「MIND GAME マインド・ゲーム」「ピンポン THE ANIMATION」「夜は短し歩けよ乙女」の鬼才・湯浅政明監督が、自身初の完全オリジナルで描く長編青春ファンタジー・アニメーション。田舎の港町を舞台に、塞ぎがちな少年が歌が大好きな人魚の少女との出会いを通して少しずつ心を解き放ち、やがて町に訪れた大きな危機に立ち向かっていく姿を、丁寧な日常描写と躍動感あふれるアクションで描き出していく。声の出演は人魚ルーに谷花音、少年カイに下田翔大。ほかに篠原信一、柄本明、斉藤壮馬、寿美菜子。
あらすじ:寂れた漁港の町、日無町。両親の離婚で東京からここに移り住み、いまは父と祖父との3人暮らしをしている中学生のカイ。鬱屈した毎日を送る彼にとって唯一の楽しみが、自作の曲を匿名でネットにアップすること。そんなある日、正体を知ったクラスメイトの国夫と遊歩に彼らのバンド“セイレーン”に誘われる。仕方なく練習場所の人魚島へ向かったカイは、そこで3人の音楽に合わせて楽しそうに踊る不思議な人魚の少女ルーと遭遇する。やがてそんなルーとの交流が、カイの凝り固まった心に変化をもたらしていくのだったが…。
<感想>本作は「夜は短し歩けよ乙女」に続くその2作目である。酔いと宵の京都ファンタジー・アニメを描いた前作にたいして、本作の舞台は、寂れた漁港の町、日無町。本来なら出会うはずの無い人間の少年と人魚の出会いと別れの物語を、巨大な岩で影ができる日無町という舞台でそれができる。そしてそれはカイの心の中も表している。斎藤和義の名曲である「歌うたいのバラッド」をはじめとする楽曲に乗せて、色彩豊かにつづっているのもいい。
心を閉ざした少年カイが、町の危機に巻き込まれながらも、歌が大好きな人魚の少女ルーと、絆を育む様子を躍動感たっぷりに描き出しているのがいいですよね。本作のテーマは、「心から好きなものを、口に出して“好き”と言えているか?」という疑問がこの物語の出発点だったそうですが、「好き」を隠さないこと。
目にするすべてに「好き」と言うのをためらうカイと人魚のルーの二人を軸に、好きなものにもすぐに「嫌い」と言ってしまうカイの友人、遊歩。昔の思い人への想いを断ち切れない、老婆などが抱くそれぞれの「好き」が、町の危機を通して解放されてゆく。
だが、やがて災いをもたらすとされている人魚の存在が、町の人々に知られてしまう。町の商工会議所である遊歩の父親は、その人魚を町おこしのために使って盛大に祭りをやろうと提案する。高校生の青春ものとは違っていて、何処かダークでバイオレントだった将来へのオリジナル作品と比べ、格段に明るく優しい本作であります。
しかし、その人魚がもたらす災いとは、それは宮崎駿さんの「崖の上のポニョ」とそっくりの作りで、海の母親がここでは父親のクジラ?だと思うのだが、娘を心配して港町へ出て来てびっくりさせるし、父親も大きな傘をさして太陽に当たらないように日陰を探して歩く姿は、まるで人間のように洋服を着ているのだ。
それに、人魚は太陽に弱くて死んでしまうというのだ。だから人魚島は、手前にある御蔭岩で日陰になっていて太陽にさえぎられている。人魚のルーも日傘をさして、いつも日陰を探して歩くというか踊っているのだ。
本作の見どころでは、港町に大嵐のような津波のような大波が押し寄せてきて、大洪水になり、人々は船に逃げたり高台へと逃げたりして大騒ぎになる。この辺なんて「崖の上のポニョ」とそっくりでありますからね。
最後が、波は引いていくのですが、クライマックスで日無町が日陰になっていた大きい御蔭岩はなくなるが、それは素直になったカイの心境でもあるように見えた。カイはルーと出会って素直になり、切なさよりも心地よさが感じられる。人魚島の手前の島が大波で削られて無くなり、だから、ルーと会えなくても寂しくは無い。人魚島は太陽に照らされて人魚が住めなくなるというお話。
それでも、監督特有の奇妙な空気感や、何よりよく動く映像と精巧な脚本で生み出されるクライマックスなどは、しっかり健在であります。これからも素晴らしい妄想や空想の世界を魅せてほしいものですよね。
2017年劇場鑑賞作品・・・130映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング/
あらすじ:寂れた漁港の町、日無町。両親の離婚で東京からここに移り住み、いまは父と祖父との3人暮らしをしている中学生のカイ。鬱屈した毎日を送る彼にとって唯一の楽しみが、自作の曲を匿名でネットにアップすること。そんなある日、正体を知ったクラスメイトの国夫と遊歩に彼らのバンド“セイレーン”に誘われる。仕方なく練習場所の人魚島へ向かったカイは、そこで3人の音楽に合わせて楽しそうに踊る不思議な人魚の少女ルーと遭遇する。やがてそんなルーとの交流が、カイの凝り固まった心に変化をもたらしていくのだったが…。
<感想>本作は「夜は短し歩けよ乙女」に続くその2作目である。酔いと宵の京都ファンタジー・アニメを描いた前作にたいして、本作の舞台は、寂れた漁港の町、日無町。本来なら出会うはずの無い人間の少年と人魚の出会いと別れの物語を、巨大な岩で影ができる日無町という舞台でそれができる。そしてそれはカイの心の中も表している。斎藤和義の名曲である「歌うたいのバラッド」をはじめとする楽曲に乗せて、色彩豊かにつづっているのもいい。
心を閉ざした少年カイが、町の危機に巻き込まれながらも、歌が大好きな人魚の少女ルーと、絆を育む様子を躍動感たっぷりに描き出しているのがいいですよね。本作のテーマは、「心から好きなものを、口に出して“好き”と言えているか?」という疑問がこの物語の出発点だったそうですが、「好き」を隠さないこと。
目にするすべてに「好き」と言うのをためらうカイと人魚のルーの二人を軸に、好きなものにもすぐに「嫌い」と言ってしまうカイの友人、遊歩。昔の思い人への想いを断ち切れない、老婆などが抱くそれぞれの「好き」が、町の危機を通して解放されてゆく。
だが、やがて災いをもたらすとされている人魚の存在が、町の人々に知られてしまう。町の商工会議所である遊歩の父親は、その人魚を町おこしのために使って盛大に祭りをやろうと提案する。高校生の青春ものとは違っていて、何処かダークでバイオレントだった将来へのオリジナル作品と比べ、格段に明るく優しい本作であります。
しかし、その人魚がもたらす災いとは、それは宮崎駿さんの「崖の上のポニョ」とそっくりの作りで、海の母親がここでは父親のクジラ?だと思うのだが、娘を心配して港町へ出て来てびっくりさせるし、父親も大きな傘をさして太陽に当たらないように日陰を探して歩く姿は、まるで人間のように洋服を着ているのだ。
それに、人魚は太陽に弱くて死んでしまうというのだ。だから人魚島は、手前にある御蔭岩で日陰になっていて太陽にさえぎられている。人魚のルーも日傘をさして、いつも日陰を探して歩くというか踊っているのだ。
本作の見どころでは、港町に大嵐のような津波のような大波が押し寄せてきて、大洪水になり、人々は船に逃げたり高台へと逃げたりして大騒ぎになる。この辺なんて「崖の上のポニョ」とそっくりでありますからね。
最後が、波は引いていくのですが、クライマックスで日無町が日陰になっていた大きい御蔭岩はなくなるが、それは素直になったカイの心境でもあるように見えた。カイはルーと出会って素直になり、切なさよりも心地よさが感じられる。人魚島の手前の島が大波で削られて無くなり、だから、ルーと会えなくても寂しくは無い。人魚島は太陽に照らされて人魚が住めなくなるというお話。
それでも、監督特有の奇妙な空気感や、何よりよく動く映像と精巧な脚本で生み出されるクライマックスなどは、しっかり健在であります。これからも素晴らしい妄想や空想の世界を魅せてほしいものですよね。
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