旧約聖書の出エジプト記に登場する、モーゼのエピソードをベースにしたアドベンチャー。紀元前のエジプトを舞台に、王家の養子として育てられた男モーゼがたどる数奇な運命と壮絶な戦いを活写する。メガホンを取るのは、『グラディエーター』『プロメテウス』などのリドリー・スコット。『ザ・ファイター』などのオスカー俳優クリスチャン・ベイル、『華麗なるギャツビー』などのジョエル・エドガートンを筆頭に、実力派やベテランが結集。砂漠を埋め尽くすエジプトの軍勢や割れていく紅海など、スケールの大きなビジュアルも見もの。
あらすじ:紀元前1300年。最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセス(ジョエル・エドガートン)とたもとを分かつ。その裏には、苦境に立たされている40万にも及ぶヘブライの人々を救わねばならないというモーゼの信念があった。そして、彼らのための新天地「約束の地」を探し求めることに。過酷な旅を続ける一方で、彼はエジプトを相手にした戦いを余儀なくされていく。
<感想>モーゼといえば、かつて「10戒」でチャールトン・ヘストンが演じたイスラエル人たちの指導者を思い出します。エジプト王朝の奴隷となり搾取され続ける彼らを引き連れ、約束の地に向かった人物である。リドリー・スコット監督はそんな英雄と、彼を取り巻く出来事を、可能な限りにリアルな物語であることと、同時にモーゼとラムセス、二人の義兄弟の物語を再現するのだ。
始めモーゼは無神論者であり、エジプトに神々が必要なのは人民を効果的に支配するためだと理解している。ところがモーゼはエジプトを追放され、砂漠で神に出会う。そしてラムセスが王になったことで自分が現人神であると信じるようになってしまう。一人は神の声に押され、一人は自分こそが神だど信じる。この設定が二人の対決を生み出すことになる。
主人公モーゼにはクリスチャン・ベイルがさすがにオスカー俳優だけのことはある。彼は役のためなら髪の毛を抜いたり、体重を落とすなどは朝飯前で、この作品のなかではモーゼらしく長い髪の毛と髭をはやして、エブライ人たちを引き連れて、あの有名な紅海を渡るシーンを見せてくれる。
しかし、ジョエル・エドガートン演じるラムセスの人間味が素晴らしく、この悪役の王の出る場面は、中々様になっているのだ。その母親には、シガーニー・ウィーヴァーが、それにラムセスの父王であるセティ王にジョン・タートゥーロが演じているし、ヘブライ人の長老にはベン・キングズリーといったベテラン俳優が脇を固めている。
モーゼとラムセスがひどくもろくて人間くさいのは最近の聖書劇映画の傾向どおりなのだけれど、神の使い(少年)までもがそうなので、信仰をする絶対的存在などいないのだと言われているかのようにもとれる。
モーゼがラムセスに追放されて行き着いたところで、妻をめとる。その地で子供が産まれ静かに暮らすはずもなく、またヘブライ人を助けるために羊飼いと共に山へ行き、神の啓示を受ける。神の使いは少年であり、他の人間には見えない。
神がエジプト人たちに与えた「十の災い」。雲行きが怪しくなり大きな雹が降り、その次はイナゴやバッタなどの害虫の被害、そして河に潜んでいたワニが人間を襲い喰い荒して川が血で真っ赤に染まり草木が枯れる。魚が汚染されて死に、その魚の死によって汚染された川に蛆やアブが湧きはじめ、人間もそれによって病気になり疫病が蔓延する。挙句に、空が黒煙になりヘブライ人の子供だけは助かるようにと、エジプト人の幼子はその黒煙によって息絶えてしまう。
ラムセスの息子もその黒煙の疫病で亡くなってしまう。息子の死を嘆き悲しむエジプトの王ラムセスは、すべてのヘブライ人に国を出ていくように命令する。自由の身となった彼らは紅海の向こう岸へと目指すのだが、後方からエジプト人の軍隊が迫りくる。
ラストの見せ所である、紅海の海が割れる前後の追跡劇までのスペクタルは、なかなかの見ごたえありで、モーゼが率いるヘブライ人たちは荷車を捨てて苦難な山越えをして紅海に辿り着くのに対して、ラムセスのエジプト軍は、危険な崖のある山道を戦車に乗って追いかける。だからというわけか、戦車が道幅が狭いので崖から車輪を踏み外して、次から次へと真っ逆さまに落ちてゆく様は圧巻。
紀元前のエジプトを再現したセットや、割れた紅海での合戦シーンは、それなりに見ごたえあったが、それでも歴史絵巻感みたいなものは、やはり前の「十戒」を超えられていないように思う。
2015年劇場鑑賞作品・・・15映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:紀元前1300年。最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセス(ジョエル・エドガートン)とたもとを分かつ。その裏には、苦境に立たされている40万にも及ぶヘブライの人々を救わねばならないというモーゼの信念があった。そして、彼らのための新天地「約束の地」を探し求めることに。過酷な旅を続ける一方で、彼はエジプトを相手にした戦いを余儀なくされていく。
<感想>モーゼといえば、かつて「10戒」でチャールトン・ヘストンが演じたイスラエル人たちの指導者を思い出します。エジプト王朝の奴隷となり搾取され続ける彼らを引き連れ、約束の地に向かった人物である。リドリー・スコット監督はそんな英雄と、彼を取り巻く出来事を、可能な限りにリアルな物語であることと、同時にモーゼとラムセス、二人の義兄弟の物語を再現するのだ。
始めモーゼは無神論者であり、エジプトに神々が必要なのは人民を効果的に支配するためだと理解している。ところがモーゼはエジプトを追放され、砂漠で神に出会う。そしてラムセスが王になったことで自分が現人神であると信じるようになってしまう。一人は神の声に押され、一人は自分こそが神だど信じる。この設定が二人の対決を生み出すことになる。
主人公モーゼにはクリスチャン・ベイルがさすがにオスカー俳優だけのことはある。彼は役のためなら髪の毛を抜いたり、体重を落とすなどは朝飯前で、この作品のなかではモーゼらしく長い髪の毛と髭をはやして、エブライ人たちを引き連れて、あの有名な紅海を渡るシーンを見せてくれる。
しかし、ジョエル・エドガートン演じるラムセスの人間味が素晴らしく、この悪役の王の出る場面は、中々様になっているのだ。その母親には、シガーニー・ウィーヴァーが、それにラムセスの父王であるセティ王にジョン・タートゥーロが演じているし、ヘブライ人の長老にはベン・キングズリーといったベテラン俳優が脇を固めている。
モーゼとラムセスがひどくもろくて人間くさいのは最近の聖書劇映画の傾向どおりなのだけれど、神の使い(少年)までもがそうなので、信仰をする絶対的存在などいないのだと言われているかのようにもとれる。
モーゼがラムセスに追放されて行き着いたところで、妻をめとる。その地で子供が産まれ静かに暮らすはずもなく、またヘブライ人を助けるために羊飼いと共に山へ行き、神の啓示を受ける。神の使いは少年であり、他の人間には見えない。
神がエジプト人たちに与えた「十の災い」。雲行きが怪しくなり大きな雹が降り、その次はイナゴやバッタなどの害虫の被害、そして河に潜んでいたワニが人間を襲い喰い荒して川が血で真っ赤に染まり草木が枯れる。魚が汚染されて死に、その魚の死によって汚染された川に蛆やアブが湧きはじめ、人間もそれによって病気になり疫病が蔓延する。挙句に、空が黒煙になりヘブライ人の子供だけは助かるようにと、エジプト人の幼子はその黒煙によって息絶えてしまう。
ラムセスの息子もその黒煙の疫病で亡くなってしまう。息子の死を嘆き悲しむエジプトの王ラムセスは、すべてのヘブライ人に国を出ていくように命令する。自由の身となった彼らは紅海の向こう岸へと目指すのだが、後方からエジプト人の軍隊が迫りくる。
ラストの見せ所である、紅海の海が割れる前後の追跡劇までのスペクタルは、なかなかの見ごたえありで、モーゼが率いるヘブライ人たちは荷車を捨てて苦難な山越えをして紅海に辿り着くのに対して、ラムセスのエジプト軍は、危険な崖のある山道を戦車に乗って追いかける。だからというわけか、戦車が道幅が狭いので崖から車輪を踏み外して、次から次へと真っ逆さまに落ちてゆく様は圧巻。
紀元前のエジプトを再現したセットや、割れた紅海での合戦シーンは、それなりに見ごたえあったが、それでも歴史絵巻感みたいなものは、やはり前の「十戒」を超えられていないように思う。
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