認知症の父親と末期患者の母親を抱えた一家の苦悩を通し、高齢化社会や認知症、尊厳死などの問題を描いた社会派ドラマ。きれいごとでは済まされない介護の現実に迫る重い内容から、1984年に製作されるも劇場未公開となっていた幻の傑作が30年を経てよみがえる。
あらすじ:昭和59年(1984年)、新潟県。元漁師の安田源吾(三國連太郎)は、老人特有の認知症で毎晩はいかいを繰り返していた。さらに妻のトミ(初井言榮)に、余命半年という重病が発覚する。不治の病で死を待つばかりの老母の「殺してくれ」という訴えに悩まされる息子夫婦たち。するとある日、長男の忠雄(田村高廣)が、医者(下條アトム)に対して安楽死の提案をし……。
<感想>三國連太郎の出演作のなかで唯一未公開だった、認知症の老父と死期を迎える老母を抱える家族の苦悩を描いたドラマである。現代の日本を予見するかのような高齢化社会と、尊厳死の問題を扱い、過酷な状況の下での家族の繋がりと、愛情の先にある希望を描いている。気になっていた映画で、先週で終了とのこと、急いで観賞に漕ぎつけました。
新潟の漁村で、かつては漁師だった老人が認知症を患っている。彼は夜毎に海岸を徘徊して、小便を垂れ流し、過剰な食欲を抑えることができない。長年連れ添った妻もまた、不治の病の犠牲となり、毎日を激痛のうちに過ごしている。
長男はそんな母親を見かねて、医師に安楽死を依頼するが、にべもなく拒絶されてしまう。
妻は絶望のあまり夫を刺殺して心中を試みるが失敗してしまうのだ。やがて、彼女が死に、親戚縁者によって野辺送りが行われる。老人は妻の死を理解できず、家に置き去りにされるのだが、彼は衝動的に外へと飛び出し、葬式の行列のところまで駆け出して、「こんなところにいたら死んでしまうよ」と、妻の棺に向かって話かける。
三國連太郎がこの老人を演じた時には61歳であったそうで、彼は役つくりのために歯という歯を抜き、毎日2時間かけてみずからメイキャップをしたというのだ。この映画の2年後には、吉田喜重の「人間の約束」(86)に出演していることを考えると、この時期の三國さんが老いと痴呆という主題に、いかに憑りつかれていたかが理解できる。
映画史上のミッシングトリップって感じでしょうか。内容が余りにも暗すぎると言う理由から、上映の引受先が決まらず、そのまま30年に渡ってお蔵入りとなっていた作品。
製作時に上映されていれば、確かに暗くて重苦しい映画でしかなかったであろうが、主演の三國さんも、初井さんに、息子の田村さんまでもが、今は亡き人となっては、もうこんな芝居をする役者たちがいないことに粛然とせざるを得ない。特殊メイクの域に達した三國さんの怪老人姿は明らかにやり過ぎのような感じもしたが、食欲が肥大化した痴呆老人をこの人が演じれば、ここまで鬼気迫るものになるのも当然のことだと納得できる。
それは三國連太郎の演技が凄いのは当然のことだが、その老妻役の初井言榮さんの入魂の演技にも拍手をしたい。三國さんの演技は、尊厳死のテーマが霞むほどの強烈さを放ち、初井さんが負けじと挑む果物ナイフで、長年連れ添った三國さんを刺そうとする下りは、本作屈指の歪んだラブシーンのようにも見えました。
脚本も演出も、カメラも、俳優陣の演技も、全て楷書に書かれたように正確で、ガッチリとした作品です。それが逆に新鮮にも取れました。ロケ地も効果的でしたね。なにしろ近年の日本の映画は、ひらがなやカタカナ文体の作品がほとんどで、台詞すら聞き取れないこともあるが、この作品にはそういった曖昧なシーンは一切ない。
そして、まさに今日的なテーマでもあります。老いることの無念さと、家族の困惑をしっかりと見つめ、安楽死にまで触れているのには驚きました。まだまだ若いと自負している人たち、老いは自然といつの間にか忍び寄ってくる。自分が気付かないだけなのだ。
2014年劇場鑑賞作品・・・275 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:昭和59年(1984年)、新潟県。元漁師の安田源吾(三國連太郎)は、老人特有の認知症で毎晩はいかいを繰り返していた。さらに妻のトミ(初井言榮)に、余命半年という重病が発覚する。不治の病で死を待つばかりの老母の「殺してくれ」という訴えに悩まされる息子夫婦たち。するとある日、長男の忠雄(田村高廣)が、医者(下條アトム)に対して安楽死の提案をし……。
<感想>三國連太郎の出演作のなかで唯一未公開だった、認知症の老父と死期を迎える老母を抱える家族の苦悩を描いたドラマである。現代の日本を予見するかのような高齢化社会と、尊厳死の問題を扱い、過酷な状況の下での家族の繋がりと、愛情の先にある希望を描いている。気になっていた映画で、先週で終了とのこと、急いで観賞に漕ぎつけました。
新潟の漁村で、かつては漁師だった老人が認知症を患っている。彼は夜毎に海岸を徘徊して、小便を垂れ流し、過剰な食欲を抑えることができない。長年連れ添った妻もまた、不治の病の犠牲となり、毎日を激痛のうちに過ごしている。
長男はそんな母親を見かねて、医師に安楽死を依頼するが、にべもなく拒絶されてしまう。
妻は絶望のあまり夫を刺殺して心中を試みるが失敗してしまうのだ。やがて、彼女が死に、親戚縁者によって野辺送りが行われる。老人は妻の死を理解できず、家に置き去りにされるのだが、彼は衝動的に外へと飛び出し、葬式の行列のところまで駆け出して、「こんなところにいたら死んでしまうよ」と、妻の棺に向かって話かける。
三國連太郎がこの老人を演じた時には61歳であったそうで、彼は役つくりのために歯という歯を抜き、毎日2時間かけてみずからメイキャップをしたというのだ。この映画の2年後には、吉田喜重の「人間の約束」(86)に出演していることを考えると、この時期の三國さんが老いと痴呆という主題に、いかに憑りつかれていたかが理解できる。
映画史上のミッシングトリップって感じでしょうか。内容が余りにも暗すぎると言う理由から、上映の引受先が決まらず、そのまま30年に渡ってお蔵入りとなっていた作品。
製作時に上映されていれば、確かに暗くて重苦しい映画でしかなかったであろうが、主演の三國さんも、初井さんに、息子の田村さんまでもが、今は亡き人となっては、もうこんな芝居をする役者たちがいないことに粛然とせざるを得ない。特殊メイクの域に達した三國さんの怪老人姿は明らかにやり過ぎのような感じもしたが、食欲が肥大化した痴呆老人をこの人が演じれば、ここまで鬼気迫るものになるのも当然のことだと納得できる。
それは三國連太郎の演技が凄いのは当然のことだが、その老妻役の初井言榮さんの入魂の演技にも拍手をしたい。三國さんの演技は、尊厳死のテーマが霞むほどの強烈さを放ち、初井さんが負けじと挑む果物ナイフで、長年連れ添った三國さんを刺そうとする下りは、本作屈指の歪んだラブシーンのようにも見えました。
脚本も演出も、カメラも、俳優陣の演技も、全て楷書に書かれたように正確で、ガッチリとした作品です。それが逆に新鮮にも取れました。ロケ地も効果的でしたね。なにしろ近年の日本の映画は、ひらがなやカタカナ文体の作品がほとんどで、台詞すら聞き取れないこともあるが、この作品にはそういった曖昧なシーンは一切ない。
そして、まさに今日的なテーマでもあります。老いることの無念さと、家族の困惑をしっかりと見つめ、安楽死にまで触れているのには驚きました。まだまだ若いと自負している人たち、老いは自然といつの間にか忍び寄ってくる。自分が気付かないだけなのだ。
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