後にヒトラーを彷彿とさせる独裁者へと成長していく男の少年時代に焦点を当て、癇癪持ちの少年と周囲の大人たちが織りなす狂気を孕んだ不条理な日常を描いたドラマ。少年役は本作が映画デビューとなるトム・スウィート。共演にベレニス・ベジョ、リーアム・カニンガム。監督は「ファニーゲーム U.S.A.」や「メランコリア」など俳優として活躍するブラディ・コーベット。これが記念すべき長編監督デビューとなる。
あらすじ:第一次世界大戦末期の1918年。ヴェルサイユ条約締結を目的にフランスに送り込まれたアメリカ政府高官。同伴の家族は、信仰篤いドイツ人の妻(ベレニス・ベジョ)と少女と見まがうほど美しい息子(トム・スウィート)。父親は仕事に追われ、少年は母親と多くの時間を過ごしていた。しかし、少年はしばしば癇癪を起こして大人たちを当惑させる。やがてその無分別な行動は際限なくエスカレートしていくのだったが…。
<感想>序章として、癇癪とは、これは良く子供が親や先生に対して反抗する行動。よく癇癪もちなんて言われる子供もいるから。要するに、何も考えずに直ぐにキレてしまう子供のこと。大人になると、短気でいつもイライラとして、人の話を聞かないで自分の考えを命令する男。終いには手をあげて叩いたり、乱暴をすること。自分の欲求をすぐに行動に移して、衝動を抑えられないのだ。
そして、映画の中での不協和音である。モノクロ映像かと間違えるほどの暗い大豪邸を舞台に、物語の中での不協和音が多すぎるのだ。物凄い重低音の気味の悪い音、グワングワンとしたまるで怪物が地の底から這い上がってくるような音に悩まされる。この映画の音楽を担当したのは、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカー。
冒頭での背中に天使の羽を付けた美しい少年。彼こそがこの映画の主人公であり、癇癪を起して庭で拾った石を友達や神父たちに投げつけるのだ。その主人公が、のちに独裁者へと変貌していくプレスコット。なぜにこんなにも美しい少年が、独裁者へと変貌したのかが描かれている。
何故にこんな仰々しい演出にしなくてもいいのではないか、という気もしてくるが、この仰々しさこそが作品の世界をギリギリに成立させているのだから。まずもって不穏な時代の空気感。異国での慣れない生活に、父の不在。母の厳しい干渉。女教師のブラウスから見える透けた乳房。少年時代の女性への憧れ、私生児、祈りの放棄。孤独、被害妄想など。
知性も教養もあると自負する両親が、一人息子を「いい子」に育てたいと考えるのだが、少年は教育など受けていないのだ。素朴な老婆のお手伝いに懐き、両親の良かれと思う行為のすべてが気に入らない。その気持ちが痛いほどに、画面から伝わって来るので、今に何かが起こるとハラハラして見入ってしまう。こんな少年は体験を活かして、アーチストにでもなってくれたらと思うのだが、政治の世界へと進んでしまう。後に独裁者となった男の少年記ということだが。
少年に課せられた生活の中で、大人の愛情不足、厳しい躾も必要ですが、幼少期の親の愛を知らないで育った子供は、大人になって自己権威が強く他人との交わりを必要とせず、己の権威をひけらかす傾向がある。折角与えた児童文学の「ライオンとネズミ」の物語も、少年にはライオンの脅威がそのまま大人への階段になってしまったよう。
両親は、父親が少年の教師と不倫をしていて、母親は夫の友人の文筆家である、チャールズ。
何故かというと、この少年がフランス最後の夜のパーティで、母親にスピーチを願った父親が、その母親が息子にそのスピーチをしてくれと命令するから。それから決定的な癇癪を起こして、階段の踊り場で昏倒した主人公プレスコットが倒れている。
だが、いっきに時代を飛び越えて、何故だか独裁者として君臨している主人公の姿が描かれ、これで幕切れとなります。それは、成長した独裁者のプレスコットであり、演じているのが、あのチャールズと2役をしたロバート・パティンソンなんです。
しかしである、独裁者として決定づけるエピソードみたいなものがないので、癇癪子供の怒りっぱなし状態しか見せておらず、20代の青年時代を飛び越えてしまっているので、ただただ、美しい少年が豪邸を走り回って癇癪を起し、どこまでも追いかけるカメラが醸し出す、独特の雰囲気だけが目立ってしょうがなかった。
2017年劇場鑑賞作品・・・3映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング/
あらすじ:第一次世界大戦末期の1918年。ヴェルサイユ条約締結を目的にフランスに送り込まれたアメリカ政府高官。同伴の家族は、信仰篤いドイツ人の妻(ベレニス・ベジョ)と少女と見まがうほど美しい息子(トム・スウィート)。父親は仕事に追われ、少年は母親と多くの時間を過ごしていた。しかし、少年はしばしば癇癪を起こして大人たちを当惑させる。やがてその無分別な行動は際限なくエスカレートしていくのだったが…。
<感想>序章として、癇癪とは、これは良く子供が親や先生に対して反抗する行動。よく癇癪もちなんて言われる子供もいるから。要するに、何も考えずに直ぐにキレてしまう子供のこと。大人になると、短気でいつもイライラとして、人の話を聞かないで自分の考えを命令する男。終いには手をあげて叩いたり、乱暴をすること。自分の欲求をすぐに行動に移して、衝動を抑えられないのだ。
そして、映画の中での不協和音である。モノクロ映像かと間違えるほどの暗い大豪邸を舞台に、物語の中での不協和音が多すぎるのだ。物凄い重低音の気味の悪い音、グワングワンとしたまるで怪物が地の底から這い上がってくるような音に悩まされる。この映画の音楽を担当したのは、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカー。
冒頭での背中に天使の羽を付けた美しい少年。彼こそがこの映画の主人公であり、癇癪を起して庭で拾った石を友達や神父たちに投げつけるのだ。その主人公が、のちに独裁者へと変貌していくプレスコット。なぜにこんなにも美しい少年が、独裁者へと変貌したのかが描かれている。
何故にこんな仰々しい演出にしなくてもいいのではないか、という気もしてくるが、この仰々しさこそが作品の世界をギリギリに成立させているのだから。まずもって不穏な時代の空気感。異国での慣れない生活に、父の不在。母の厳しい干渉。女教師のブラウスから見える透けた乳房。少年時代の女性への憧れ、私生児、祈りの放棄。孤独、被害妄想など。
知性も教養もあると自負する両親が、一人息子を「いい子」に育てたいと考えるのだが、少年は教育など受けていないのだ。素朴な老婆のお手伝いに懐き、両親の良かれと思う行為のすべてが気に入らない。その気持ちが痛いほどに、画面から伝わって来るので、今に何かが起こるとハラハラして見入ってしまう。こんな少年は体験を活かして、アーチストにでもなってくれたらと思うのだが、政治の世界へと進んでしまう。後に独裁者となった男の少年記ということだが。
少年に課せられた生活の中で、大人の愛情不足、厳しい躾も必要ですが、幼少期の親の愛を知らないで育った子供は、大人になって自己権威が強く他人との交わりを必要とせず、己の権威をひけらかす傾向がある。折角与えた児童文学の「ライオンとネズミ」の物語も、少年にはライオンの脅威がそのまま大人への階段になってしまったよう。
両親は、父親が少年の教師と不倫をしていて、母親は夫の友人の文筆家である、チャールズ。
何故かというと、この少年がフランス最後の夜のパーティで、母親にスピーチを願った父親が、その母親が息子にそのスピーチをしてくれと命令するから。それから決定的な癇癪を起こして、階段の踊り場で昏倒した主人公プレスコットが倒れている。
だが、いっきに時代を飛び越えて、何故だか独裁者として君臨している主人公の姿が描かれ、これで幕切れとなります。それは、成長した独裁者のプレスコットであり、演じているのが、あのチャールズと2役をしたロバート・パティンソンなんです。
しかしである、独裁者として決定づけるエピソードみたいなものがないので、癇癪子供の怒りっぱなし状態しか見せておらず、20代の青年時代を飛び越えてしまっているので、ただただ、美しい少年が豪邸を走り回って癇癪を起し、どこまでも追いかけるカメラが醸し出す、独特の雰囲気だけが目立ってしょうがなかった。
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