インドで製作された、真の友情や幸せな生き方や競争社会への風刺を描いたヒューマン・ストーリー。入学したインドのエリート大学で友人たちと青春を謳歌(おうか)していた主人公が突然姿を消した謎と理由を、10年という年月を交錯させながら解き明かしていく。主演は、ボリウッド映画の大スターであるアーミル・カーン。『ラ・ワン』のカリーナー・カプールがヒロインを務める。抱腹絶倒のユーモアとストレートな感動を味わうことができる。
あらすじ:行方不明だったランチョー(アーミル・カーン)が街に戻ってくると聞き、ファルハーン(マドハヴァン)とラージュー(シャルマン・ジョシ)は母校に向かう。10年前、三人は名門大学の学生だった。真っすぐなランチョーは異議があれば学長にすら物申し、好きなことに打ち込んでいた。しかし、ランチョーと学長の娘・ピア(カリーナー・カプール)が接近したことから、3人は卒業目前で退学を言い渡されてしまう。
<感想>いかに観客を心ゆくまで楽しませるか、ストーリーの面白さ、俳優たちのはじけるようなパワー、映像表現の巧みさとダイナミズム、どの点をとっても今、インド映画が世界一躍動感に満ちていると思う。どんなに長尺でも、終りは常にハッピーエンドでも、物語の途中で突如男女が歌い踊り出す。
登場人物全員が踊り出しても、ダレたり、飽きたりすることはまったくないと言ったら嘘になるかも。
しかし、いつだって途中に歌や踊りが必ずあるから、どうしても時間が3時間はゆうにかかるのだ。初めて観る人には嬉しいだろうが、インド映画を何度も観ている人にとっては、あの歌と踊りは1、2回くらいにして欲しいと思う。まぁ、それがインド映画の魅力といってしまえばそれまでだが。
どうしても、全シーンにわたって観客を喜ばせるか、そのことだけに心血を注ぎ、切磋琢磨して日夜映画作りに励んでいるからだろう。現場を見なくても、映画を観れば一目瞭然。インドの人たちは、映画の中での歌や踊りを見ると、観客も一緒に歌い踊り出すというから、それこそがインド映画の活力になっているようにもとれる。
それにしても本作は、これまでの伝統的なポリウッド映画からは少しばかりジャンルを異にした、大学生を主要人物にした学園コメディであり、笑いと涙と感動の青春グラフィティーになっている。未だ身分差別が存在し、極貧にあえぐ庶民が少なくないとされるインドだが、一方では急速にIT産業の最先端国家となり、高いコンピューター技術を持った新しい世代が、世界に進出しているというグローバルな状況でもあるのだ。
まさに本作はそうした経済優先のインド社会を舞台に、超難関の名門工学大学に集う学生3人の姿を明るく爽やかに捉えていると共に、その対比として社会へと巣立っていく彼らの10年後の状況を、巧みな回想形式とサスペンスに富んだカットバックで映し出していく。
だが、大学生にしては少々薹のたった感のある人気俳優が、学内の“3バカトリオ”と言われる問題児に扮して、詰め込み教育にうんざりしながらも、ご多分に漏れず、学歴競争社会の矛盾点や成績偏重の弊害などを、チクリと風刺したりして、とりあえず学園生活を楽しんでいる。
しかしながら、その一方では、日夜猛勉強に励み、試験でいい点をとり。高レベルで卒業して社会に解け込み、出世して高収入を得、生活を安定させることこそが男の本懐と生きる目的と思っている分けで、その点では、勉学の意欲を失い、学力低下が急速に進んでいる日本の大学生とはかなり差があるようだ。
だが、彼らの中にもこの厳しい現実主義の大学に馴染まず、特に成績のみを重視する権威主義の塊である学長には、徹底的に毛嫌いされ、カンニングと恋愛問題も絡んで、3人ともに卒業目前で退学処分を言い渡されてしまう。
ところが、彼らが大学を去ろうとした夜に大雨が降り、学長の娘が産気づくという劇的な出来事が突発する。救急車は間に合わず、大学の中で彼ら3人と学生たちで、力を合わせ彼らの創造力(掃除機で赤ん坊を吸引)と献身的な努力で無事赤ん坊を取り上げるのだ。
しかしながら、型破りな自由人で聡明な主人公が、愛する人や親友たちに別れも告げずに学校からひっそりと姿を消し、行先知れずになってしまう。これには、重大な秘密が隠されていたのです。
この映画の優れた点は、そのストーリー運びであり、構成と伏線の張り方の巧さにある。つまり、明るく楽しい学園コメディが、ある時点から謎を提示してミステリアスに進行、やがては終盤に向かって圧倒的な感激のラストへと向かっていく。
さらには、ギャグも型破りでベタ過ぎて下ネタはもちろん、仮病を使って離陸寸前の飛行機を停止させたり、ヨボヨボの老人を主人公が背負ってバイクで病院へ運ぶなんて。そんな馬鹿なと、あり得ないような常識外れのズッコケお騒がせシーンが満載で、まさに「きっと、うま〜くい〜く」さとばかりに、インド人もびっくりの奇想天外エピソードである。
2013年劇場鑑賞作品・・・231 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:行方不明だったランチョー(アーミル・カーン)が街に戻ってくると聞き、ファルハーン(マドハヴァン)とラージュー(シャルマン・ジョシ)は母校に向かう。10年前、三人は名門大学の学生だった。真っすぐなランチョーは異議があれば学長にすら物申し、好きなことに打ち込んでいた。しかし、ランチョーと学長の娘・ピア(カリーナー・カプール)が接近したことから、3人は卒業目前で退学を言い渡されてしまう。
<感想>いかに観客を心ゆくまで楽しませるか、ストーリーの面白さ、俳優たちのはじけるようなパワー、映像表現の巧みさとダイナミズム、どの点をとっても今、インド映画が世界一躍動感に満ちていると思う。どんなに長尺でも、終りは常にハッピーエンドでも、物語の途中で突如男女が歌い踊り出す。
登場人物全員が踊り出しても、ダレたり、飽きたりすることはまったくないと言ったら嘘になるかも。
しかし、いつだって途中に歌や踊りが必ずあるから、どうしても時間が3時間はゆうにかかるのだ。初めて観る人には嬉しいだろうが、インド映画を何度も観ている人にとっては、あの歌と踊りは1、2回くらいにして欲しいと思う。まぁ、それがインド映画の魅力といってしまえばそれまでだが。
どうしても、全シーンにわたって観客を喜ばせるか、そのことだけに心血を注ぎ、切磋琢磨して日夜映画作りに励んでいるからだろう。現場を見なくても、映画を観れば一目瞭然。インドの人たちは、映画の中での歌や踊りを見ると、観客も一緒に歌い踊り出すというから、それこそがインド映画の活力になっているようにもとれる。
それにしても本作は、これまでの伝統的なポリウッド映画からは少しばかりジャンルを異にした、大学生を主要人物にした学園コメディであり、笑いと涙と感動の青春グラフィティーになっている。未だ身分差別が存在し、極貧にあえぐ庶民が少なくないとされるインドだが、一方では急速にIT産業の最先端国家となり、高いコンピューター技術を持った新しい世代が、世界に進出しているというグローバルな状況でもあるのだ。
まさに本作はそうした経済優先のインド社会を舞台に、超難関の名門工学大学に集う学生3人の姿を明るく爽やかに捉えていると共に、その対比として社会へと巣立っていく彼らの10年後の状況を、巧みな回想形式とサスペンスに富んだカットバックで映し出していく。
だが、大学生にしては少々薹のたった感のある人気俳優が、学内の“3バカトリオ”と言われる問題児に扮して、詰め込み教育にうんざりしながらも、ご多分に漏れず、学歴競争社会の矛盾点や成績偏重の弊害などを、チクリと風刺したりして、とりあえず学園生活を楽しんでいる。
しかしながら、その一方では、日夜猛勉強に励み、試験でいい点をとり。高レベルで卒業して社会に解け込み、出世して高収入を得、生活を安定させることこそが男の本懐と生きる目的と思っている分けで、その点では、勉学の意欲を失い、学力低下が急速に進んでいる日本の大学生とはかなり差があるようだ。
だが、彼らの中にもこの厳しい現実主義の大学に馴染まず、特に成績のみを重視する権威主義の塊である学長には、徹底的に毛嫌いされ、カンニングと恋愛問題も絡んで、3人ともに卒業目前で退学処分を言い渡されてしまう。
ところが、彼らが大学を去ろうとした夜に大雨が降り、学長の娘が産気づくという劇的な出来事が突発する。救急車は間に合わず、大学の中で彼ら3人と学生たちで、力を合わせ彼らの創造力(掃除機で赤ん坊を吸引)と献身的な努力で無事赤ん坊を取り上げるのだ。
しかしながら、型破りな自由人で聡明な主人公が、愛する人や親友たちに別れも告げずに学校からひっそりと姿を消し、行先知れずになってしまう。これには、重大な秘密が隠されていたのです。
この映画の優れた点は、そのストーリー運びであり、構成と伏線の張り方の巧さにある。つまり、明るく楽しい学園コメディが、ある時点から謎を提示してミステリアスに進行、やがては終盤に向かって圧倒的な感激のラストへと向かっていく。
さらには、ギャグも型破りでベタ過ぎて下ネタはもちろん、仮病を使って離陸寸前の飛行機を停止させたり、ヨボヨボの老人を主人公が背負ってバイクで病院へ運ぶなんて。そんな馬鹿なと、あり得ないような常識外れのズッコケお騒がせシーンが満載で、まさに「きっと、うま〜くい〜く」さとばかりに、インド人もびっくりの奇想天外エピソードである。
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