「トゥモロー・ワールド」、「ゼロ・グラビティ」のアルフォンソ・キュアロン監督が、政治的混乱に揺れる1970年代メキシコを舞台に、とある中産階級の家庭に訪れる激動の1年を、若い家政婦の視点から描いたNetflixオリジナルのヒューマンドラマ。キュアロン監督が脚本・撮影も手がけ、自身の幼少期の体験を交えながら、心揺さぶる家族の愛の物語を美しいモノクロ映像で紡ぎ出した。
あらすじ:70年代初頭のメキシコシティ。医者の夫アントニオと妻ソフィア、彼らの4人の子どもたちと祖母が暮らす中産階級の家で家政婦として働く若い女性クレオは、子どもたちの世話や家事に追われる日々を送っていた。そんな中、クレオは同僚の恋人の従兄弟である青年フェルミンと恋に落ちる。一方、アントニオは長期の海外出張へ行くことになり……。2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、最高賞にあたる金獅子賞を受賞。第91回アカデミー賞でも作品賞を含む同年度最多タイの10部門でノミネートされ、外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞した。Netflixで18年12月14日から配信。日本では19年3月9日からイオンシネマで劇場公開される。
<感想>この映画のタイトル「ROMA」。一見するとイタリアのローマのように思えまして、イタリアが大好きな私としては、イタリアの「ローマ」と何か関係があるのかなぁと、変な期待をしてしまいました。ローマに旅に出る話だろうか?とか古代ローマにかかわる作品なのかとか。結果的にはなんてことなく、アルフォンソ監督が育ったメキシコシティの近郊の地名だったわけです。
ある中流家庭の生活を、若い家政婦クレオの視点から描き出していた。モノクロながらも緻密であり、美しい画面と音響の効果は圧倒的で、これではたくさんの賞を頂くのも納得の作品でした。
メキシコの70年代が日本の経済状態と殆ど隔たりがないのは、驚くほどであり、冒頭の家族で映画館へ映画を観に行く作品「宇宙からの脱出」であり、懐かしい細部に行き届いたところなどがいたるところにありました。
この映画は大地を見つめているシーンから始まります。そこでは水が建物の廊下に、掃除をしているのであろうバケツから放たれた水が何度も、何度も水が増していき、建物の廊下がすべて水浸しになり、排水溝へと流れて行く。
そして、この始まりのシーンと対になるように、映画の最期には、主人公のクレオが人生の中で苦しいことや、幸せなこととか、いろいろとあったが、彼女が屋上へ登り青い空を見て終わるのだから。この描写によって、人生の儚さや無情さを描き、人間にはコントロールできる要素と、できない要素があるということを示しているようでした。
もちろん、それは人によっては個人差があると思うが、けれど、他の誰かとの間に愛情が存在するということは、孤独を分かち合う人と巡り会うこともあると言う事ですね。雇い主である奥様が、使用人に対して家族のように悩みを聞いてくれたり、今後のこととかを一緒になって考えてくれるのだ。
70年代の日本で暮らす私たちとも、どこか似ているところもある。燃費の悪い大型車、街頭で売られるポルノ雑誌に見入る少年たち、食後に家族と一緒に使用人もTVを鑑賞するところ、海辺に行き、波が荒いのに幼い子供たちが泳ぐのだ。だから、観ているこちらもヒヤヒヤしながら、クレオが仕方なく子供たちを助けにいくところとか。子供たちと共に、波にさらわれて溺れかけた記憶などなど。
もっとも、ストーリーは必ずしもハッピーなものではない。家政婦のクレオは、ボーイフレンドと恋仲になり妊娠させられた挙句に、捨てられる。
彼女の雇い主であるソフィアの夫アントニオは、医師であり若い愛人を作って、クリスマス休暇、もうすぐ大晦日だというのに家を出てゆく。奥さんも別れ際に夫に抱き着く。夫ときちんと話し合いをしたらいいのに、と思うも、この家族はそれもなく離婚という結果になってしまうのだ。
ですが、この家族の家には、婦人の母親、お婆ちゃんもいて、クレオの出産を喜び、一緒に住んで面倒を見て上げると言う優しい家族。おばあちゃんと一緒に、ベビーベッドを買いに家具やへ行き、そこで反政府デモに遭遇する。その中には、クレオのお腹の子供の父親がいて、身重のクレオに向かって銃を発射する。驚いて、その場で破水をしてしまったクレオ、病院で緊急措置を受けるも、残念ながら死産をしてしまった。宗教上、中絶が出来ないのだから、お腹の子供は生まれて来るよりも、これで良かったのかもしれない。
70年代の物語とはいえ、あまりに身勝手な男性たちに振り回される女性たちの悲劇が、物語の軸となっていた。
途中で驚いたのが、クレオの恋人が、裸で棒術を披露するシーン、ボカシもなく全裸の股間が丸見えで驚く。笑っていいのか、謎はつきない。それに、新年の祝いで子供たちを連れて友人宅へと行く。そのパーティで男たちは、拳銃を打ちまくるのだ。池の畔で銃撃戦ではなく、試し打ちなのか、子供たちも参加をしているし、正月の遊びではない。花火を打ち上げる方が、もっといいのに。
この友人宅に行っている時に、山火事が起きるのだ。人々はあわてて消火活動をするのだが、どこか緊迫感がなかった。
だが、もっと驚いたのが、クレオが恋人の武術練習場へ行った時に観た、韓国人の師匠の姿が、タイツにタンクトップ姿は、まるで女装のエアロビックス姿のようにも見えた。これは、きっと子供の記憶に違いない。
劇中で描かれる「血の木曜日」事件とは、1971年6月10日に起きた事件であり、反体制デモを軍隊が制圧し、300人もの死者を出したそうです。当時は、メキシコ・オリンピック(1968年)、メキシコ・ワールドカップ(1970年)、そして反政府運動と、独裁政権下で経済成長を遂げるメキシコは、大きな変革期を迎えていた。しかしながら本作では、事件は背景の一つでしかないのだ。この点に限らず、本作の描写は、端正でありながらもどこかアンバランスであります。床を洗う水がさざ波のように広がる冒頭の部分と、車幅ギリギリの車庫に車が出入りする描写。デモと同じくらいの比重で描かれる、兄弟喧嘩、その他いろいろであり、おそらく本作では、子供の視点や子供の記憶に焦点を当てているのではないだろうか。
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