オスカーの常連ウディ・アレンが監督を務めた人間ドラマ。1950年代のアメリカを舞台に、男女の恋と欲望、人生の切なさが描かれる。安定を願う一方で、刹那的な恋に身を投じる主人公を『愛を読むひと』などのケイト・ウィンスレットが演じるほか、ミュージシャンのジャスティン・ティンバーレイク、『午後3時の女たち』などのジュノー・テンプル、『ゴーストライター』などのジム・ベルーシらが出演。3度のオスカーに輝き、『カフェ・ソサエティ』でもアレン監督と組んだヴィットリオ・ストラーロが撮影を担当した。
あらすじ:1950年代のコニーアイランド。遊園地のレストランでウエイトレスとして働く元女優のジニー(ケイト・ウィンスレット)は、再婚同士の夫と自分の連れ子と一緒に、観覧車の見える部屋に住んでいた。平凡な日々に幻滅し、海岸で監視員のアルバイトをしている脚本家志望のミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)とひそかに交際するジニーだったが、ある日久しく連絡がなかった夫の娘が現われたことで歯車が狂い始め……。
<感想>80歳を超えたウディ・アレン監督の新作。またもや打ちのめされてしまった。誰が何と言おうと彼の映画は大好きです。今回の舞台は全盛期を過ぎてしまったコニーアイランド、さびれたビーチと遊園地。そこにしがみつくかのように生きる寂れた馴れ合いの夫婦。
元女優のジニーは若き日の栄光を憂いて同じ話を繰り返し、夫の粗野な男ハンプティと再婚。夫は断酒を繰り返しながらメリーゴーランドで日銭を稼ぐ。
更にそこへ、ギャングと駆け落ちして音信不通だった娘のキャロライナが出戻り、この観覧車が見える部屋に飛び込んできたことにより、事態は飛んでもないことになる。娘の夫の子分たちが追いかけて来て、見つけたら殺すと言っている。常に見える観覧車が女と男の人生の象徴となり静かに回っている。ただひたすら同じ場所をグルグルと回っているだけ。
考えてみると観覧車は大人の乗り物であり、子供は乗りたがらず実際には喜ばない。幼児はメリーゴーラウンドで、わかものはジェットコースター。前者はお伽噺の世界で、後者は刺激的であり、観覧車は人生でもあるように思えた。世の中の酸いも甘いも分かった大人には、おとぎの世界も刺激もいらない。観覧車という大きく見えるが決まった場所を、ただゆっくりと回るだけで、狭い空間の中から広い世界を眺め、また現実へと戻っていく。
男女を人生と時の移り行く様を見つめ続け、つぶさに描いて来たウディ・アレン監督の映画に、「面白かった」とか「感動した」とか、そんな刺激も想いも数日過ぎれば、薄れて風化してゆく。しかし、その殆どがそれではすまない質の悪い後味を残してくれるのだ。単なる娯楽の商業映画と割り切れたら、どんなにか楽だろう。
ですが、その後味の悪さもむしろ心地良さが感じるのだ。彼が描く肌感覚の男女の機微や、時の移り変わりはまるで目の前で起こっているような錯覚を覚えるし、映画を観ている自分自身の鏡像のようでもあるからだ。
主人公の不倫の相手となる若い恋人ミッキーが狂言回しとなっている。カメラ目線で観客に事のあらましを語り、投げかけながら、スッーと役回りへと転じて物語へと戻ってゆく。何故なのかというと、彼は物語の中心的役割を担っているし、主人公の気持ちを最も搔き乱す人物でもあるにもかかわらず、実に不思議でならない。
妻は観覧車を眺め、そこから抜け出せないと思っていた。しかし、若い男と不倫をすることにより、遊園地を芝居の舞台に変えた。夫も同じように観覧車を見ていたが、普段はメリーゴーラウンドを動かしていた。だから、お伽の世界はいつも覗いていた。娘をメリーゴーラウンドではなく、観覧車に乗せてあげたいと思った。人間の本当の幸せを教えて上げたかったからだ。
しかし、義理の母親からすると義理の娘はただの脇役にすぎない。それがやがて恋のライバルとなったからさぁ~大変。ウディ・アレンの頭の中は遊園地なのだ。だから枯れない。実は、老若男女に関わらず自らもその世界の住人であるスタンスを貫いているからだろう。最近こそ、自分の作品に主人公として出演していないが、昔の作品の中では、いつも自分が主役であり、物語も自分中心に回って描いているから。
だから、本作でもそんな境界線はなく、まるでいつも私もあの人も、誰もが無様で愛おしいと、虚しさと脱力感と心地の良い安心感とが、ユーモアと愛情を感じてしまうのだ。だからこそ、彼の映画は愛され続け、優れているのだろう。
本作では、ケイト・ウィンスレット演じる女性の立ちい振る舞いを軸に、観る者の感情をこれでもかと揺さぶりかけて来る。後半ではテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のブランチを思わせる場面も登場し、往年の大女優の風格さえも漂わせていた。
男性の作り手が、女性を描く時、または女性が男性を描く時、何処かしら誰かしらから必ず「目線が違う、偏り過ぎる、理想で描きすぎる」そして「憧れなんでしょう」などの言葉が見受けられる。
ですが、ウディ・アレンの作品に至っては、そうでもない。本作でもいつの間にか女性主人公に寄り添っており、観終えて改めて自分の心境に驚かされる。いつもは、娘と一緒に鑑賞して、家に帰ってから、ああでもない、こうでもないと二人で感想を言いあいする。最近は、先に娘が映画を観て来ては、これはダメだったとか、最高に良かった感激したとか批評してくれる。この映画に関しては、娘にはダメな部類で、年老いた私とは正反対の答えでした。
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