『60歳のラブレター』の深川栄洋監督とイッセー尾形が再び組んで、埼玉県で実際にあった地域猫失踪(しっそう)事件を原案に描く感動の人間ドラマ。近所でかわいがられていた野良猫捜しを通して、カタブツの主人公や美容師など地域の人々が心を通わせていく姿を描く。染谷将太、北乃きい、もたいまさこ、岸本加世子ら実力派俳優たちが豪華共演。名演を見せた三毛猫の活躍はもとより、一匹の猫が起こす小さな奇跡に涙する。
あらすじ:近所でも偏屈者として評判の、定年退職した元校長の森衣恭一(イッセー尾形)は妻がこの世を去って以来、淡々とした毎日を送っていた。彼の家を訪ねて来るのは、森衣が長年撮りためてきた写真を資料として残したいという市役所職員(染谷将太)と野良猫のミイぐらいだった。亡くなった妻はミイをかわいがっていたが、森衣は猫が苦手で追い払おうとする。
<感想>偏屈な老人と、一匹の猫をめぐって出会った人々の交流を描いた小さな奇跡の物語。生前、亡くなった妻がエサを与えていた三毛猫のミイが、毎日のように訪ねてくる。いつの間にか、仏壇の前に座りまるで妻に語りかけているような、猫が嫌いな老人は邪険にして追い払うのだが、それでも毎日のように、妻がドアの下に猫の入り口を作ってくれたところから入り込んでいるのだ。
ところが、ある日を境にミイが姿を見せなくなる。まさか、意地悪をして猫の入り口を塞いだり、エサもあげないからこないのかと、急に心配になって行方を探し始める。すると、街の他の人たちもミイを探す人たちがいることを知る。
行方不明となったノラ猫をめぐるヒューマンコメディで、地域猫とは積極的に自分で飼う気はないが、ノラ猫でいつも必ず自分の家へやってくるノラ猫に、勝手に名前を付けてエサを上げているのだ。
校長先生の家ではミイと言う名前で、美容室の岸本加世子の家ではタマ子と、女学生がバス停でいつも待っているノラ猫にチヒロと名前を付けて、みんなでそれぞれ可愛がっている。
中でも、孤児院の小学生の男の子が、ノラ猫をカッターナイフで切り虐めているのだ。それとは知らないで、校長が動物病院へと連れて行く。大事には至らなかったが、この小学生は学校で虐められ登校拒否をして、神社の境内でいつも遊んでいる。そこには、ノラ猫がたくさんいて、自分の置かれた境遇とノラ猫の境遇を比較しているようにも取れた。
街の皆がノラ猫を探して夜の街を懐中電灯で、それぞれの名前を呼び探して歩く。神社の境内には、夜も遅いのにその小学生の男の子がカッターナイフをいじりながらいた。校長は、孤児院まで男の子を送り届けるのだが、もしかして、探しているミイ、ノラ猫がその男の子に刺されてはいないか心配になってしまった。
地域住民と関わりを持つことを嫌い、挨拶も言葉もかけないできた老人が、亡き妻が可愛がってきたノラ猫がいなくなり、地域住民と関わりを持つようになるとは。色紙の熟語四文字「愛感同一」が、校長のジョークで、英語の「アイ、キャン、・・・・・」だとは、バカにおかしくて笑ってしまった。
イッセー尾形が偏屈老人、引退した校長先生を演じているのだが、彼の独特の演技が嫌いな人には嫌みに見えてしまう、ですが、私は彼の演技を評価しており、監督がよほどの戦略を練った演出であたらないと、他の役者とのアンサンブルが取れないと思う。
しかし、脇役の俳優さんたちに、市役所職員の染谷将太に雑貨屋のピエール瀧、女子高生の北乃きいちゃん、パン屋のカンニング竹山、校長の亡き妻にもたいまさこ、町工場の嶋田久作他、ベテランの俳優さんたちなので楽しく観られました。
それでもラストで、探し疲れて家へ帰り、玄関に座り込む校長の耳に聞こえるのは、亡き妻の「帰って来たのではないかしらね」という囁きとミイが首に付けていた鈴の音色が聞こえるじゃありませんか。
主人公である元校長の独居老人を、イッセー尾形自身が、気難しくも誰にも懐かない猫型人間ふうなのがミソなのかもしれませんね。偏屈老人役の作り込まれた演技を、結果としてイッセー尾形のリズムに始終引きずられた印象もいなめない。
それでも、タイトルやストーリーに猫が加わっただけで、それなりにドラマがふくらむようで、脇役の俳優さんたちも豪華版で、それなりに成功したのではないかととれる。猫好きにはたまらない映画ですよね。
2015年劇場鑑賞作品・・・219映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:近所でも偏屈者として評判の、定年退職した元校長の森衣恭一(イッセー尾形)は妻がこの世を去って以来、淡々とした毎日を送っていた。彼の家を訪ねて来るのは、森衣が長年撮りためてきた写真を資料として残したいという市役所職員(染谷将太)と野良猫のミイぐらいだった。亡くなった妻はミイをかわいがっていたが、森衣は猫が苦手で追い払おうとする。
<感想>偏屈な老人と、一匹の猫をめぐって出会った人々の交流を描いた小さな奇跡の物語。生前、亡くなった妻がエサを与えていた三毛猫のミイが、毎日のように訪ねてくる。いつの間にか、仏壇の前に座りまるで妻に語りかけているような、猫が嫌いな老人は邪険にして追い払うのだが、それでも毎日のように、妻がドアの下に猫の入り口を作ってくれたところから入り込んでいるのだ。
ところが、ある日を境にミイが姿を見せなくなる。まさか、意地悪をして猫の入り口を塞いだり、エサもあげないからこないのかと、急に心配になって行方を探し始める。すると、街の他の人たちもミイを探す人たちがいることを知る。
行方不明となったノラ猫をめぐるヒューマンコメディで、地域猫とは積極的に自分で飼う気はないが、ノラ猫でいつも必ず自分の家へやってくるノラ猫に、勝手に名前を付けてエサを上げているのだ。
校長先生の家ではミイと言う名前で、美容室の岸本加世子の家ではタマ子と、女学生がバス停でいつも待っているノラ猫にチヒロと名前を付けて、みんなでそれぞれ可愛がっている。
中でも、孤児院の小学生の男の子が、ノラ猫をカッターナイフで切り虐めているのだ。それとは知らないで、校長が動物病院へと連れて行く。大事には至らなかったが、この小学生は学校で虐められ登校拒否をして、神社の境内でいつも遊んでいる。そこには、ノラ猫がたくさんいて、自分の置かれた境遇とノラ猫の境遇を比較しているようにも取れた。
街の皆がノラ猫を探して夜の街を懐中電灯で、それぞれの名前を呼び探して歩く。神社の境内には、夜も遅いのにその小学生の男の子がカッターナイフをいじりながらいた。校長は、孤児院まで男の子を送り届けるのだが、もしかして、探しているミイ、ノラ猫がその男の子に刺されてはいないか心配になってしまった。
地域住民と関わりを持つことを嫌い、挨拶も言葉もかけないできた老人が、亡き妻が可愛がってきたノラ猫がいなくなり、地域住民と関わりを持つようになるとは。色紙の熟語四文字「愛感同一」が、校長のジョークで、英語の「アイ、キャン、・・・・・」だとは、バカにおかしくて笑ってしまった。
イッセー尾形が偏屈老人、引退した校長先生を演じているのだが、彼の独特の演技が嫌いな人には嫌みに見えてしまう、ですが、私は彼の演技を評価しており、監督がよほどの戦略を練った演出であたらないと、他の役者とのアンサンブルが取れないと思う。
しかし、脇役の俳優さんたちに、市役所職員の染谷将太に雑貨屋のピエール瀧、女子高生の北乃きいちゃん、パン屋のカンニング竹山、校長の亡き妻にもたいまさこ、町工場の嶋田久作他、ベテランの俳優さんたちなので楽しく観られました。
それでもラストで、探し疲れて家へ帰り、玄関に座り込む校長の耳に聞こえるのは、亡き妻の「帰って来たのではないかしらね」という囁きとミイが首に付けていた鈴の音色が聞こえるじゃありませんか。
主人公である元校長の独居老人を、イッセー尾形自身が、気難しくも誰にも懐かない猫型人間ふうなのがミソなのかもしれませんね。偏屈老人役の作り込まれた演技を、結果としてイッセー尾形のリズムに始終引きずられた印象もいなめない。
それでも、タイトルやストーリーに猫が加わっただけで、それなりにドラマがふくらむようで、脇役の俳優さんたちも豪華版で、それなりに成功したのではないかととれる。猫好きにはたまらない映画ですよね。
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