アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」(1979)、アレクサンドル・ソクーロフの「日陽はしづかに発酵し…」(88)などの原作で知られるロシアのSF作家ストルガツキー兄弟の「収容所惑星」を映画化したロシア製SF大作。
あらすじ:2157年、深宇宙。自由調査団の宇宙船パイロット、マクシム(ワシリー・ステパノフ)は宇宙飛行中に思わぬ隕石事故に巻き込まれ、謎の惑星に不時着する。何とか脱出したものの、その直後に宇宙船は爆発。住民によって捕虜にされた彼は、親衛隊のガイ・ガール伍長(ピョートル・フョードロフ)によって首都に連行されることに。しかしその道中、輸送車両が“ニュータイプ”と呼ばれる種族の襲撃を受けてしまう。
マクシムは瀕死の重傷を負ったガイを救出し、脱走に成功。この惑星“サラクシ”が、軍事独裁政権“匿名の父たち”によって支配されていることを知る。潜伏先の街中で偶然出会ったガイの妹、ラダ・ガール(ユーリヤ・スニギーリ)と恋に落ちるマクシム。
彼女と一緒にいたところを何者かに襲われ、優れた戦闘能力を発揮した彼は、ガイにその実力を認められて親衛隊候補になったものの、入隊を拒否したために処刑されてしまう。
ところが、特殊な治癒能力によって一命を取り留め、反政府組織のニュータイプに匿われる。そこでマクシムは、政府が惑星のあらゆる場所に“防衛塔”とは名ばかりの発信基地を設置し、そこから特殊光線を放射して民衆をマインド・コントロールしている事実を知る。こうして、マクシムは命懸けの“匿名の父たち”転覆計画に参加することになるが……。
本国ロシアでは2部作として公開された作品を1本にまとめた「インターナショナル版」が日本公開。
<感想>先週トム・クルーズの「オブリビアン」を観てきた。それとは違うのだが、面白そうなのでSF好きにはこういう映画たまりませんね。ロシアというより旧ソ連のSF作家ストルガツキー兄弟の「収容所惑星」。彼らの作品の映画化といえば、だいぶ前の世代のタルコフスキー監督の「ストーカー」だと思う。比較しては気の毒だが、比べるなというのも無理、と思いながら見初めたが、SF的な描写を一切使わずに、謎の立ち入り禁止区間「ゾーン」を観念的に表現したのだが、本作品では冒頭から宇宙船に、未来人?、そしてハデなバトルシーンなどが満載なんです。主人公は金髪のイケメン、ワシリー・ステパノフ。監督は40代半ばだから「ストーカー」と見比べてはいけませんね。
それにしてもストルガツキーの世界はかくも過剰なのか、と驚くばかりである。宇宙で自分探し中の若者マクシムが、偶然不時着してしまった惑星サラクシは、夢の未来世界ではなくて、支配階級に抑圧された人民がうごめくディストピアだった。
その悪い近未来があますところなく映像化されて、空は常に重く暗く、大気は汚染され、支配階級はいかにもワルで、それ以外の庶民は貧しく、非衛生的な生活を送りながら重労働や兵役に従事して、理不尽な抗争や戦闘を繰り広げている。
もちろんこんな映像には「ブレードランナー」その他で体験ずみという既視感をおぼえるのだが、それでもここまでの大盤振る舞いは見たことない。いったい何人のスタッフやキャストで、いくらの予算を掛けたのか、などと野暮なことを考えたくなるくらいのいわゆる娯楽作になっています。
物語は主人公マクシムが、この惑星の謎解きをしながら、彼自身、人々が圧政に苦しめられるこの星で、友情や恋愛、使命感に目覚めて立ち上がるという成長のスタイルを取っている。それ自体はとても古典的でいいのだが、そこはストルガツキー兄弟、単純な善悪の構図の中で、「戦った、戦った、成長した」というお話を書くわけない。原作の「収容所惑星」を読んではいないが、支配階級は本当にワルなのか、正義と思われる側も加担あるいは容認しているのではないか?・・・マクシムのやったことは本当に人々のためになったのか、といったむずかしい問いかけが仕込まれているのだ。
本作もそのあたりを完全に無視するわけにはいかなかったようだが、それを追求するとエンタメとしては後味の悪いものになりかねない。おそらくはその点が一番の悩みどころではなかったか、物語の中では、「ボクのやったことは間違っていたの?」というマクシムの葛藤はそれなりに克服されたように見えました。まぁ、それでも主人公がイケメンだったので、展開としては面白く観られましたよ。
2013年DVD鑑賞作品・・・30 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキングへ
あらすじ:2157年、深宇宙。自由調査団の宇宙船パイロット、マクシム(ワシリー・ステパノフ)は宇宙飛行中に思わぬ隕石事故に巻き込まれ、謎の惑星に不時着する。何とか脱出したものの、その直後に宇宙船は爆発。住民によって捕虜にされた彼は、親衛隊のガイ・ガール伍長(ピョートル・フョードロフ)によって首都に連行されることに。しかしその道中、輸送車両が“ニュータイプ”と呼ばれる種族の襲撃を受けてしまう。
マクシムは瀕死の重傷を負ったガイを救出し、脱走に成功。この惑星“サラクシ”が、軍事独裁政権“匿名の父たち”によって支配されていることを知る。潜伏先の街中で偶然出会ったガイの妹、ラダ・ガール(ユーリヤ・スニギーリ)と恋に落ちるマクシム。
彼女と一緒にいたところを何者かに襲われ、優れた戦闘能力を発揮した彼は、ガイにその実力を認められて親衛隊候補になったものの、入隊を拒否したために処刑されてしまう。
ところが、特殊な治癒能力によって一命を取り留め、反政府組織のニュータイプに匿われる。そこでマクシムは、政府が惑星のあらゆる場所に“防衛塔”とは名ばかりの発信基地を設置し、そこから特殊光線を放射して民衆をマインド・コントロールしている事実を知る。こうして、マクシムは命懸けの“匿名の父たち”転覆計画に参加することになるが……。
本国ロシアでは2部作として公開された作品を1本にまとめた「インターナショナル版」が日本公開。
<感想>先週トム・クルーズの「オブリビアン」を観てきた。それとは違うのだが、面白そうなのでSF好きにはこういう映画たまりませんね。ロシアというより旧ソ連のSF作家ストルガツキー兄弟の「収容所惑星」。彼らの作品の映画化といえば、だいぶ前の世代のタルコフスキー監督の「ストーカー」だと思う。比較しては気の毒だが、比べるなというのも無理、と思いながら見初めたが、SF的な描写を一切使わずに、謎の立ち入り禁止区間「ゾーン」を観念的に表現したのだが、本作品では冒頭から宇宙船に、未来人?、そしてハデなバトルシーンなどが満載なんです。主人公は金髪のイケメン、ワシリー・ステパノフ。監督は40代半ばだから「ストーカー」と見比べてはいけませんね。
それにしてもストルガツキーの世界はかくも過剰なのか、と驚くばかりである。宇宙で自分探し中の若者マクシムが、偶然不時着してしまった惑星サラクシは、夢の未来世界ではなくて、支配階級に抑圧された人民がうごめくディストピアだった。
その悪い近未来があますところなく映像化されて、空は常に重く暗く、大気は汚染され、支配階級はいかにもワルで、それ以外の庶民は貧しく、非衛生的な生活を送りながら重労働や兵役に従事して、理不尽な抗争や戦闘を繰り広げている。
もちろんこんな映像には「ブレードランナー」その他で体験ずみという既視感をおぼえるのだが、それでもここまでの大盤振る舞いは見たことない。いったい何人のスタッフやキャストで、いくらの予算を掛けたのか、などと野暮なことを考えたくなるくらいのいわゆる娯楽作になっています。
物語は主人公マクシムが、この惑星の謎解きをしながら、彼自身、人々が圧政に苦しめられるこの星で、友情や恋愛、使命感に目覚めて立ち上がるという成長のスタイルを取っている。それ自体はとても古典的でいいのだが、そこはストルガツキー兄弟、単純な善悪の構図の中で、「戦った、戦った、成長した」というお話を書くわけない。原作の「収容所惑星」を読んではいないが、支配階級は本当にワルなのか、正義と思われる側も加担あるいは容認しているのではないか?・・・マクシムのやったことは本当に人々のためになったのか、といったむずかしい問いかけが仕込まれているのだ。
本作もそのあたりを完全に無視するわけにはいかなかったようだが、それを追求するとエンタメとしては後味の悪いものになりかねない。おそらくはその点が一番の悩みどころではなかったか、物語の中では、「ボクのやったことは間違っていたの?」というマクシムの葛藤はそれなりに克服されたように見えました。まぁ、それでも主人公がイケメンだったので、展開としては面白く観られましたよ。
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