村上春樹の短編『納屋を焼く』を「シークレット・サンシャイン」「ポエトリー アグネスの詩(うた)」の韓国の名匠イ・チャンドン監督が舞台を現代の韓国に移して映画化したミステリー・ドラマ。作家志望の田舎の青年が、偶然再会した幼なじみと彼女が連れてきた都会のイケメン男性と織りなす不思議な交流の行方を、美しく幻想的な映像とともにミステリアスな筆致で描き出す。主演は「ワンドゥギ」「ベテラン」のユ・アイン、共演に新人のチョン・ジョンソとTV「ウォーキング・デッド」のスティーヴン・ユァン。
あらすじ:小説家を目指しながらアルバイト生活を送るイ・ジョンスは、街で幼なじみのシン・ヘミと偶然の再会を果たす。するとアフリカ旅行に行くというヘミに、留守の間、彼女が飼っている猫にエサをあげてほしいと頼まれる。ある問題で実家暮らしを余儀なくされたジョンスは、ヘミのアパートに通い、姿を見せない猫にエサをあげ続ける。半月後、ヘミがようやく帰国することになり、空港へ迎えに行くと、アフリカで出会ったという謎めいた男性ベンをいきなり紹介され、戸惑いを覚えるジョンスだったが…。
<感想>原作は村上春樹の短編小説『納屋を焼く』を、韓国の名匠イ・チャンドン監督が舞台を現代の韓国に移して物語を大胆にアレンジして描いたミステリードラマ。これは正真正銘イ・チャンドン監督の映画になっていた。
ユ・アインが主演を務め、現代韓国の映画界を引っ張る名匠イ・チャンドンの8年ぶり監督作品でもある。特に監督の腕による圧倒的な存在感が浮き彫りとなっていた。主人公は運送会社のバイトをしている作家志望の貧乏人。
彼の父親は裁判中であり、母親は蒸発。田舎の家に帰るユ・アインは、農家なので畑が家の周りにあり、古いビニールハウスも並んでいた。
不条理な怖さがぼんやりと描かれた原作が、非常に具体的になって、その背景には、経済優先や、格差社会という韓国の社会事情があると思う。ヒロインのヘミを演じたのは、オーディションで選ばれた新人女優チョン・ジョンソが魅力的でした。彼女が美容整形手術で綺麗になっていたのに驚く主人公。再会をして、彼女の部屋でセックスをして、アフリカ旅行に行くので、部屋で飼っている猫の世話をして欲しいと頼まれる。バイトの帰りに毎日のように、へミのアパートに寄り、猫に餌を与えて暫くの間休憩をするイ・ジョンス。
その彼女がアフリカから帰って来たのだが、一緒にスカした男、ベンを連れてきた。このブルジョア青年のベンは、働いていないのに唸るほどの金持ちで、ポルシェに乗っているし、マンションも豪華だ。
この三角関係は、昔の映画で「太陽がいっぱい」のような男2人に女が1人という図式で、不穏なミステリーを醸し出している。とにかく、このイケメン野郎のベンの正体が物語のキモとなるのだが、彼が危険な告白をするジョンスの、田舎の玄関先でのパーティが見せ場でもある。
縁側に腰を掛けて、3人で酒を飲み大麻を吸いながら、マイルスの曲をバックに彼女がアフリカの踊りを舞う姿、その画面の哀しくも美しいことといったらない。とにかく、この時以来、好きになった幼馴染のヘミの姿が消えてしまったのだから。
小説家志望の青年の繊細さ、ビニールハウスを焼くのが趣味だという金持ち男ベンのスティーブン・ユァン。その能面の顔の不気味さ。男の2回目のあくびが、青年の殺意を呼び起こしたようにもとれた。
持てる者と持たざる者の対照性を際立たせつつも、それを単純な増悪描写で終わらせずに、マゾ的な感覚が満ちていた。ソウル江南区の高級住宅地と、南北分断線の農村を往来しつつ、途上の遺失物を一つずつ吟味してゆくような、執拗にして茫漠たる演出も良かった。
映画的な面白さの詰まった連続的時空間の中で、青っぽい闇のトーンに映える夕暮れ、焼かれたビニールハウスの赤。焼け落ちる納屋ではなく、激しく燃え上がる運転をしていたベンと、ポルシェが暗喩する正体に想いを馳せれば、ミステリーというより青春群像現代劇といってもいいだろう。
段々と見やすくなっていくミステリー映画に、逆らって行きたい監督のもくろみどうり、いろいろな読みや、解釈ができると思います。
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