「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」のディアブロ・コディ(脚本)、ジェイソン・ライトマン(監督)のコンビが、「ヤング≒アダルト」に続いてシャーリーズ・セロンを主演に迎え、子育て中の母親の苛立ちと葛藤をユニークなタッチで描いたコメディ・ドラマ。3人目が生まれて育児疲れで精神的に追い込まれていく母親のもとに、夜だけのベビーシッターとして若くて有能でどこかミステリアスなタリーやってきて、疲れ果てた母親の心を解放していくさまを綴る。共演はそのタリー役で「オデッセイ」「ブレードランナー 2049」のマッケンジー・デイヴィス、他にロン・リヴィングストン、マーク・デュプラス。
あらすじ:2人の幼い子どもの育児に追われるマーロだったが、お腹の中にはもうすぐ生まれてくる3人目の赤ちゃんが。それでも夫のドリューは優しい言葉をかけるだけで、家事も育児もマーロ任せ。元来が真面目で完璧主義のマーロはたった一人で頑張ってきたが、それも3人目が生まれてついに限界に。
抵抗を感じながらも、裕福な兄クレイグに紹介された夜専門のベビーシッターを頼ることを決断する。やって来たのは、意外にも若くて美しい女性タリー。しかし見た目の印象とは裏腹に、その仕事ぶりは完璧。そんなタリーのおかげで肉体的にも精神的にもゆとりを取り戻していくマーロだったが…。
<感想>がんばりすぎる昼間の私が、夜に見つけたホントの私。ベビーシッターのタリーは、イマドキ女子なのに仕事は完璧。だが、何があっても夜明け前に姿を消し、自分のことは絶対に語らない――。とにかく育児と家事が大変であり、息子は情緒障害の疑いがあるし、3人目は生まれたばかりで手がかかるし、夫は何もしない。という訳で追い詰められた母親が、夜だけのベビーシッターを雇うことに。
それが素晴らしいベビーシッターで、家事だけでなくマーロの心まで癒してくれるのだが、夜明け前には帰る彼女は、自分の身の上は決して明かさない。彼女は何者?、という時点で、答えが何パターンか想定されますよね。
実際、その想定したうちの一つのパターンが答えではあったんだけど、ただし「そのパターンだった」だけでなく、「そのパターンにもう一つ重要なファクターを乗っけた」ものだったことに、まずは驚いた。
それで、人物造形や生活の描き方がめったやたらとリアル三児の母親のくたびれて荒み切った感じ、子供の情緒不安定感、夫のデクノボウさなどが、マーロの服装やらちょっとしたしぐさに至るまで徹底的に描かれているのだ。
同じ経験をしたことのある人には、目を背けたくなるのでは、って言いうくらいに心がぐっさりとやられました。後、音楽も素晴らしかったです。
監督が「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」のジェイソン・ライトマン監督、主演は「ヤング≒アダルト」でもタッグを組んだ絶世の美女シャーリーズ・セロン、体重を18キロも増量して、3人目の子供を身ごもっている妊婦の役を成り切りの演技には感服しました。
家事と育児でボロボロになっていく過程の、時間の配分が長かった気がした。このタメがあってこそ、イマドキの女子の夜間ベビーシッターが現れた後での、生活の変化が活きて来るのだから。本作では、表面的な層とは別の物語が底に流れていて、それがラスト近くでふっと浮上する。
ベビーシッターが今夜は来ないのか?と気をもんでいると、遅刻してやってきたのはいいけれど、もうこの仕事を辞めると言い出す始末。夜中なのに「これからハメを外して飲みに行こうよ、踊りに行こう」と誘って来るのだ。彼女の頼みについ自分も日常から解放されたくて、少しの時間ならいいかも、何て思ってしまうのがダメなんですよね。
そして、帰りが車で行ったものだから飲酒運転はダメということで、自転車で帰ろうとするが、やっぱり車で帰ることになり、帰り道でタリーと口論になり、事故ってしまう。彼女は怪我がなくてよかったが、自分の方は大怪我で大変なことになるとは。
自分が若い時には、家事と育児に孤軍奮闘して頑張り過ぎていたのに、自分が想像する若い時に自分の話ではないの。ということは、タリーってベビーシッターは、自分の妄想なのかもしれませんね。
二つのストーリーで人生の再始動を描く技に、一本取られた気分になってしまう。娘に「何、そのぶよぶよとした体は」とからかわれて、夫には「また冷凍ピザか」と無神経な言葉を浴びながらも、主題を活気づけたシャーリーズ・セロンの巧さに拍手。そして、前述のようなストーリーと知った時点で、当たりの匂いがすると思ったが、期待以上でしたね。
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