『アカルイミライ』がパルムドールにノミネートされた経験もある黒沢清監督が、湯本香樹実が2010年に上梓した小説を映画化。3年間行方をくらましていた夫がふいに帰宅し、離れ離れだった夫婦が空白の時間を取り戻すように旅に出るさまを描く。脚本は『私の男』などで知られる宇治田隆史が黒沢監督と共同で担当。『踊る大捜査線』シリーズなどの深津絵里と、『バトルシップ』、『マイティ・ソー』シリーズなどでハリウッド進出も果たした浅野忠信が夫婦愛を体現する。
あらすじ:3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきて、妻の瑞希(深津絵里)を旅に誘う。それは優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅で、空白の3年間をたどるように旅を続けるうちに、瑞希は彼への深い愛を再確認していく。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり……。
<感想>冒頭でピアノを弾いている少女のカットから、どうやら深津絵里は子供にピアノを教えて生活をしていることが分かる。そして、スーパーへの買い物のシーンで、白玉粉を買い家へ帰って白玉だんごを作り、テーブルへ小鉢を置く。ふと深津絵里が顔を向けると浅野忠信演じる夫が暗やみの中に佇んでいるのだ。もうどうみても幽霊の夫が訪ねて来たらしいことが分かる。
3年も経ってふと奥さんの元へ帰って来る夫の亡霊は、きっと妻に対して何かを言いたいとか、昔のことを誤りたいとか、未練があって登場したのではないかと思った。死んで肉体がないのに白玉をパクつく夫の登場に違和感がないとは言えない。しかし、観ている内にどうでもよくなった。
私は、近親者で亡くなった人のことを毎日想い、昔のことを懐かしみ頭の中はそのことばかりで一杯になると、その夜の夢には必ずと言ってくらい現れて、自分と話をしてその光景は昔の懐かしい思い出ばかり、何度も死んだ人が生前と全く変わらない姿で、同じシーンで現れます。最近は夢を見なくなったので、自分の気持ちの整理もついたのでしょう。
だから、この映画を観た時も亡くなった夫が3年も経って突然「帰って来たよ」といい、自分が死んだことを話、亡くなる前に旅をしてたくさんの人たちと交流をしたことを妻に話て、きっと奥さんは、夫が亡くなる前に訪れた旅先を歩いてみたいと思い、幽霊の夫と共に最後に亡くなった場所まで行き着いた経路を旅するお話ですね。
旅が始まって最初のシーンでは驚いてしまった。小松政夫さん演じる新聞屋の爺さんのお話です。観ていて、物語的にも現実なのか非現実なのか、いろいろと曖昧な時間のようなものが露骨に描写されており、この人はすでに亡くなっていると感じた。
深津さんが奥さんに似ている似ていないという話も、それに本の中にあるお花の写真を切り取り、壁一面に張り付けているシーン、とても綺麗でまるで極楽浄土へでも行っているような、それが次の朝には、小松政夫の寝室は廃墟で壁の花の切り貼りは、すでに色あせて風化しているのだ。これは唖然とさせられました。
映像の中で、必ずと言ってくらいに幽霊とか亡霊が出ているシーンは、風が吹いていて、柄本明さんの田舎での話では、嫁の薫が夫に出て行かれて、その後を探しに追いかけたという話。帰って来ている嫁の薫は、もう死んでいるような人間として生きているという気配を感じられない。
その夫と薫が、田舎の夫婦滝の近くで喧嘩をしているシーンなどは、もうこの世の生きている人間がいる気配を感じられなかった。死んでいる夫の優介も手こずるし、2人であの世とやらへと旅立つように消えてしまうのだ。
中華料理店の店主も、雄介さんは飾り職人で、手先が器用でギョウザを包むのが得意だったらしいのだ。妻には夫が自分の職業のことを言わないで、旅先で死ぬ前に好きなことをして、人と触れ合い人間らしく生きたことを知るのもよかった。2階の大広間にあるピアノを、妻の深津絵里が弾きたいと言うと、最初はダメだといい、その後は弾いてもいいという食堂の奥さん。年の離れた妹がピアノを弾くのを虐めて止めさせた姉、その妹が病気で亡くなり、今ではどうしてあの時ピアノを弾かせてあげなかったのだろうと後悔する。そこへ、幽霊少女の妹が現れ、ピアノを弾くのだが、結局は瑞希が奥さんのために弾いているのである。
夫の優介は、どうやら大きな病院の歯科医だったらしい。そこの事務職員と不倫をしていて、その女性が蒼井優が演じていて、最後の方で訪ねて行くのだが、初めて夫の不倫相手と会い、その相手の女蒼井優は悪びれずにずうずうしくも平気な態度で「あなたが奥さんなの、こんな人なんだ」と軽蔑したような目で見て、「私結婚するんです、それに妊娠もしているの」と、誇らしげに話す態度に怒りを覚えた。まぁ、過去のことだからと亡くなった亡霊の夫は謝るのだが、妻の瑞希は怒りの矛先を何処へぶつけていいやら気の毒になってしまった。
だから、映像の中では確かに現実でありながら何処か現実ばなれして見える風景など、存在しているようで本当にそこにいたのかは分からない人物など。一緒にいたころは、この夫婦は旅行など行かなかったのだろう。
確かに妻の瑞希は、お寺で百枚祈願を書いたというのだが、夫の死に目に遭ってないので、まだ何処かで生きているのかもと、亡くなったことが信じられないのだ。だから、夫の優介が亡霊となって帰って来て、まるで妻に自分の死を認めて貰おうと、本当の別離のような共に旅をする。死別の場合は特に、亡くなった人に未練がある場合は、生きている人間の前に認めて貰おうと現れるのだと思う。
タイトルの「岸辺の旅」とは、「彼岸と此岸」、つまり冥途へ行く三途の川のふちを歩く旅であり、冥界物語でもあります。そして、死者が生きているかのように振る舞っている世界の方が平穏であり、生きている人間が亡くなった人を妄想や幻覚で、倒錯的な展開が映像化されていくのは当然のごとくであります。
黒沢清監督が、カンヌ国際映画祭のある視点部門で監督賞を受賞したことで注目された作品でもあり、深津絵里と浅野忠信の、夫婦のラブストーリーでもあると思いますね。
2015年劇場鑑賞作品・・・199映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきて、妻の瑞希(深津絵里)を旅に誘う。それは優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅で、空白の3年間をたどるように旅を続けるうちに、瑞希は彼への深い愛を再確認していく。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり……。
<感想>冒頭でピアノを弾いている少女のカットから、どうやら深津絵里は子供にピアノを教えて生活をしていることが分かる。そして、スーパーへの買い物のシーンで、白玉粉を買い家へ帰って白玉だんごを作り、テーブルへ小鉢を置く。ふと深津絵里が顔を向けると浅野忠信演じる夫が暗やみの中に佇んでいるのだ。もうどうみても幽霊の夫が訪ねて来たらしいことが分かる。
3年も経ってふと奥さんの元へ帰って来る夫の亡霊は、きっと妻に対して何かを言いたいとか、昔のことを誤りたいとか、未練があって登場したのではないかと思った。死んで肉体がないのに白玉をパクつく夫の登場に違和感がないとは言えない。しかし、観ている内にどうでもよくなった。
私は、近親者で亡くなった人のことを毎日想い、昔のことを懐かしみ頭の中はそのことばかりで一杯になると、その夜の夢には必ずと言ってくらい現れて、自分と話をしてその光景は昔の懐かしい思い出ばかり、何度も死んだ人が生前と全く変わらない姿で、同じシーンで現れます。最近は夢を見なくなったので、自分の気持ちの整理もついたのでしょう。
だから、この映画を観た時も亡くなった夫が3年も経って突然「帰って来たよ」といい、自分が死んだことを話、亡くなる前に旅をしてたくさんの人たちと交流をしたことを妻に話て、きっと奥さんは、夫が亡くなる前に訪れた旅先を歩いてみたいと思い、幽霊の夫と共に最後に亡くなった場所まで行き着いた経路を旅するお話ですね。
旅が始まって最初のシーンでは驚いてしまった。小松政夫さん演じる新聞屋の爺さんのお話です。観ていて、物語的にも現実なのか非現実なのか、いろいろと曖昧な時間のようなものが露骨に描写されており、この人はすでに亡くなっていると感じた。
深津さんが奥さんに似ている似ていないという話も、それに本の中にあるお花の写真を切り取り、壁一面に張り付けているシーン、とても綺麗でまるで極楽浄土へでも行っているような、それが次の朝には、小松政夫の寝室は廃墟で壁の花の切り貼りは、すでに色あせて風化しているのだ。これは唖然とさせられました。
映像の中で、必ずと言ってくらいに幽霊とか亡霊が出ているシーンは、風が吹いていて、柄本明さんの田舎での話では、嫁の薫が夫に出て行かれて、その後を探しに追いかけたという話。帰って来ている嫁の薫は、もう死んでいるような人間として生きているという気配を感じられない。
その夫と薫が、田舎の夫婦滝の近くで喧嘩をしているシーンなどは、もうこの世の生きている人間がいる気配を感じられなかった。死んでいる夫の優介も手こずるし、2人であの世とやらへと旅立つように消えてしまうのだ。
中華料理店の店主も、雄介さんは飾り職人で、手先が器用でギョウザを包むのが得意だったらしいのだ。妻には夫が自分の職業のことを言わないで、旅先で死ぬ前に好きなことをして、人と触れ合い人間らしく生きたことを知るのもよかった。2階の大広間にあるピアノを、妻の深津絵里が弾きたいと言うと、最初はダメだといい、その後は弾いてもいいという食堂の奥さん。年の離れた妹がピアノを弾くのを虐めて止めさせた姉、その妹が病気で亡くなり、今ではどうしてあの時ピアノを弾かせてあげなかったのだろうと後悔する。そこへ、幽霊少女の妹が現れ、ピアノを弾くのだが、結局は瑞希が奥さんのために弾いているのである。
夫の優介は、どうやら大きな病院の歯科医だったらしい。そこの事務職員と不倫をしていて、その女性が蒼井優が演じていて、最後の方で訪ねて行くのだが、初めて夫の不倫相手と会い、その相手の女蒼井優は悪びれずにずうずうしくも平気な態度で「あなたが奥さんなの、こんな人なんだ」と軽蔑したような目で見て、「私結婚するんです、それに妊娠もしているの」と、誇らしげに話す態度に怒りを覚えた。まぁ、過去のことだからと亡くなった亡霊の夫は謝るのだが、妻の瑞希は怒りの矛先を何処へぶつけていいやら気の毒になってしまった。
だから、映像の中では確かに現実でありながら何処か現実ばなれして見える風景など、存在しているようで本当にそこにいたのかは分からない人物など。一緒にいたころは、この夫婦は旅行など行かなかったのだろう。
確かに妻の瑞希は、お寺で百枚祈願を書いたというのだが、夫の死に目に遭ってないので、まだ何処かで生きているのかもと、亡くなったことが信じられないのだ。だから、夫の優介が亡霊となって帰って来て、まるで妻に自分の死を認めて貰おうと、本当の別離のような共に旅をする。死別の場合は特に、亡くなった人に未練がある場合は、生きている人間の前に認めて貰おうと現れるのだと思う。
タイトルの「岸辺の旅」とは、「彼岸と此岸」、つまり冥途へ行く三途の川のふちを歩く旅であり、冥界物語でもあります。そして、死者が生きているかのように振る舞っている世界の方が平穏であり、生きている人間が亡くなった人を妄想や幻覚で、倒錯的な展開が映像化されていくのは当然のごとくであります。
黒沢清監督が、カンヌ国際映画祭のある視点部門で監督賞を受賞したことで注目された作品でもあり、深津絵里と浅野忠信の、夫婦のラブストーリーでもあると思いますね。
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