過去を封印して生きてきた年老いた女性を主人公に、日本を代表する名優である八千草薫と仲代達矢が共演した感動的な人間賛歌。思い出の絵を捜す旅をする主人公を通して、彼女の人生と戦後の貧しい状況の中で胸にしまっておいた思いをつづる。共演は、風間トオル、岸部一徳、竹下景子ら。『日本のいちばん長い日』などの故岡本喜八監督の妻で、プロデューサーである岡本みね子が旧姓の中みね子で監督を務める。繊細な物語と、美しい着物や日本画家・宮廻正明による劇中画なども見どころ。
あらすじ:母の市子(八千草薫)を訪ねた進(風間トオル)だったが、市子は軽井沢に行っており、部屋には宮謙一郎(仲代達矢)という画家についての新聞記事の切り抜きが残されていた。そのころ、市子は宮の展覧会が開催されている美術館を訪れていた。彼女は目当ての絵について職員に聞いてみるも、展示されるかわからないと言われてしまう。
<感想>年老いた市子が一枚の絵にこだわりぬき、その作者である老画家と出会うまでを綴るのだが、軽井沢の風景に、古い珈琲店や食事屋、飴玉などを効果的に配して、一人の女の戦後史を織り上げている。着物の切れ端で作った手縫いの袋に、丸い飴玉を親切にして貰った人々に、お礼として上げる市子の人柄が忍ばれます。
お寺の奥にある龍神池の実写風景も凄いです。水鏡のように澄んでいる池の水に浮かぶ自分の姿。池というのは巡り逢う場所か、または別れの場所なのか。それは、観る人の解釈に任せることにして、問題なのは、物語りに無駄があること。息子とのすれ違いの度がすぎて、時間稼ぎのような気もした。
子供の頃の初恋の人が、今は世界的にも有名な画家となって軽井沢で個展を開いている。その画家に一目逢いたいのだが、自分の子供のころに子守をしていたのを描いた1枚の絵を見たくて、軽井沢までやってきた。だが、その絵は個人所有とのことで、観ることはできなかった。
しかし、軽井沢に暫く滞在していると、街の人たちの温かい親切と触れ合いで、市子は思いがけずに画伯に再会することが出来た。
特に珈琲店(珈琲歌劇)のマスターの岸部一徳の穏やかなこと。私も軽井沢に言った時、この珈琲店に入ったことがあります。今でも営業しているのだと、感慨深くなりました。
ですが、目が緑内障で見えないという画伯。フランス人の奥さんの心づかいで長居をして、オルゴールから聞こえる「キラキラ星」の音色でダンスを踊る二人。それでも、彼には子供の頃の市子を思い出してもらえず、帰り際に奥さんに手渡した飴玉で、老画伯は昔の龍神池の市子を思い出すという。
半世紀を隔てての飴玉の受け渡しという、コンセプトには素直に泣けましたね。老女には、歳月は、ダンスをするつかの間に過ぎたのかも、と思わせて秀逸でした。何とも、戦中派というか、恋愛に臆病な時代の男女の片想いとでもいうのでしょうか。それでも、年老いてから、自分の想いを叶えるという素晴らしい勇気を持ち、強い女としての生き方を教わったような気がしました。
八千草薫には老女という言葉は似合わない。もちろん若くはないけれど、透明な柔らかさがあって、年齢を重ねた女性としての豊かさと気品、美しさが感じられ、だから、監督が彼女に託したこの作品が、静かで慎ましいのに、さりげなく大胆なのも、自分の人生を自分なりに生きてきた女性の肩肘を張らない強さを描きたかったのかもしれませんね。
主人公市子の八千草薫の演技の飾らなさと気品、画伯の仲代達矢が、今は盲目という設定も作品の素朴な佇まいが穏やかでいいですよね。そこに、岡本喜八監督を支えてきた妻の岡本みね子プロデューサーの、年輪を見ているようにもとれた。
軽井沢を追憶的に歩き回る彼女が、着物の店や珈琲店など地元の人々をかわす些細な会話からも、それぞれの生き方を肯定する善意が伝わってきて実に心地が良かったです。
ゆずり葉とは:太平洋側の暖地の林中などに生える、背の高い木。庭木などに使われる。
新葉が生長して古い葉が落ち、新旧交代がはっきりしていることから「譲る葉っぱ」、それが「譲葉」になった。
新しい葉が出てくると古い葉を落とす植物のうちの代表的な木。正月の飾りにも使われる。葉っぱと樹皮は薬用にもなる。
別名「親子草(おやこぐさ)」とも言われる。
2015年劇場鑑賞作品・・・144映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:母の市子(八千草薫)を訪ねた進(風間トオル)だったが、市子は軽井沢に行っており、部屋には宮謙一郎(仲代達矢)という画家についての新聞記事の切り抜きが残されていた。そのころ、市子は宮の展覧会が開催されている美術館を訪れていた。彼女は目当ての絵について職員に聞いてみるも、展示されるかわからないと言われてしまう。
<感想>年老いた市子が一枚の絵にこだわりぬき、その作者である老画家と出会うまでを綴るのだが、軽井沢の風景に、古い珈琲店や食事屋、飴玉などを効果的に配して、一人の女の戦後史を織り上げている。着物の切れ端で作った手縫いの袋に、丸い飴玉を親切にして貰った人々に、お礼として上げる市子の人柄が忍ばれます。
お寺の奥にある龍神池の実写風景も凄いです。水鏡のように澄んでいる池の水に浮かぶ自分の姿。池というのは巡り逢う場所か、または別れの場所なのか。それは、観る人の解釈に任せることにして、問題なのは、物語りに無駄があること。息子とのすれ違いの度がすぎて、時間稼ぎのような気もした。
子供の頃の初恋の人が、今は世界的にも有名な画家となって軽井沢で個展を開いている。その画家に一目逢いたいのだが、自分の子供のころに子守をしていたのを描いた1枚の絵を見たくて、軽井沢までやってきた。だが、その絵は個人所有とのことで、観ることはできなかった。
しかし、軽井沢に暫く滞在していると、街の人たちの温かい親切と触れ合いで、市子は思いがけずに画伯に再会することが出来た。
特に珈琲店(珈琲歌劇)のマスターの岸部一徳の穏やかなこと。私も軽井沢に言った時、この珈琲店に入ったことがあります。今でも営業しているのだと、感慨深くなりました。
ですが、目が緑内障で見えないという画伯。フランス人の奥さんの心づかいで長居をして、オルゴールから聞こえる「キラキラ星」の音色でダンスを踊る二人。それでも、彼には子供の頃の市子を思い出してもらえず、帰り際に奥さんに手渡した飴玉で、老画伯は昔の龍神池の市子を思い出すという。
半世紀を隔てての飴玉の受け渡しという、コンセプトには素直に泣けましたね。老女には、歳月は、ダンスをするつかの間に過ぎたのかも、と思わせて秀逸でした。何とも、戦中派というか、恋愛に臆病な時代の男女の片想いとでもいうのでしょうか。それでも、年老いてから、自分の想いを叶えるという素晴らしい勇気を持ち、強い女としての生き方を教わったような気がしました。
八千草薫には老女という言葉は似合わない。もちろん若くはないけれど、透明な柔らかさがあって、年齢を重ねた女性としての豊かさと気品、美しさが感じられ、だから、監督が彼女に託したこの作品が、静かで慎ましいのに、さりげなく大胆なのも、自分の人生を自分なりに生きてきた女性の肩肘を張らない強さを描きたかったのかもしれませんね。
主人公市子の八千草薫の演技の飾らなさと気品、画伯の仲代達矢が、今は盲目という設定も作品の素朴な佇まいが穏やかでいいですよね。そこに、岡本喜八監督を支えてきた妻の岡本みね子プロデューサーの、年輪を見ているようにもとれた。
軽井沢を追憶的に歩き回る彼女が、着物の店や珈琲店など地元の人々をかわす些細な会話からも、それぞれの生き方を肯定する善意が伝わってきて実に心地が良かったです。
ゆずり葉とは:太平洋側の暖地の林中などに生える、背の高い木。庭木などに使われる。
新葉が生長して古い葉が落ち、新旧交代がはっきりしていることから「譲る葉っぱ」、それが「譲葉」になった。
新しい葉が出てくると古い葉を落とす植物のうちの代表的な木。正月の飾りにも使われる。葉っぱと樹皮は薬用にもなる。
別名「親子草(おやこぐさ)」とも言われる。
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