「ダラス・バイヤーズクラブ」「わたしに会うまでの1600キロ」のジャン=マルク・ヴァレ監督がジェイク・ギレンホールを主演に迎え、妻の突然の死で心が壊れ、ふとしたきっかけから破壊衝動を抑えられなくなった男の再生への道のりを見つめたヒューマン・ドラマ。共演はナオミ・ワッツ、クリス・クーパー。
あらすじ:エリート銀行員のデイヴィスは、いつものように妻の運転する車で会社へ向かう途中で事故に遭い、自分は助かったものの、妻を失ってしまう。しかし彼は涙が出ないどころか、悲しみすら感じていない自分に気づいてしまう。彼女を本当に愛していたのか分からなくなってしまったデイヴィス。やがて“心の修理も車の修理も同じだ、まず分解して隅々まで点検し、再び組み立て直せ”との義父の言葉が引き金となり、彼は身の回りのあらゆる物を破壊し始める。一方で、自動販売機から商品が出てこなかったと苦情の手紙を会社に送ったことがきっかけで、苦情処理係のシングルマザー、カレンと知り合い、彼女と息子のクリスと交流を持つようになるデイヴィスだったが…。
<感想>妻を交通事故で亡くしてから、何も感じなかった男が、感情を、人生を取り戻すために苦悩する姿を描く再生の物語。本作の原題「Demolition(破壊)」であって、邦題の違いに驚く。「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」という邦題は、劇中のあるシーンが基になっており「主人公が救われる、癒される、許される以前に焦点を当てたのが原題で、以降に焦点を当てたのが邦題。それは、亡き妻がよくメモ書きしていたことを描いているからだ。
妻が亡くなった日に病院で自販機からピーナッツバーを購入しようとするも、自販機が壊れていてお金を入れても出てこない。無性に腹が立った彼が、その自販機の会社宛てに苦情の手紙を書くことから始まる。その手紙を受け取った女が、カレンのナオミ・ワッツであり、彼女はシングルマザーで一人息子のクリス(ジュダ・ルイス)がいる。それに、同棲はしていないが男もいる。
妻を亡くした喪失感からなのか、なにか主人公の心に闇を抱えているように見えた。妻を愛してなかったといい、涙も出ないと嘆く。会社のCEOである義父が、「心の修理には点検して組み立て直すこと」だと言われたことが引き金になり、身の回りのあらゆるものを破壊し始めるディヴィス。義父はそんな婿の彼を、戸惑いながらも好意的に解釈するのだが、・・・。ディヴィスの奇行は止まらない。
自販機の会社の女カレンと仲良くなり、二人は男女関係をもたないことというルールで、あり得ない形で繋がり、互いを癒し合うようになっていく。彼女は、一人息子のクリスが、登校拒否をして家でブラブラしており、悩みの種でもある。そんな息子と仲良くなるディヴィスは、彼の悩み(女装趣味のホモであること)を聞き、自分の心の癒しの破壊行為の手伝いをさせる。
通りがかった家の解体工事現場を見たディヴィスが、自らそこで働きたいと作業員に訴えて、ハンマーで壁をぶち壊していく場面。突然の申し出を、「何言ってんだこいつは」とばかりに拒否する作業員を、ディヴィスは手持ちの全財産を支払って説得し、スーツ姿のまま、何かにとりつかれたかのように家を破壊していく。異様な姿に作業員たちは「野獣だな」「ヤク中だろ」とあきれ顔だ。
「結婚生活を破壊する」と空虚な生活の象徴のガラスとコンクリートの洒落た住宅を、贅を尽くした家具調度品をハンマーで打ち壊すことにより、自己回復を図るというテーマは、かなり文学的かつ哲学的と言える。
そして、通販で買ったブルトーザーで、新築並にキレイな自宅を破壊し始める。心を修理するため、まずは全てを分解するべく、壁もドアも、テーブルも棚も窓ガラスも粉々になるまで壊していく。それには、亡き妻が妊娠をしていたことが分かり、父親に言うも、義母がそのことを知っていて、実は亡き妻が浮気をしていて、その相手との子供だったということ。で、義母が中絶をすすめたという訳。何も知らなかったディヴィスが、亡き妻の浮気と妊娠に腹を立てて、やけくそになり新築の豪邸を壊すハメになるとは。
それと裏腹に、カレンが仲良くしているホームレスの老人が、壊れかけたメリーゴーランドを修復しているのを見るも、夢なのか、そのメリーゴーランドが綺麗に直されて、義父や亡き妻とかが楽しそうに乗っている風景を幻のように見る。
忘れがたいキャラクターは、12歳の美少年クリスである。この魅力的な問題児は、自分はホモではないかと悩み、ディヴィスに打ち明け、彼の破壊活動に心から楽しそうに協力するのだ。二人の心の交流が、この映画の見どころでもある。主人公を演じたジェイク・ギレンホールに一歩も引けを取らない子役であり、これからの活躍が楽しみでもあります。
破壊が痛快でカタルシスを与えてくれるのは確かだが、心の修理とはいえ、身の回りのものを破壊する行為は、虚しくて心が痛む。主人公のジェイク・ギレンホールが熱演しているが、何かを修理するためには、一旦解体しなくてはならいないとばかりに、何もかもぶっ壊すのだ。正常と異常のボーダーラインにあるギリギリの危うさ、この映画での極端な破壊行為は正解だったのだろうか。あそこまでドロップアウトしながらも、社会復帰ができる彼が羨ましい。
2017年劇場鑑賞作品・・・83アクション・アドベンチャーランキング
あらすじ:エリート銀行員のデイヴィスは、いつものように妻の運転する車で会社へ向かう途中で事故に遭い、自分は助かったものの、妻を失ってしまう。しかし彼は涙が出ないどころか、悲しみすら感じていない自分に気づいてしまう。彼女を本当に愛していたのか分からなくなってしまったデイヴィス。やがて“心の修理も車の修理も同じだ、まず分解して隅々まで点検し、再び組み立て直せ”との義父の言葉が引き金となり、彼は身の回りのあらゆる物を破壊し始める。一方で、自動販売機から商品が出てこなかったと苦情の手紙を会社に送ったことがきっかけで、苦情処理係のシングルマザー、カレンと知り合い、彼女と息子のクリスと交流を持つようになるデイヴィスだったが…。
<感想>妻を交通事故で亡くしてから、何も感じなかった男が、感情を、人生を取り戻すために苦悩する姿を描く再生の物語。本作の原題「Demolition(破壊)」であって、邦題の違いに驚く。「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」という邦題は、劇中のあるシーンが基になっており「主人公が救われる、癒される、許される以前に焦点を当てたのが原題で、以降に焦点を当てたのが邦題。それは、亡き妻がよくメモ書きしていたことを描いているからだ。
妻が亡くなった日に病院で自販機からピーナッツバーを購入しようとするも、自販機が壊れていてお金を入れても出てこない。無性に腹が立った彼が、その自販機の会社宛てに苦情の手紙を書くことから始まる。その手紙を受け取った女が、カレンのナオミ・ワッツであり、彼女はシングルマザーで一人息子のクリス(ジュダ・ルイス)がいる。それに、同棲はしていないが男もいる。
妻を亡くした喪失感からなのか、なにか主人公の心に闇を抱えているように見えた。妻を愛してなかったといい、涙も出ないと嘆く。会社のCEOである義父が、「心の修理には点検して組み立て直すこと」だと言われたことが引き金になり、身の回りのあらゆるものを破壊し始めるディヴィス。義父はそんな婿の彼を、戸惑いながらも好意的に解釈するのだが、・・・。ディヴィスの奇行は止まらない。
自販機の会社の女カレンと仲良くなり、二人は男女関係をもたないことというルールで、あり得ない形で繋がり、互いを癒し合うようになっていく。彼女は、一人息子のクリスが、登校拒否をして家でブラブラしており、悩みの種でもある。そんな息子と仲良くなるディヴィスは、彼の悩み(女装趣味のホモであること)を聞き、自分の心の癒しの破壊行為の手伝いをさせる。
通りがかった家の解体工事現場を見たディヴィスが、自らそこで働きたいと作業員に訴えて、ハンマーで壁をぶち壊していく場面。突然の申し出を、「何言ってんだこいつは」とばかりに拒否する作業員を、ディヴィスは手持ちの全財産を支払って説得し、スーツ姿のまま、何かにとりつかれたかのように家を破壊していく。異様な姿に作業員たちは「野獣だな」「ヤク中だろ」とあきれ顔だ。
「結婚生活を破壊する」と空虚な生活の象徴のガラスとコンクリートの洒落た住宅を、贅を尽くした家具調度品をハンマーで打ち壊すことにより、自己回復を図るというテーマは、かなり文学的かつ哲学的と言える。
そして、通販で買ったブルトーザーで、新築並にキレイな自宅を破壊し始める。心を修理するため、まずは全てを分解するべく、壁もドアも、テーブルも棚も窓ガラスも粉々になるまで壊していく。それには、亡き妻が妊娠をしていたことが分かり、父親に言うも、義母がそのことを知っていて、実は亡き妻が浮気をしていて、その相手との子供だったということ。で、義母が中絶をすすめたという訳。何も知らなかったディヴィスが、亡き妻の浮気と妊娠に腹を立てて、やけくそになり新築の豪邸を壊すハメになるとは。
それと裏腹に、カレンが仲良くしているホームレスの老人が、壊れかけたメリーゴーランドを修復しているのを見るも、夢なのか、そのメリーゴーランドが綺麗に直されて、義父や亡き妻とかが楽しそうに乗っている風景を幻のように見る。
忘れがたいキャラクターは、12歳の美少年クリスである。この魅力的な問題児は、自分はホモではないかと悩み、ディヴィスに打ち明け、彼の破壊活動に心から楽しそうに協力するのだ。二人の心の交流が、この映画の見どころでもある。主人公を演じたジェイク・ギレンホールに一歩も引けを取らない子役であり、これからの活躍が楽しみでもあります。
破壊が痛快でカタルシスを与えてくれるのは確かだが、心の修理とはいえ、身の回りのものを破壊する行為は、虚しくて心が痛む。主人公のジェイク・ギレンホールが熱演しているが、何かを修理するためには、一旦解体しなくてはならいないとばかりに、何もかもぶっ壊すのだ。正常と異常のボーダーラインにあるギリギリの危うさ、この映画での極端な破壊行為は正解だったのだろうか。あそこまでドロップアウトしながらも、社会復帰ができる彼が羨ましい。
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