演劇や映画、テレビドラマなどで演出家・脚本家・俳優として活躍する宅間孝行が原作と脚本を手掛け、知的障害のある娘と父との父娘愛を描いたヒューマン・ドラマ。知的障害者たちのグループホームを舞台に繰り広げられる温かな交流、ヒロインの恋、父の深い愛などがユーモアを交えながらつづられる。監督は、『トリック』『20世紀少年』シリーズなどのヒットメーカー・堤幸彦。主人公である娘と父を貫地谷しほりと竹中直人が演じ、宅間や田畑智子、橋本愛などが共演する。衝撃的な展開と強い親子愛に涙せずにはいられない。
あらすじ:知的障害を持つ娘のマコ(貫地谷しほり)を、男手ひとつで育てる愛情いっぽん(竹中直人)は、かつては人気漫画家だったが休業し、すでに30年がたっている。知的障害者のためのグループホーム「ひまわり荘」で住み込みで働き始めたいっぽんと、そこで出会ったうーやん(宅間孝行)に心を開くようになったマコ。しかしそんなある日、いっぽんに病気が見つかる。
<感想>知的障害者の自立支援を目的とするグループホームに生活する人たちの群像と、障害者を娘にもつ父親の悲劇的な顛末を描いた本作は、宅間孝行が2010年、自身の劇団東京セレソンデラックスのために書いた戯曲が基になっているようです。実際にあった事件を基にした作品ということからも、題材的に見れば社会派の側面もある映画だが、宅間さんとしてはあくまでもエンタテインメントとして描きたかったそうです。
映画の舞台となるグループホームひまわり荘で生活している知的障害者は、うーやん(宅間孝行)監督自ら熱演。うーやんと恋愛をするマコちゃんに、貫地谷しほりが、それは体は大人でも心はまだ7歳くらいの純粋な少女のまま。時には男性不信に陥り奇声をあげて発作をおこすことも。かなり勉強をしたとみえ、知的障害者の演技が動にいってました。
その他にも男の人で仙波さんに頼さん、島チンの5人がこのひまわり荘で暮らす住人です。みんな30歳は過ぎている年齢、ですが子供のように自由に発言し、行動する。下ネタなんて大声で連発するし、普通なら思っても口にしない「○○コ」とか「デブ」という言葉を平気で言ってしまう。常識が分からず、盗みや痴漢のような行為をしてしまうこともある。その一方で、バス停の時刻表をすべて暗記するような記憶力のよさを発揮することも。
初めは、宅間さんの舞台は見ていないので、何だかひまわり荘のリビングのセットや、彼らが芝居芝居した演技をしていることに違和感を抱き、映画というより芝居の方かな、なんて思ってました。ですが、暫くするとマコの父親いっぽんが、血を吐き肝臓がんということが判明するも、みんなには黙っている。一人で余命幾ばくもない自分の身体と、愛する娘マコの行く末を暗示て、一度は施設に預けた娘が、いつのまにかひまわり荘に戻ってきていて、ただただ頑固な父親なだけに、最後にあんな行動をとっても愚かにしか見えない。このひまわり荘も経済的に成り立たなくなり閉鎖をせざるを得なくなる。
その結果があのようなことになろうとは、実に涙がとめどなく溢れてきて、確かに自分の身内に知的障害者がいたなら、悩み苦しみ誰にも頼らずきっと同じことをしたと考えてしまいます。この父親役を竹中直人さんが演じて、娘に人生を捧げている元漫画家という、いつもと違う抑えた演技で良かったです。
ひまわり荘の住人の破天荒な言動は、物語の面白さとしてはいいと思う。その中で、「キモイ」となじった女子高生南が、逆にやりこめられて、「誰が知的で誰が普通なんだよ」と叫ぶ、中年おばさん袴田、岡本麗さんが演じているのだが、ノンベイで「知れば知るほど飲まずにやってられなくなる」とビールをあおり続け、「障害者の子供を抱えて理想論ぶってる場合じゃねえだろう」と手厳しい言葉を吐く。これには確かにそうだが、実際問題現場で働いている福祉員の人たちやボランティアで従事している人たちだって、つい大人の知的障害者の彼らに対応する余裕もないのだろう。
初めは生き生きと自由な発想で動く登場人物が、観客の心を捉えた後に、自由ではいられない人間の現実に立ち返らせる。マコちゃんが歌う「グッド・バイ・マイ・ラブ」の歌が切なくて、やるせなくてどうにもならない現実ってあるんだと思い知らされる。
障害者の経済的な困窮や、世間の偏見や差別は腹立たしいが、社会的弱者に対する目線は、この映画の中で優しくて温かく感じとれました。
2013年劇場鑑賞作品・・・201 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:知的障害を持つ娘のマコ(貫地谷しほり)を、男手ひとつで育てる愛情いっぽん(竹中直人)は、かつては人気漫画家だったが休業し、すでに30年がたっている。知的障害者のためのグループホーム「ひまわり荘」で住み込みで働き始めたいっぽんと、そこで出会ったうーやん(宅間孝行)に心を開くようになったマコ。しかしそんなある日、いっぽんに病気が見つかる。
<感想>知的障害者の自立支援を目的とするグループホームに生活する人たちの群像と、障害者を娘にもつ父親の悲劇的な顛末を描いた本作は、宅間孝行が2010年、自身の劇団東京セレソンデラックスのために書いた戯曲が基になっているようです。実際にあった事件を基にした作品ということからも、題材的に見れば社会派の側面もある映画だが、宅間さんとしてはあくまでもエンタテインメントとして描きたかったそうです。
映画の舞台となるグループホームひまわり荘で生活している知的障害者は、うーやん(宅間孝行)監督自ら熱演。うーやんと恋愛をするマコちゃんに、貫地谷しほりが、それは体は大人でも心はまだ7歳くらいの純粋な少女のまま。時には男性不信に陥り奇声をあげて発作をおこすことも。かなり勉強をしたとみえ、知的障害者の演技が動にいってました。
その他にも男の人で仙波さんに頼さん、島チンの5人がこのひまわり荘で暮らす住人です。みんな30歳は過ぎている年齢、ですが子供のように自由に発言し、行動する。下ネタなんて大声で連発するし、普通なら思っても口にしない「○○コ」とか「デブ」という言葉を平気で言ってしまう。常識が分からず、盗みや痴漢のような行為をしてしまうこともある。その一方で、バス停の時刻表をすべて暗記するような記憶力のよさを発揮することも。
初めは、宅間さんの舞台は見ていないので、何だかひまわり荘のリビングのセットや、彼らが芝居芝居した演技をしていることに違和感を抱き、映画というより芝居の方かな、なんて思ってました。ですが、暫くするとマコの父親いっぽんが、血を吐き肝臓がんということが判明するも、みんなには黙っている。一人で余命幾ばくもない自分の身体と、愛する娘マコの行く末を暗示て、一度は施設に預けた娘が、いつのまにかひまわり荘に戻ってきていて、ただただ頑固な父親なだけに、最後にあんな行動をとっても愚かにしか見えない。このひまわり荘も経済的に成り立たなくなり閉鎖をせざるを得なくなる。
その結果があのようなことになろうとは、実に涙がとめどなく溢れてきて、確かに自分の身内に知的障害者がいたなら、悩み苦しみ誰にも頼らずきっと同じことをしたと考えてしまいます。この父親役を竹中直人さんが演じて、娘に人生を捧げている元漫画家という、いつもと違う抑えた演技で良かったです。
ひまわり荘の住人の破天荒な言動は、物語の面白さとしてはいいと思う。その中で、「キモイ」となじった女子高生南が、逆にやりこめられて、「誰が知的で誰が普通なんだよ」と叫ぶ、中年おばさん袴田、岡本麗さんが演じているのだが、ノンベイで「知れば知るほど飲まずにやってられなくなる」とビールをあおり続け、「障害者の子供を抱えて理想論ぶってる場合じゃねえだろう」と手厳しい言葉を吐く。これには確かにそうだが、実際問題現場で働いている福祉員の人たちやボランティアで従事している人たちだって、つい大人の知的障害者の彼らに対応する余裕もないのだろう。
初めは生き生きと自由な発想で動く登場人物が、観客の心を捉えた後に、自由ではいられない人間の現実に立ち返らせる。マコちゃんが歌う「グッド・バイ・マイ・ラブ」の歌が切なくて、やるせなくてどうにもならない現実ってあるんだと思い知らされる。
障害者の経済的な困窮や、世間の偏見や差別は腹立たしいが、社会的弱者に対する目線は、この映画の中で優しくて温かく感じとれました。
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