『ビフォア』シリーズなどのリチャード・リンクレイター監督がメガホンを取り、6歳の少年とその家族の12年にわたる軌跡をつづった人間ドラマ。主人公を演じた新星エラー・コルトレーンをはじめ、主要人物4人を同じ俳優が12年間演じ、それぞれの変遷の歴史を映し出す。主人公の母をパトリシア・アークエット、母と離婚しアラスカに行ってしまった父をイーサン・ホークが熱演。お互いに変化や成長を遂げた家族の喜怒哀楽を刻み付けた壮大な歴史に息をのむ。
あらすじ:メイソン(エラー・コルトレーン)は、母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)とテキサス州の小さな町で生活していた。彼が6歳のとき、母は子供たちの反対を押し切って祖母が住むヒューストンへの引っ越しを決める。さらに彼らの転居先に、離婚してアラスカに行っていた父(イーサン・ホーク)が1年半ぶりに突然現れ……。
<感想>東北でもやっとミニシアターでの上映、今年のアカデミー賞有力候補ということもあってか、座席55席しかない小さな部屋での連日超満員で、通路に椅子まで出る大盛況です。このシアターでは他に95席の部屋が2つもあるのに、何故か一番狭い部屋での上映とは、劇場側がわざと満員御礼の状況を作っているとしか思えません。
しかしながら、上映が始まると主人公のメイソンを演じるエラー・コルトレーン君に、姉のサマンサのローレライ・リンクレイター、父親にはイーサン・ホークに母親がパトリシア・アークエット(ニコラス・ケイジの元奥さんで、12年間の彼女の変貌に驚いた)という4人の家族を、12年間リアルタイムで、同じ俳優、同じ子役で、一つの家族を構成し、時間が流れていくままに、その4人の家族を撮影していくと書けば、ドキュメンタリー映画かと思ってしまう。
それが、これがれっきとした劇映画なのだから恐れ入る。つまりはあらかじめキャスティングした俳優に与えられた役を演じさせ、撮影は1年につき3~4日とはいえ、それが12年も続くのだからよほどの覚悟がなければできないだろう。中でも姉役のローレライはファミリーネームから判るように監督の娘だし、父親役のイーサンも監督とは朋友の仲で身内のような関係なのだ。
とりわけ、主人公エラー・コルトレーン君は撮影を始めた時は6才だった。その少年メイソンが12年後、18歳になる。それはつまり、メイソン役のコルトレーン君も18歳になったということ。利発そうな、子供にしてはちょっとエキセトリックな表情を浮かべるメイソン、その面影が消えないまま18歳の青年になっていく。コルトレーン君の18歳までの成長ぶりを観ているだけでも楽しいのですが、少年は人生の主役というよりは傍観者として、全てを経験し、感じ取っていく。
これはどうみても感動しないわけにはいかない。観客もその12年間をまるで自分のことのように目撃できるのだから。彼の、家族の、私が実際に自分たちの娘たちを育てあげてきた、その経験をスクリーンで味わい直すというような感覚を覚えた。
ですが、この物語では、両親が離婚して子供二人は母親に引き取られ、毎月1、2回父親が訪ねて来て子供を外へ連れ出して、ボーリングやキャンプとか一緒に家族なんだという証を演じている。
ところが、この母親は子育てをしているかというとそうでもない。次々と離婚と結婚を繰り返し、1番目の夫イーサンはロック歌手で家に殆どいないし、どうやら浮気をしたみたいで離婚。その後、若い彼女が出来て再婚し、姉弟にとっては幼い弟が生まれている。
2番目の夫は彼女が通っていた大学の教授で、2人の子持ち。彼はアル中で、DVで彼女を苦しめ子供たちにも被害が及ぶ。まるで俺様がこの家の王だとばかりに威張って、子供4人に対しても厳しい躾けを強要するのだ。
何とかそのDV男とは離婚できたようで、懲りずに自分が大学で教勉をとっている生徒で、元イラク戦士の若い男。その彼もどういうわけかDV男で彼女を苦しめ子供たちにも影響を及ぼすのだ。
どういうわけか母親は大学院修士課程まで取り、大学の講師になっているのに、頭のいい女性は男を見る目が無いようだ。だから、二人の子供たちはそういう母親と一緒に家族というアツレキの中で青春期を過ごし、姉のサマンサはテキサス大学へと、親の元を離れて寮生活を謳歌し男もいるようだ。
弟のメイソンは、母親の離婚後、家を転々する度に、友達から虐めを受けたりし、それでも自分を見失わずまっすぐに生きようとする。大学も姉と同じテキサスへと入学して、写真家への道を進む。
6才のメイソンが12年の間に、喜びや悲しみがいっぱい詰まった家族の時間も、映画にしてしまえばたったの3時間弱。編集に大変だったろうに。観ていて皮肉なことに実際には、もっと短く感じられた。メイソンがラストで彼女と共に、「今の一瞬を大切に生きよう」という言葉に、これまでの成長過程が見て取れて嬉しかった。
日本では、親が離婚して母親が子供を引き取った場合は、殆どが母親が馬車馬のように働き、子育てをして、成人まで育て上げる。その間に父親が子供の養育費を支払い、子供を連れて遊びに行くということは、稀でしょう。
これから先、家族が一緒の時間はそんなにない。子育てを終えた母親のようにアークエットが、メイソンが家を出ていく時に自分の人生について「もう、後は私の葬式だけ」と叫ぶところで、・・・ふと自分の人生もそうだろうかと、まだまだ老後は長いと思う。子育てが終えてこれからまた、第3の人生を好きなように思いっきりエンジョイしようではないか。
時代の荒波の中で自分を見失わずに、ひたむきに生きようとする家族の姿は、現代アメリカの普遍的な家族像と重なってくるように見えた。
2015年劇場鑑賞作品・・・14映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:メイソン(エラー・コルトレーン)は、母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)とテキサス州の小さな町で生活していた。彼が6歳のとき、母は子供たちの反対を押し切って祖母が住むヒューストンへの引っ越しを決める。さらに彼らの転居先に、離婚してアラスカに行っていた父(イーサン・ホーク)が1年半ぶりに突然現れ……。
<感想>東北でもやっとミニシアターでの上映、今年のアカデミー賞有力候補ということもあってか、座席55席しかない小さな部屋での連日超満員で、通路に椅子まで出る大盛況です。このシアターでは他に95席の部屋が2つもあるのに、何故か一番狭い部屋での上映とは、劇場側がわざと満員御礼の状況を作っているとしか思えません。
しかしながら、上映が始まると主人公のメイソンを演じるエラー・コルトレーン君に、姉のサマンサのローレライ・リンクレイター、父親にはイーサン・ホークに母親がパトリシア・アークエット(ニコラス・ケイジの元奥さんで、12年間の彼女の変貌に驚いた)という4人の家族を、12年間リアルタイムで、同じ俳優、同じ子役で、一つの家族を構成し、時間が流れていくままに、その4人の家族を撮影していくと書けば、ドキュメンタリー映画かと思ってしまう。
それが、これがれっきとした劇映画なのだから恐れ入る。つまりはあらかじめキャスティングした俳優に与えられた役を演じさせ、撮影は1年につき3~4日とはいえ、それが12年も続くのだからよほどの覚悟がなければできないだろう。中でも姉役のローレライはファミリーネームから判るように監督の娘だし、父親役のイーサンも監督とは朋友の仲で身内のような関係なのだ。
とりわけ、主人公エラー・コルトレーン君は撮影を始めた時は6才だった。その少年メイソンが12年後、18歳になる。それはつまり、メイソン役のコルトレーン君も18歳になったということ。利発そうな、子供にしてはちょっとエキセトリックな表情を浮かべるメイソン、その面影が消えないまま18歳の青年になっていく。コルトレーン君の18歳までの成長ぶりを観ているだけでも楽しいのですが、少年は人生の主役というよりは傍観者として、全てを経験し、感じ取っていく。
これはどうみても感動しないわけにはいかない。観客もその12年間をまるで自分のことのように目撃できるのだから。彼の、家族の、私が実際に自分たちの娘たちを育てあげてきた、その経験をスクリーンで味わい直すというような感覚を覚えた。
ですが、この物語では、両親が離婚して子供二人は母親に引き取られ、毎月1、2回父親が訪ねて来て子供を外へ連れ出して、ボーリングやキャンプとか一緒に家族なんだという証を演じている。
ところが、この母親は子育てをしているかというとそうでもない。次々と離婚と結婚を繰り返し、1番目の夫イーサンはロック歌手で家に殆どいないし、どうやら浮気をしたみたいで離婚。その後、若い彼女が出来て再婚し、姉弟にとっては幼い弟が生まれている。
2番目の夫は彼女が通っていた大学の教授で、2人の子持ち。彼はアル中で、DVで彼女を苦しめ子供たちにも被害が及ぶ。まるで俺様がこの家の王だとばかりに威張って、子供4人に対しても厳しい躾けを強要するのだ。
何とかそのDV男とは離婚できたようで、懲りずに自分が大学で教勉をとっている生徒で、元イラク戦士の若い男。その彼もどういうわけかDV男で彼女を苦しめ子供たちにも影響を及ぼすのだ。
どういうわけか母親は大学院修士課程まで取り、大学の講師になっているのに、頭のいい女性は男を見る目が無いようだ。だから、二人の子供たちはそういう母親と一緒に家族というアツレキの中で青春期を過ごし、姉のサマンサはテキサス大学へと、親の元を離れて寮生活を謳歌し男もいるようだ。
弟のメイソンは、母親の離婚後、家を転々する度に、友達から虐めを受けたりし、それでも自分を見失わずまっすぐに生きようとする。大学も姉と同じテキサスへと入学して、写真家への道を進む。
6才のメイソンが12年の間に、喜びや悲しみがいっぱい詰まった家族の時間も、映画にしてしまえばたったの3時間弱。編集に大変だったろうに。観ていて皮肉なことに実際には、もっと短く感じられた。メイソンがラストで彼女と共に、「今の一瞬を大切に生きよう」という言葉に、これまでの成長過程が見て取れて嬉しかった。
日本では、親が離婚して母親が子供を引き取った場合は、殆どが母親が馬車馬のように働き、子育てをして、成人まで育て上げる。その間に父親が子供の養育費を支払い、子供を連れて遊びに行くということは、稀でしょう。
これから先、家族が一緒の時間はそんなにない。子育てを終えた母親のようにアークエットが、メイソンが家を出ていく時に自分の人生について「もう、後は私の葬式だけ」と叫ぶところで、・・・ふと自分の人生もそうだろうかと、まだまだ老後は長いと思う。子育てが終えてこれからまた、第3の人生を好きなように思いっきりエンジョイしようではないか。
時代の荒波の中で自分を見失わずに、ひたむきに生きようとする家族の姿は、現代アメリカの普遍的な家族像と重なってくるように見えた。
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