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アリスのままで ★★★★

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若年性アルツハイマー病と診断された50歳の言語学者の苦悩と葛藤、そして彼女を支える家族との絆を描く人間ドラマ。ベストセラー小説「静かなアリス」を基に、自身もALS(筋委縮性側索硬化症)を患ったリチャード・グラツァーと、ワッシュ・ウェストモアランドのコンビが監督を務めた。日に日に記憶を失っていくヒロインをジュリアン・ムーアが熱演し、数多くの映画賞を席巻。彼女を見守る家族をアレック・ボールドウィン、クリステン・スチュワート、ケイト・ボスワースが演じる。

<感想>主人公のアリスを演じたジュリアン・ムーアに念願のアカデミー賞主演女優賞をもたらしたヒューマンドラマである。撮影時は、自らも難病と闘っていた故リチャード・グラッツァーとワッシュ・ウェストモアランドのコンビが、過酷な運命と向き合う若年性アルツハイマー病の女性とその家族の心情を細やかに描き出している。

ジュリアン・ムーア演じるアリスは50歳、コロンビア大学で教鞭をとる優秀な言語学者である。医学博士の夫、アレック・ボールドウィンとの間に3人の子供がいる。長女のアナにケイト・ボスワースが、長男の医師トムにはハンター・パリッシュ、そして次女のリディアには、クリステン・スチュワートが。

アリスにとっては、大学に進学せず演劇の世界で身を立てようとする次女のリディアだけが心配だけれど、それを除いては家庭も仕事もうまくいっている。
そんな恵まれた日常に、異変が生じる。ある日のこと、大学の講演中に口に出そうとした言葉が解らなくなる。最初は、単なる度忘れかと思っていた。
でも、そうではない。知っているはずの言葉が出なくなるだけでなく、ジョギング中に突然、道がわからなくなったりする。そして、生活に支障をきたすようになる。ただの物忘れというレベルではない。

神経科の医師の診断結果は、若年性アルツハイマー病。家族性の場合は、高い確率で子供に遺伝すると告げられる。アリスは、大学からも授業を続けていくのは難しいと言われ、仕事を辞めてしまう。言語学者が言葉を忘れていくとは、なんという皮肉な事態だろうか。
長年、情熱を注いで打ち込んできた仕事から離れる悲しみ、悔しさ、寂しさと不安。足元から崩れ落ちていくような感覚、それがアリスの視点から撮られ映し出されていく。

病気の事実を受け止め、夫と3人の子供たちは、できるだけアリスの気持ちに寄り添おうとする。それでも、時々は衝突する。病気なんだから、物事を覚えられないのだと分かっていても、日々の暮らしの中で生じる様々な行き違いが、相手を苛ただせてしまうのだ。だから喧嘩になってしまうことも。だが、次の瞬間はっと気づいて謝るのだ。
家族はそれぞれに思いやりを見せて尽くすのだが、それで良くなる病ではないところが辛い。むしろ症状は悪化の一途をたどり、引き返すことができない。アリスも賢明に対処しようとするも、黒板やスマホに忘れたらすぐに見るようにと。

もし、自分だったならどうするだろう。映画を観ながら幾度となく頭をよぎるのは、昨年まで自分の母親が認知症を患い、20年近く介護をしてきた自分のことを思い出します。アルツハイマー病と認知症の違いは殆ど同じ症状で、つまり老人性のボケですよね。物忘れから始まり、日常の家事ができなくなり、食事の支度も洗濯や掃除だって他人まかせで。
だんだんと年月が経つにつれて、その度合いが酷くなり、子供に返ると言うのでしょうか、最後には殆ど寝たきりの赤ん坊と同じ症状になっていく。
この映画の中のアリスは、父親からの遺伝性のアルツハイマー病と診断される。つまり、遺伝ということは、その子供も、孫もと代々と続くわけで考えると恐ろしくなります。
夫のアレック・ボールドウィンも50代の医師で、まだまだ若くて妻の病気に対しても理解はあるが、生活を続けていくための経済的なことを考えるといつも傍に付いているわけにはいかない。だから、アリスが声をかけてもいつも仕事のことに夢中で、あまり世話をするわけでもない。アリスがトイレの場所を忘れてそそうをしてしまう。部屋は散らかしほうだいで洗濯もすることはない。夫はお手伝いを雇って、妻の介護も頼むのだ。

娘2人も、長女は待望の双子の妊娠で、自分のことで精いっぱいだ。次女も劇団の演劇のことで手いっぱい。次女の日記を読んで、そのことを目の前にいる次女に何気なく言ってしまう。当然、次女はプライバシーの侵害とばかりに猛然と怒る。しかし、そのことも次女は、母親の病気のことを理解して、話を聞きながら許してしまう。
何か、その対処策はあるのか?・・・この映画の中ではアリスの病が進行していくばかりで、アリスがPCの中にまだ健全な時にファイルに保存しておいた、自分がこれからどうすべきかを動画でとってあります。それは、誰にも迷惑をかけたくたくないと、睡眠薬を大量に飲んで死ぬことだったのですね。
しかし、それも、PCを見て2階へ上がり、2階の寝室へ行くとそこに来た目的を忘れてしまい、何度も階段を上っては降りてを繰り返し、やっとPCを手に2階の寝室へ行き、引き出しの中の睡眠薬を手に取ったところで、お手伝いの女性が帰って来てアリスを呼び、手に持っている薬のことも忘れてしまいます。
作中に蝶の例えが出てくる。蝶の命は短いけれど美しい。恐怖に向き合う瞬間が、それでも輝き、蝶の夢のように。アリスが首に蝶のネックレスをしている。事故で亡くなった母親の形見で、アリスは自分自身に宛てたメッセージの画像ファイル名もバタフライ。儚く見えてもその瞬間を精一杯に生きる命。

それでも、まだ症状が悪化していないアリスが、認知症の介護会議でスピーチをするシーンがあります。エリザベス・ビショップの詩から「忘れる技」という言葉を引用して、人々の前で自分の気持ちを「私は闘っています、自分であろうとして。だから瞬間を生きています」。しかし、この瞬間のこともきっと忘れてしまうのだろう。
先のことはどうなるか分からない。現在を生きているその瞬間を、精一杯に。一瞬、一瞬を大事にというと、当たり前のように聞こえるけれど、自分が自分でなくなるような恐怖の前に。自分の過去のことも全部忘れてしまうのだから。

最後に次女が、母親に寄り添って暮らしているのに、やっぱり誰か家族が傍で世話をしないと、これは認知症であっても、世話をしているのが娘であることを忘れてしまっても、悲しい結果になってしまうと思うから。
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