Quantcast
Channel: パピとママ映画のblog
Viewing all 2328 articles
Browse latest View live

スター・トレック イントゥ・ダークネス★★★★

$
0
0
前作に引き続きJ・J・エイブラムスが監督を務め、クリス・パインやザカリー・クイント、ゾーイ・サルダナらも続投するSFアクション大作の続編。謎の男によって混乱にさらされる地球の命運に加え、カーク船長率いるUSSエンタープライズ最大の危機を活写する。冷酷な悪役を、『裏切りのサーカス』のイギリス人俳優ベネディクト・カンバーバッチが怪演。人類の未来を懸けた壮大な戦闘に加え、人間味あふれる物語に引き込まれる。
<感想>先行上映、2Dにて鑑賞した。ド派手な見せ場をふんだんに盛り込んだ待望の続編。前作の後日から始まる正統的な続編である。ロンドンの爆破テロ、サンフランシスコの艦隊本部襲撃によりパイク提督の死亡という事件が起き、規律違反で副長に降格されていたカークは、首謀者のジョン・ハリソンなる謎の人物の暗殺という密命を帯びる。
だが、ハリソンは“超人”の能力を示し、カークを艦隊反逆の道に誘う。復讐の感情を抑え、暗殺でなく逮捕すべきではないか、調査船に新開発光子魚雷持ち込むのは規約とモラルへの背徳ではないか。クルーとの議論に至るこれらのエピソードは、アメリカ軍によるビン・ラディン殺害作戦や、日本への核持ち込みの議論を容易に連想させるようにもとれる。
冒頭の惑星ニビルの探査では、火山の噴火から住民の生命を救うべく冷凍爆弾の起動をスポックに指示する。だが、危機に陥ったスポックを助けるため、宇宙艦隊の最優先規約に反する行動に出てしまう。スポックを救出するが、彼は船長を解任されてしまう。宇宙艦隊にカークの規約違反を報告したのは、彼が助けたスポックなのだ。「命を救ってくれたことに感謝はするが、規則違反は報告の義務があり当然のことだ」と答えるスポック。カークは自分の判断は間違っていないと憤慨する。2人は別々の船での任務に就くことを命じられる。
その直後に、宇宙艦隊の資料保管庫で、多数の死傷者が出る爆破テロが発生。宇宙艦隊は幹部を非情召集し、対策会議を行う。だが、カークはその席で敵の狙いを直感で感知。しかし、時すでに遅く、会議場はハリソンによる攻撃を受けてしまう。カークの機転でかろうじて敵を撃退したものの、重傷を負ったパイク提督が絶命してしまう。
ニビルでは、現地の未開人に宇宙船を目撃され、「探査の目的から逸脱した」と非難されたカークは、マッコイらの助言も聞き入れない。
自分を宇宙艦隊に導き、父親代わりに指導してくれた恩師の死に動揺するカーク。彼はパイク提督の敵討ちのため、犯人ハリソンの追跡をマーカス提督に直訴する。しかし、ハリソンは宇宙艦隊の法が及ばないクリンゴン帝国宙域にトランスワープしていた。クリンゴン帝国の領域に惑星連邦の宇宙船が侵入するのは戦争の勃発を意味する。
そこでマーカス提督は、新型光子魚雷を中立地域から発射してハリソン暗殺をカークに指示するのだが、カークは民間の小型宇宙船に武器商人に扮して乗り込み、クリンゴン帝国の本拠地、惑星クロノスへの潜入を試みるわけ。クリンゴン人との銃撃戦に、そこへ銃を持ったハリソンが現れる。
意外にも簡単にハリソンを拘束したカークは、怒りにまかせて処刑することはせず、裁きを法廷にゆだねるため地球へと向かう。しかし、エンタープライズ号は突然の航行不能に陥ってしまった。そのエンタープライズの前に謎の巨大戦艦が出現する。そして、攻撃を仕掛けてきたのだ。応戦しようにも武器系統が全て使えず、さらにワープ速度も3倍という敵戦艦に対しては、逃げることすらできない。絶対絶命の危機の中、カークはハリソンに対して思いもよらぬ申し出をする。ここでネタ晴らしすると、映画を見るのがつまらなくなりますので、それは見てのお楽しみです。
地球の引力に引っ張られ、このままでは墜落必至のエンタープライズの運命は?・・・。
見せ所は、ベネディクト・カンバーバッチ演じる敵キャラクター、ジョン・ハリソンに、エンタープライズ号のクルーをかつてない危機へと追い詰める冷酷非情な男を演じている。それに、意外にも機関部長のスコッティこと、サイモン・ペッグの活躍に驚きました。彼は誰よりもエンタープライズを愛し、その心臓部を任されて詳しいのだ。結構思ったことをはっきりと口にするタイプで、カークと喧嘩したりするも、肝心な時にはずばりと物事を言う。それがカークの心に響いて、エンタープライズを起動させるためって、自己犠牲って凄いことやるんだ。実際に、もうカークは死んだと思った。
今回のカークは最初に最悪な状況に陥れられる。エンタープライズ号は壊れかけるほどの打撃を受けてしまい、カークも同じように打撃を受け、自分の強さを試され、自分も気づいていない強さを発揮するよう強いられる。仲間たちと共に試練を受け、その試練を切り抜けて最終的にどこまで、彼らができるのか、どこまで自分たちを究極まで追い込んで、人を助けるために何ができるのかという。物語のテーマとしては自己犠牲であったり、忠誠心であったり、ファミリーだったりとか。でもやっぱり3Dで見たかったぞ。
2013年劇場鑑賞作品・・・255  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング



トゥ・ザ・ワンダー ★★★

$
0
0
『ツリー・オブ・ライフ』などの巨匠テレンス・マリックがメガホンを取り、愛の移ろいを圧倒的な映像美とともに描いたヒューマンドラマ。エンジニアの男性を主人公に、シングルマザーの女性との恋が生まれる瞬間や心の擦れ違い、学生時代の女友達との間に抱く安らぎを繊細につづる。主演は、『アルゴ』などのベン・アフレックをはじめ、オルガ・キュリレンコ、レイチェル・マクアダムス、ハビエル・バルデムが共演する。はかなく美しい愛の物語と、フランスのモン・サン・ミッシェルなどを捉えた流麗なカメラワークに陶酔する。
あらすじ:エンジニアのニール(ベン・アフレック)は旅行で訪れたフランスのモン・サン・ミッシェルで、シングルマザーのマリーナ(オルガ・キュリレンコ)と出会い付き合うことになる。アメリカで一緒に暮らし始めた二人だったが、やがて心が離れていくように。そんなある日、ニールは学生時代の友人ジェーン(レイチェル・マクアダムス)と久しぶりに会い、やがて彼女に心の安息を感じるようになり……。

<感想>ワンダーとは、テレンス・マリック監督によると一義的には、この映画の冒頭の舞台となる、ワンダー「驚異」大自然の驚きと呼ばれるフランス・ノルマンディー海岸の島、モン・サン・ミッシェルのことである。しかし、それは人が人を愛することの驚異=ワンダーであり、ワンダーが幾重にも重なって広がり、展開されていく、それは映画の未来を照らす光かもしれない。

男女の不毛とも取れる愛憎と、信仰に苦しむ牧師の姿が描かれる。描きようによっては醜く、耐え難いはずのドラマだが、マリック監督は、そんなドラマの中にもあらゆるものに「ワンダー」を見出そうとする。フランス・ノルマンディー海岸の自然が繊細に捉えられているのは当然としても、監督はオクラホマのスーパーマーケットの店内にさえ繊細な美しさを見出している。
ベン・アフレックが演じる主人公は、環境保護調査員の仕事に就いている。人の営みを包み込む自然を、人が自らの手で破壊していることにマリック監督はさりげなく、しかし、真摯な姿勢で触れている。しかしそれとて、例え人が自らの手によって滅んだとしても、それは永遠の宇宙の「ワンダー」からすれば取るに足らないことだろう。

物語は主に登場人物たちのモノローグによって語られ、進んでいく。セリフとセリフのやりとりによる、登場人物どうしの葛藤や演劇性はほんのわずかである。というかエピソードの断片として見せられるだけ。これほど演劇性から遠ざかっている映画はない。
ストーリーはそんなに若くない男女の恋のドラマ。アメリカの男性がフランスで、フランスの女性と恋に落ちる。10代で結婚し、失敗した女には、小学生くらいの娘がいた。3人はアメリカへ行き一緒に暮らす。しかし、うまくいかず、彼女と娘はフランスへ戻り、娘は父親のもとへ引き取られる。女は再びアメリカへ行くが、二人は決してうまくはいかない。どうなるのか?・・・。

男女の愛の高揚と終焉という単純で、かつある意味下世話な物語を、超越的な主題と結びつけているも、今回は無理がない。フランス女は情熱的で、結婚という決まり事に縛られたくないようだ。家庭的ではなく、いつも男とベットを楽しみたい。男は仕事で疲れ苦しんでいる。家庭に帰っても洗濯も炊事もしないフランス女。愛しているから一緒にいようでは済まされない何かが存在する。

「愛」という、見えないけれども絶対的に思えるもの。「神」という、見えないからこそ信じたいもの。「結婚」という、信じるに足るらしい制度。つまるところ孤独と表裏一体の愛というものに還っていく何かを、映画にするための試みなのだろうか。俳優たちが全力で、監督から提示された普遍的な「何か」と、アメリカの現実の表し方に挑戦して苦しんでいるように見えた。
叙情的な映像が美しいのは間違いない。撮影は「ツリー・オブ・ライフ」のエマニュエル・ルベッキ。言ってみれば難解な映画だが、今やマリック監督は、映像=心象を求め続ける。人に分かってもらう映画を作る気はないのに違いないのだから。
2013年劇場鑑賞作品・・・256 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

海と大陸 ★★★★

$
0
0
イタリアの俊英エマヌエーレ・クリアレーゼ監督が、地中海の小さな島を舞台に、将来に不安を抱えるある家族と、島にやってきた難民の母子の心の交流を描いたドラマ。かつて漁業で栄えたリノーサ島も衰退の一途をたどり、父を海で亡くした20歳の青年フィリッポも、伝統の漁師を続けようとする祖父や、漁業に見切りをつけて観光業に転じた叔父、本土で新生活を始めたいと願う母との間で戸惑っていた。
そんなある日、フィリッポはアフリカからの難民を乗せたボートを発見し、幼子を連れた妊娠中の女性をかくまう。しかし、この出来事がやがて波紋を呼び、フィリッポの家族はそれぞれの人生を見つめなおすことになる。第68回ベネチア国際映画祭では審査員特別賞を受賞した。

<感想>シチリア南の島、果てなくつづく海、陽光に満ちた島。港町に流れる夏の時間。イタリア人が休息の地として訪れる地中海・リノーザ島を舞台に、現在ヨーロッパで現実に起きている難民問題と、ひとりの青年をめぐる普遍的な家族の物語を描いている。
小さな島で起きた夏の数日の話がメインのエピソード。のどかな漁師の話が、にわかにアフリカ難民の話へと転調する。そのあたりの呼吸が何とも言えず素晴らしい。

老いた漁師が言う「魚は減り、網にかかるのは人間の死体ばかりだ」という現実に憤然とする。「溺れている者をだまって見ていろというのか」と言う爺さんの言葉にはっとして、人間らしさに安堵もするのだが、イタリア政府の移民排斥政策を、正攻法で的確に告発するクリアレーゼ監督の心意気は実にあっ晴れと言えるでしょう。
昼間の明るい太陽の下、水着姿の若者たちが甲板を埋め尽くす小型船の観光クルーズ。その同じ海で、夜の闇の中を猛然と泳いで来る大勢の不法難民の群れたるや、人間の生きるという凄まじさがこちら側にも伝わってきます。
魚の網を揚げる作業をしている時に、いかだにたくさんの難民たちが手を振ります。そしてフィリッポの船めがけて必死に泳いできます。祖父ちゃんは直ぐに港の警察へ無線で知らせ、それでも船にしがみ付き乗り込む難民たち。

その中に妊産婦と男の子を祖父ちゃんは助けることにしたのです。捕まった難民たちは、アフリカへ強制送還です。
貧困をはじめとする様々な問題を抱えたアフリカの故国を出て、夫が住むトリーノ(スペイン)を目指す母親と息子。アフリカ大陸を縦断し、地中海を渡り、シチーリアの南にある小さな島リノーザ島へと、やっとたどり着いた女性とその子供たち。難民、不法移民は、関係当局に通報し、出頭させなければならないという法律がフィリッポの家族を追い込んでいく。もはや居場所のない古い世界を捨て、新しい世界を目指す者と、自身の世界になんとか居場所を確保してはいるが、その窮屈な中で身動きが取れない者。二者を対照的に捉えることによって、ここではない何処か、今いる場所よりも希望があるだろう地へという、前進していくという。人は動くことによって新しいことを学んでゆくのだから。

フィリッポの家でも、母親が漁業だけでは食べて行けず、夏のバカンスだけでも自分たちの家をリフォームして、観光客に貸してお金を稼ぐことに。そこへ、難民の妊婦と息子を預かり、妊婦はそこで女の子を無事出産する。その逞しさ、その生まれた子供の父親は誰なのかは分からない。それでも、夫が出稼ぎで働いているトリーノを目指してゆく。芯が強いというか決断せざるを得なかったのだろう。前へ進むしかないのだ。

二つの顔を持つ土地に生きる青年フィリッポの戸惑いや、苛立ちがバイクやボート、車といった乗りものを使ってきめ細やかに描き出されていく。演じたフィリッポ・プチッロの素朴な振る舞い、出演者の顔に力があって見せつける。
プロにノンプロを交えた配役もすこぶるいい感じでした。出て来る登場人物が皆、生っぽくそこに生きている。太陽の光の強さも魅力の一つといえるでしょうね。
祖父ちゃんが夜になると、その母子を車に乗せてフェリー乗り場へ連れて行く。だが、そこには警察が取り調べをして船には乗れないのだ。一旦、引き返すも、何を思ったのかフィリッポが車を動かして港へと。そして、親子を自分の漁船に乗せて暗い海を走らせていく。しかしだ、最後も何の解決もないまま放り出される。だがスクリーンの画の力は強烈に映し出している。これでいいのだと。
2013年劇場鑑賞作品・・・257 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

さよなら渓谷 ★★★★

$
0
0
『悪人』『横道世之介』などの原作者として知られる芥川賞作家・吉田修一の小説を、『まほろ駅前多田便利軒』などの大森立嗣監督が映画化。幼児が殺害された事件をきっかけに暴かれる一組の夫婦の衝撃的な秘密を描きながら、男女の愛と絆を問う。愛と憎しみのはざまで揺れるヒロインの心情を、『ベロニカは死ぬことにした』などの真木よう子がリアルに体現。その夫役には『キャタピラー』などの大西信満がふんするほか、大森監督の実弟である大森南朋をはじめ、井浦新、新井浩文ら実力派が名を連ねる。
あらすじ:緑が生い茂る渓谷で幼児の殺害事件が発生し、容疑者として母親が逮捕される。隣の家に住んでいる尾崎俊介(大西信満)がその母親と不倫していたのではないかという疑惑が、俊介の妻かなこ(真木よう子)の証言によって浮かぶ。事件を取材する週刊誌の記者、渡辺(大森南朋)がさらに調査を進めていくうちに、尾崎夫妻をめぐる15年前の衝撃的な秘密にたどり着き……。

<感想>だいぶ前に鑑賞したのでかなり忘れている部分がありますが、衝撃的なまでに印象に残っているのは、主人公かなこを演じた真木よう子の体当たりの演技でしょうか。過去を背負って生きる愛憎の深さが、女性としてズシリと重く心に迫ってきます。彼女だからこそ、かなこを演じられたのではと。いつもなら、寺島しのぶさんとか、満島ひかりさんなど、裸で全身で勝負する演技派の女優さんが演じるので。それでは、また違った感じの映画になっていたかもしれませんね。
妻かなこは、容疑者の夫俊介の関係をなぜ告発したのか?・・・大森立嗣監督は、原作の汗ばむような緊張感や挫折感を忠実に映像化して、15年前の事件が、トラウマになっている男と女の屈折した心情を、炙り出していく。

かつての集団レイプ事件の、被害者と加害者でありながら、夫婦のように共に生きるかなこと俊介を演じた真木よう子と大西信満は、彼らの複雑な関係を冒頭から一枚の布団の上でじっとりと汗ばむような、素肌を絡ませながら体現して見せる。
二人の関係は、どんな言葉で説明するよりも、身体と身体のぶつかる様を見せつけるのがなによりも説得力がありありでした。そもそもの出発点が、大学時代の寮での強姦事件であるだけに、かなこのその後の生き様は順調にはいかなかった。男ができても結婚となると、昔の事件のことが発覚して破談になり、居場所も替えて仕事も転々としてきた。そのことを、知った俊介が贖罪の意味でもあるかのように、彼女の後を追いバスに乗り、一緒に住むようになる。

確かに俊介には、自分の人生を放り出してでも相手に殉ずる、そんな気持ちもあったのではと。いかなる障害を乗り越えてでも結ばれてしまう関係でも、そこに生まれる愛のようなものが感じられたのは分かりました。かな子と俊介は、社会の枠からはみ出ちゃった人たちで、かな子なんて戸籍上にも存在しないぐらいだけど、どこかで自由な二人でもあるわけで。相手の学歴とか年収とは無縁になっている状態だからこそ、愛の本質に最も触れていると思う。

「私たちは幸せになるために一緒にいるんじゃない」・・・暴行事件の加害者と被害者による不可解な同居のわけを、記者にこう答えた。普通のカップルは、ささやかでも幸せを求めて一緒になる。特に女性はと、思いがちである。
一見あり得ぬ設定にどう説得力、現実性を持たせるのか。ヒロインに揺るぎなき覚悟が出来た時に、それが可能になる。憎むべき男との再会、遅ればせながらの懺悔を真摯に繰り返す男を前にして、「私が死んで、あなたが幸せになるなら、私は絶対死なない」と吐き捨てる。完全に主導権はかなこになる。このヒロインを体当たりで演じた真木よう子が、無限のイマジネーションを与えてくれる。映画を、役者の肉体で観る者を圧倒させ、楽しませる喜び、ここに極まります。
流浪の果てに渓谷の町に仮住まい。しかし、ここに小さな幸せの積み重ねはないのだ。隣の家の幼児殺人に端を発し、崩れゆくのもまた摂理。実際にあった秋田幼児殺害事件を連想させ、週刊誌記者の視点で、隣に住む夫婦の過去をめぐる話に移行していく展開に、ミステリー仕立ての面白さがあります。
それを予期していたのか、決して女はそこに長居をすることを考えてはいない。壊れた炊飯器を買い替えないのも彼女の意志。事件後に出会った過去詮索男や、DV男に比べれば、前非を悔い、彼女の警察への嘘の証言すら甘んじて受ける、目の前の男の方がマシと思えてくる。
つい、世間の目から許されない女と、被害者に赦しを乞う男との生活の継続を夢想してしまった。しかし、「幸せになりそうだから」と彼女は「さよなら」とだけ手紙に書き残して、姿を消す。その彼女のこれからの生き様の覚悟に、女は覚悟で生きてゆく懐の大きさに感心した。それは男への赦しなのか。
それでも、男は未練の生き物なのか追い掛けようとする。微妙な余韻を残す終わり方に感服して、週刊誌の記者、渡辺(監督の実弟である大森南朋)と、その妻の和解めいたシーンを、さりげなく対照においた監督の配慮に演出の魅力を感じました。
2013年劇場鑑賞作品・・・258  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

嘆きのピエタ ★★★★

$
0
0
独創的な作風で世界中から注目を浴びる韓国の鬼才キム・ギドク監督による、第69回ベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた問題作。昔ながらの町工場が並ぶソウルの清渓川周辺を舞台に、天涯孤独に生きてきた借金取りの男の前に突如母親と名乗る女性が現われ、生まれて初めて母の愛を知った男の運命を描き出す。主演はテレビドラマ「愛してる、泣かないで」のイ・ジョンジンと、ベテラン女優チョ・ミンス。二人の気迫に満ちた演技と、観る者の予想を超えたストーリー展開に圧倒される。
あらすじ:身寄りもなく、ずっと一人で生きてきたイ・ガンド(イ・ジョンジン)は、極悪非道な借金取り立て屋として債務者たちから恐れられていた。そんな彼の前に母親だと名乗る女性(チョ・ミンス)が突如現われ、当初は疑念を抱くガンドだったが、女性から注がれる愛情に次第に心を開いていく。生まれて初めて母の愛を知った彼が取り立て屋から足を洗おうとした矢先、女性の行方がわからなくなってしまい……。

<感想>この映画もだいぶ前に鑑賞したもの。思い出しながら書いてます。内容は、以前に鑑賞した「息もできない」の残酷な方法で肉体的痛みを与え、債権者から借金を回収することで生計を立てているガンドという男が主役です。彼は、暴力を振るうのになんの感情も持たず仕事として遂行してきたが、ある日、30年前に自分を捨てた母親だと名乗る女が現れ、執拗に追い掛け回されるようになる。
残虐な機械のような若者と、その母親を名乗る女性との心理的衝突を描く前半部分には、胸がつぶれるような思いにさせられる。

だが、若者に人間的な心が芽生えるあたりから、彼の動揺を反映するかのごとく、演出モードがズレ始め、観る側もかまえて鑑賞モードを模索することになります。
やがて死せるキリストを抱くマリアにあたる人物が、この映画に複数存在することが明らかとなるころ、母親的なものは、無償の愛などといった美しい言葉には回収され得ない、不気味なものとして立ち現れ、ガンドに復讐の矛先を向けてくる。
この作品は人間を理解する過程を描いたもので、キリスト教的な映画とも取れる内容で、人生を理解する過程つまり生から死までの人間の軌跡を追ったものと言えるでしょう。

そして、自殺です。この作品の中ではたびたび描かれますが、しかし、ガンドはなぜ自殺をせねばならなかったのか?・・・彼は仕事に忠実であっただけで、悪いのは彼ではなくその仕事だったのではないでしょうか?
ガンドは、仕事を選べない状況にあったわけで、それでも自分の行為に恥をしらないでいたことは、許されないと思ったのでしょうね。ガンドは、母親だと信じていた女性が、実は母親ではなかったことを知ると同時に、その女性が息子の復讐のために自分に近づいて来たのだということを知り、初めて深い罪悪感に陥ります。

しかし、人間であれ動物であれ、生きるためには他者の血を必要とするわけで、この映画の中でも殺された動物がかなり出てきますが、動物がそうであるように、人間も時に他人の血や自分の血を犠牲にしなければならない。
ガンドも生きるために、ニワトリやウサギを殺してしまう。その行為はガンドの性格を表現するために、動物をあんなふうに殺してしまうガンドは、同じように機械で人間を傷つけてしまう。彼にとって動物を殺すことと、人間を傷つけることは、殆ど同じ行為なんですね。

ですが、突然現れた女が母親であることを受け入れる前には、生きた魚を捌きますが、母親を受け入れた後では、すでに誰かが捌いた魚を持ってくる。この違いは、ガンドの変化を意味していて、彼は母親の力によって人間性を回復したということなのですね。
それとともに、今まで信じていたものがガタガタと崩れ、彼自身の魂も死んでしまうのです。ラストシーンの衝撃なトラックに引きずられるガンドの自殺行為は、監督の意図とすることで、残酷な描写ではありますが、きっとガンドのような人間を生んでしまったこの世の中とは、どういうところなのか。それを観客へのメッセージと捉えてもいいでしょう。
それにしても、あらゆる映画が、金、金、金の世界は間違っていると語っているようだ。キム・ギドクの作品にみなぎる暴力性には馴染めないが、この作品の“母親”の存在は大変興味深く感じました。
2013年劇場鑑賞作品・・・259  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

スマイル、アゲイン ★★

$
0
0
ヨーロッパサッカーの元スタープレーヤーが、別れた家族との絆を修復するために奮闘する姿を感動的に描くヒューマンドラマ。『300 』などのジェラルド・バトラーが、息子のサッカーチームのコーチを務める元カリスマ選手を演じるほか、ジェシカ・ビール、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ユマ・サーマンなど豪華キャストが共演する。メガホンを取るのは、『7つの贈り物』のガブリエレ・ムッチーノ。うだつの上がらない主人公が再生していく姿を通して、人生の豊かさについて考えさせられる珠玉の作品。
あらすじ:ヨーロッパの一流クラブやFIFAワールドカップで活躍したサッカーの元スター選手、ジョージ・ドライヤー(ジェラルド・バトラー)は、やり直そうとやって来たアメリカで元妻のステイシー(ジェシカ・ビール)が再婚を考えていることを知る。そんなある日、あることがきっかけで息子ルイス(ノア・ロマックス)のサッカーチームでコーチを依頼されたジョージ。子どもたちの母親にモテモテのジョージだったが、ルイスとの関係がぎこちなくなってしまい……。

<感想>「エンド・オブ・ホワイトハウス」で一人で孤軍奮闘していたジェラルド・バトラー。彼にはそういうアクション映画が似合うのに、これは良くを言えば古典的な、悪く言えば陳腐なことこの上ない、ハートフル・ヒューマンドラマである。欧州サッカー界でスター選手として活躍していた主人公が、家庭をかえりみることのなかった男、そんな夫に愛想をつかした妻と息子。これは、タイトルからして誰にも先が読めるお話なのだが、・・・しかし、彼は負傷のため現役を引退した後のことを考えてなかったのだろうか?
サッカー選手だけではなく、野球選手にしても、バスケ、アメフト、どんな有名な選手でも実際には、40歳を超えると体力が衰えて戦力外選手として引退せざるを得ない。その後のことを、有名な内にお金を稼いで老後のこととか、事業を始めるとか、スポーツキャスターになるよう自己アピールをしてTV局に売り込むとかしないと、その後の生活はお先真っ暗になってしまうはずだ。
御多分にもれず、稼いだ金は全部使ってしまったのか?・・・この作品の主人公はきっと現役選手の内はモテはやされて、引退後の暮らしなど考えていなかったのだろう。
そして、急に寂しくなり元妻と息子に会いたくなり、妻と息子が住んでいる町へやってきて息子に会いに行くのだが、息子は遊んだりかまってもらってなかったので、父親に対してあまりいい印象をもっていないのだ。だから、サッカーをしていると聞き見にいくと、デブコーチはケータイ電話で話に夢中。子供たちの練習なんてとんでもない。

だからみかねてジョージが子供たちにサッカーのいろはを教えて、いかにしてゴールしてサッカーが楽しいかを教えるのである。デブコーチはそんなジョージを恨んで、ボールをゴールバーの上の空き缶に当てろと意地悪を言う。しかし、さすがに元スターサッカー選手のジョージは、こんなの朝飯前とばかりに空き缶にボールを当ててしまう。子供たちは大喜びで、次の日から練習に励んで試合でも得点を入れ勝利してしまう。ジョージの息子がゴールを決めたのに、母親たちからの誘惑の電話に夢中で、息子の活躍を見ていない。これでは息子に嫌われても仕方がない。

それに、マッチョなジョージに、チームの子供の母親たちにモテモテで、盛んに誘惑される。それが、女は度胸っていうか、電話攻撃や、メール攻撃なんてもんじゃない。ジョージの家まで押しかけてきて、勝手に家の中に入り、寝室のベッドに裸になり寝ているのだ。そんなことをしたのは、大金持ちのデニス・クエイドの妻役のユマ・サーマン、夫が浮気をしているので欲求不満なのだ。それと、母親集団の中には、元スポーツキャスターのキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、地方のTV局のスポーツキャスターの仕事を世話する代わりに、身体だけの関係を求めてくる。熟女が肉欲たっぷりでキョーレツな役を豪華な女優陣が熱演しているのもお見事。ジョージの家の大家さん、独身なのでジョージの部屋にいい女が、毎晩のように押し寄せてくるのを見てはイライラと、コメディ演技で笑わせてくれます。

何だか、一向に冴えない演出に編集はもたついてるし、観客に伝えようとする意識があり過ぎで、つまり大半が脚本の意味を説明する映像なのである。何が足りないのか、人と人との距離である。例えば雨の中でボールを蹴る父子を離れて見ている元妻のシーン。表情ではなくさりげない距離感を見せてくれればいいのに。
元妻が再婚をするために、ウエディングドレスを取りに店へ行く。そこへジョージがよりを戻したいがために、再プロポーズをするのだが、元妻もまんざらではない様子。しかし、ユマ・サーマンとの浮気写真が発覚して、それは許されないこと。せっかく地方のスポーツキャスターの仕事も決まったのに、結局元のサヤには戻らない。
一人で車を走らせ、でも未練がたっぷりのジョージは車をUターンして戻って来た。元妻も再婚相手のマイクに、まだジョージを愛していると、断ってしまう。で、戻って来たジョージを温かく迎え入れる母子であった。
でもね、こんな男がそう簡単に落ち着くとは思えず、再出発してもなお、一抹の不安はぬぐえませんね。
2013年劇場鑑賞作品・・・260  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

江ノ島プリズム ★★.5

$
0
0
『仮面ライダーフォーゼ』シリーズの福士蒼汰、『男子高校生の日常』の野村周平、『FASHION STORY -Model-』の本田翼らが共演した青春作。ひょんなことからタイムトラベルの能力に目覚めてしまった青年が、親友の死を回避し、友人以上恋人未満だった幼なじみの気持ちを確かめようとする姿を描き出す。メガホンを取るのは、『キトキト!』『旅立ちの島唄 〜十五の春〜』などの吉田康弘。主要人物を演じる三人の好演や青春のほろ苦さを巧みにすくい取ったタッチに加え、舞台となる江の島の美しい町並みも見もの。
あらすじ:小学生の頃からの親友同士である、高校生の修太(福士蒼汰)、朔(野村周平)、ミチル(本田翼)。恋と友情の入り交じった関係にある彼らだったが、ミチルの海外留学が決まってしまう。黙って出発した彼女が自分の気持ちをつづった手紙を受け取り、空港へ向かう朔だったがそのまま命を落としてしまう。それから2年。空虚な日々を送っていた修太は、行きたい時と場所を思い浮かべるとその時代に行けるという時空移動の方法が書かれた奇妙な本を手にする。試しに実践してみると、彼は朔が死亡する前日に戻っていた。

<感想>江ノ島を舞台に、幼なじみの仲良し高校生、男女三人組みの友情を軸にしたタイムトラベもので、淡い恋心を瑞々しく描いたファンタジー・
過去の親友の死を回避しようと奔走する、主人公のひたむきさは悪くないです。最初は遠景だった江ノ島が、ドラマの信仰につれて近景になる撮り方にも工夫があってよかった。
今が旬の福士蒼汰君をじっくり鑑賞する映画だということは、始まってすぐに彼が上半身裸になるところで気付いた。そんな福士が幼なじみ2人を、悲劇から救うためのタイムトラベルは、現代オタクカルチャーの「ループもの」からすれば素朴な仕掛けではあるが、仮面ライダーフォーゼや、あまちゃんを通過したツボを押さえた演技と、江ノ島の箱庭感とでゲーム的リアリズムを獲得していると思う。

トンネルを抜けると2年前だった、てきな江ノ電の使い方とか、郷愁感を誘う江ノ島の街並みも効いていると思うし、主人公と先輩時間移動者との切ない交流など。苦くも温かなラストの引きずる感じもいい。デコレーション過多な青春映画がなかった、あの頃に、タイムスリップできるというファンタジックなところが好きです。
その結果、ラストに関しては、ジュブナイルではなくて、実はリセットで“ゼロ”に帰しているだけという疑いもある。

ある日どこかで、「時をかける少年」は、バタフライ・エフェクトを起こすわけでもないが、ふりだしに戻る。そんな感じで古今東西の「タイムスリップもの」の、物事の本当に大切なところへとブチ込み、敬意を払い、しっかりとジュブナイルしている。
しかし、安易に過去と現在を往復するシーンが繰り返されるために、ストーリーの作為が鼻についてくるのは否めない。上手に騙されたいと思いつつ、60年も学校に棲んでいるという少女の今日子の存在など、まるでホラー映画のようなキャラで、突っ込みどころが多すぎます。
それと、江ノ島というと季節は夏というイメージが強すぎて、この映画の設定が12月のクリスマス前という。これだけでも、物悲しい寒い感じがしてならなかった。でも、江ノ電に乗りたくなるという気分にさせるのが最高ですよね。
2013年劇場鑑賞作品・・・261  260  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

タイピスト! ★★★

$
0
0
1950年代フランスを舞台に、タイプの早打ち以外には取りえのないヒロインが、タイプ早打ち世界大会優勝を目指して奮闘するラブコメディー。監督は、本作で初めて長編作のメガホンを取る新鋭レジス・ロワンサル。主演は『譜めくりの女』のデボラ・フランソワと、『ロシアン・ドールズ』のロマン・デュリス。ファッションなど1950年代当時のテイスト満載の映像美や、競技さながらの激戦が展開するタイプ早打ちシーンに目を奪われる。
あらすじ:女性にとって大人気の職業が秘書で、さらにタイプライター早打ち大会に勝つことが最高のステータスだった1950年代のフランス。田舎出身のローズ(デボラ・フランソワ)は保険会社の秘書に採用されるが、ぶきっちょで失敗してばかり。そんな彼女の唯一の才能であるタイプ早打ちに目を付けた上司ルイ(ロマン・デュリス)は、二人で協力し、タイプ早打ち世界大会に出ないかと提案する。

<感想>1950年代のフランスを舞台に、最新流行の秘書になるべくノルマンディーを出た主人公が、保険会社を営む鬼コーチの下、タイプライターひとつで世界に挑戦するサクセス・ストーリー。
帽子と手袋を必ず身に着けるエチケットも壊れ始めた50年代。タイプという技能を極限まで高め、世界大会で優勝することを目標に頑張るさえない女の子ローズが、人差し指の1本打ちタイプから十本打ちを経て、ブラインドタッチ、更には神業のような高速連打で陶酔境へ登りつめてゆくプロセスは、まさにセクシャルなような行為のようにも見える。
その潤んだ瞳や唇の動き、指の角度やホクロの震え、・・・足腰のくねりや身のこなし、ローズは全身でマシーンとぶつかり合う。見どころは、中原淳一な衣装とヘアースタイル、インテリアなど。主人公のデボラ・フランソワが、オードリーのように見えてきた。そして史実に基づいたタイプの早打ち大会。

1950年代はウーマンリブの萌芽の時代、タイピストというのは、当時の女性が一人で生計を立てていくための、最初の職業の一つだったのではないでしょうか。
タイピング練習用にジョイスやエリオットの難解極まりない文学書を何冊もタイプするシーンがあるが、様々な詩人や哲学者の文章を叩くことは、作家の知覚や認識を体で受け止め、身体に反響させることに他ならない。ローズは夜なべしてその文学書を読む。

そして、早朝ランニングに、ピアノレッスン、ブラインドタッチなど速度と耐久性を強化する厳しい特訓をくぐり抜け、タイプライター早打ち大会の地方予選、フランス大会、世界大会と勝ち抜き、とうとう国民的アイドルにまでなる。
さらに興味深いのは、タイプライターは20世紀文化の隅々まで浸透し、タイピストという職業女性の身体の一部と化したのである。

雇い主とのラヴ・ストーリーを絡みながら展開されるが、脚本も演出も、物語の時代に合わせるかのようにちょっと野暮ったく見えた。見せ場となるタイプライター大会のシーンのために、デボラ・フランソワは本物のコーチをつけて6か月間毎日3時間猛特訓したそうです。

しかし、気になったのは、今や禁煙時代なのに、これでもかのように喫煙シーンが、タバコを吸う、吸う、50年代の映画よりもっと吸う。確か、邦画の「風立ちぬ」の中でも男性はタバコをよく吸っていた。
この映画は1959年に設定され、ちょうどタイプライターは手動式から電動式、さらには電子式へと移り変わっていく直中にあったことが示されるている。その大きなシステム変換も、ヒロインのファッションや化粧、顔の表情や眼差しの変容とともに美しくなっていくのもよかったですね。
2013年劇場鑑賞作品・・・262   映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


マン・オブ・スティール ★★★★★

$
0
0
クリストファー・ノーラン製作、ザック・スナイダーが監督を務めたスーパーマン誕生までの物語を紡ぐアクション大作。過酷な運命を受け入れ、ヒーローとして生きることを決意する主人公の苦難の日々を驚異のアクションと共に描き出す。『シャドー・チェイサー』などのヘンリー・カヴィルが主人公を熱演。悩んだり傷ついたりしながらも前進する主人公の姿が目に焼き付く。
あらすじ:ジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、滅びる寸前の惑星クリプトンから生まれたばかりの息子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。その後クラーク(ヘンリー・カヴィル)は、偶然宇宙船を発見した父(ケヴィン・コスナー)と母(ダイアン・レイン)に大事に育てられる。そして成長した彼は、クリプトン星の生き残りのゾッド将軍と対峙することになり……。

<感想>これでもかとVFXを投入して創造されるド派手を極めたアクションとスペクタルに目を奪われる。たった一人で地球に来てしまったエイリアンは、いかにしてスーパーマンになったのか?・・・それを溯る旅だった。
タイトルにもそれがよく出ている。“スーパーマン”ではなく「マン・オブ・スティール」“鋼鉄の身体“をもっていたがゆえにみんなからは理解してもらえなかった一人の青年の、自分の居場所を探す旅。彼がスーパーマンになるまでの物語だ。クラーク・ケント、カル=エルには、ヘンリー・カビルが演じて筋肉美を披露している。

それにもう一つ新しいのは、クリプトン星のエピソードを描いているところ。父親のジョー=エルが、産まれたばかりの息子カル=エルに全てを託して送り出すシーンは印象的ですね。父親ジョー=エルには、ラッセル・クロウが、育ての親ジョナサンには、ケビン・コスナーが、2人のオスカー俳優が父親という、何という贅沢キャスティングで評価大です。
生みの母親ララに惑星クリプトンから地球に送れば怪物だと疎外されと身を案じられ、人類が抱く未知なるものに対する恐怖心を熟知する育ての親ジョナサンには、人前で超人的能力を使うことを禁じられるカル=エル。

幼少の頃、橋から川に落ちたスクールバスを引き上げたことで、周囲から畏れの眼を向けられた経験のある彼は、それを守ったばかりに義父を竜巻から救いだせずに死なせてしまい悔いが残っている。人々のために力を使えば使うほど恐れられ、使わずにいれば新たな悲しみを生み出してしまう彼は、自分が何のために存在するのか分からない。まさに、大いなる力を持つことの危ういさ、マイノリティという境遇、アイデンティティ・クライシスといった苦難に幼いころからさらされてきたのだ。

そんな彼が、亡き父親ジョー=エルの意識に導かれて己の使命を知るや、それまでの閉塞感を打ち破るようにして、大空を縦横無尽に飛翔するさまは、本作の最大の見せ場と言っていいでしょう。

だが、自分と同じクリプトン星の生き残りであるゾッド将軍たちが、敵として出現し、戦わざるを得なくなる。ゾッド将軍には、マイケル・シャノンが、強面メイクで熱演している。

様々な解釈、様々な楽しみ方が出来るあたりはノーラン的だが、後半の大アクションシーンのスピード&スペクタル感は大増量。主要舞台のメトロポリスがゾッド将軍により容赦なく破壊され、さらにスーパーマンとのバトルで破滅状態になる。都市を守るスーパーマンの従来のイメージを崩しかねないこのスペクタルは、ヒーロー誕生前夜の生みの苦しみ現れなのか?・・・。

これでもかと大都市を壊しまくるスーパーマンVSゾッド将軍の超高速バトルで、2人はビルを突き抜け目からは赤いビームで街を焼き尽くす。エイリアン同士のバトルということもあるが、最も重要なのはスーパーマンを迎え入れることによって、地球は変わってしまうこと。崩壊の後に彼がいる、新しい世界が待っているっていうことなのだ。

ヒロインのロイスは“危険なネタ”しか使わないと豪語する怖いもの知らずのデイリー・プラネット社の敏腕記者。極寒の地でクラークを目撃したことから、彼のパワーを知り、調査に乗り出す。そのせいで未知の敵に拉致されてしまう。泣き言一つ言わずクラークと共闘。今回のロイスは守られるだけの女性ではない。エイミー・アダムスが演じて、ラストでクラークとキスをするシーンに胸が熱くなります。

過去作のスーツは、クラークが地球に来た時に包まれていた布で作られていたが、今回はクリプトン人が着ている保護服と言う設定。だから、布地だった素材も硬質なものに改編。何より大きな違いは赤いパンツがなくなったことで、腰回りは青で統一されてスッキリ。S字に垂れた前髪も今回はナシで、Sマークがエル家の紋章で希望を意味することも説明されている。
制作が決定した続編には、スーパーマンに負けず劣らずの壮絶な組み合わせで、バットマンが登場するそうだが、エンドロールの最後にでも出て来るかと待っていたら、期待して損した。
2013年劇場鑑賞作品・・・263  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日★★.5

$
0
0
2009年にシーズン1の放映がスタートし、人気を博しているNHKのドキュメンタリー・ドラマ風の番組を映画化。さまざまな時代にタイムワープして歴史の裏側に迫る時空ジャーナリストの青年が、戦国時代の武将・織田信長が天下統一の拠点とするも、いまだ焼失した原因が不明の名城・安土城最後の一日の謎に挑む。テレビ版でおなじみの要潤と杏をはじめ、夏帆、時任三郎、上島竜兵、宇津井健ら新キャストを迎え、四つの時代を往来する壮大なスケールの物語が展開。
あらすじ:あらゆる時代にタイムワープし人々の生活を記録し続けている時空ジャーナリスト沢嶋(要潤)は、「本能寺の変」直後の京都で右往左往する庶民に話を聞いていた。幻の茶器・楢柴を持つ商人(上島竜兵)を取材中、未来の武器を所有する山伏に襲撃され楢柴の行方がわからなくなってしまう。楢柴を追ってさまざまな時代を行き来した沢嶋は、焼失する直前の安土城にたどり着く。

<感想>NHKで放送中の歴史教養番組「タイムスクープハンター」の劇場版だそうで、TV版は見ていなかったです。教科書に載らない真実を追求していく主人公の時空ジャーナリスト・沢嶋が、あらゆる時代にタイムワープして名もなき人々の日常を調査し、教科書に載ってない史実を明らかにしていく物語。
本作では歴史的にもミステリーと言われる、安土城の焼失と安土桃山時代の謎に迫っています。本能寺の変から安土城の焼失までの歴史の流れを描くため、安土城のほか、当時の人々の生活を大規模なスケールで再現。

さらには、安土城の焼失という一大事に加え、一国が買える価値があると言われる茶器の行方を、ドラマ色豊かに描いています。そのためか、物語的にも起伏に富んでいて、奥行きの深い構造となっており、最後まで楽しませてくれる。
本能寺の変から11日後の京都にタイムワープということなのですが、このシーンは見せません。どうやってタイムトラベルするのか興味があるのにがっかりです。そして、主人公のタイムスクープ社に所属するジャーナリストの沢嶋に要潤が扮して、顔が長いイケメン青年が大活躍かと想像していたら、?。
1582年にタイムワープした沢嶋とヒカリは、京都の御所に避難している織田家の侍、矢島権之助(時任三郎)と幻の茶器を持つ博多の豪商と出会う。そして、彼らの旅に同行するのだが、その茶器が未来の武器を持った山伏に襲撃され、歴史に歪曲が生じることに。それを修正するため、時空ジャーナリスト沢嶋は様々な時代へと飛び、最終的には謎の炎上を遂げたとされる安土城最後の1日に辿り着くわけ。

茶器を奪おうとした、その未来からきた者は何者なのか?・・・第二調査部のタイムナビゲーターである古橋ミナミ(杏)が、各時代に派遣されているジャーナリストと連絡取り、本部からサポートする役で熱演。彼女が調べると闇の盗賊団オルタナの仕業と判明。だが、確かにこの安土桃山時代とかもっと古い時代の茶器とか文書とかは、現代に持ち帰ると国宝級の価値があり高額で売却される。そんな悪知恵を持つ盗賊もいるんだと、その容疑者がタイムスクープ社の人間だったとは、ちょいと面白い展開にもなっているではないか。

それで、その曲者と闘っているはずみで、沢嶋が川の中へその茶器を落としてしまう。ここで、博多の豪商なる島井宗叱に何とダチョウ倶楽部の上島竜平が扮しているではないか。いつものおもろい顔つきで、もうこれでコメディ作品と思われても仕方がない。そんな感じで物語が展開していくのだから。
その後に現代に戻り調べると、その茶器が1980年代に川下で発見されているではないか。お伴に新人のジャーナリスト細野ヒカリに夏帆が扮して、始めはセーラー服姿の女学生に化けて女子高の資料室へと、安土桃山時代の幻の茶器を探しに潜入。上手く茶器を泥棒するも、この時代はスケバンとか、暴走族が喫茶店にたむろしていて、たまたま座った席がそのスケバン女たちの席だった。

エレベーターの中でタイムワープする2人、しかし、その茶器にはヒビが入っており、歴史の資料により終戦前の1945年5月の時代へタイムワープと。そして、女たちが資料室で戦地へ出征する男たちへの慰問袋を作っているところへと出て来る。そこで、連携プレイで何とかヒビの入らない茶器を獲得するのだが、・・・。本当にここら辺は、2人がドジを踏んで見つかってしまい、早くタイムワープしようと悪戦苦闘する姿に笑いがこぼれてしまう。空襲警報のおかげで命拾いするし。なにしろ、セッティングするのに時間がかかるのだ。

その後のお話は、完成からわずか3年で焼失したのか?・・・未だその原因は解明されておらず、歴史上の謎として残されているのだ。放火が有力な説ではあるが、本能寺の変を起こした明智光秀や、織田信長の次男が犯人という説もある。でも、安土城へ行った者たちは、金目の物を目当てに忍び込み、我先にと何かないかと探しまわり、独り占めしたくて後から入ってきた沢嶋や、織田家の家臣たちや農民たちを弓矢や長い火縄銃にまん丸い火薬で襲撃してくる。

農民たちは、村の守り神である“石”が欲しくて潜入したのに。そこへ、お宝欲しさにあの盗賊オルタナも来て、そこへ、タイムナビゲーターの杏ちゃんがワープして助け舟と。タイムスクープハンターの武器は、瞬間に冷凍してしまう「フリーズガン」なのだが、これもなんだかなぁ〜。この時代の人間たちを殺すわけにはいかない。では、スタンガンではダメなのか。ハイテクな透視メガネとか、小さな探査、虫ロボット「スクリーンカムロポット」の映像に、鞄がたタイムマシーンなんていうのは良かったけれども。

最後に時空ジャーナリスト沢嶋の「スクリーンカムロポット」で明かされるスクープ映像とは、第一に、博多の豪商に扮したダチョウ倶楽部の上島竜平が、天守閣でローソクをお尻で倒して火が付く。第二に、城の中で火縄銃の火種を付けるとき、縄に付いた火が廊下に落ちた。
そんな戦国史最大のミステリーに迫る物語が、見る者の眼をくぎ付けにするのですが、最後に明かされる焼失の原因ってやっぱりね、思っていた通りだったと、笑うしかない。タイムスクープ社の宇津井健さんが「ふん」って言うのも分かる気がした。
2013年劇場鑑賞作品・・・263 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

日本の悲劇 ★★★★

$
0
0
『バッシング』などの小林政広監督が、余命3か月の父親とその父の年金を頼りに生活するうつ病の息子の悲劇を描く社会派ドラマ。ガンと診断され封鎖した自室にこもった父の息子への思い、何もできずに過ぎ行く日を暮らす息子の様子をつづる。小林監督作『春との旅』にも主演した日本屈指の名優、仲代達矢が父親を熱演。息子役の北村一輝のほか、大森暁美と寺島しのぶが共演する。現代の問題点をえぐり出す小林監督の鋭い着眼点と物語、キャスト陣の渾身(こんしん)の演技に圧倒される。
<感想>9月2日、仙台のミニシアターにて先行上映。はるばる監督の小林政広さんが来場されて、映画が始まる前と最後にお話しを聞かせて頂きました。作品の内容は、小林監督はまず、オリジナル脚本の基となった、2010年に東京・足立区で起きた“111歳男性”の死亡届が提出されず、娘(当時81歳)と孫(同53歳)が年金を受給していたため詐欺の疑いで逮捕されたことをきっかけに、同様の事件が多数発覚したことを説明。

内容は、妻を亡くし、自分も肺がんで余命3カ月と宣告された不二男が、病院から帰った翌日、妻の骨壺が置いてある座敷の扉や窓に釘を打って、自分の部屋を封鎖する。そして、このまま何も食べずにミイラになると一人息子の義男に宣言する。義男は必死に説得を試みるが、父親は頑として意志を曲げようとはしない。
もしも、息子が扉をこじ開けて入ってきたら、自分の喉をノミで刺して死ぬというのだ。不二男は自分の死を1年隠しとおして年金を受け取り、生活費に当てろと息子に言う。
義男は会社をリストラされて、精神的に追い詰められ死のうと何回も手首を切ろうとしたが死にきれずに鬱病を患い精神病院へ入院した。そのことを、妻にも知らせずに。妻は1カ月もの間、夫の消息を訪ねてとうとう諦めて実家へ帰って、離婚届を持って不二男夫婦のもとを訪れたのだ。

父親が死を覚悟して部屋に閉じこもる前のシーンは、飲んだくれのいわゆる亭主関白で、妻にも暴言を吐き頑固で、仕事は大工をしていたようだが、老後は朝から晩まで酒びたりの毎日。そこへ、一人息子が帰って来て、職を探しに行くわけでもなく、母親がスーパーマーケットで倒れ、その後病院生活で死亡。父と息子が二人して毎日酒を飲む生活が続き、とうとう父親が血を吐き肺ガンで入院。それでも息子は職探しなどせず、父親の年金で生活をしていたのだ。偉そうに父に向かって「たったの6万円で1カ月生活してるんだよ」と、その支給された金は誰のものなのか?・・・長年苦労して稼いだお国からの年金。
退院した後、父親は息子のフリーター暮らしを見て、妻子にも捨てられて現在無職の義男が、その父親の言葉と、気持ちをどう受け止めるかが描かれる。出演者は仲代達矢ほか、北村一輝、寺島しのぶ、大森暁美の4人。

無縁社会となりつつある現代日本の、現状にスポットを当てたこの作品では、固定カメラが置かれて、だからなのか仲代さんが後ろ向きに台所のテーブルに座っている背中が気になりました。監督は、それは不二男の回想シーンだからと、すべては不二男の回想なのでと、部屋に閉じこもった不二男が電話の音で、懐かしい妻との生活の回想シーンが何度も映し出されます。それに、何度もカットの間の暗転部分が長く、真っ暗なスクリーンを見つめて今度はどんなシーンが出て来るのかと。

まず主人公の村井不二男を演じた、80歳になる仲代達矢さんの存在感に感無量の思いで観ました。モノクロ映像による家族の明暗を浮き彫りにして、一人息子が結婚をして
孫が生まれて、実家へ帰ってくるシーンだけがカラーで映されていました。
音楽もなしで、歩く下駄の音や雨の降る音、扉を開け閉めの音とか、電話の呼び出し音が実に主人公の昔の楽しかった家族の光景を想いだす場面、または息子が嫁のとも子からの電話だと気づいて、しかし電話の相手は無言である。そんな音響効果が醸し出す、父と息子の会話劇にも悲痛な叫びとなって聞こえてくる。

義男が父親の部屋の前で、「お父さん、お父さんやめてくれよ」と叫び声が切なくて、父親は、毎朝一度だけ、声をかけてくれればそれでいいと言いうのですが、義男は何度も夕飯できたよとか、父親の生きている声を確かめたくて叫ぶのです。最後は、背広を着て、これから会社の面接に行ってくると、父親に声をかけて玄関から出て行きます。もう、父親の声は聞こえてきません。
思うに、とても観ていて辛くなる映画です。父親にしてみれば、一人息子が鬱病になり、仕事もせず父の年金で生活しているのが許せないと思うのです。だから、部屋に閉じこもって、ミイラになると頑固に言い張るわけで、こんな父親の性格は、息子なら前から知っていたはずです。実家に帰って来ても、すぐに仕事を探し、アルバイトでも何でもしてお金を稼いで、両親を養うくらいの頑張りを見せてあげるべきなのでは。
未だに親に甘えて、何か辛いことがあると実家の親を頼りにして、不甲斐ない子供たち。実家にいれば何とか暮らしていけるという甘えが、それは親の躾けとか教育も悪いのだが、私らの世代(戦後生まれ)では、まだまだ日本経済も貧しく、家長が家を継ぎ親の面倒を見るのは当たり前。誰を責めるでもなしに、観ていて自然と怒りと涙がこぼれ落ちました。
2013年劇場鑑賞作品・・・264  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

アンチヴァイラル ★★★

$
0
0
鬼才デヴィッド・クローネンバーグの息子、ブランドン・クローネンバーグが長編の初メガホンを取ったSFサスペンス。有名人から採取したウイルスが売買される近未来を舞台に、その密売に関与した注射技師が陰謀に巻き込まれる姿を追う。『ハード・ラッシュ』のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マクダウェルらが出演。異様な設定や世界観など、クローネンバーグ監督の手腕に期待。

あらすじ:著名人本人から採取された病気のウイルスが商品として取引され、それをマニアが購入しては体内に注射する近未来。注射技師シド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は、持ち出した希少なウイルスを闇市場で売りさばきつつ、自身も究極の美女ハンナ(サラ・ガトン)のウイルスを投与していた。そんなある日、ハンナが謎の病気で急死したのを機に、異様な幻覚症状に襲われる。未知のウイルスの宿主でもあるからなのか、何者かに追われるようにもなったシド。休むことなく続く幻覚と追撃に疲弊する中、彼は自分を取り巻く陰謀の存在に気付く。

<感想>クローネンバーグの息子ブランドンが今回デビューを果たした。この作品では、グロテスクな肉体変形を重ねる過程で、その精神もやがて変容していくという、いかにも父親デヴィッドの初期作品に見られた、科学がもたらす精神的及び肉体的変化の要素が盛り込まれている。
俳優や歌手などセレブが最高に持てはやされ、彼らから譲り受けたウイルスが売買される。セレブのウイルスをマニアが注射をして倒錯的な愛を感じて、至福感、または愉悦感を味わう近未来の新手の風俗は、愛に飢えた人々のダークで空虚な心のあらわれなのか。

舞台はウイルス性疾患にかかったセレブから採血して得たウイルスを、高額で売ることを専門とするクリニック。顧客はその病原体を接種し、自分が崇拝するセレブと同じ病にかかることで、高次元の一体感を得ることができるというわけだ。そのウイルスは院外への持ち出しが厳重に管理されているため、主人公は、自らの体内にウイルスを注入することで、闇市場に売りつけている。当然、そのウイルスの作用で身も心も壊れるが、同時に企業間の陰謀にも巻き込まれていくというお話。

クリニックでウィルスを注射する技師のシドは、憧れの美女セレブ、ハンナのウィルスを自らの肉体に注射し、主人公の幻影の中で、メカニックに変形した彼の口からどす黒い液体が垂れ、両手の皮膚を突き破って鋼鉄の管が伸びるという、あまりに無防備に、悪く言えば露骨に、徐々に体調不良になって幻覚に苦しみ出す。美女セレブ、ハンナには、サラ・ガトンが演じて、ポスターやベッドの上で寝ているだけの出番なのだが、本当に綺麗なのに驚く。

現実とシュールでグロテスクな妄想を巧みに交錯させるあたりは、まるで父親作品と同じく、肉体変容を彷彿とさせる、白と黒を基調にしたモノトーンのグラフィカルな映像は、ハンナのウィルスに病むシドのみならず、温もりがまったく伝わってこない人間の孤独感を強調しているようにも見える。
ハンナのウィルスを解明するため、黒いコートとスーツを着たシドが、背中を丸めながら一人歩く姿は、どことなく退廃的で悲哀が漂い、まるで吸血鬼のように見えた。
この作品を語るために息子のクローネンバーグは、「フランシス・ベーコン」の絵画を忠実に、揺るぎなくフォーマット化している。冒頭で、自ら勤めるクリニックの巨大ポスターの前で、電子体温計を口に加えて佇む主人公の図像は、いかにも象徴的に映る。

大量のウイルス接種で、慢性的な体調不良に苦しむ主人公が、そこでかすかな吐き気をもよおすその表情もまた、絶妙である。ともかく映像スタイルが独創的。それがSF的なイメージをCGで実現したのではなく、現実にちょっとだけ手を加えたところからできていることが憎い。発病した有名人のウイルスの売買だの、有名人の細胞を培養したステーキ肉だのという、実に寒々としたおぞましい話をスタイリッシュに語るあたりは、なかなかの映像センスを感じさせる。最後の血(ウイルス)が意志を持っているように蠢くのが実に見事。
鈍くいつまでも続く頭痛を思わせる、E.C.ウッドリーによるドローン系の音楽が、禁欲的な映像と相まって、性的な描写が排除されていることも、本作品がアーティスティックな透明度を高めているようにも見えた。
2013年劇場鑑賞作品・・・265 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


三姉妹 雲南の子 ★★★★

$
0
0
『鉄西区』『無言歌』のワン・ビン監督が、中国で最も貧しいとされる雲南地方の寒村に暮らす幼い3姉妹の日常を追ったドキュメンタリー。近所に親戚がいるものの両親が不在で、長女10歳、次女6歳、三女4歳という幼い彼女たちが農作業と家畜の世話を行い、子どもだけで生活している様子を映し出す。貧しく過酷な環境の中たくましく生きる少女の姿を通し、中国の現状を捉えた本作は、ベネチア国際映画祭をはじめ数多くの映画祭で絶賛された。
<感想>舞台となるのは80戸の家が点在する中国雲南地方、標高3200メートルの高地。ここに暮らす10歳の英英(インイン)、6歳の珍珍(チェンチェン)、4歳の粉粉(フェンフェン)の幼い3姉妹が主人公である。中国でも最も貧しい地域と知られ、電気が通ったのもわずか5年前のこと。標高が高いため作物は充分に育たず、ジャガイモだけが貴重な食料源になっている。

過疎化が進み、村には老人と子供しかいない。この三姉妹の家にいたっては母親が子供を置いて出て行ってしまい、英英が妹の面倒を見ながら子供だけで暮らしている。
同じ村に住む祖母や親類から多少の援助があるとはいえ、長女が下の子の面倒を見ながら、わずか2頭の豚の世話や畑仕事に一日を費やし、食べ物は畑でとれるジャガイモばかり、子供だけで生活をやりくりしているのだ。数年ぶりに戻って来た父親は経済的な問題から妹たちだけを町へ移住させ、長女を村へ残すことを決める。

英英はたった一人で学校へ通い、畑仕事を続ける。薄暗い岩窟のような土間で、少女英英は一人蒸した芋を剥いて食べている。突然「羊はどこだ」という祖父の声が聞こえ、彼女は羊の群れを追って駆け出す。じめじめとした道を登り、叔母の子供が英英にもあげるか訪ねるが、「やらなくていい、全部うちのものだ」と叔母はさえぎる。親族でもこの村には、自分の家族以外を助ける余裕はない。
カメラは叔母の家を離れ村はずれに向かって走り去る彼女の後ろ姿を追う。その先には、遥か彼方まで段丘上の高原地帯が広がる。雲南は高地にあり空は高く、強風が吹きぬける。その風の中を、英英は羊を眼下に駆け抜ける。薄暗い、狭く閉ざされた土間からとてつもなく広々とした連山の風景へと転換する。
それにしても、このわずかな10歳の少女が醸し出す不思議な存在感がどこから来るのだろうか。彼女の祖父は、嫁の価値は結納金の額でしか考えず、羊の群れが自分の最大の財産と信じている。

英英が土間で自習をしていると、「勉強なんかして」と吐き捨てるように言う。子供たちは野で燃料の馬糞を集めるのが日々の仕事だ。この村にはまだ「子供時代」は存在せず、村人全員がいつも羊や豚を追い、燃料を集め、その繰り返しの日常が続く。
叔母の家にはテレビがあり、テレビのドラマの怖い場面で叔母が顔を覆ったりもするのだが、すぐ横にいる英英らはテレビにはさほど関心を示さない。
やがて父親が町での出稼ぎに見切りをつけ、妹2人、そして子守の女とその娘を連れて戻ってくる。一家は6人の大家族となった。冷たい風が吹きすさぶ中、今日も父親は畑仕事に出かけ、女と子供たちは川で洗濯をする。

三姉妹は逞しく生きている。10歳の長女が妹たちの世話をしながら畑仕事を手伝って、生計を立てていくのだ。監督はその姿を感動的に映そうとも、憐れみの視点で映そうともしない。日々繰り返される彼女たちの生活にカメラを同化させ、彼女たちと同じ目線で世界を見つめる。例えば、ぬかるみの中ですぐにドロドロになってしまう靴を焚火で乾かしたりして何とか使っている三姉妹。ずっとこのままなのかと思っていると、父親が突如戻ってきて、新品のスニーカーをプレゼントしてくれる。逃げた羊を追い掛け、妹のシラミを取り、かじかんだ足先を温めることが、貧困よりも両親の不在よりも重要なのだ。
村人の言動を常にうかがう長女の挙動、鋭い目つき、近所の少女と母親に因縁をつけられると、スケバンばりに即座に言い返す姿は、ここで生きていくための本能が顔を出す瞬間だ。特別大きな物語もなければ、幸福な結末も待っていない。虚勢を張ってきた英英が、無邪気な子供らしい顔をする瞬間をこれ見よがしに映して、観客に媚びることも当然ないのだ。しかしだ、英英の心が荒んでいて友達もいないのかと思っていたら、優しいイケメン風の男の子と案外親密な関係だったり。「えっ、そうだったの」、という驚きとともに、細部と細部が繋がり物質的な物語が訪れることの興奮たるや、構成が巧いのだ。
監督は子供たちに無意味な希望もメッセージも託さない。それでも生きていかねばならない三姉妹は、今日もまた姉が険しい顔で妹の手を引きながら歩いていく。2時間半、ずっと姉妹を映しているだけの記録映像なのに、退屈どころか全篇緊張感をもって観られるのは、姉妹の存在そのものが威厳に満ちているからだろう。
2013年劇場鑑賞作品・・・266  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

スタンリーのお弁当箱 ★★★

$
0
0
アクションやミュージカルが詰め込まれた娯楽大作映画が主流のインド映画界で、素人の子どもたちを集めて撮られた小作ながらも、大ヒットを記録したハートフル・コメディドラマ。
あらすじ:いつも周囲を笑わせているクラスの人気者スタンリー(パルソー)は、家庭の事情によりお弁当が用意されることはなかった。昼食の間は一人で過ごし、水道水で空腹を満たしている彼を見かねたクラスメートたちは、自分のお弁当を少しずつ分けていた。しかし、その様子を見た先生の言葉に傷ついたスタンリーは、学校に行かなくなってしまい……。

<感想>先々週に鑑賞したのに、何故か遅くなりました。インド映画のイメージが、がらりと変わった、子供たちを中心にしたお弁当のお話。家庭の事情で小学校にお弁当を持参できない少年をめぐるハートフル・ドラマになっている。いつもなら、歌や踊り、派手なアクション満載の娯楽大作映画が人気のインド映画界で、スターが出演せず、ミュージカルテイストな演出もないながらも予想外の大ヒットを記録したそうです。
監督は、シナリオを用意せず、演技経験のない子どもたちだけを集めて約1年半にわたり撮影された。元気いっぱいな子どもたちの無邪気な笑顔に癒やされ、ドラマを鮮やかに彩るおいしそうなお弁当の数々に目を奪われます。インドだから、弁当も殆どがカレー主体ですけど。

日本だと学校給食があって、インドのようなこういう虐めはないですよね。でも、日本ではお金があっても給食代を払わない親がいるそうで、困ったもんですね。インドでは、小学校でもお昼は弁当持参ということで、そのお弁当を持って来ない生徒がいるわけで、食い意地の張った先生が意地悪をして、弁当の持って来ない生徒に、学校へ来るなと言い渡すのです。
学校の先生がお昼の弁当で、持って来ない生徒の家庭事情を調べ、どうしても弁当を持って来れない事情があると知ったら、みんなの弁当を少しずつ分けて上げるように指導するのが普通でしょう。
しかし、校長も全然この事態に無関心で、インドの貧しい家庭なら尚のことである。でも、同級生たちは、この弁当を持って来ない生徒に自分たちの弁当を分けて上げるという、優しい心の持ち主ばかりなのに。先生が、「弁当を持たない者は学校へ来るな」って、そんなこと言ったら生徒は学校へ来れないでしょう。

それには、その先生たるものが問題だったのですね。自分も弁当も持たずに、生徒たちの弁当や、先生たちの弁当のおこぼれでお昼を賄っていたわけで、とりわけ、生徒の中で裕福な家庭の子供の弁当が豪勢で、その先生は、その生徒の弁当を当てにしていたのですね。しかし、その男の子は要領がよくて、スタンリーにお弁当を食べさせたくて、先生に嘘をついてまで場所をコロコロ変えて、その様子がとりわけ面白おかしく描かれています。
その生徒は、金持ちの家の子供なのに優しくて、いつもスタンリーが弁当を持って来ないで、昼になると家に帰って食べるといい、校庭で水道水を飲んで腹を満たしていたのを見て知っていたので、お昼になるとスタンリーに弁当を分けて上げていたのです。水道水で空腹を紛らわすなんて、本当に悲しいし、いじらしいじゃありませんか。彼の家庭事情を知るのはずっと後の方ですから。
他の生徒も同じく、自分の弁当を少しずつ分けて、みんな仲良く話をしながらお昼を食べていたのを、その先生が見ていたんですね。

後で調べて知ったのですが、この意地悪な先生はこの映画の監督で、スタンリーを演じた子役の父親だそうです。もちろん、フィクションなので、この先生は、他の先生たちに知られて学校を辞めました。でも、どうしてこの先生弁当持って来られなかったのだろう。何か理由があるのか、何も分かってません。
もうインド映画というと、歌って、踊ってが合間に入り長いんです。好きな人はそれでも楽しいでしょうが、私はミュージカルでもないのだから、1回くらい作品の中に入れるくらいにしておけば、観ていても苦痛じゃないのですが。そうそう、コンサートに出ることになったスタンリーが、とても楽しそうに練習しているのが、いつものインド舞踊と違って新鮮に見えましたよ。

最後の方で、スタンリーはレストランを経営している叔父さんに育てられ、学校から帰ると炊事場で洗い物や、食器を運んだりビールを運んだりして店を手伝う頑張り屋さん。寝るのは夜中過ぎで、調理台の上に敷物を敷いて眠る。調理場のお兄さんに話したら、客の残り物がたくさんあって、それで弁当を作ってくれる。次の日から、学校へ弁当を持って嬉しそうに登校するスタンリーがいた。
最後のテロップに流れるインドの就労児童は1200万人、稼業も含むと5000万人という驚く数字が映り、これは児童の就労問題を訴えるメッセージの映画だと知らされる。
2013年劇場鑑賞作品・・・267  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
 

貞子3D2 ★★★

$
0
0
精力的なメディアミックス展開なども評判を呼び、大ヒットを記録したJホラー『貞子3D』の第2弾。原作者の鈴木光司書き下ろしで、新たな貞子の子にまつわる呪いの連鎖の恐怖を3Dで映し出す。前作同様英勉が監督を務め、テレビドラマ「GTO」シリーズなどの瀧本美織がヒロインを熱演。彼女の兄を、『ランウェイ☆ビート』などの瀬戸康史が演じている。映画史上初となるスマホアプリ連動の「スマ4D」により、恐怖倍増の新感覚に侵食される。
あらすじ:娘の凪を生んだ後、鮎川茜は死亡し、安藤孝則(瀬戸康史)は妹の楓子(瀧本美織)に娘を託して身を潜める。世間では謎の死亡事件が頻発し、捜査が進むうちにそれが5年前の「呪いの動画」事件に関係することが明らかに。やがて楓子はそれらの死が凪の周辺で起きていることに気付き、過去の事件を調べ始めるのだが……。

<感想>世界中を恐怖のドン底へ陥れた鈴木光司原作の「リング」シリーズを、新感覚アトラクションムービーとして再起動させた「貞子3D」の続編で、あれから5年後という設定。貞子と戦った超能力者の茜の産んだ娘、ナギを中心に再び呪いのウイルスがデジタル機器を介して伝播していく。

幼いナギは貞子の遺伝子を受け継ぐモンスターなのか?・・・。恐怖でパニック状態となった人々をあざ笑うかのように、さらに戦慄の陰謀が進行しようとしていた。ナギを育てる母親代わりの叔母、安藤孝則の妹に瀧本美織が熱演して良かったです。そして、前作に続いてナギの母親茜の石原さとみが、寝ているだけの役でもったいなかったような気がした。その他には、前作の刑事役の田山涼成さんが、今回は車椅子で登場し、階段で後ろから押されて死んでしまう役回りという残念な結果に。

今作の注目は、上映中にスマートホンのアプリを起動させる「スマホ4D」。上映中に物語に対応してスマートホンが点滅したり、悲鳴が鳴り響くという仕掛けがあるということだが、あいにく私のはガラケーなのでそのまま3Dで鑑賞。
しかし、最近の高校生は映画を観るマナーがなってない。うるさくて、女子よりも男子の方が悲鳴をあげて大げさに怖がってうるさかった。とにかく、高校生の隣席で映画を観るのはやめましょう。
物語はそれなりに良かったです。町ではデジタル機器に感染する「呪いの動画」が再び流行して、「呪いの動画」を見た人は腕に渦状のアザが残り、次々と自分の手で命を絶つ自殺の連鎖。突如WEBサイトに現れる呪いの動画。サイトが一気に文字化けし、その後動画が再生され貞子が現れるのだ。見慣れているとはいえ、唐突なショック映像と派手な音響で一発芸的に驚かせているだけ。しかし、ドキッとしていい気持ちはしない。

前作ではなりそこないの貞子が大量発生し、まるでモンスター襲来みたいになっちゃって衝撃を与えたが、今回はいつ姿を現すのか?・・・。今回は、貞子自身の出番は抑えて、前作でのカップルの鮎川茜と安藤孝則の娘が貞子の拠り代として騒ぎを起こす。いわゆる「子貞子」である。
「子貞子」のナギが描いた絵と同じような事件が起こり、ナギに意地悪をした人たちが恐ろしい事故に遭遇するわけ。そして、地下鉄で携帯やスマートホンを見ていた人たちが、急に何かに憑りつかれたように自分の首を絞めたりして自殺するのだ。地下鉄のホームには、ナギが立っていた。それと、お手伝いのおばさんが嫌味を言うので、やっぱり窓から落ちて、妹の楓子の前に落ちてくる。分かっていても、次は誰なのかと想像がつく。

5才になるナギは、叔母さんとも口をきかず、笑わずいつも陰気くさくて不気味。一人で黙々と画用紙におぞましい絵を描き、たまに口を開くとそれは惨劇が起きる前兆。
娘の世話をする妹役の美織ちゃんが、母親の風呂場での自殺現場を、見てしまったトラウマに悩まされているという設定がクライマックスに生きていて、騒がしいだけじゃない佳作となっている。でも、母親の自殺の原因は何なのか、はっきりとしないのが難点。

後半部分で、実はと、茜は生きていたんですね。地下への赤い螺旋階段を下りてと、茜に会いにいくナギと楓子。彼女は眠っているだけなのですが、髪が長〜〜い茜。そこへ刑事が入って来て、茜を貞子の変わり身と勘違いをして銃殺する。自分も拳銃自殺。で、いつもの古井戸が出て来て、真っ赤な大量の血が溢れだすシーンにしても、殺人犯の柏田清司が絞首刑になるシーンも、恐怖の印象を残す留めが全くないので、ただのスタンドプレイになっていた。ナギは、時々、「お母さん」とか泣いたりして可愛らしい表情もするが、最後に見せる顔が悪魔、貞子になっていた。っていうことは、続編ありってことなのか。
2013年劇場鑑賞作品・・・268  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


25年目の弦楽四重奏 ★★★★

$
0
0
結成25周年を迎えた弦楽四重奏団のチェリストが難病を患い引退宣言したことで、残された楽団員の関係に不協和音が生じていく人間ドラマ。狂っていく音程の中で演奏するルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名曲、弦楽四重奏曲第14番に着想を得て、個々のエゴや嫉妬など、長い人生の過程で生じてくるさまざまなひずみに直面したメンバーの葛藤を描く。オスカー俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンとクリストファー・ウォーケン、キャサリン・キーナーら実力派キャストによる演技合戦は圧巻。

<感想>制作・脚本・監督のヤーロン・ジルバーマンは、本作の前に長編ドキュメンタリーを監督しているが、これは劇映画第1作目になるらしい。しっかりとした演出ぶりである。高名な弦楽四重奏の危機を、フィリップ・シーモア・ホフマンら4人の名優たちがNYを舞台に格調高く描いている。
クリストファー・ウォーケンがチェリストのピーターを演じるという、それだけで観に行った私なんですが、なぜか豪華キャストと豪華スタッフが集結。設定も興味深く、がぜん期待は高まるが、優秀な教師でもあるピーターがクラスで学生に語る巨匠カザルスとの思い出は必聴です。エリオットの詩も印象深く、久々の教養映画とも言えるでしょうか。

それに、弦楽四重奏団のいわば“要”役であるチェロ奏者のクリストファー・ウォーケンは、この映画の中でも登場人物たちをまとめる父親的存在感を放っているのである。華麗なスポットを浴び、主旋律を奏でる第1のヴァイオリン奏者のダニエルに、マーク・イヴァニールが、彼を引き立て正確なリズムを刻む第2ヴァイオリン奏者ロバートには、フィリップ・シーモア・ホフマン。ロバートの妻であり曲全体に繊細な陰影を与えるヴィオラ奏者ジュリエットっを演じるのはキャサリン・キーナー。

中でも、カリスマ的役柄の得意なフィリップ・シーモア・ホフマンが、チェリストのピーターが引退をすると言うことで、ダニエルと交替で第1ヴァイオリンを弾きたいと言い出す。ロバートは2番手のヴァイオリニストだが、1番のソロに合わせて“あうん”の呼吸で演奏する方が難しいのではと思ったのだが。
かつては学生時代に、妻ジュリエットの恋人であったダニエルの才能に、ロバートは複雑な思いを抱いているらしい。それに、愛する妻のジュリエットがいるのに、フラメンコダンサーとの浮気のベットシーンに驚く。

そして、ダニエルは未だに独身を貫く芸術至上主義者だ。だが、少々魔がさしたように、彼に憧れる若く才能あるアレクサンドラとの愛にのめり込んでいく。だが、アレクサンドラはロバートとジュリエットの娘である。

完璧主義者にあるまじき愚かな行動?・・・しかし、人間とはそうしたものなのである。世の常のごとく、人間とは失敗から学んでゆくものだから。それぞれ超一流の演奏者である彼らは、世の常識からみるなら自己愛に取り憑かれた、どこか不完全な人物たちであろう。
そして何よりも驚いたのは、最後に登場するチェリスト、ニナ・リーの存在感。彼女の演奏する姿は、アスリートより躍動する筋肉に本物を知った思いです。

パーキンソン病を宣告され、今季限りの引退を決心した四重奏団「フーガ」のチェロ奏者ピーターは、25年間の活動をしめくくる最後のステージに驚くべきフィナーレを用意していたのです。それはベートーベンが死の前日に作曲した「弦楽四重奏曲第14番」の演奏において、いわばタブーとでもいうべきショッキングな行為だったのですね。
この曲は、楽章の間に休みを入れずに演奏するという画期的な曲で、休みなく40分間も演奏を続けると楽器の音程がバラバラに狂っていき、演奏家たちは演奏を止めてチューニングし直すべきか、調弦が狂ったままで最後まで続けるのかの判断に迫られる。その様子はそのまま人生にも当てはめることができ、「長きに渡って緊張感を伴う人間関係にも、微調整が必要なのではないか?」という、まるで合わせ鏡にしたような人間ドラマ、とでも言ったらいいだろうか。出演者がみな巧いので、その葛藤を含めたアンサンブルは、見応え十分でした。

つまり、ピーターは途切れることなく演奏するという約束事を破って、途中で演奏を中断し、彼の後継者として若く美しいチェロ奏者ニナ・リー(この映画の演奏を担当しているブレンターノ弦楽四重奏団のチェリストである)を舞台に迎えいれたのです。ショッキングで、しかも感動的な終幕に唖然としました。
さらにクラシック音楽ファンであれば、そうでない人の100倍楽しめるのは間違いない。ラストの新結成の「フーガ」は、まるで憑き物でも落ちたかのように、かつて試みたことのない暗譜演奏をもってピーターを送るシーンに感無量。
2013年劇場鑑賞作品・・・269  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

アイアン・フィスト ★★★

$
0
0
ヒップホップ・アーティストRZAが、クエンティン・タランティーノのバックアップを得て初監督を務めた異色カンフー・アクション。19世紀の中国を舞台に、名もなき男が抗争に巻き込まれていくさまを壮絶なバイオレンス描写満載で描く。脚本には、『ホステル』シリーズのイーライ・ロスが参加。主演のRZAと『アメリカン・ギャングスター』で共演したラッセル・クロウ、『キル・ビル』のルーシー・リューら豪華キャストが顔をそろえる。
あらすじ:数多くの部族が抗争に明け暮れる19世紀中国のジャングル・ヴィレッジで、後継者問題から族長が暗殺されたことを発端にライオン族の内部紛争が勃発。それは部族内にとどまらず他部族も巻き込んだ巨大抗争へと発展してしまう。争いの絶えない街の中で唯一平和だった娼館ピンク・ブロッサムでも、ついにし烈な戦いが巻き起こり……。

<感想>未だアメリカには、かつての少林寺シリーズや武侠ものなど、日本人にはおよびもつかないほどカンフー好きがいるようだ。これはそんなオタクが作った荒唐無稽、奇々怪々、驚天動地、空前絶後、など四文字熟語をたくさん並べたが、主人公にヘビーなハンディキャップを背負わせる設定が面白いし、その主演のブラック・スミス役をもちろんRZAが自ら演じている。今まで誰も観たことのないカンフー映画になっている。

オープニングのカン・リーの素敵なアクションに、武闘派集団、ライオン族の首領金獅子を演じるのは、RZA憧れのショウ・ブラザーズ映画スターであるチェン・カンタイとレオン・カーヤンのバトルシーン。そして、多くのジェット・リー主演作で監督・武術指導を務めたコーリー・ユンを起用。ロケ・スタジオ撮影も本場中国、上海や浙江省で行う徹底ぶりである。
主人公のブラック・スミスは、常に自由を追い求めている男だが、中々自由になれないでいる。アメリカ時代は奴隷として虐げられ、中国に流れ着いてからは、鍛冶屋になるが人を殺すための武器を作らされ、その挙句、両腕を切断された主人公が鋼鉄の義手を装着して復讐に挑む。

そして、ゴードン・リューがブラック・スミスの師匠役で出演。RZAが少年時代からの憧れの「少林寺三十六房」を観て、それが、脚本にないのに、どうしてもゴードン・リューに出て欲しくて、ブラック・スミスが寺院でゴードン演じる僧侶と逢うシーンを作ったそうです。それだけ、大好きな俳優さんだったので夢が叶ったわけですね。

その後、全身に武器を内蔵したバトルスーツを装着したリック・ユーンにプロレスラーのデビッド・バウディスタが演じるのは、最強の敵ブラスト・ボディ。全身をブロンズに変えてしまう秘技のオーナー。しかも、映像の美しさやアクションシーンの見事さは香港作品以上で、SMと拷問シーンもありの残虐描写が満載で、さすがタランティーノの全面サポートを受けたクンフーアクション映画と納得。

「キル・ビル」の青葉屋。またはショウ・ブラザーズの古い装い姿の格闘シーンを、ザック・スナイダー風映像加工で煮詰めて、フランク・ミラーぽいが、中身のない主人公の独り言を混ぜた作品になっているのが残念。

そういうビジュアルだけ観ていたい人向けで、物語はない。本当に話のなさはびっくりするレベルで、「アメリカン・ギャングスター」で共演以来、友達になったラッセル・クロウも出演している。

まぁ、その他、ルーシー・リュー、リュー・チャーフィー、パム・グリアが出ているので、思わず観るひともいるだろうが、懐かしのキン・フー映画や、「片腕カンフー対空とぶギロチン」などを思わせる、SFX仕掛け満載の会心作である。

人類滅亡後、たまたま宇宙人が1本だけ残された映画を発見する。そんなことがありうるとして、その1本がこれだったらなんて痛快だろう。面白さだけを純粋に追及したらこうなるという世界。面白いこと以外起きないという世界。美女ばっかり、カンフー映画がこれまで蓄積してきた豊かなムーヴの中の最良のものを選りすぐり、自分で作った楽曲と一緒に再構成する。
その無上の幸福感たるや、私はとくに双飛夫妻のところが好きだった。カンフーを無効化する吹き矢の罪を軸とした物語構造も完璧の出来だと思う。
2013年劇場鑑賞作品・・・270  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

キャプテンハーロック3D ★★★.5

$
0
0
『銀河鉄道999』シリーズと並び称される松本零士の人気コミック「宇宙海賊キャプテンハーロック」を、およそ30年ぶりにアニメ化。宇宙海賊として地球連邦政府に反旗を翻すハーロックの活躍を、彼の暗殺命令を受けた男との対峙(たいじ)を絡めながら映し出していく。巨額の製作費を投入し、脚本に『ローレライ』「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」などの原作でも知られるベストセラー作家・福井晴敏、監督には『エクスマキナ』などの荒牧伸志を起用。英雄譚の王道をいくストーリーに加え、壮大なビジュアルにも目を見張る。

<感想>海賊ものとSFを融合させた革新的な作品である。人々が地球を離れた遠い未来。ドクロの旗のもと自由奪還を掲げる宇宙船・アルカディア号で星の海を行く宇宙海賊。その頭目が、黒尽くめのコスチュームをまとった隻眼の男、キャプテンハーロックである。長きにわたり国内外で人気を博した原作が、ついに3000万ドルの巨費を投じて世界視野でのCGアニメーション映画化が実現された。
吹き替えは、ハーロックの声を小栗旬が、彼と対峙する青年ヤマの声を三浦春馬が務めている。映像は本当に観たことのない技術というかクオリティで、美しい宇宙での戦闘シーンは衝撃的で圧巻で、CGアニメとあなどるなかれという感じですかね、興奮しました。
物語が、銀河の果てまで進出するも、開拓精神を失った人類が、故郷・地球での居住権を巡って勃発した“カムホーム戦争”。この戦争で地球を守り英雄と呼ばれたハーロックが、戦争後、宇宙海賊となって地球を守る組織ガイア・サンクションへ反旗を翻す。ハーロックは何故反逆者となったのか?・・・その真相を調べ、彼を暗殺する閉めを帯びた工作員ヤマは、アルカディア号に潜入する。

今作の特徴は、ミステリアスなハーロックの真実を、新たに設定されたキャラクター、ヤマの視点から描いていることでしょう。ハーロックは多くを語らず行動で示す男!・・・さらに今作では呪われた存在で100年近く生きているとされ、不死身の身体なのかは明らかにされてませんが、ダークなイメージでかっこいいです。
ヤマは過去に、ある過ちを犯し(緑の木、草花の温室を壊して、兄を不自由な体にしてしまう。その兄の妻も植物人間状態に)その呪縛から自分を解き放つことが出来ていないでいる。だから、兄の命令でアルカディア号に潜入し、ハーロック暗殺の指令を受ける。未成熟でどこか危うい部分を持った青年が、ハーロックと対峙することで、ゼロから成長していく。
しかし、青く綺麗な地球がホログラムだったのには驚く。本当の地球は、人間が住めない地球だった。そこに、亡くなった母親が花の種をまき、白い花が一面に咲いているのに、地球の未来が希望が、あると信じて突き進む。
地球を守るガイア・サンクションは、まるで「スター・ウォーズ」のようで、元老院の長老があれこれと煩くいい、白い軍隊なんてほとんど真似っこでしょう。確かに、松本零士が原作を描いた時期が「スター・ウォーズ」とほぼ同時期だというから、仕方ないか。
でも、宇宙空間での艦隊戦で、ハーロックは型破りな戦いを見せる。死角をついてワープで接近し、敵艦へアンカーを打ち込む。さらに、ワイヤー伝いにパワードスーツを着た乗組員たちが敵艦に乗り込み、白兵戦を挑む。まさにガチの海賊スタイルは見応え十分。
続きは後で、・・・。
2013年劇場鑑賞作品・・・271  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


ウルヴァリン:SAMURAI ★★★★

$
0
0
「X-MEN」シリーズの人気キャラクターでヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリンを主人公とした「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」(2009)の続編。カナダで隠遁生活を送っていたウルヴァリンは、ある因縁で結ばれた大物実業家・矢志田に請われて日本を訪れる。しかし、重病を患っていた矢志田はほどなくして死去。ウルヴァリンは矢志田の孫娘マリコと恋に落ちるが、何者かの陰謀により不死身の治癒能力を失うというかつてない状況に追い込まれる。日本が主な舞台となり、本格的な日本ロケも敢行された。マリコ役のTAO、ウルヴァリンを日本へと導くユキオ役の福島リラ、矢志田の息子シンゲンを演じる真田広之ら、日本人キャストも多数出演。監督は「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」「ナイト&デイ」のジェームズ・マンゴールド。

<感想>「X-MEN」ファミリーの中でもダントツの一番人気キャラで、野性的なモミアゲ姿がいつでも凛々しいウルヴァリンのヒュー・ジャックマン。フランクミラーによる原作の中でも、ファンに最も人気の高いこの物語の最大の見どころは、舞台が日本であるということ。まったく見知らぬ土地で、ウルヴァリンは、どんな怪我からも回復できる治癒能力がウルヴァリンの特徴であり、不死身の身体を持ちながら生きる意味を失う。という究極の矛盾を抱えその存在意義を問われるのである。そのウルヴァリンが限りある命になってしまうという設定である。
冒頭での1945年の長崎の場面、日本軍の捕虜になっていたローガン、マンホール状の独房に押し込まれていたが、そこへ米軍の爆撃機が飛来する。8月9日午前11時のことだった。原子爆弾が投下されたのだが、その時、矢志田という日本兵を助ける。その矢志田がウルヴァリンの不死身の身体に興味を抱くわけで、そのウルヴァリンの身体の中にある不老不死の正体を自分の身体に取り入れようというのだから、とんでもない話である。

今回の映画は何だか悲痛だ。死んでも死なないミュータントもいろいろあって、今回のウルヴァリンは死にそうである。夜な夜なかつて愛したジーン・グレイが夢枕に立って恨み言を言ってくるし、ファムケ・ヤンセンのランジェリー姿が色っぽいし、つまり本作は、「ファイナル・ディシジョン」から続く話のようですね。

ウルヴァリンの仲間となる剣の達人ユキオ。演じる福島リラさんはトップモデルで、菊池凜子もウカウカしていられないほど演技も英語も上手い。ウルヴァリンが、矢志田の孫娘マリコと恋に落ちるマリコ役にはモデル出身のTAO。確かに背は高いが演技はイマイチ。

そして、今回登場する悪役ヴァイパーにスヴェトラーナ・コドチェンコワが。ミュータントのヘビ女で長い舌から出る特殊な液で相手を氷結させる。矢志田が不死身の身体になりたいばかりに、アメリカから呼び寄せたドクター・グリーン。彼女の策略で、ウルヴァリンの不老不死の能力が失われて行く。
自分が誰とも違うと感じているし、何も信じていない。だけど最終的には学んでより強い戦いができるようになる。しかもそれは、他のミュータントのように新たなスーパーパワーを授かるからではなく、よりサムライ的な戦術を学ぶから。自分の心をコントロールする術を知り、規律を身につける。自分の心がコントロールできると言うことは、どんな武器を手にするよりも、偉大なる武器であるということを知るわけ。

アクションの見せ場は、手負いのヒーローが芝の増上寺の葬儀シーンをはじめ、夜の新宿やラブホテルに泊まったり、秋葉原のパチンコ屋を経て、上野駅に至るまで追いすがる敵(ヤクザ)を切り刻みながら疾走するバイオレンス。しかし、高田馬場と秋葉原が隣町になっている設定が腑に落ちないが、ヤクザとウルヴァリンが走る新幹線の上で、猛スピードで迫ってくる障害物を一瞬で避け、展開される迫力満点のバトル・シーンには驚いてしまう。さらには、広島県福山市「崖の上のポニョ」のモデルになった鞘の浦や、愛媛県今治市では、のどかな海辺でロケするなど日本人にはお馴染みの風景が多数出てきます。

そして、まってましたとばかりに剣の達人である真田広之とウルヴァリンとのタイマン勝負。シンゲンの日本刀とウルヴァリンの爪が激しくぶつかり合う。真田広之さんの殺陣の腕前は当然のごとくで、池にすっころぶ細かいスタントまで、いちいち身体能力の高さをアピールしてくれます。さすがにベテラン同士の一騎打ちになってました。

そして雪山の麓の村では、家々の屋根で忍者たちが待ち構えており、ワイヤーが繰り出され、ウルヴァリンは蜘蛛の巣の餌食状態になってしまう。
後半で登場する、原作の日本パートで最大の敵となるシルバー・サムライがクライマックスで登場。その巨大なシルエットには、「パシフィック・リム」のロボットのイェーガーを思い出してしまった。決して、パワードスーツのような働きはせず、ただそのロボットの中に入って永遠の命を手に入れた矢志田の爺様なのだ。だが、ウルヴァリンの不老不死の力が宿っているので、どうしたらこのロボットを倒せるのかがお楽しみというところだ。

とにかく見どころは満載なのだが、ミュータント(ヘビ女だけ)も殆ど登場せず、日本というミステリアスな場所が舞台となったこの物語において、何より感動させられるのは、やはりジャックマンがこの13年間でいかにしてハリウッド・スターになり得たのかを、その肉体で、演技力で、実力で、輝きで、まざまざと見せつけてくれることである。
今回は芯の通った「武士道」路線にシフトしていて、やっぱり孤高のウルヴァリン様には、このくらいのストイックに引き締まった話の方がお似合いだと思う。ですから前回での「ウルヴァリン:X−MEN ZERO」(09)の続編とは言えないですよね。
昭和のお家騒動サスペンスっぽい雰囲気を始め、とにかくいろんな意味でスーパーヒーロー映画らしくない。本当にスーパーヒーロー映画なのに、正直「X−MEN」はもう飽きたという人には、絶対お薦めのリフレッシュな1作になっています。エンドロール後に、重要人物が登場するのでお見逃しのなきよう。
2014年公開「X―MEN:デイズ・オブ・フューチャー・パスト」
2013年劇場鑑賞作品・・・272  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

欲望のバージニア ★★★.5

$
0
0
シャイア・ラブーフ、トム・ハーディ、ジェシカ・チャステインら豪華キャストが共演し、アメリカ禁酒法時代に実際にあった復讐劇を映画化。1931年、バージニア州。密造酒ビジネスで名を馳せたボンディランド3兄弟の次男フォレストは、シカゴから来た女性マギーに心を奪われ、三男ジャックは牧師の娘バーサに恋をしたことから、兄弟の力関係に変化が起こり始める。一方、新しく着任した特別補佐官レイクスは高額の賄賂を要求するが、兄弟はこれを拒否。するとレイクスは、脅迫や暴力によって兄弟の愛する女性や仲間たちに危害を加えていく。その他のキャストにジェイソン・クラーク、ミア・ワシコウスカ、ゲイリー・オールドマン、ガイ・ピアースら。監督は「ザ・ロード」のジョン・ヒルコート。

<感想>オーストラリア生まれのジョン・ヒルコート監督の作品では、「ザ・ロード」(10)を観た。ヴィゴ・モーテンセン主演で映画化した、終末を迎えた人類の物語だったが、中々ヒューマンたっちでシリアスな映画でした。今作では、脚本と音楽はやはりオーストラリア生まれで、作曲家であり作家、脚本家、俳優と多彩な面を持つニック・ケイヴが担当している。
映画の舞台は題名にもある通り、アメリカ東部の州バージニアである。時代は禁酒法時代。禁酒法時代を描いた映画は、シカゴが舞台のケヴィン・コスナー主演の「アンタッチャブル」(87)が有名だが、バージニアというのが新鮮だ。この映画でのバージニアアはひどく田舎のように描かれているが、アメリカ合衆国の首都ワシントンの一部はバージニア州に含まれている。ちなみにバージニア州の州都はリッチモンドである。

映画は実際にあった話で、3人の兄弟を中心に展開していく。三人の職業はブートレッガー(密造酒製造者)である。この呼び名は、密造酒を入れたスキットルをブーツに隠したことから出てきたらしい。映画の中でも明かされる。
三人の兄弟の長男ハワード・ボンデュラントは、「俺たちは死なない」という信念を持ち、野獣のごとき怪力の持ち主だ。次男のフォレストも同様である。末っ子のジャックは二人の兄ほどの力はないが、友人のクリケットと新しい蒸留酒を開発し、そろそろ自分でも商売を始めようとしている。長男ハワードにはトム・ハーディが、次男のフォレストにはジェイソン・クラーク、末っ子ジャックにはシャイア・ラブーフと、三兄弟を演じている。

野望は大きいが小心もののジャックは、堅物の牧師の娘(ミア・ワシコウスカ)に一目惚れしているが、まったく相手にされない。もう一人都会からやってきた、ジェシカ・チャステインが三兄弟の店を手伝うことに。そして、長男ハワードに恋をしてしまう。

バージニア州でもフランクリンなどという田舎はともかく、都会では狂犬と恐れられているフロイド・バーナーが顔を利かせていた。フロイドには、ゲイリー・オールドマンが扮して、中々渋い演技を見せている。

そんなところに新任の取締り官レイクスがやってくる。彼は兄弟に高額の賄賂を要求するが、次男のフォレストはそれをつっぱねる。そのことがレイクスの残忍な人格に火をつけることになるわけ。実在の人物をモデルとしたこのレイクスは、映画ではおめかしの潔癖症で、サディストのゲイとして脚色されている。
このレイクスを演じているのがガイ・ピアースで、彼の好演がこの映画を盛り上げている。「俺様は偉いんだ。カッペどもめが」と、これがあのガイ・ピアースかといった役作りを見せて熱演。ところが、足の悪い無垢なクリケットがレイクスにレイプ・殺害されてしまう。若い青年クリケットを演じているのは「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」でゴズリングの息子ジェイソンを演じたデイン・デハーン。

禁酒運動は、きつい労働の気晴らしでアル中になる夫たちに音を上げた妻たちが、牧師とともに組織化し、それは女性の権利獲得運動にまで発展し、この禁酒運動が行き過ぎた結果、1920〜33年まで、禁酒法が法制化されたのである。
禁酒法は善意から出た運動が極端化するアメリカの傾向の典型だが、一方では貧しい南部の密造産業を活性化させた。その割り前を支払わない業者は、見せしめにリンチを受ける。この映画では、熱したタールをかけられ皮膚呼吸を奪われ殺された男が、その死体に羽毛をまぶされボンデュラント兄弟のポーチに放置される。

むろん黒人に対しては差別的で、映画の中でもその片鱗は描かれる。ところが自由黒人たちもまたフランクリン群へ逃れてきた歴史がある。映画の中で教会の儀式で、水に素足を浸して拭う「洗足式」という儀式が描かれている。調べてみると、この宗派では全身を水に浸す「浸礼」が罪の浄化法で、これは奴隷制廃止を徹底する北部の流儀から見れば欺瞞なのだ。ジャックが好きな牧師の娘に、汚れた足を洗われるのを拒むのは、それだけ彼が罪を犯したのを恐れているからだと思う。

クライマックスで、レイクスを殺しに行く長男ハワードと次男のフォレスト。拳銃で撃たれるハワード、そこへ遅れてやってきたジャック。激戦の末にクリケットの仇を撃つジャックだが、彼もレイクスに足を撃たれていた。最後は、いくら「俺たちは死なない」が口癖だったとはいえ、三兄弟が幸せに暮らしている風景が映し出されるのには驚いた。
禁酒法時代の密造ウィスキーは、極端な反権力と貧困、このダブルバインドから滴り落ちたエキスなのだろう。
2013年劇場鑑賞作品・・・273 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

Viewing all 2328 articles
Browse latest View live