み会でついつい飲んでしまい、気が付けば午前3時だった。あるいは、さっさと切り上げるつもりが、もう1軒だけと言われ断りきれずに、逆に何だか楽しくなっちゃって、完全に開き直り朝まで飲んでしまった。なんて経験あなたにはありませんか?・・・大人になれば誰しもそういう経験はあるでしょうに(反省)次の日、二日酔いになった人しか分からないでしょうね。
そんな状況が嫌というほど描かれるこの映画、アメリカでは21歳になるまで飲酒が許されないので、こういうタイトルが付いた分け。日本と1年違うんだ。
で、主人公は高校の親友だったミラー(彼は大学を退学して働いている)とケイシー(真面目に大学を卒業できそうで、ウォール街に就職も決まっている)。対照的な2人だが高校時代の友情は不滅で、かつての親友ジェフ・チャンの21歳の誕生日を祝ってやろうと久々に再会するわけ。

部屋まで押しかけてきた2人に喜ぶジェフだが、タイミングが悪いことに翌朝早くから超大切な医学部の面接があるという。それも父親同伴で、・・・怖そうなお父さん)でもせっかく成人したんだし、友人の誘いは断れない。1杯のつもりが、これが間違いの始まりなのはいうまでもなく、女子大生をナンパして3人は泥酔状態に。その女の彼氏がヤバかった。
特にジェフが真っ先に潰れて、誘った二人は、「そういやこいつは、明日が早いって言ってなかったか?」と、彼を家まで送り届けとする。だが、二人はバカなのかジェフの住所を知らなかった。どうするって、それから展開するドタバタ騒動、実はジェフの家の前を何度も行ったり来たりしていたのに、酔っているしバカだから気付かない。彼の家の前にはピエロの格好した老人が酔っぱらって踊っていたのが目印なのに。朝方まで同じ場所で踊っていた。

そして、二日酔い状態のジェフを家へ送ろうとするミラーとケーシーだが、ジェフの住所を調べるのにはとポケットを探ると、拳銃が入っているではないか。一体何が彼に起きているのか?・・・昔の彼が住んでいた寮まで行くと、実は彼が留年寸前で寮を追い出され、何度も自殺を図ろうとしていたことを知り……。
何だか、ジョン・ルーカスとスコット・ムーアのコンビ、その初監督作となるのに、またもやバカ3人が宵の口から飲み始めて、朝方まで右往左往する、その行く先々でみんな酒を飲んで騒いでいるという空気感が、どうにも同じような展開の話で面白みがないのだ。

最後はどうなるのって、二人が家を探し当てて、シャワーを浴びさせスーツを着せてと、そこへ運悪くあの彼女の男がやってきて、そこへジェフの父親も迎えに来てと、てんやわんやの大騒ぎで、ジェフは父親に正直に告白するんですね。医者にはなりたくないって。
が、しかしである、そんな中で酔いつぶれたジェフ、おバカな二人はずっと彼が優等生だと思ってきたが、どうやらいろいろ問題があるらしいと。尚且つ自分たちも将来に対する不安のようなものをボンヤリ感じていたわけで。
成人したら真面目に生きなければならないのかという焦燥感と、もう学生時代のようなバカは出来ないのかなんてね。
それに、夜が明けて朝が来てしまうというサスペンスが交錯してそれなりにコメディになっているのは否めない。泥酔状態のジェフの演技が破天荒で、特に同級生のボスに裸にされ、股間にクマのぬいぐるみを被せられてしまう。酔っているので、意気揚々と裸で元気ハツラツでうっぷん晴らしのような、そんな感じでもある。
臨場感を増す意味では、お酒を飲みながら見る事をお勧めします。酔っぱらってしまえば、怖いもんなしってね。でも深酒は禁物ですぞ。
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許されざる者 ★★★★

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クリント・イーストウッド監督・主演で第65回米アカデミー作品賞、監督賞ほか4部門を受賞した傑作西部劇「許されざる者」(1992)を、「フラガール」「悪人」の李相日監督のメガホンで日本映画としてリメイク。江戸幕府崩壊後の明治初期、北海道開拓時代の歴史の中で、かつて「人斬り十兵衛」と恐れられていた男が、再び戦いに身を投じていく姿を描く。幕府の命の下、幾多の志士を斬りまくり、恐れられた釜田十兵衛は、幕府崩壊後いつしか姿を消し、人里離れた場所で静かに暮らしていた。やがて月日は流れ、妻に先立たれた十兵衛は、貧困の末に再び刀を手にすることになる。主人公・十兵衛役で渡辺謙が主演し、柄本明、佐藤浩市らが共演。

<感想>さすがにオスカー受賞作のリメイク版となるだけあって、クリント・イーストウッド版オリジナルに、最大限の敬意を払った日本版だといっていい。
優れた物語は、時と場所を超えて何度でも生まれ変わる。映画でもそれは同じである。隠遁した元人殺しのアウトローが、家族を養うためにかつての仲間とともに、娼婦の顔を切り刻んだ悪党を殺して賞金を稼ごうとする。というストーリーはオリジナルを忠実になぞっており、19世紀後半のアメリカ西部から、同時代の日本、明治初期の北海道へと舞台を移し、イーストウッドが演じた主人公の元ガンマンは旧幕府軍の元剣士、渡辺謙に、ジーン・ハックマンが演じた悪徳保安官は、独裁者たる警察署長の佐藤浩市へとそれぞれ移し替えられ、他のキャラクターもオリジナルとほぼ同じ役割を担う者として物語に登場する。

十兵衛の旧幕府軍時代の友人馬場金吾を柄本明が飄々と演じつつ、アイヌと和人の混血青年の沢田五郎を柳楽優弥という軟弱者という賞金稼ぎの3人。そして女郎の小池栄子を始め、顔を切られたなつめを演じた忽那汐里の真に迫った演技がすこぶるよかった。

内容は明治13年の北海道。幼い二人の子供を抱え、畑を耕しながら貧しく暮らす十兵衛の元を、かつての戦友である金吾が訪れる。話のよると女郎の顔を切り刻んだ2人の男に懸けられた賞金が目的だ。幕末には見境なく殺生をし、“人斬り十兵衛”と恐れられたが、逃げ落ちた蝦夷で妻となる女と出会い、刃傷沙汰からは足を洗っていた。だがその妻も今は亡く、子供のため金吾に協力することに。
道中、五郎と名乗る拳銃使いの若者が加わり、三人は賞金首を目指す。だが、町では警察署長の大石が絶対的な権力を振るい、銃剣を持ち込んだものに厳しい制裁を与えていた。

女郎の顔を切った兄弟に懸賞金が掛けられたことを知り、早速町には賞金稼ぎの男たちが入り込んできた。1番乗りのリチャード・ハリスが演じたイギリスから来た賞金稼ぎ役には、国村隼さんが成金親父のような格好で現れ、署長の佐藤浩市が銃剣を持ち込んだ罰として、殴る蹴るのリンチを加え厳しい制裁を与えていた。
だから、1度目の3人も町へ着いたときには、十兵衛も刀を没収されボコボコに殴られ蹴られて追い出された。3人の内、金吾が脱落して2人で懸賞金のかかった兄弟を仕留めようとする。その場面は、弟は十兵衛が金吾の鉄砲で撃ち殺し、兄の方は、朝にトイレに入っているところを五郎が押し入って殺す。

そして、十兵衛が友人金吾を拷問死させた恨みを晴らすべく、クライマックスでの酒場での大石との決闘シーン。十兵衛は妻との約束で人斬りはしないと誓っていたので、刀を土の下に埋め込んでいた。その為、刀は刃がボロボロとなり使い物にならない。その刀を笑いものにされようと、大石に向かって金吾の仇だと錆びついたボロ刀を腹に差し込む。その気合たるや、十兵衛も深手を負いながらも、その場に居合わせた人たちも鉄砲や刀で切り刻み、最後は酒場に火の手があがり、雪降る北海道の夜を明々と照らす凄まじさには、美しいというよりも虚しさが残る。
物語の本筋はかなり原典に忠実に作られており、ゆえにそれで終始するのであれば、リメイクの意義はあまりなくなるのだが、五郎と顔を切られた女郎のなつめという、二人の若者の設定と描写を大きくすることでオリジナリティがだいぶ味付けされていたと感じた。

しかし、そんな日本版「許されざる者」には一つだけ決定的にオリジナルとな異なるものが存在する。それは作品の根底に横たわる「瞔罪」というテーマなのだ。西部劇のならず者に徹底したろくでなしのリアリティを与えていったイーストウッド版のドライな感触に対して、武士道や敗者の誇りといった日本独特の美学をバックグラウンドに持つ本作は、どこかウェットで、魂の救済を求める切なさが宿っているようにも見えた。
もちろん誰が、「許されざる者」なのかという問いが、イーストウッド版でも不変の最大のテーマであるのには変わりがないが、・・・。
雄大なロケーションや、原野に創り上げたオープンセットの町も見事で、名作のリメイクという難度の高いチャレンジとしては合格だと思う。オリジナルの持つスピリッとを継承しつつ、うまく邦画に変換できたと言えるでしょう。
2013年劇場鑑賞作品・・・276 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

夏の終り ★★★

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作家の瀬戸内寂聴が出家前の瀬戸内晴美時代に発表した小説で、自身の経験をもとに年上の男と年下の男との三角関係に苦悩する女性の姿を描いた「夏の終り」を、鬼才・熊切和嘉監督が映画化。妻子ある年上の作家・慎吾と長年一緒に暮らしている知子。慎吾は妻と知子との間を行き来していたが、知子自身はその生活に満足していた。しかし、そんなある日、かつて知子が夫や子どもを捨てて駆け落ちした青年・涼太が姿を現したことから、知子の生活は微妙に狂い始める。知子は慎吾との生活を続けながらも、再び涼太と関係をもってしまい……。主人公・知子役に満島ひかり。慎吾役はベテランの小林薫、涼太役に注目の若手・綾野剛が扮する。
<感想>決して器用な女優とは言えない満島ひかりの、彼女の女優としての輝かしいキュートな女を全開のメロドラマになっていた。原作の知子は30代後半という設定からすると、他の女優さんなら、例えば寺島しのぶさんとか、鈴木京香さん、そうそう、「さよなら渓谷」の真木よう子さんなんかが演じたら違った女性像に仕上がってたかもしれないですね。
決して彼女の演技が嫌いというわけではないのですが、まだ若いので。
主人公の知子は、後先のことよりも、いまや感情や欲望に流されて生きる不器用な女。しかも、このヒロイン、基本は受け身で、妻子ある作家と8年間も暮らしながら、「何もかもダメなのよ、何とかしてよ」と、元カレの涼太に泣きつくのだ。
冒頭での夫と娘と一緒に、地方から東京へ移住しようというシーンで、突然「私、好きな男がいるの」と、今の結婚生活から逃げ出す奔放な女、女の性・業を表しているようだ。

だからなのか、女性映画たらしめるヒロインの周りの男たちの、存在感が薄く、「ノン子36歳(家事手伝い)」(08)の熊切和嘉監督と満島ひかりが組んでいるのに、エロティックなシーンも描かれず、その匂いもしないのが不満である。喜怒哀楽を器用に繰り出す満島ひかりに、彼女だけがこの時代を生きているように見えてしまう。コロッケや、ビスケットを手早く選り分けて、口元に運ぶ動作、受話器を持つ時の手の使い方など、そして、桃の果汁をしたたり落ちながら頬ばる彼女の美味しそうに食べる仕草など。手に代表される彼女の動きが映画の中で目に焼き付き、これは女性映画なのだと。

慎吾を演じた小林薫は、情けない感じの男を演じているように見え、台詞も少なくただ「うん」とか「ううん」の返事ぐらいのうやむやの反応を示す、凄くずるいのに憎めない人を演じていたと思う。愛人の家で、雑巾がけをする廊下の狭さや、玄関口から小説を書く机のある部屋、ロケセットの限界を見て、昭和の家の間口を狭さを感じた。
知子と慎吾の奥さんが電話で話すシーンがあって、奥さんの気配しか感じられず、どうしても奥さんの顔が見たくて自宅まで着物で正装して出かけたのに、留守で家の中へ入り綺麗に掃除されており、座敷にはミシンがあり本妻の存在感だけがずっしりと知子の心に重くのしかかる。そこはゾクゾクするシーンでした。この物語の中の男は、みんな女々しく見えた。

そして、年下の青年・涼太の部屋へずぶ濡れになりながら会いにいく知子。そんな彼女を愛する男、涼太も同じく二人の男の間を掛け持ちする知子を受け入れ、はっきりとしない優柔不断な男を演じている綾野剛も優男である。
出家以降、偉そうにお説教をする瀬戸内寂聴が苦手な私としては、その若き日を描いたこの映画の原作も読んではいないが苦手である。だが、満島ひかりが演じたことで、昭和の女という時代性が際立っているようで、そこが面白いと思った。
だが、映画は語り口が斬新で、映画は進歩するというから、平気で時間を前後逆転させたり、人物の背後だけストップモーションにしたりと。でも知子の気持ちで繋いでいるので混乱はしない。
それが最も効果的なのが、ラストのシチュエーションで、二つの歴史時間の小田原駅前が一緒に出て来るシーン。美術も凝ってますよね。
2013年劇場鑑賞作品・・・277 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

エリジウム ★★★★

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『第9地区』が第82回アカデミー賞作品賞などにノミネートされた新鋭ニール・ブロムカンプ監督が、マット・デイモンを主演に迎えたSFアクション。22世紀、富裕層だけが居住を許されるスペースコロニー“エリジウム”を舞台に、虐げられた地球の住人の反撃をハードに描く。マットのほか、ジョディ・フォスターや『第9地区』『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』のシャールト・コプリーが出演。ブロムカンプ監督の斬新なアイデアや演出に期待。
<感想>永遠の命が約束された理想郷・エリジウムに暮らす富裕層と、貧困と犯罪が蔓延する荒れ果てた地球で生きる貧困層。この二極化された2154年の世界を舞台にした「エリジウム」は、「第9地区」で注目を集めたニール・ブロムカンプ監督によるSFアクションである。

人類の理想郷のエリジウムのビジュアルも想像を絶する美しさに驚く。それに対比する貧しいものが暮らすスラム化したロサンゼルスの景観だ。地平線まで続く粗末なバラックや崩れかけたビル群に、蜂の巣状態で人々が密集し、人工過剰で荒廃し、貧困と犯罪が蔓延。人々は高性能ロボットに監視されながら暮らし、病気になってもまともに治療をうけられない。
主人公は、工場の事故で大量の照射戦を浴び、余命5日を宣告された地球の住人マックス。生きるか、死ぬかの瀬戸際に立たされた彼は、永遠の命を手に入れるためにエリジウム行きを決意する。

しかし、不法入国を厳しく管理するエリジウムに侵入するのは至難の業。密航用の宇宙船に乗せてもらう代わりに、彼はある富裕層の人物、アーマダイン社の社長のデーターを盗み出す仕事を任されるのだが、・・・。

マックスは闇商人のスパイダーのもとを訪れ、エクソ・スーツを装着する手術を受ける。それは、人間が攻撃型ロボットと対等に戦う力を得ることができる特殊な装置。装着するには骨にねじ切って直付するし、神経と結合させる。頭にも電極をねじ込むから痛そう。まるで、大リーグボール養成ギブスふうのコンパクトな作りなのだ。

パワーアップしたマックスは、見た目はまんまの生身状態。ドロイドとの肉弾戦は、エクソ・スーツの馬力にマックス本人の肉体が追いつかず、腕がへし折れるんじゃないかとハラハラして、妙なスリル感を覚える。
運よくエリジウムから地球へ戻って来たアーマダイン社の社長のヘリを襲撃し、護衛のロボットをやっつける。真っ赤なボディのロボットだが、本格戦闘には弱い。社長の頭とマックスの頭の脳にダウンロードするシステムもちゃっちい。こんなんで、エリジウムの全権システムを奪還できるとは思ってもいなかった。

それには、裏切り者のデラコート長官、ジョディ・フォスター演じるエリジウムの安全を守る防衛長官で、地球の住民を監視し、不法入国者を徹底的に排除する。その任務はロボット軍隊だが、みたところ数が少ないし、戦闘能力があまりない。
そして、地球に住む民間協力局の覆面エージェントであるクルーガー。あの「第9地区」で一躍有名になったヴィカスが、狂暴な傭兵に変身して、ホームレスのようなボロキレをまとい、敵とみれば刀で斬りまくるは、宇宙船を迎撃する長距離ロケットランチャーを撃つはで、ハデにやってくれます。演じるのは、シャールと・コプリー。この男の難点は、女とみれば下半身がうずきだし、マックスの幼馴染である女医フレイを拉致してしまう。

児童養護施設で育ち、幼き日に「あなたは特別な存在」とシスターから言われながらも、犯罪にまみれた生活を送ってきたマックスが、ようやく真面目に働き出したと思ったら、不慮の事故。何とも運の悪い男だが、手を伸ばせば届きそうなのに、たどり着けないエリジウムの存在。そもそもマックスがエリジウム行きを決意したのは、自分が余命わずかとなったからで、いわば自分自身のためだけに戦ってきた彼が、自分も気づかぬうちに世界を変える戦いに巻き込まれ、ヒーロー然とした男に成長していく姿が観る者の胸を打つ。

さらには、残酷な選択を迫られるマックスがたどる運命は、切なすぎて、SFアクションにもかかわらず、最後は救世主となって死んでいくマックスに涙を誘います。
マックスを演じたマット・デイモンは、「ボーン」シリーズからさらに飛躍させたキレのいいアクションを披露。超人的なヒーローではなく、痛みも弱さもある人間味あふれるマックスはハマリ役で、幼馴染の女性フレイ(アリス・プラガ)との、後一歩踏み出せない関係も、物語の絶妙なエッセンスになっている。彼女には白血病の娘がいてエリジウムでの医療ポットで治したいと願っている。

さらには、格差社会を背景に、社会的テーマとSFアクション、感動のドラマまでを融合させたブロムカンプ監督のこだわりが全編にあふれている。
それなりに、本作は、今のハリウッド大作映画の水準で考えると、充分よくできた映画だと思う。マット・デイモンが体を張ったアクション・シーンの迫力は、前作にもなかった見どころだし、SF的な発想の中にも面白いアイデアがたくさんあった。特にやっぱりロボット/メカ関係が。今後に期待出来そう。

15年に公開が決まっているブロムカンプ監督の作品「Chappie」は、アマチュア時代に撮った短編を基にしていて、「ロボコップ」と「E.T.」を足して2で割ったような作品だというのだ。物語の舞台は再び南アフリカとなり、コプリーに加え、南アフリカ出身のヒップホップ集団、ダイ・アントワードのニンジャ&ヨランディの二人も地元のギャング役で出演。
2013年劇場鑑賞作品・・・278  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

凶悪 ★★★.5

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死刑囚の告発をもとに、雑誌ジャーナリストが未解決の殺人事件を暴いていく過程をつづったベストセラーノンフィクション「凶悪 ある死刑囚の告発」(新潮45編集部編)を映画化。取材のため東京拘置所でヤクザの死刑囚・須藤と面会した雑誌ジャーナリストの藤井は、須藤が死刑判決を受けた事件のほかに、3つの殺人に関与しており、そのすべてに「先生」と呼ばれる首謀者がいるという告白を受ける。須藤は「先生」がのうのうと生きていることが許せず、藤井に「先生」の存在を記事にして世に暴くよう依頼。藤井が調査を進めると、やがて恐るべき凶悪事件の真相が明らかになっていく。ジャーナリストとしての使命感と狂気の間で揺れ動く藤井役を山田孝之、死刑囚・須藤をピエール瀧が演じ、「先生」役でリリー・フランキーが初の悪役に挑む。故・若松孝二監督に師事した白石和彌がメガホンをとった。
<感想>実際に起きた事件を映画化する、それは映画の王道であり、犯罪を題材にした作品は日々多く量産されている。元ヤクザの死刑因から送られてきた衝撃的な手紙。告発される相手は不動産ブローカーで“先生”と呼ばれる人物と、その周りで起こる不可解な事件。ある日こつ然と消えた多くの人々。そして、真実を暴くため、自らの家庭を顧みず奔走する雑誌記者。

あまりにも出来すぎている、問答無用に面白いと感じながらも、一方ではあまりにも出来すぎているな、と原作を読んでそう思った。一人の雑誌記者がまるで刑事のように過去の事件を調べあげる。警察が殺人とは見抜けなかったいくつかの事件について警察に知らせ、または雑誌に発表してセンセーションを越した。それにより警察が動き“先生”と呼ばれる男のかかわる事件の一部だけが立件でき、やっと終身刑にすることができた。
犯人が捕まる。事実をそのまま脚本にすると、記者の藤井がヒーローになり、こんな事件がありましたで終わってしまう。この誰も救われない、凄惨な事件を単なるヒーロー物として描いていないところがいい。

確かに事件は“先生”の逮捕という形で一件落着したかのように見える。しかし、実際にはなにも解決していない。現実にはこんなにも簡単に次々と人を殺し、警察には知られずにいるという事実があり得ることが衝撃的であり、それに主犯である二人の殺人者の、正に人を殺すやり方に驚いてしまう。それはいつも見慣れた映画やTVのそれの比ではないからだ。
映像の中には、「冷たい熱帯魚」のように、人間の身体をバラバラに切断して焼却炉で焼き灰にしてしまう。もう一つは、酒を飲ませて殴る蹴るで殺し遺体を雑木林に捨てる。または生きたまま埋めてしまう。最後は、両手を縛って橋の欄干に立たせて、川に落ちて死なせる。もっとたくさんあるのだろうが、とにかく人間を殺すことが楽しくて仕方がないとでもいうような、笑いながら人を殺す暴力描写が続き、その手の映画が苦手な人は目を背けるかもしれない。
しかし、本当に危ないのはその後である。主人公と共に私たちは、現実に起きた凶悪事件の全真相を知り一歩づつ近づいていく。まるでフィクションの暴力映画のようにダイジェストにしたものであることに気付かされていく。

この映画の中での、死刑因の告発者と先生は実に悪いヤツとして描けている。憐れなところや恰好いいところは微塵もない。特に映画の中では、告発する死刑因を演じるピエール瀧と、告発される“先生”を演じるリリー・フランキーが、憎々しくて同情の余地のない嫌なヤツになっている。本当に観ていて憂鬱になる。
そんな気持ちになるのも、彼らによって酷い殺され方をする被害者たちがいずれも、ただ無知だったり老いぼれて判断力のない弱者だったりして、なまじ土地家屋などの資産があるだけで、二人の悪党どもに騙され、殺される。共感や理解のしようがない、残忍な暴力と利己主義と欲。本当にこの世は闇だという気分になる。憂鬱きわまりないのだ。

この映画の暗い現実が、告発者の依頼を引き受けて“先生”の知られざる殺人の数々を調べていくうち、真の悪人を告発するという正義のために、家庭も顧みずにのめり込んで行き調査を続け、離婚寸前まで追い込まれていく雑誌記者。
しかし、それ以上に藤井が認知症の母親の面倒を、妻に押し付けているのが許せなかった。家庭を崩壊させてまで、何故のめり込んだのか、そう問い詰めるような物語に設定することで、無残の事実の出来事を、人間の業の深さについての問いに飛躍させているように感じた。
映画での、記者のヒーロー化として描いているのと、彼が殺人者たちと最後に法廷で対決する下りは、脚色による創作であり、記者があたかもこの殺人者たちに魅せられたかのように、調査にのめり込んでいったのは何故かという問題も観客に投げかけてくる。
2013年劇場鑑賞作品・・・279  278  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


怪盗グルーのミニオン危機一発 ★★★.5

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黄色い不思議な生物が話題となり、大ヒットを記録した3Dアニメ『怪盗グルーの月泥棒 3D』の続編。今は平和に暮らす主人公グルーが、誘拐されたミニオンたちの救出にあたる勇姿を描き出す。監督のピアー・コフィンとクリス・ルノーをはじめ、グルーの声優スティーヴ・カレルらが続投。キュートなキャラクター、ミニオンたちが大活躍する軽快な物語に夢中になる。
あらすじ:皮肉屋の怪盗グルーは心を入れ替え、バナナが大好きなミニオンたちに支えられながらマイホームパパになろうと努力していた。ある日、彼は世界トップクラスの超極秘組織「反悪人同盟」に引き抜かれ、相棒のルーシーと共に捜査にあたることになる。そんな折り、彼の家から無敵のチームであるミニオンたちが何者かにさらわれてしまう。
<感想>14日の先行上映で鑑賞しました。3D吹き替え版で観ましたが、2Dでも良かったような。前作の「怪盗グルーの月泥棒3D」は、TVで再放送していたので、何だか私には「怪盗グルーの月泥棒3D」の方が断然面白かった。だからなのか、今作を見る前に前作を見る事をお勧めします。

どうしてかって、孤児の3姉妹を養子にしたいきさつとか、グルーが泥棒稼業をしていたとか、地下工場には小さなミニオンたちがそれはたくさんいるのも、もちネファリオ博士の存在感も理解できます。グルーが本作では、とてもいいお父さんをしているのも、前作で良く判りますよ。
今作では、グルーが泥棒稼業から足を洗い世界レベルで悪と戦う超極秘組織「反悪人同盟」の捜査官として活動していたってことは、まるで「007」のジェームズ・ボンドみたいだ。
それに、何だかお嫁さん探しをしているような設定なのだ。だが、グルーには女性に対してトラウマが有るような。幼いころに、女の子に触ろうものなら、「グルー菌がつく」と子供たちから虐められていたことが、女性嫌いになっていたわけ。

前作ではお母さんも出ていたし、孫が3人も出来て嬉しそうだった。でも、今作では出てこない。小うるさい近所のオバサンたちが、グルーのお嫁さん候補を見つけてくるのだが、お嫁さんの相手に相応しいのが、グルーの相棒、エージェントのルーシ・ワイルド。彼女が乗っている車は、水陸両用で、潜水艇になったりおまけに空を飛ぶのには驚いた。

これはもう、「007」シリーズの秘密兵器にそっくりである。その他にエネルギーを放射する銃(スタンガンみたいな)も、グルーと撃ちあいしてどうするのよ。
今回の敵役は、怪盗エル・マッチョ。彼の男性美を強調した胸元全開のコスチュームには、ラテン系のノリであまり好きな容姿ではない。それに前作のベクターほどの存在感はないのでガッカリ。イケメンの息子がいたけど、養子なのかは分かりません。エル・マッチョの屋敷も豪華ですが、ベクターの屋敷とは比べ物にならない。

もちろん、引き取った孤児の3姉妹たちも大活躍で、そしてミニオンたちが怪盗エル・マッチョに誘拐されてしまう。ミニオンの危機、悪党に薬品を浴びせられて紫色に染まったミニオンたち。これは兵器としてミニオンを使用するために開発したので、紫色になったミニオンたちは狂暴になり戦士として敵の傭兵になる。

グルーとルーシは、他の無事なミニオンたちと一緒に、彼らを助けようと奮闘し、黄色のミニオンにするように、ネファリオ博士が中和剤・ゼリー状の液体を開発し、それをミニオンにかけて元の黄色に戻すという。

やっぱり一番の目玉はバナナが大好きな黄色いミニオンたち。今回も笑わせてくれ、「Y.M.C.A.」の大合唱に驚き、インディアン、道路工事人、ポリスマンと、ヴィレッジ・ピープルそっくりのコスプレ姿も楽しいし、歌も何を言っているのかよく聞き取れないが、とにかくちょこちょこと出て来て面白い。

4人で歌うエンドロールの歌が、オケツ〜う!って(違うか?そう聞こえたぞ)合唱しているのに、一つ目がピーピーと吹く紙ロールが可愛くて、可愛くて、それだけでも楽しくなってしまいます。で、オマケの点数ですから。
2013年劇場鑑賞作品・・・280  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


ウォーム・ボディーズ ★★★

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アイザック・マリオンの小説「ウォーム・ボディーズ ゾンビRの物語」を実写化した、異色のゾンビ作。ゾンビと人類が対峙(たいじ)する近未来を舞台に、人間の女性に心惹(ひ)かれてしまったゾンビ青年の恋の行方を追い掛けていく。主人公の恋するゾンビを、『シングルマン』『ジャックと天空の巨人』のニコラス・ホルトが好演する。メガホンを取るのは、『50/50 フィフティ・フィフティ』で注目を浴びたジョナサン・レヴィン。奇想天外な設定とコミカルな展開もさることながら、随所にちりばめられたゴア描写も見応えあり。
あらすじ:ゾンビと人類が戦いを繰り広げる近未来。ゾンビのR(ニコラス・ホルト)は、仲間と一緒に食糧である生きた人間を探しに街へと繰り出す。人間の一団と激闘する中、彼は自分にショットガンを向けた美少女ジュリー(テリーサ・パーマー)に心を奪われてしまう。ほかのゾンビに襲われる彼女を救い出し、自分たちの居住区へと連れ帰るR。彼の好意をかたくなにはねつけていたジュリーだったが、徐々にその純粋さと優しさに気付き出す。ついに思いを寄せ合うようになった二人は、ゾンビと人類の壁を打ち壊そうとするが……。

<感想>太陽を浴びても死なないヴァンパイアが、普通の人間の女の子に恋をする有名な「トワイライト」シリーズの著者ステファニー・メイヤーが絶賛したというアイザック・マリオンの同名小説が原作で、よくあるゾンビ映画とは少し違う。
完全にゾンビになる前の未完成のゾンビのようで、不気味にヨタヨタと歩くが、少しは人間らしい気持ちを持っている。死か生か、結果は半々の病魔に侵された青年が主人公で、ゾンビ仲間を信頼する気持ちもあるし、可愛い女の子を見れば好きになって恋もする。
何と言えばいいのか、主人公のゾンビはただ動き回って人間を喰らう死体ではなくて、人間らしさをいくらか残しているのだ。顔色は悪いし、腐敗臭はするし、ご馳走といえば人間だし。その上死後硬直のせいで体の動きが鈍く言葉も上手く喋れないとマイナス要因だらけ。

なのに、男子ゾンビが人間の女の子を好きになるという、ゾンビ映画の青春篇。好きになると心臓がドキドキと鼓動し、気持ちが高まると体温が少し上昇して、このままその状態が続けば生き返られるって?・・・。そんな分け無いのに。
何だか新鮮で、主人公の男の子の名前がRで、女の子はジュリーっていうのは、もう、「ロミオとジュリエット」のような純愛ものですよね。
謎のウイルスの発生で街にはゾンビが溢れ、自分たちの居住区に立て籠もって戦時体制で暮らす普通の人間と、ゾンビになってあまり時間が経ってないらしいゾンビで思考能力もあり言葉も少し話せる。
そのゾンビが行き着くところまでいってしまうと、つまり飢えに耐えられず自分の肉体を喰った凶悪なゾンビ集団、ガイコツがいるという設定。人間が拳銃で撃っても直ぐには死なない、っていうか不死身状態。頭を撃つのがいい。それに、ゾンビ・ガイコツの素早いのなんの、走るのが速いのだ。
でも普通は、凶悪なガイコツがゾンビの設定だから、怖いばかりで愛想のないヤツラしか登場しない。ゾンビと名乗りを挙げてはいないが、最近では「ワールド・ウォーZ」や、「バイオハザード」に出て来るウイルス感染者もゾンビ仲間だから。愛想も愛嬌もなくて怖いばかりで感じが悪いったらない。

もっと悪いのが「ウォーキング・デッド」の歩き廻る死体、ウォーカー。これもゾンビでしかも狂暴。それに引き替え「ウォ−ム・ボディーズ」の主人公Rや親友のM「エンド・オブ・ザ・ワールド」に出ていたロブ・コードリーは生前の名前は忘れても、感情はかすかにある新型ゾンビで女性に好かれる“心”を持っているのが特徴。Rとジュリーが手を繋いでいるのを見て、いいなぁって顔をする。
Rと名乗ってはいるが、本当の名前は思い出せないし、家も家族も自分が何をしていたのかさえ忘れてしまった。Rが何の略なのか考えるのも観ている時の楽しみの一つになる。Rを演じているのが、『シングルマン』『ジャックと天空の巨人』の美青年ニコラス・ホルトなのだ。顔や手に白粉を塗って、目にはクマドリをしてゾンビメイクも様になっています。

ヒロインの彼女の名前がジュリーで、一人で人間の居住区へ帰ってしまい、Rが彼女を追い掛けて家まで行くシーンで、彼女が何度かバルコニーが出て来ては、強面の彼女の父親のマルコヴィッチが邪魔をする。と言えばかの有名な悲恋のカップルがモデルの、「ロミオとジュリエット」で、Rって名前にジュリーが付けたのだ。
何度かRに危ないところを救われたジュリーは、彼に対して感謝の気持ちがあっても初めは怖くて怯えていて、どこまで信じていいのか分からない状態だった。彼はジュリーの元彼ペリーを襲ってその脳みそを食べ、彼がしていたかっこいい腕時計をしていた。それでも、Rの居住している飛行機の中へ連れて行き、レコードをかけて彼女を慰め食料も調達してくれる。そして、彼女とドライブまでするのだ。でも、Rは運転を忘れてしまったようで、まるでダメ。
ゾンビが人間の脳を食べると、その人の記憶が追体験できるわけ。体だけ食べるとゾンビ化してしまうらしい。だからRの脳にはペリーの記憶が残って、ジュリーに恋をしてしまうのは当然のようだ。でも、ジュリーは親切にしてくれ、自分を他のゾンビやガイコツから守ってくれるRが頼りなのだ。
ここで、人間居住区には高い防護塀が巡らされており、門の前には武装した兵隊が守っている。ジュリーの父親グリジオ大佐が、軍を組織してゾンビ退治の先頭に立つわけだから、ゾンビの危険は重々承知で、それに妻をゾンビに殺された彼は娘を守ろうと躍起となっている。だが、彼にはまだ人間の近くにいるゾンビと、ガイコツと呼ばれる殺人鬼のような狂暴なゾンビがいて、相手かまわず襲い掛かってくることなど知る由もない。だから、ゾンビは当然のごとく危険だと、娘がゾンビと親しくするなんて許せないし、娘もその気持ちは知っている。

というような青春映画とゾンビものを合体させた本作は、ホラー+ラブコメの要素を持ち、不気味に造形されたCGガイコツを使って恐怖を煽りながら、そこは青春ラブロマンスものだから、ジュリーの元彼ペリーも登場させて、ジュリーが元彼を考えるうちにRの良さも見えてくるという、でも恋人がゾンビってなんてことありうるのか?・・・。で、ラストでは、CGガイコツが人間の居住区に襲ってくるというシーン。どうなるのかって、それは「ラブロマンス・ゾンビ映画」だから、二人が手を繋いで歩いたり、キスをする二人にRの胸の鼓動がドキドキと動いて、ゾンビが元の人間に戻るってことなのね。
2013年劇場鑑賞作品281  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

そして父になる ★★★★

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『誰も知らない』などの是枝裕和監督が子どもの取り違えという出来事に遭遇した2組の家族を通して、愛や絆、家族といったテーマを感動的に描くドラマ。順調で幸せな人生を送ってきたものの、運命的な出来事をきっかけに苦悩し成長する主人公を、大河ドラマ「龍馬伝」や『ガリレオ』シリーズの福山雅治が演じる。共演は、尾野真千子や真木よう子をはじめ、リリー・フランキー、樹木希林、夏八木勲ら個性派が集結。予期しない巡り合わせに家族が何を思い、選択するのか注目。

<感想>“新生児取り違え事件“を題材に、6歳になった子供たちを交換することになった2組の夫婦の葛藤を丁寧に描き出している。スピルバーグが審査員長を務めた今年のカンヌ映画祭コンペ部門で見事に審査員賞を受賞しての凱旋公開である。

映画の内容は、未熟な家族と、未熟な男の物語である。大手建設会社に勤め、都内の高層マンションに妻と子と暮らす野々宮良多は、6年間育てた息子が実は病院で取り違えられており、別の夫婦の血を引いていることを知る。自分のような向上心がなく、おっとりとした息子に不満を抱いていた父は、やっぱりそういうことか、とつぶやく。
住む土地柄も経済状況も生活も対照的な、息子を取り違えられた二つの家族は交流を重ね、そして良多は子供を交換するという結論を出す。

他の是枝裕和監督作品の多くと同じように、成長した主人公の清々しい表情も、わかりやすい答えも結末もありません。すべての登場人物ばかりか、演じている役者たち、監督すらもまだ答えを探しているような、だから観客たちもこれからどうなるのか、微妙な終わり方なのだ。パーソナルでありながら、この普遍的な葛藤に引き込み入れて、その一部にしてしまっているような。
2時間の作品は終わっても、物語はずっと続いていくわけで、ラストも家族は未熟なままだし、良多は父親としてのスタート地点に立ったに過ぎないのだから。その瞬間は決して晴れやかではなく、むしろ彼は人生でもっとも戸惑い、混乱しているように見えた。

父である自分はここから始まるのだから。涙をこらえ声を詰まらせ、我が子に無様に向き合う主人公。我が家に実の子を迎え入れても、その血の繋がっている子供に、自分をパパと呼べと言うのに、子供は「何で、何でなの」と、まだ子供たちは、ただお泊りに来ているだけだと思っている。理解するには時間がいる。
6年間育てた子供慶多は、両親の過剰な期待を受け止めて、ピアノとか自分には向いてないと分かっていることにも一生懸命に努力する。それなのに父親である良多は、「やっぱり、あっちと交換するか」なんて、母親にとっては怒りが湧いてくる発言をする。もっと、母親は自分の意見を言うべき。慶多に二人でどこか遠くに行こうという母親、だが結局生活のためなのかそのまま慶多を手放す。

子供心に、大好きな父親に環境の違う家へお泊りに行かされ、慣れない生活ながらも、本当の父親は優しく器用で一緒にお風呂にも入ってくれるしで、次第に居こごちが良くなってくる慶多なのだが。やっぱり、まだ6年間育ててくれたパパの方が好きなのだ。観ていて、痛いほどに子供の気持ちが伝わって来て辛い思いがする。

それに対して、良多の実の子供・琉晴は、血が繋がっているとはいえ馴染まず、さっさと自分の家へ帰ってしまう。迎えに行く良多に、迎えに来てくれたと喜んで出ていくと、良多パパは実の子どもの名前を呼ぶ。これは、子供にとって理解しがたい仕打ちであり、6年間父親だったと言い訳する父に、慶多は言葉にならない。それにはつい涙がこぼれて仕方がなかった。
実に素晴らしく、子供たち2人の演技に泣かされます。そして、この物語に巻き込まれて、自分もその家族の一員になったような思いで幸せを噛みしめました。
2013年劇場鑑賞作品・・・282   映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 魔の海 ★★★

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人間と海神ポセイドンの血を引く「半神半人(デミゴッド)」の少年パーシー・ジャクソンの活躍を描いたファンタジー「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」(2010)の続編。封印された先代の神々の王クロノスの復活を阻止するため、パーシーは魔の海に隠された黄金の毛皮を探しに行くことに。そんなパーシーの前に、弟を名乗る目が一つだけのサイクロプスが現れ、ともにギリシャ神話の魔物たちがはびこる魔の大海原バミューダトライアングルへと乗り込んでいく。主演のローガン・ラーマンほか、共演のアレクサンドラ・ダダリオ、ブランドン・T・ジャクソンも再集結。監督は「グレッグのダメ日記」のトール・フロイデンタール。

<感想>父親は海の神オリンポス。母親は人間。宿命を背負った少年パーシー・ジャクソンの大冒険バトルを描き、ギリシャ神話の世界と最新アクション映像を見事に融合させた本作。今回は、パーシーと仲間たちが、大海原でのアドベンチャーに出発する。パーシーら半神(ハーフゴット)が暮らす訓練所の危機から、「魔の海」といわれる渦に飲み込まれるシーンでは、バミューダ・トライアングルの驚くべき秘密まで、めくるめくるスピードとテンションで物語が展開します。嫌いなサメに囲まれたよ。渦の中心は大きな魔物の胃袋へと、胃袋の中にはクラリサもいた。ここでもパーシーの活躍が観られるよ。

そしてみんなは、黄金の毛皮のあるキルケランドへと進路を定める。そこには、でかい盲目のサイクロプスがいるのだが、そこにグローバーが女の姿をして侍女に変身、力を合わせて黄金の毛皮を手にする。だが、そこへあのルークとその一味が現れ、異母兄弟のタイソンが矢を射られて海中へ転落。毛皮もまんまと奪われてしまう。
人間界に潜む「神話キャラ」も楽しく、地獄のタクシーを運転する三女神(意味深な数字を教える。それは海図で緯度に経度。)や、鮮やかな色彩の海馬、・・・と、その個性は超インパクト大である。これら奇想天外な要素を、前作と違って鮮やかな3Dで再現したのも本作の魅力。だが時間の関係で2Dにて鑑賞。

神話の世界を現代で繰り広げる基本路線は同じだが、NYをオリンポス、ハリウッドを冥界に見立てるなどヒネリを効かせていた前作に対して、今作では現実世界の描写は最小限にとどめ、空想世界のアドベンチャーになっている。
元々希薄だったグロ系要素を拭い払って、ショーン・ビーンのゼウスや、ユマ・サーマンのメデューサといった愉快なキャスティングもなしという、正直なところ食い足りなさは否めない。もっとも本作の原作は同名の児童書だから。

主人公から世界観まで「ハリー・ポッター」の神話版といった趣のため、パンチの効いた展開は期待する方が無理だといっていいでしょう。
それでも、ファンタジー映画はやっぱり神話と怪獣でしょう。そんな映像を見せつけるので、「ハリー・ポッター」よりもこちらの方がグロイ描写もなくお子様むきかもしれません。

始めのコルキスの雄牛の大暴れや、マンティコアが楽しい見せ場を作ってくれる。突然の異母兄弟、一つ目のサイクロプスの出現にとまどうなど、パーシー役のローガン・ラーマンを中心に、若手キャストの熱演もあって巨大な敵クロノスとの戦いは、「タイタンの逆襲」で見たあの怪物巨大な石像ふうのクロノスまで出て来る。
フルCGではあるのだが、彼らの怪獣たちが本作を支えているといってよいだろう。しかしだ、原作は5巻で後3巻の続編があるのに、最後まで絶対に次作を見せてくれるのかと期待したのにがっかりです。もしかして、全米ではイマイチぱっとしなかったというから、こちらも観客が少ない。
2013年劇場鑑賞作品・・・315  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

アップサイドダウン 重力の恋人 ★★★.5

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『スール/その先は…愛』などで知られるアルゼンチンの巨匠、フェルナンド・E・ソラナスを父に持つフアン・ソラナスによるSFロマンス。二つの惑星が重力で上下に引き合う世界を舞台に、上下別々の星で暮らしていた男女の運命的な恋の行方を映し出す。主演を務めるのは、『ラスベガスをぶっつぶせ』などのジム・スタージェスと『メランコリア』などのキルステン・ダンスト。自然や都市が上下に広がる世界の不思議なビジュアルはもちろん、ロマンチックな物語も魅力的。
あらすじ:富裕層が暮らす星と貧困層が暮らす星が、上下で接近するように引き合っている世界。下の星で貧しい暮らしを送っていたアダム(ジム・スタージェス)は、とある山頂で上の星の住人であるエデン(キルステン・ダンスト)と出会って恋に落ちる。ロープを使って彼女を自分の世界に引き下ろそうとするアダムだったが、星の境を監視する警備隊に発見されてエデンは上の星へと落下してしまう。それから10年後、エデンは死んだと信じ込んでいたアダムだったが、彼女が生きていることを知って再会を誓う。

<感想>先週の1日で終了だったので急いで鑑賞したのだが、忙しくて中々レビュー出来なかった。何だか、チラシを見る分にはハッタリVFX満載のビジュアルで見せるお伽噺版の「アリジウム」みたいと思ったのだが、全然違っていて風変わりな世界といっても、下の世界は1950年〜60年代のヨーロッパのようだし、上の世界は現代のアメリカ風のようにも見えた。それでも、理屈は置いといて、見たことのない不思議な映像を楽しむのが正解でしょうね。

文化はあくまで地球のもので、変な服装や風俗は出てこないし、話すのも普通の英語。つまり科学考証を凝らした異世界FSではなく、あくまで寓話であり、お伽噺なのだから。特定の物質にしか作用しない重力など、科学的には説明できないしね。
それでもこの世界独特のルールは存在するわけで、違う世界の物質同士を接触し続けると数時間で熱を持ち発火するというのだ。これがサスペンスを盛り上げる要素となるのだが、このルールがすべての物質に対して徹底しているわけでもなかったりと、明らかにツメが甘い部分もちらほらと見えてきてしまう事実は仕方がないのか?

上の世界が裕福で下の世界が貧乏だったり、下の世界の資源を搾取して反映を維持しているのだ。下の世界の重力は下の世界の物質にだけに働き、上の世界の重力もまた上の世界の物質にだけ反応するという。だから下の世界の人間が上の世界に行っても、下の世界の重力に引っ張られるため、上の地面にたつことは出来ない。
しかし、アダムが子供のころから上の世界のことが気になり、侵入を拒む上の世界になんとか入り込もうとしたり、それには上の物質をたくさん身にまとい浮力のようにして重力を反転させる必要があり、アダムはスーパーの万引き犯人みたいなパンパンの格好で上の世界へ侵入するのです。

それは、アダムがお婆さんから受け継いだピンク色した蜂蜜を使って、シワ取りクリームの発明するという名目で、上の世界の会社に入社したから。アダムのことだから、好きになったらどんな困難も乗り越えて、二人は結婚して幸せになるでしょう。上下の世界が一体化して、そんな時代がきっとくるに違いないと奮闘するアダム。最後に二人に赤ちゃんが出来て、それも双子とは驚きです。
さらには自分の行動が世界を変えるきっかけになるかもしれない、という部分などは、妙に「エリジウム」と一致する部分は少なくないようだ。
しかし、「エリジウム」は、ごく普通のSF的設定から出発した普通のSfであることは疑いようがない。結局は、お互いの作品とも人間の本質的な欲望や、願望を描くために最適と思われるシンプルな舞台背景を設定したところ、類似してしまったということだろう。

だいたい上の世界が裕福で、下が貧しいというのは、ごく普通のアナロジーではないか。それにこちらの作品が、両方の世界で独自の重力が作用しているのだから、どちらから見ても相手側が「上」に見えるはずなんだけどね。
しかし、つじつまの合わない部分がもあるわけで、結局は両者ともに作品を支配する理屈が提示され、それに基づいて物語が進むわけだから。設定に関心のない観客にとってはSFか、あるいはお伽噺かな?・・・などというのは、大した違いではないのかもしれませんね。
でも、科学的な説明はつけられないが、上下向かい合わせで広がる広大なオフィスの光景は、映画的にはとても面白いですよね。こういう映像が比較的簡単に作れるようになったのは、現在のデジタル技術のおかげでしょう。

頭上に重力の異なる別世界が、逆さまになった相手側の世界が広がる光景は、とても壮大で、よく雲を見て山や岩に似ていると想像することがあるが、それを具体的な映像にしたような雰囲気で、スクリーンで見る価値はあると思った。
特に感動したのは、上の世界での古いレストランでのタンゴを踊る人々。アダムも洋服の下に上の世界の重力の物質を着込んで、エデンとレストランで食事をするシーン。カクテルを飲むのも大変そう。トイレも下の人間は、天井へとアダムの小便が貼りつくのにはびっくり。上の世界へは長くいられない、直ぐに発火して水の中へと苦労があるのよね。
アダムを演じていたのは、「クラウド・アトラス」に出ていたジム・スタージェス。エデン役には、「メランコリア」のキルステン・ダンスト。二人とも風変わりな背景に調和性があるのだろうか、上下逆さまになった男女が、山の上で会話するという映像が、脚本・監督を担当したアルゼンチン生まれのフアン・ソラナスが夢に見たというのが、アイデアの元になっているのだそうだ。
2013年劇場鑑賞作品・・・316 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

2ガンズ ★★★★

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デンゼル・ワシントンとマーク・ウォールバーグが初共演し、麻薬組織やCIAの裏に隠された陰謀を描くサスペンスアクション。麻薬取締官ボビーと海軍情報部将校マーカスは、互いの正体を知らないまま、メキシコの片田舎で潜入捜査にあたっていた。2人は麻薬組織から4000万ドルを奪取するが、マーカスの上司の裏切りによって大金を奪われてしまう。
ボビーとマーカスは大金を取り戻すため手を組むが、マフィアや麻薬取締局(DEA)に追い詰められていく。スティーブン・グラントによるグラフィックノベルを、ウォールバーグ主演作「ハード・ラッシュ」(13)も手がけたアイスランド出身の新鋭バルタザール・コルマウクル監督が映画化。

<感想>マーク・ウォールバーグの「ハード・ラッシュ」が面白かったので、その監督スティーブン・グラントと組んだ第2作目の映画である。映画の冒頭でデンゼルとマークが同じ車から降り、デンゼルは銀行へと貸金庫を作ろうと行ったらしいが、どうやら下見の様子。もう片方のマークはダイナーでウエイトレス相手に朝食の注文をしながら、デンゼルと携帯で連絡をとりあう様子をみると、どうやら二人は相棒らしいのに全然噛みあわないのだ。
噛み合わないはずですよね。デンゼルは麻薬局捜査官ボビーであり、マークは海軍情報部隊の軍人マイケルという、住む世界が違うと分かってくる。彼らはたまたま組んでヤクザのボスが麻薬で稼いだ金300万ドルが、この向かいの銀行の貸金庫の中にあることを知り、銀行強盗をして自分たちの仲間を殺したボスに復讐する、とそこまでは話がついていたのだが。

ところが銀行の貸金庫の中には、4200万ドル越えという思いもがけない大金入っており、強奪が成功した途端マークはデンゼルを撃ち、盗んだ金を全部今は除籍の身だが、この大金で復帰が叶う約束の海軍の上官の元へと運び込む。これって、何なのよ?、・・・という展開。
それにしても貸金庫の金は多すぎた。ボス一人の隠し財産ではなく組織の隠し金庫だったのか。ところが、これがタチの悪い別筋の隠し金と分かるころには、デンゼルを潜入させた上司が殺され、デンゼルは撃たれた傷を獣医に治療してもらい女の所へ。
マークは古巣の海軍司令官の事なかれ主義に怒りが爆発、そこで盗んだ大金を貸金庫に返してなかったことにしよう、なんて話が通用すると思うあたりが甘ちゃんのマークであった。
これはとりあえず相棒のふりをする男二人が、真の相棒になるまでの紆余曲折を描くドラマになっているといっていいだろう。どちらも鼻っ柱が強く、他人の話は聞かないとあって相棒には向かないのだが、それでも一人より二人だ。
そこへ、デンゼルの元恋人デビー(ポーラ・パットン)が、上司の連絡係として絡み、デンゼルとポーラの着かず離れずの関係は、デンゼルは彼女が今でも好きなのだが、連絡の取れないデンゼルより他の男に慰めを見出したというわけ。マークには女っ気はないのに、癖になっているウィンクの先には意中の女性はいないのだ。これは面白い。

ここら辺までくると、断然マーク・ウォールバーグの持ち味が上手く出ていて、賞を取っている兄貴分のデンゼルより俄然、物語を引っ張っていくのである。
盗んだ金を取り戻そうと海軍の基地内をうろつくデンゼル、もうここには金は無いことを知り火災報知器を慣らし、調理場のガスを捻って爆発させ、自分は冷蔵庫の中で盗んだ将校の制服で、基地のゲートの突破にも手段を考えるデンゼル。一方のマークは車で体当たりの強行突破。そこに二人の違いが出ているようですね。
しかし、デンゼルの白い海軍の制服姿が様になっていてかっこよかった。果たして4200万ドルは何処に?・・・それが殺されたデンゼルの元カノ、デビーがホテルのベットの下に隠していたのですね。

ちなみにグラフィック・ノベル原作の主人公は、2人とも白人だそうです。「男二人が背中合わせで銃を撃つ」というメイン・ビジュアルからも一目瞭然な、今時珍しいキメキメ感が濃厚に漂う映画に仕上がっている。アカデミー賞を2回も受賞した名優が出ているの?と思ったけれど、面白ければいいじゃん。
デンゼルがアゴヒゲをたくわえて原作キャラに近づき、芸達者なデンゼルの軽妙な魅力を十二分引き出しているんですから。
何者かの陰謀で犯罪者にされた2人は、警察だけでなくCIA、海軍、そして極悪麻薬カルテルに命を狙われてしまう、そのピンチを乗り切るために、2人は渋々「あぶない刑事」なみにスカしたコンビを結成!
ときには、相棒であり、ときに裏切り者でもある2人が、複雑なストーリー展開の中で、くっついたり離れたり、二転三転する面白さ。そしてラストには、ド派手なアクションもありで、猛牛の攻撃にもさらされ、慌てふためく面白さを心ゆくまで堪能できるアクション満載の映画です。
2013年劇場鑑賞作品・・・317 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

キャリー ★★★★

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1976年にブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセク主演で映画化されたスティーブン・キングの同名小説を、クロエ・モレッツ主演で再映画化。超能力を秘めた内気な少女キャリーが引き起こす惨劇を描くサイコサスペンスで、「ボーイズ・ドント・クライ」のキンバリー・ピアース監督がメガホンをとった。
地味で冴えない高校生のキャリーは、学校では笑い者にされ、家では狂信的な母親に厳しく監視され、孤独で鬱屈した日々を送っていた。やがて、学校の人気者トミーとプロムパーティに参加することになり、母親の反対を押し切ってパーティにでかけたキャリーだったが……。

<感想>シシー・スペイセク主演のオリジナル版を以前に観た。こちらは冒頭からたいそう挑発的な恐怖に取り憑かれた女がベッドでのたうち回っている光景から始まっている。それはキャリーの母親ジュリアンの出産シーンなのだが、まるで悪魔憑きのような感じで、これから酷いことが始まる予感一杯な嫌な時間が続くことが分かる。
原作でも説明しているように、母親のマーガレットは、性交、妊娠、出産といったことに関してまったく無知のまま、キャリーを孕んで産んでしまった。だからきっと悪魔かなんか憑き物でも自分の股間から出てきたと思ったのか、へその緒を切るハサミで、我が子の眼にハサミを突き刺そうとして殺そうとする。

しかし、性教育も受けないで自分の体の変化に気付かないで出産をするなんて、だから娘のキャリーにも女性の初潮のことを教えていなかったダメな母親なのだ。娘が遅咲きの初潮を迎えて、驚きわめき騒ぐシャワールームで、友達にタンポンをぶつけられて笑われる以上に恐ろしい事態なのだ。
それに、母親は、苦しんで一人で出産をして、赤ん坊のへその緒を切らずに抱きしめ、さながら子離れできない親の怖さをこれからの物語の伏線のように知らしめているようだ。
「キャリー」は、本来超能力の少女が、いじめ傷つけたすべての人々へ復讐するお話なのだが、リメイク版では、母と娘の間にあるドロドロとした関係を非常にうまく描いているようでもある。

キャリーは特殊能力を持ち、同時に可愛らしくて知性のある娘なのだが、母親が娘を「お前など単なるメスにすぎない」と言わんばかりの仕打ちを受ける。それと、大出血サービスとばかりの“女”を家畜と同等とみなすごとく繰り出される「豚の血」の大放出がハイライトです。
母親の信仰には、性的な欲望を持つことも、性的快楽を楽しむことも、ともに肉の交わりを前提とする点では、堕落であり罪だと特有のキリスト教根本主義がある。この考えの根底には、男を誘惑するから女には罪があるという、極めて男性中心的な考え方が潜んでいるようだ。

だが、リメイク版の冒頭でのシーンの母親は、一人で抱え込んでいた宗教的罪悪感への重荷が、娘を得ることで変化してゆくのが読み取れる。そして、娘を自分自身の狂言世界へ服従させることで、自分の信仰を強固にし、才能ある娘に憧れと恐怖を抱くところがあり、規律と愛情の間で揺れ動く微妙なところを、ジュリアン・ムーアは実に上手く演じている。
印象的だったのが、クリーニング店で働く母親のマーガレットが、キャリーの友人スー・スネルの母親と会話するシーン。マーガレットは自分自身を罰すれば罰するほど「女=悪」というキリスト教的正しさを死守することができるわけだから、平然と微笑むことが出来るとばかりに、自分の足に針を突き刺す。
一方、スーの母親は、娘同様にホワイト母娘に対して、同情心を持っていながらそれをうまく伝えることが出来ない。何とも緊張感が漂うもどかしい場面である。
デ・パルマ版のちょっと拒食症的なキャリーと違って、リメイク版は顔つきに幼さが残り、いかにもゴスロリファッションが似合いそうなクロエ・グレースがキャリーを演じていて、母親の持つ娘の理想像が、実年齢よりずっと幼いところに留まっているように見受けられた。

さすがに女性監督の演出は、男性の立ち入れない女子更衣室、女教師と女子学生、クラスメートの女同士の葛藤と友情、同世代の友人に対する憧れと嫉妬、密室的な母娘といった女同士の関係を緻密に構成していて面白かった。
クライマックス、虐められっ子の逆襲というどんでん返しではなく「ああ、やっぱりクロエにそんなことしたら、酷い目に遭うに決まっているのに」と、実際映画もそこのみに集中しているのは正解といえば正解かもしれない。しかし、プロムパーティーの大暴れでも、武器が念力なので、目を剥いて見栄をきるだけ。クロエちゃんの鍛えあげられた身体が見事に生かされていないのが惜しい。あと、念力の使い過ぎで、その分ラストの気持ちが薄まって見えてしまう。

キャリーの大爆発の後、疲れ切った娘を見て母親は優しく抱きしめるどころか、娘が宗教的な罪を犯すくらいなら、いっそ殺そうと思い詰めて襲い掛かる。娘と自分自身の区別がつかず、娘を通して自己実現したい気持ちと、娘には自分と同じように苦しんでもらいたいと願う気持ちが交錯して「アンタを殺して自分も死ぬ」とばかりに娘に襲い掛かる。
そんな彼女にキャリーは、ついにキレて家じゅうの刃物を差し向けるわけ。しかし、キャリーは母親を捨て去ることが出来ず、この母娘は心中するかのように、家ごと地中に沈みフェミニシスト的な怒りは再び隠蔽されたように見えるのだが、・・・。
そうした母娘の問題系を、スーの母娘、そして孫娘へと転移させてみせたのが、
どうやらキャリー的なる凝った悪念は死んでいない、という幕切れ。自分の怖りを内へと向けて消えてしまいたくなっている少女を、現世に繋ぎ止めるような効力は、リメイク版でも健在だと思った。
2013年劇場鑑賞作品・・・318 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

私が愛した大統領 ★★.5

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ニューディール政策などで有名な第32代アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの知られざる素顔に迫った伝記ドラマ。ルーズベルト大統領の一番の理解者として彼を支え続けた女性デイジーとの深い絆と、第2次世界大戦前夜の英国王ジョージ6世夫妻が渡米した際のエピソードの裏側を描く。小児まひの後遺症を抱えながらも4選を果たしたカリスマ大統領を、名優ビル・マーレイが演じ、激務のルーズベルト大統領が誰よりも信頼し心を許した従妹デイジーを、3度のオスカーノミネート経験を持つローラ・リニーが演じる。
あらすじ:1930年代アメリカ、多忙なフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(ビル・マーレイ)は一番の理解者である従妹のデイジー(ローラ・リニー)と過ごすひとときが何よりの安らぎだった。1939年6月、ドイツとの開戦危機に備えアメリカの後ろ盾が欲しい英国王ジョージ6世夫妻が実家を訪問。歴史的なトップ会談が行われた夜、デイジーは思いも寄らなかった大統領の秘密に触れてしまう。

<感想>1933年に第32代米大統領の座に就任、重度の障害を抱えながらも12年間に渡って任期を務めたフランクリン・デラノ・ルーズベルト、通称FDR。彼の秘密の愛人だった女性の手記と日記を基に、彼と周囲の女性たちの関係と、米英の歴史の転換点となった出来事にスポットを当てています。
ここでいう第32代「米大統領」のフランクリン・デラノ・ルーズベルト。教科書にも出て来るあのニューディール政策を推し進めた大政治家である。
そのフランクリンが私生活で妻や母親、秘書以外に心を許したのが従妹のデイジーなのです。ポリオで下半身が不自由な上、日々の激務で疲れきった大統領の息抜きのおしゃべり相手にと、母親が呼び寄せたのだが、2人はすっかり意気投合して、次第に深い関係になっていくのです。
それは、毎日のように下半身の自由が利かないルーズベルトは、自分用に特別に改造した自動車で、従妹のデイジーをドライブに誘う。運転が乱暴なフランクリンの運転で、彼の秘密の花畑のある場所や、老後を過ごしたいと考えているお気に入りの別荘へと出かけるのですが、もちろん護衛の車も後ろからついてくるのですが、帰れ帰れと手で合図をして、もう、2人きりになってそれはロマンチックなムードになるのですが、奥さんがいるのに、これはひょっとして浮気ってこと。でも、奥さんとは別居していて夫婦生活はないようである。
それが後で分かることなんですが、秘書も人妻も過去に愛人として関係を持っていたということが明らかになり、デイジーもショックで少しの間、彼との関係を断るのですが、それでもこれだけ偉大な男だと、女としては選ばれた存在感で満足してしまうのでしょうね。

フランクリンは女癖が悪く、性に対してはお盛んな人だったのですね。まぁ、あの有名なケネディ大統領でさえ、マリリンとの浮気が公認になってましたものね。奥さんのエレノアも別居をして好きなことをしているようだし、それに家は母親の家で、マザコンのような、家の切り盛りも全部この母親がしている。
というわけで映画は、主にフランクリンの実家のあるニューヨーク州ハイドパークの美しい田園風景を背景に展開するのですが、とりわけ実家の白い壁に落ち付いた外見。部屋は壁紙が部屋別に、青やピンクとそれに合わせた色彩設計になっているのが目の保養になるでしょう。
そして、部屋の色彩に合わせて、ベッド、カーテン、鏡、花瓶、シャンデリア、食器、書棚…内装も家具も母親の趣味の良いものばかりで素晴らしいですね。

やはり興味深いのは、1939年に英国王ジョージ6世夫妻をそこに招いた時のエピソードが中心になっている。
英国は第二次大戦前夜に、アメリカの支援を取りつけるために、国王を送り込んだのですが、その国王と大統領の水面下の駆け引きがとにかく面白いんですね。英国王夫妻と側近たちを宿泊させるので、家の中はてんやわんやで、晩さん会などでは、食器が足らず近所の家から借りてきて、その食器を召使が壊してしまうし、食事を運ぶ給仕さんも緊張してか転んで転倒するというハプニングもあります。

「英国王のスピーチ」でみなさんご存じのことですが、吃音に悩むジョージ6世を、フランクリンは自らの小児麻痺を引き合いに出して、お互いにハンデのある人間として叱咤激励をします。アメリカ国民は大統領の足が不自由だということは知らないし、マスコミもそのことを知っていても公にしない。
それに、ピクニックを提案した大統領夫人のエレノアが、お昼の食事にホットドッグを出す接待にも、英国王のエリザベス妃が食べたことのない食事に自分たちをバカにしていると非難するのだが、国王はさすがに支援のこともあり、臆することなく1個や2個、いくらでも食べてやると豪語する。これが2国間の垣根を取り払うんですね。
このエピソードも含めてデイジーとフランクリンの秘話は、デイジーが残した手紙と日記が基になっているという。そのためか二人の恋愛の真実が、もう一つ鮮明に浮かび上がってこない嫌いもある。それはきっと、ロジャー・ミッチェル監督の配慮かもしれませんね。
2013年劇場鑑賞作品・・・319 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

清須会議 ★★★★.5

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数々のヒット作を作り出してきた三谷幸喜が、およそ17年ぶりに書き下ろした小説を自ら映画化した群像喜劇。本能寺の変で織田信長が亡くなった後、織田家後継者と領地配分を決めるために、柴田勝家や羽柴秀吉らが一堂に会した清須会議の全容を描く。役所広司演じる勝家と大泉洋ふんする秀吉の主導権争いを軸に、それぞれに思惑を秘めた登場人物たちが駆け引きを繰り広げていく。そのほか佐藤浩市、妻夫木聡、浅野忠信、西田敏行ら豪華キャストが勢ぞろいする。
あらすじ:本能寺の変によって織田信長が亡くなり、筆頭家老の柴田勝家(役所広司)と羽柴秀吉(大泉洋)が後見に名乗りを上げた。勝家は三男の信孝(坂東巳之助)、秀吉は次男の信雄(妻夫木聡)を信長亡き後の後継者として指名し、勝家は信長の妹・お市(鈴木京香)、秀吉は信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方にする。そして跡継ぎを決めるための清須会議が開催されることになり、両派の複雑な思惑が交錯していく。

<感想>三谷監督の宿願の時代劇映画、前作の「ステキな金縛り」の公開の際に次回作は時代劇でと公言していたそうで、もっと早くに撮りたかったのだとか。といっても、派手な合戦があるわけでも、迫力のある殺陣が登場するわけでもない。でも、実話なのに、余りにも面白くて、大いに笑わせて頂きました。
なんと取り上げた題材は、信長亡き後に開かれた首脳会議。そう実に演劇的空間を生かした作品になっている。そして、そこで展開するのは、戦国武将たちが合戦ではなく会議で、しかも身内と丁々発止するという歴史上稀に見る珍事を映画にした実に面白い内容です。

会議に参加する4人の重臣役には、役所広司の柴田勝家、羽柴秀吉大泉洋の羽柴秀吉、小日向文世の丹羽長秀、佐藤浩市の池田恒興がキャスティングされた。
忠誠心と野心の衝突は、ともすれば深刻で陰鬱な陰謀劇となるのですが、そこは三谷作品ですから。思わず笑いが込みあげるシーンも多く、吹き出してしまいそうになる会話の妙が絡み、実在の人物もほどよくキャスティングされて、三谷ワールド全開の成熟した笑いの粋があります。

この作品での主人公は丹羽長秀なんでしょうが、戦国武将っぽくない穏やかな顔つきで、小日向さんの演じられた丹羽長秀は、会議の中で沈黙するシーンがあるのですが、良かったですね。

まず、信長が死んで周囲が右往左往している中で、戦いじゃなくて話し合いで歴史が動いたという、これって、勝家と秀吉の話でもあるんですけど、一番ドラマチックなのは、会議の行方を左右する丹羽長秀の言動でもあるのです。

中でも体育会系みたいな柴田勝家が、お市との恋愛沙汰で歴史に残っているなんて、本人にとっては恥ずかしいだろうに。中々いないですよね、純愛で歴史に残っている武将なんて。秀吉が大嫌いなお市の方が、女を武器にして勝家をあっという間に手玉にとってしまう。史実では後に夫婦になる二人だが、やはりこの駆け引きが大きかったのではと思う。でも、お土産に香の物が好きだと聞き、らっきょうを持参してくる無粋な男だから、お市さまの言葉にメロメロになるのは時間の問題でした。

それに対して悪知恵の働く秀吉は、信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を抱え込むだけでなく、あっと驚く機転を利かせて会議を有利な方向へと導いていく。始めは信長の次男である妻夫木聡演じる信雄を後継者として推薦するが、どうにも脳天気なうつけもので、海岸で旗取り合戦をした時に、「俺って、足の速さには自信があるんだ」と、旗を取らずにそのまま通りすぎてしまう大馬鹿もの。それを見て秀吉は頭を抱える。これでは勝家に負けてしまう。帰り道で偶然、松姫と三法師を見つけはっと知恵が回るのです。

それは、信長の長男信忠、本来ならば後を継ぐべき存在だったが、父と共に本能寺にて討ち死にする。その遺児である山法師を世継ぎに推すれば、まだ幼いから自分が後継人となるわけ。
大泉洋が演じる秀吉は、おちゃらけな雰囲気と陰気な顔とを見せて、勝家役の役所広司は、体臭と口臭がひどい男に見える演技で2人の相違点を際立たせつつボケとツッコミのようなコメディ仕立てで面白かった。

信長にサルではなくて、ハゲネズミと呼ばれていたそうで、秀吉の一族はオデコと耳を強調してひょうきんな顔になっている。織田一族は鷲鼻で血縁を表現したという。
それに対して、清須会議を取り仕切る、でんでん演じる前田玄以が4人の評決を取るのだが、そこで、佐藤浩市演じる池田恒興が、打算的な性分で自分の意見をはっきりと言わず、分の良い方に頷くという算段。旗取り合戦では、勝家と秀吉のどっちにもいい顔をしたいので、嘘の肉離れ離脱ネタなどで、ある意味すごく現代的かもです。
そして何と言っても舞台のセットと衣装が凄い。豪華な居室のセットは、よーく見ると中庭を挟んで向かい合っている点にご注目あれ。陰謀めいた内輪話もこれでは丸聞こえ。凝った内装もさることながら、馬鹿げた配置をさりげなく施しているあたりは、三谷喜劇のセンスが輝いて見えるのも素晴らしい。
そうそう受けたのが、戦場から清須城へ向かう途中で、会議に急ぐ左近が西田敏行扮する更科六兵衛と出会うシーンがあるんですね。映画「ステキな金縛り」で演じた落ち武者の幽霊です。他の三谷作品との思わぬリンクが楽しいですよね。
2013年劇場鑑賞作品・・・320  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

オン・ザ・ロード ★★★

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1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家ジャック・ケルアックが、自身や友人たちをモデルに執筆した自伝的小説「路上」(57)を、「セントラル・ステーション」「モーターサイクル・ダイヤリーズ」のウォルター・サレス監督が映画化した青春ロードムービー。脚本は「モーターサイクル・ダイヤリーズ」でアカデミー賞にノミネートされたホセ・リベーラ、製作総指揮にフランシス・フォード・コッポラ。父親の死に打ちのめされた若き作家サル・パラダイスは、社会の常識やルールにとらわれない型破りな青年ディーン・モリアーティと出会い、ディーンの美しい妻メリールウにも心を奪われる。3人はともに広大なアメリカ大陸を旅し、さまざまな人々との出会いと別れを繰り返しながら、人生の真実を見出していく。出演は「コントロール」のサム・ライリー、「トロン:レガシー」のギャレット・ヘドランド、「トワイライト・サーガ」のクリステン・スチュワート。

<感想>これも先週で終了とのことで、急いで観に行ったのだが記事を書くのが遅くなってしまった。1079年に映画化権を買い取って以来、何人もの監督と試みては実現できなかったフランシス・フォード・コッポラの念願の企画だそうです。セックス、ドラッグ、働かない?、無謀な暮らしぶりでR15になってるみたい。それでも、ジャズが背景に流れて彩られ、一人の男サルの人生の真実を求める青春群像劇といってもいい。
内容はロードムービーのようだが、父親を亡くし落ち込んでいた息子のサルが、友達の乱暴者だが心の奥底に繊細さを隠しているディーンという男に心酔する。主人公のサルにはどこか幼さが残るサム・ライリーが、破天荒なディーンには、ギャレット・ヘドランド。

そして、ディーンを取り巻く女性人が凄い。一応妻と呼んでいるが結婚はしていない。でもディーンとは常に一心同体であり彼を大好きな女・メリールには、クリステン・スチュワートが演じていて、今までとは違ってビッチなあばずれ女を演じている。それに妊娠して子供を二人産み妻となるキャロリン役に、キルステン・ダンストが逞しい母親を演じている。その他ににもエイミー・アダムスも出ている。

とにかく、サルという男よりもディーン・モリアーティのモデルになっているニール・キャサディの気味悪いカリスマ性とか、落ち着きのなさに比べて、演じているギャレット・ヘドランドの演技に鈍くささを感じた。キャサディの破滅的できらめく知性がないのは残念な気がした。それでも、主人公のサルよりは目立っていて、演技のし甲斐があると言うものだ。

最初から最後まで、移動だけが目的で、移動に憑りつかれた映画は、いやがおうにも移動の行為自体の代わり映えの無さが、どうにも飽きがくる。見ていてどうでもよくなってくるのだ。

おそらく悪夢の場面の凡庸さに、監督の本質が出ているようだが、全体にワビの雰囲気があってそれほど悪くはないのだが、後半で出て来る金を工面するための男、ヴィゴ・モーテンセンとディーンの性行為は、いかんせんお得感ということなのか。それに、スティーヴ・ブシュミとも、そっち系かいと思わせておいて、女性に入れ込むディーンの性のはけ口が凄まじく印象に残った。

もっとも、もう一人の友人、詩人の男はどうみても同性愛者で、ディーンが好きなのに言い出せない。
その悪友のセックスを横目で見ながら、おあずけを喰らったようなサル。主人公なのに、小説を書きたいと旅をしたのに、いったい何を学んだのか。年老いた母親を故郷に残して、日雇い労働をしながら金の工面をして、ほとんどといって小説の材料になる収穫はあったのだろうか。
それでも、自由を求めて広大なアメリカを縦断して、旅をした若者たちを描いたのがこれだ。
全体的に、あの時代の息吹き、旅の高揚感、若者たちの焦燥感など、まったく感じられない退屈な仕上がりである。同じ監督の「モーターサイクル・ダイヤリーズ」は、ゲバラの心情や瑞々しさがよく出ていたのに、なんか俳優に魅力がないのかミスキャストなのか、どうにも途中でダレてくるのだ。
2013年劇場鑑賞作品・・・321  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

ばしゃ馬さんとビッグマウス ★★★

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『純喫茶磯辺』『さんかく』などの吉田恵輔による青春ラブコメディ。一心不乱にシナリオ執筆に励むものの芽が出ない女と、あまりシナリオを書いたことがないのに他者の批評ばかりする男が、シナリオスクールで出会ったことから巻き起こる騒動と恋の行方を、笑いと涙を交えながら映し出す。取りつかれたように脚本家を目指すヒロインのみち代を『インスタント沼』の麻生久美子が、大口をたたいてばかりの青年・天童を関ジャニ∞の安田章大が演じ、イタい者同士の掛け合いを繰り出し続ける。
あらすじ:次々と脚本コンクールに応募するものの、一次審査すらも通らない34歳の馬淵みち代(麻生久美子)。そんな彼女と同じシナリオスクールに通う26歳の天童義美(安田章大)は、自分の作品をほとんど書いたことがない割には、常軌を逸した毒舌で他人のシナリオを酷評する。そんな彼らが出会ってしまい、何と天童がみち代にほれてしまう。嫌味な自信過剰男だと自分を嫌うみち代に認めてもらおうと、ついにシナリオを書くことを決意する天童。意外な彼の真摯(しんし)な姿に、みち代も心を開き始めるが……。

<感想>こちらは、日本版のシナリオライターを目指して、夢を諦めない麻生久美子演じる“必死すぎるばしゃ馬”さんこと、馬淵と、安田章大演じる、“脚本を書かないビッグマウス”天童の苦悩と葛藤を描いたもの。アメリカの「オン・ザ・ロード」の作家ジャック・ケルアックが自身や友人をモデルにした自伝的小説を観た後なので、いかがなものかと思ったのだが、・・・。
『純喫茶磯辺』の吉田恵輔監督3年ぶりの新作となる本作だが、実は馬淵のモデルは監督自身だそうで、さまざまな映画賞に応募しながらも落選しまくり、行き詰っていた吉田監督の分身でもある。長年、夢を追い続ける人間の苦悩を、誰よりもしっているからこそのリアル感。
もちろん天童のモデルは、監督の旧知の仲である脚本家の仁志原了である。共同脚本のクレジットは「机のなかみ」以来、6年ぶり。

麻生久美子が演じる馬淵みち代が、シナリオを書きながらカップラーメンを用意したり、郵便を簡易書留にする冒頭のシーンから始まり、生活感があって引き込まれた。
馬淵と天童が通うシナリオスクールが舞台で、かつ本編中にも脚本うんぬんの話題が絶えずでてくるので、「じゃぁ、この映画自体の脚本はどうなの?」っていう意地悪な目線を持ちながら見てしまった。
課題で書いてきた互いの脚本の感想を語り合う馬淵や天童を含む、十数人の生徒たち。いい役者ばかり揃っているが、講師役の広岡由里子にはかなわない。「天童くん書いてきた」、と聞くやいなや「ああ、いや」と軽くかわす天童。他人の作品は厳しく評価するものの、自分はまったく脚本を書かない。愛すべきいい加減キャラは、まさに脚本家の仁志原了そのものらしい。

馬淵の友人で山田真歩が、プロデュ−サーとの打ち合わせを理由に遅刻して入ってくるのだが、どうやら彼女はそのプロデュ−サーと身体の関係があるようで、その後彼女の脚本がボツになってしまう。しかし、そんなことにもへこたれずに再度脚本の懸賞に応募して、最後には勝ち組の名乗りを上げる。
馬淵は構想を切り替えて、元彼が老人ホームで働いているのを利用して、ボランティアで介護師として働く。老人ホームでの出来事にラブストーリーを混ぜてって、そんなことは起きるわけもなく、徹夜の脚本書きに疲れ果て、老人ホームで寝てしまう。そんな時に起きてしまうアクシデント。元彼には怒られるし、中途半端な気持ちじゃ介護福祉なんてできるわけがない。困った子ちゃんである。元彼だって、俳優になる夢を諦めて現実的に介護福祉の仕事をしているのに。酔った勢いで復縁しようなんて甘いぞ。

故郷で同級生の結婚式に出て拍車をかけられ、自分は結婚なんて縁がないと諦めかけても、いつも傍にいるビッグマウスの存在に気が付かないのだ。実家は旅館をしており、父親には井上順が酸素マスクをしながら仕事をしている。
夢を叶えるのも相当難しいが、諦め時を決めるのもこれまた難しいのだ。夢を抱くことの素晴らしさだけを謳い、さらに見る者に夢を抱かせたまま現実を教えない、無責任な作品は無数に存在するが、こうした視線のものは中々見当たらなかっただけに、ヤラレてしまった。
それに、夢を降りることが惨めではなくて、それなりに得られるものがあることを伝える姿勢もいい。
戦後の高度成長期と違って、現在はいろんな分野で夢の実現が困難になっているようで、いくら頑張っても結果を出せないと負け犬のようになってしまう。だから、最後に書いて出した脚本がダメだった時、結果を出せないヒロインが愛おしく、夢をあきらめる勇気に共感してしまった。
だから、ばしゃ馬さんも、ビッグマウスもキャラクターとは裏腹に、分かりやすい困難や成功ではなく、よりありふれた夢と現実の奇跡を生きているように見え、じんわりと沁みてくるものがあっていい。まるで夫婦漫才のように激しい掛け合いを演じる麻生久美子と、駄目チャラ男を演じた関ジャニ∞の安田章大は、これまた上手い演技に今年最大の収穫であった。
それに、麻生久美子演じるヒロインの、大人へのシフトチェンジに失敗した女子っぷりを、際立たせる衣装がまた素晴らしくて、上品でした。
2013年劇場鑑賞作品・・・322   映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

共喰い ★★★★

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小説家・田中慎弥による人間の暴力と性を描いた芥川賞受賞作を、『サッド ヴァケイション』『東京公園』などの青山真治が映画化した人間ドラマ。昭和の終わりの田舎町を舞台に、乱暴なセックスにふける父への嫌悪感と自分がその息子であることに恐怖する男子高校生の葛藤を映し出す。主演は、『仮面ライダーW(ダブル)』シリーズや『王様とボク』の菅田将暉。名バイプレイヤーとして数々の作品に出演する光石研と田中裕子が脇を固める。閉塞感漂う物語がどう料理されるか、青山監督の手腕に期待。
あらすじ:昭和63年。高校生の遠馬(菅田将暉)は、父(光石研)と父の愛人・琴子(篠原友希子)と暮らしている。実の母・仁子(田中裕子)は家を出て、近くで魚屋を営んでいた。遠馬は父の暴力的な性交をしばしば目撃。自分が父の息子であり、血が流れていることに恐怖感を抱いていた。そんなある日、遠馬は幼なじみの千種(木下美咲)とのセックスで、バイオレンスな行為に及ぼうとしてしまい……。

<感想>前から観たいと思っていて、地方ではミニシアターで上映。15日で終了というので急いで観に行った。原作者は芥川賞受賞の記者会見で「もらってやる」発言の田中慎弥で、こんなことテレビの会見で言っていいものかと、何だか自分の小説に自己満足していて、賞を取って当たり前だと言わんばかりに聞こえた傲慢な態度にむかつく。
だが、映画は思っていたよりも良かった。こういう世界もあるんだなぁと、夢中になって見てしまった。17歳の少年の性的な悩みを父母との関係の中に描いているが、お話の基本的な骨格は、田中慎弥の原作小説に基づいている。
自分の性欲の強さを、父親の道に外れた女とのセックスの行為ぶりと結びつけ、自分も父親のように相手を殴るようになるのかと、不安がる主人公。難しい役を体当たりで演じていた菅田将暉。父親の光石研は、前から注目していた俳優さんだったので、この人の活躍は嬉しいですよね。

特に、主人公の遠馬の母親に扮した田中裕子の存在感に圧倒された。後半のシーンで、同居をしていた琴子が妊娠をして家をでるという。それで父親が半狂乱となり探し回り、挙句に遠馬の恋人を神社でレイプして、それも殴る首を絞めるの暴行を加え、その時、普通だったら警察へ行き、父親を暴行罪で逮捕させることもできたのに、遠馬は彼女を連れて母親の所へ行く。
怒った母親は、父親を殺すといい出刃包丁を持ち刺すのだが、抵抗する父親。男だから暴れると力もあり仁子も吹っ飛ばされる。それでも、慢心の力を込めて自分の義手で夫の胸を刺し、彼はそのまま川の中へと。これが致命傷だったようだ。
母親は逮捕され、面会に行った息子に、義手を外したのでスッキリしたと笑う。そこで原作は終わるのだが、映画はその後、昭和63年という原作の設定を踏まえ、母親はすっきりしたといい、あの人が始めた戦争で本当は殺してしまいたかった。遠馬が生まれ、その後にも妊娠して家を出たが、そのお腹の子共は産みたくなかったという。あの男の血を引いた子供はお前でたくさんだ。あの人より先には死にたくなかった。

昭和64年の正月を迎え、昭和天皇の崩御を伝える放送。そういえば、今更ながらに思い返した。国民の皆が涙を流し、テレビは昭和天皇のことばかりでCMもなし、繁華街も営業を止め、賑やかなことは一切なしという。国民全体が1週間の間喪に服した。

少年の性的な悩みを軸にした話が、一気に時空を超えて拡大するさまは、スリリングな勢いをおび、さらには主人公に父親から去った琴子と再会させ、お腹の大きな琴子とのセックスを描く。その時琴子は、実はお腹の子供は父親の子ではないと言うのだ。
いずれにせよ、男のサディスティックな行為には、多少卑劣なことだと女の目線で感じるものの、そういう人たちも世の中に存在することを思えば、サドマゾ、SMプレイのようにも受け取れる。好んでやっている人たちもいるようで、この間「R100」を観たばかりなので、卑下するような発言は控えたい。
しかし、遠馬がよく母親に作ってもらう、アジの叩きのようなものに刻んだネギをのせて、そこへ醤油をかけて食べる料理は美味しそうに見えた。
2013年劇場鑑賞作品・・・323  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

悪の法則  ★★★

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マイケル・ファスベンダーにブラッド・ピット、ペネロペ・クルスにキャメロン・ディアスにハビエル・バルデムという豪華スターが共演した心理サスペンス。欲望に駆られて裏社会のビジネスに手を出した弁護士とその仲間たちが、危険なわなにハマり否応なく堕(お)ちて行く姿を描き出す。メガホンを取るのは『ブラックホーク・ダウン』などの巨匠リドリー・スコット。セレブリティーたちを破滅へと追い込む謎の黒幕の存在はもとより、予想だにしないラストに驚がくする。
あらすじ:メキシコ国境付近の町で弁護士をしている通称カウンセラー(マイケル・ファスベンダー)は、恋人ローラ(ペネロペ・クルス)との結婚も決まり人生の絶頂期にあった。彼は実業家のライナー(ハビエル・バルデム)と手を組み、裏社会のブローカー、ウェストリー(ブラッド・ピット)も交えて新ビジネスに着手する。その仕事は巨額の利益を生むはずが……。
<感想>リドリー・スコット監督が「ノーカントリー」の原作者コーマック・マッカーシーの初の映画脚本を映像化。裏社会のビジネスに手を出した弁護士が悪に絡め取られるさまを、マイケル・ファスベンダーを始め豪華なキャスト共演で描いている。スペイン語には字幕がないなんて、どうでもいいセリフだったのか意味不明なお知らせにいらつく。

描かれるのは、生と性と死である。3人の男たちが、誰かに操られているとしたら、怖すぎです。前半部分で、作り手側があえて説明を避けるような不可解な展開。そして、各人物が語る妙に教訓めいたセリフが、終盤の伏線になるのか、・・・どうなるのかと観ているこちら側の脳細胞を刺激してくる。
ちょっと、私には難しすぎたのか、物語のストーリーは単純なのだが、このシーンはどういう意味なんだろう???が続いて、理解不能状態なのだ。キャスト陣が豪華版、彼らが驚愕のシーンに挑戦しているのを観て、さすがにキャストで観客を呼ぶ手もあったのかと唸らされる。

ハンサムで自信家の弁護士なのだが、婚約者のローラに内緒で、彼女に婚約指輪として30万ドルの高額なダイヤの指輪をプレゼントしようと、巨額の利益を生む麻薬絡みのビジネスに乗り出す。アルマーニのスーツを着こなし、愛車はベントレー、身分相応なものに囲まれて生きている男。
メキシコ人組織の麻薬を運ぶ闇ビジネスに手を染めたマイケル・ファスベンダーが、ある日のこと組織の運び屋が何者かに殺され、2000万ドル分の麻薬が消失。偶然にも運び屋がカウンセラーの世話する死刑因の息子だったことで、彼にも危機が迫っていく。
仲介人のウェストリーによれば、組織はファスベンダーを裏切り者とみなし報復に出るという。身に覚えはないが状況を理解した彼は、恋人のペネロペと共に逃亡しようとする。弁護士のマイケル・ファスベンダーには名前がなく、カウンセラーと呼ばれている。

ブラッド・ピット扮する、女たらしの伊達男の裏社会のブローカー、ウェストリー。危険な連中のやり口を熟知し、ファスベンダーに再三にわたり警告する。彼も街中で、通り魔のような男に首にワイヤーを巻きつけられ死亡する。それを指示していたのは、マルキナのような気がしたのだが。

弁護士・カウンセラーの親友でリッチで派手好きな実業家、ライナーにハビエル・バルデムが演じて、ファスベンダーと共に、クラブを開業する。裏社会のビジネスにはウェストリーも加わっていた。巨額の利益の反面、組織の残虐さも聞かされるのだが。
ライナーの恋人・マルキナにはキャメロン・ディアスが演じており、見せ場はライナーの目の前で、開脚して陰部をフロントガラスに押し付けるシーンである。何だかエロスを感じたが、あの開脚に体操選手みたいで着地が見たかった。彼女はチーターを2頭ペットにしていて、草原で獲物を追い掛けさせる趣味がある。

それに、カウンセラーの恋人ローラに扮したペネロペ・クルスの婚約指輪を見て、自分にない幸せを得ている彼女に嫉妬し、その指輪を彼女を殺して自分の物にするヤバさ加減がすごい。可愛そうなローラがゴミ捨て場に転がっていた。
もしかして、ライナーに見切りをつけたマルキナが、ラストでマルキナが投資銀行の男と絡んでいた。金は手段ではなく、奪うことの方がハンティングのように快楽なのだろう。彼女が組織のボスなのかと思ったのだが、最後に自分も命の危険を感じて香港へ逃げるというのだ。一番得したのはダイヤの指輪をぎらつかせていた彼女だったのかも。
この脚本のメキシコ人組織の殺人の描写は、断片的だが遊び心で死体を汚物に沈めたり、殺人ビデオを犠牲者の身内に送ったりと、凶行を淡々とこなしていく残虐さは、「ノーカントリー」以上である。組織と対立する連中も、バイクに乗る運び屋の首をワイヤーで切断するなど、頭が入ったヘルメットが道端に転がるおぞましい場面が印象的である。

悪夢ならまだ目覚められる、罪なら償える。が、原題の「カウンセラー」と呼ばれ青年弁護士と周囲の人々が巻き込まれるデス・スパイラルは、有無をいわせずこの世の出来事として、ただただ避けようもなく迫ってくるばかりなのだ。
あの、冒頭のマイケルとペネロペの幸せそうなベットシーンは何だったのだろうか。ファスベンダーが救いの手を求めて麻薬カルテルのところへ行くのだが、助けることはできないと。答えは“悪”そのものだというのだ。
メキシコとの国境地帯の空気の乾き、荒涼とした横広がりの景観。獲物を追うチータそのままに、金の匂いのする死体に群がる土地っ子たち。足元がグラグラと揺れているような、登場人物たちの居場所の不安定さ。
容赦のない残酷さと救いのなさに打ちひしがれ、必ずしも清廉潔白ではない人々の姿を写して、ハッピーエンドも、どんでん返しのカタルシスもないのだ。
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