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キャリー ★★★★

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1976年にブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセク主演で映画化されたスティーブン・キングの同名小説を、クロエ・モレッツ主演で再映画化。超能力を秘めた内気な少女キャリーが引き起こす惨劇を描くサイコサスペンスで、「ボーイズ・ドント・クライ」のキンバリー・ピアース監督がメガホンをとった。
地味で冴えない高校生のキャリーは、学校では笑い者にされ、家では狂信的な母親に厳しく監視され、孤独で鬱屈した日々を送っていた。やがて、学校の人気者トミーとプロムパーティに参加することになり、母親の反対を押し切ってパーティにでかけたキャリーだったが……。

<感想>シシー・スペイセク主演のオリジナル版を以前に観た。こちらは冒頭からたいそう挑発的な恐怖に取り憑かれた女がベッドでのたうち回っている光景から始まっている。それはキャリーの母親ジュリアンの出産シーンなのだが、まるで悪魔憑きのような感じで、これから酷いことが始まる予感一杯な嫌な時間が続くことが分かる。
原作でも説明しているように、母親のマーガレットは、性交、妊娠、出産といったことに関してまったく無知のまま、キャリーを孕んで産んでしまった。だからきっと悪魔かなんか憑き物でも自分の股間から出てきたと思ったのか、へその緒を切るハサミで、我が子の眼にハサミを突き刺そうとして殺そうとする。

しかし、性教育も受けないで自分の体の変化に気付かないで出産をするなんて、だから娘のキャリーにも女性の初潮のことを教えていなかったダメな母親なのだ。娘が遅咲きの初潮を迎えて、驚きわめき騒ぐシャワールームで、友達にタンポンをぶつけられて笑われる以上に恐ろしい事態なのだ。
それに、母親は、苦しんで一人で出産をして、赤ん坊のへその緒を切らずに抱きしめ、さながら子離れできない親の怖さをこれからの物語の伏線のように知らしめているようだ。
「キャリー」は、本来超能力の少女が、いじめ傷つけたすべての人々へ復讐するお話なのだが、リメイク版では、母と娘の間にあるドロドロとした関係を非常にうまく描いているようでもある。

キャリーは特殊能力を持ち、同時に可愛らしくて知性のある娘なのだが、母親が娘を「お前など単なるメスにすぎない」と言わんばかりの仕打ちを受ける。それと、大出血サービスとばかりの“女”を家畜と同等とみなすごとく繰り出される「豚の血」の大放出がハイライトです。
母親の信仰には、性的な欲望を持つことも、性的快楽を楽しむことも、ともに肉の交わりを前提とする点では、堕落であり罪だと特有のキリスト教根本主義がある。この考えの根底には、男を誘惑するから女には罪があるという、極めて男性中心的な考え方が潜んでいるようだ。

だが、リメイク版の冒頭でのシーンの母親は、一人で抱え込んでいた宗教的罪悪感への重荷が、娘を得ることで変化してゆくのが読み取れる。そして、娘を自分自身の狂言世界へ服従させることで、自分の信仰を強固にし、才能ある娘に憧れと恐怖を抱くところがあり、規律と愛情の間で揺れ動く微妙なところを、ジュリアン・ムーアは実に上手く演じている。
印象的だったのが、クリーニング店で働く母親のマーガレットが、キャリーの友人スー・スネルの母親と会話するシーン。マーガレットは自分自身を罰すれば罰するほど「女=悪」というキリスト教的正しさを死守することができるわけだから、平然と微笑むことが出来るとばかりに、自分の足に針を突き刺す。
一方、スーの母親は、娘同様にホワイト母娘に対して、同情心を持っていながらそれをうまく伝えることが出来ない。何とも緊張感が漂うもどかしい場面である。
デ・パルマ版のちょっと拒食症的なキャリーと違って、リメイク版は顔つきに幼さが残り、いかにもゴスロリファッションが似合いそうなクロエ・グレースがキャリーを演じていて、母親の持つ娘の理想像が、実年齢よりずっと幼いところに留まっているように見受けられた。

さすがに女性監督の演出は、男性の立ち入れない女子更衣室、女教師と女子学生、クラスメートの女同士の葛藤と友情、同世代の友人に対する憧れと嫉妬、密室的な母娘といった女同士の関係を緻密に構成していて面白かった。
クライマックス、虐められっ子の逆襲というどんでん返しではなく「ああ、やっぱりクロエにそんなことしたら、酷い目に遭うに決まっているのに」と、実際映画もそこのみに集中しているのは正解といえば正解かもしれない。しかし、プロムパーティーの大暴れでも、武器が念力なので、目を剥いて見栄をきるだけ。クロエちゃんの鍛えあげられた身体が見事に生かされていないのが惜しい。あと、念力の使い過ぎで、その分ラストの気持ちが薄まって見えてしまう。

キャリーの大爆発の後、疲れ切った娘を見て母親は優しく抱きしめるどころか、娘が宗教的な罪を犯すくらいなら、いっそ殺そうと思い詰めて襲い掛かる。娘と自分自身の区別がつかず、娘を通して自己実現したい気持ちと、娘には自分と同じように苦しんでもらいたいと願う気持ちが交錯して「アンタを殺して自分も死ぬ」とばかりに娘に襲い掛かる。
そんな彼女にキャリーは、ついにキレて家じゅうの刃物を差し向けるわけ。しかし、キャリーは母親を捨て去ることが出来ず、この母娘は心中するかのように、家ごと地中に沈みフェミニシスト的な怒りは再び隠蔽されたように見えるのだが、・・・。
そうした母娘の問題系を、スーの母娘、そして孫娘へと転移させてみせたのが、
どうやらキャリー的なる凝った悪念は死んでいない、という幕切れ。自分の怖りを内へと向けて消えてしまいたくなっている少女を、現世に繋ぎ止めるような効力は、リメイク版でも健在だと思った。
2013年劇場鑑賞作品・・・318 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


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