東京の武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園の開園100周年事業の一つとして制作された青春ドラマ。同公園と吉祥寺を舞台に、ひょんなことから出会った若い男女3人の姿を、数十年前に作られたある曲との関わりを交えながら追う。監督は『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』などの瀬田なつき。『リトル・フォレスト』シリーズなどの橋本愛、『俺物語!!』などの永野芽郁、『ヒミズ』などの染谷将太らが出演する。
あらすじ:吉祥寺で一人暮らしをする大学生の純(橋本愛)は、今は亡き彼女の父親の恋人だった佐知子(石橋静河)という女性を捜している高校生ハル(永野芽郁)に出会う。彼女と共に佐知子の行方を追うと、その孫トキオ(染谷将太)に遭遇。佐知子の遺品であるオープンリールテープを再生すると、彼女とハルの父・晋平(森岡龍)の歌声が。途中までしか録音されていないその曲を完成させようと純たちは奔走する。
<感想>東京・吉祥寺にある井の頭恩賜公園の開園、100周年記念映画で、公園にまつわる一つの曲が、過去から現在へと、そして未来へと繋がっていく青春音楽映画ドラマ。これは、地元の名物映画館のオーナーだった本田拓夫の発案を、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」の瀬田なつき監督が映像化している。出演は、まず橋本愛が主人公だと思うのだが、昔の写真を手掛かりに大学生の純、橋本愛の部屋を訪ねて来る高校生ハルを演じた永野芽郁が主人公のような感じもした。
それに、写真の孫のトキオに扮した染谷将太他、大学教授に佐野史郎さんが出ていて、純の卒論が提出していないので留年とか、言うのだ。そこへ、50年前に住んでいた佐知子さんという女性を訪ねてきたのをきっかけに、そのことをテーマに卒論を書いてしまう。それに、写真の爺さん、婆さんが出演している。
井の頭公園のそばの古い木造アパートに住む女子大生の純の元へ、亡き父親の元恋人、佐知子・石橋静河を探す女子高生のハルが訪ねて来る。50年ぐらい前の写真で、つまり亡き父親と恋人と思われる佐知子も女子高生であり、公園で音楽活動をしていたらしい。50年前と言えば、日本でフォークソングが流行りだした頃で1970年代の四畳半フォークソングの先駆けですよね。
調べて行くうちに、元恋人、佐知子婆ちゃんはすでに亡くなっており、その孫のトキオ君が一緒に祖母の遺品となる音楽テープを渡される。なにしろ古いテープなので再生してみると、そこに録音されていたハルの父親たちのラブソングは、テープの劣化で途中で音が切れてしまうのだ。
橋本愛が自転車で自由に走り回る姿や、気取らずスッピン的な素顔で演技もいつもの自然体で良かった。中でも、ギターを爪弾きながら歌を歌う愛ちゃん、あまり上手とは言えないが、それなりに聞けた。
後、歌の間に入る染谷将太のラップは、何だか邪魔をしているようで、昔のハルの父・晋平と父親の恋人だった佐知子とのハーモニーは、とても上手くていい感じでした。
3人で歩く井の頭公園での緑に陽の光、風と池、映像が美しくて、それだけで心地よいのだ。
比べてみちゃ悪いが、ハリウッドの「はじまりのうた」を見た時は、とても楽しんだが、こういうのって、つまり女優が立派に歌って音楽を感じさせてくれること、街と音楽を一体のものとして描くこと、商業性とポップさへの無理強いに、断固とした意志としなやかな身のこなしで、叶うことなどはできないのだろう。
本作は公園の映画であり、音楽映画でもあり、もちろん青春映画でもある。多様な人々が集う憩いの場を描くには、もっと公園の中で、他のバンドも大勢演奏して賑やかなミュージカル映画にした方が良かったと思うのだが、結局は吉祥寺フェスにも出ると張り切っていたのだが、出場を断念してしまい最後の方で、公園で純がボーカルで歌うシーンで、終わるのは寂しい。
2017年劇場鑑賞作品・・・128 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング/
あらすじ:吉祥寺で一人暮らしをする大学生の純(橋本愛)は、今は亡き彼女の父親の恋人だった佐知子(石橋静河)という女性を捜している高校生ハル(永野芽郁)に出会う。彼女と共に佐知子の行方を追うと、その孫トキオ(染谷将太)に遭遇。佐知子の遺品であるオープンリールテープを再生すると、彼女とハルの父・晋平(森岡龍)の歌声が。途中までしか録音されていないその曲を完成させようと純たちは奔走する。
<感想>東京・吉祥寺にある井の頭恩賜公園の開園、100周年記念映画で、公園にまつわる一つの曲が、過去から現在へと、そして未来へと繋がっていく青春音楽映画ドラマ。これは、地元の名物映画館のオーナーだった本田拓夫の発案を、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」の瀬田なつき監督が映像化している。出演は、まず橋本愛が主人公だと思うのだが、昔の写真を手掛かりに大学生の純、橋本愛の部屋を訪ねて来る高校生ハルを演じた永野芽郁が主人公のような感じもした。
それに、写真の孫のトキオに扮した染谷将太他、大学教授に佐野史郎さんが出ていて、純の卒論が提出していないので留年とか、言うのだ。そこへ、50年前に住んでいた佐知子さんという女性を訪ねてきたのをきっかけに、そのことをテーマに卒論を書いてしまう。それに、写真の爺さん、婆さんが出演している。
井の頭公園のそばの古い木造アパートに住む女子大生の純の元へ、亡き父親の元恋人、佐知子・石橋静河を探す女子高生のハルが訪ねて来る。50年ぐらい前の写真で、つまり亡き父親と恋人と思われる佐知子も女子高生であり、公園で音楽活動をしていたらしい。50年前と言えば、日本でフォークソングが流行りだした頃で1970年代の四畳半フォークソングの先駆けですよね。
調べて行くうちに、元恋人、佐知子婆ちゃんはすでに亡くなっており、その孫のトキオ君が一緒に祖母の遺品となる音楽テープを渡される。なにしろ古いテープなので再生してみると、そこに録音されていたハルの父親たちのラブソングは、テープの劣化で途中で音が切れてしまうのだ。
橋本愛が自転車で自由に走り回る姿や、気取らずスッピン的な素顔で演技もいつもの自然体で良かった。中でも、ギターを爪弾きながら歌を歌う愛ちゃん、あまり上手とは言えないが、それなりに聞けた。
後、歌の間に入る染谷将太のラップは、何だか邪魔をしているようで、昔のハルの父・晋平と父親の恋人だった佐知子とのハーモニーは、とても上手くていい感じでした。
3人で歩く井の頭公園での緑に陽の光、風と池、映像が美しくて、それだけで心地よいのだ。
比べてみちゃ悪いが、ハリウッドの「はじまりのうた」を見た時は、とても楽しんだが、こういうのって、つまり女優が立派に歌って音楽を感じさせてくれること、街と音楽を一体のものとして描くこと、商業性とポップさへの無理強いに、断固とした意志としなやかな身のこなしで、叶うことなどはできないのだろう。
本作は公園の映画であり、音楽映画でもあり、もちろん青春映画でもある。多様な人々が集う憩いの場を描くには、もっと公園の中で、他のバンドも大勢演奏して賑やかなミュージカル映画にした方が良かったと思うのだが、結局は吉祥寺フェスにも出ると張り切っていたのだが、出場を断念してしまい最後の方で、公園で純がボーカルで歌うシーンで、終わるのは寂しい。
2017年劇場鑑賞作品・・・128