「桜桃の味」で第50回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督が「トスカーナの贋作」同様に母国を離れ制作した人間ドラマ。元大学教授が例えまやかしでも家族の愛に触れたいと願い女子大生と接触したことから、老境において愛へ執着する元大学教授を舞台やテレビドラマを中心に活動してきた「ディア・ドクター」の奥野匡が、その時々によって様々な顔を見せる女子大生を「生きてるものはいないのか」「GOTH」の高梨臨が、恋人を執拗に追いかけ束縛しようとする男を「永遠の僕たち」「それでもボクはやってない」の加瀬亮が演じる。第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式招待作品。
あらすじ:大学で社会学の教授をしていたタカシ(奥野匡)は、現役を引退し、80歳を超えた今では孤独の中に生きていた。ひとときでも家庭のぬくもりを味わいたいと考え、デートクラブを通して亡き妻にも似た女子大生の明子(高梨臨)を家に呼ぶ。タカシは食卓に桜エビのスープとシャンパングラスをしつらえるが、一方の明子は彼女に会いに田舎から出てきた祖母と会わずに駅に置き去りにしてきたことが心に引っかかっていた。翌日、タカシが明子を大学まで車で送ると、彼女の婚約者だと名乗るノリアキ(加瀬亮)が現れる。タカシを明子の祖父だと勘違いするノリアキ。明子とノリアキが、タカシを激しく動揺させることになる……。(作品資料より)
<感想>日本ロケをする外国の監督は、ネオンの煌めく光の夜の街に心を惹かれるらしい。イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督の場合は、タクシーの中から見える街の夜景や、車の窓に映るネオンを丁寧に撮っているのが印象的だった。
デートクラブでバイトをするヒロインの孤独感が際立ち、ゆっくりと流れる時間がもどかしかったり、妙に心地良かったりするのも「トスカーナの贋作」を観てそう思ったので、同じ手法のように感じた。
ヒロインの高梨臨は、劇中で教授の家で壁にかかっている絵画の「教鵡」の女に似ているって言われるんですと言う。なるほどそう言われる似ているかもしれない。それに部屋の飾ってある奥さんの写真や、娘と孫たちの写真も彼女に似ているような気がしてきた。
そこで展開される老教授の老いらくの恋に似た何か?・・・これは亡くなった妻と良く似た娼婦の明子。孫ともいえる年の差など、この老教授にしてみれば残された人生の束の間の心が浮き立つ思いなのだろう。ジャズソングだけが優しく彼を包んでくれる。
この映画の舞台になる都市も、東京で見た花嫁姿の娼婦に触発された監督が、捏造した日本に似てそで似てないどこかなのか?・・・。新宿を走るタクシーは、瞬時に静岡駅前に到着して、文化放送からは、1977年の高田みずえの「ガラス坂」の歌が流れ、1時間かけて走行した距離は消滅する。電話の向こうの声が語るは、日本語に似た不気味な何か?・・・。
隣人の監視魔なおばさんの突然な独断場、レースのカーテンから透けて見える老教授のアパート。覗きながら孫娘と思われる女を部屋に連れ込むのを、監視している。それと、売春婦の明子の彼氏と思われるノリアキを演じた加瀬くん。学歴の中学卒を気にしているが、真剣に明子と結婚したい様子だ。老教授を明子のお爺さんと勘違いして、自分の思いのたけを話すが、この男が明子の素性を知り激怒して暴力を振るうところから話はややっこしくなる。
監督の分身ともいえる老教授の「なるようになるよ」というセリフは確かに真実だが、ノリアキが老教授の部屋に来て扉をドンドンと叩き、アパートの下に置いてある車の窓を叩き壊す音が恐怖を醸し出し、3階の窓辺から石のようなものが放り投げ込まれて、この唐突な結末には物足りなさが残ってならない。確か「トスカーナの贋作」での終わり方もそうだった。観客に思いめぐらせ想像させる憎い手法である。
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あらすじ:大学で社会学の教授をしていたタカシ(奥野匡)は、現役を引退し、80歳を超えた今では孤独の中に生きていた。ひとときでも家庭のぬくもりを味わいたいと考え、デートクラブを通して亡き妻にも似た女子大生の明子(高梨臨)を家に呼ぶ。タカシは食卓に桜エビのスープとシャンパングラスをしつらえるが、一方の明子は彼女に会いに田舎から出てきた祖母と会わずに駅に置き去りにしてきたことが心に引っかかっていた。翌日、タカシが明子を大学まで車で送ると、彼女の婚約者だと名乗るノリアキ(加瀬亮)が現れる。タカシを明子の祖父だと勘違いするノリアキ。明子とノリアキが、タカシを激しく動揺させることになる……。(作品資料より)
<感想>日本ロケをする外国の監督は、ネオンの煌めく光の夜の街に心を惹かれるらしい。イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督の場合は、タクシーの中から見える街の夜景や、車の窓に映るネオンを丁寧に撮っているのが印象的だった。
デートクラブでバイトをするヒロインの孤独感が際立ち、ゆっくりと流れる時間がもどかしかったり、妙に心地良かったりするのも「トスカーナの贋作」を観てそう思ったので、同じ手法のように感じた。
ヒロインの高梨臨は、劇中で教授の家で壁にかかっている絵画の「教鵡」の女に似ているって言われるんですと言う。なるほどそう言われる似ているかもしれない。それに部屋の飾ってある奥さんの写真や、娘と孫たちの写真も彼女に似ているような気がしてきた。
そこで展開される老教授の老いらくの恋に似た何か?・・・これは亡くなった妻と良く似た娼婦の明子。孫ともいえる年の差など、この老教授にしてみれば残された人生の束の間の心が浮き立つ思いなのだろう。ジャズソングだけが優しく彼を包んでくれる。
この映画の舞台になる都市も、東京で見た花嫁姿の娼婦に触発された監督が、捏造した日本に似てそで似てないどこかなのか?・・・。新宿を走るタクシーは、瞬時に静岡駅前に到着して、文化放送からは、1977年の高田みずえの「ガラス坂」の歌が流れ、1時間かけて走行した距離は消滅する。電話の向こうの声が語るは、日本語に似た不気味な何か?・・・。
隣人の監視魔なおばさんの突然な独断場、レースのカーテンから透けて見える老教授のアパート。覗きながら孫娘と思われる女を部屋に連れ込むのを、監視している。それと、売春婦の明子の彼氏と思われるノリアキを演じた加瀬くん。学歴の中学卒を気にしているが、真剣に明子と結婚したい様子だ。老教授を明子のお爺さんと勘違いして、自分の思いのたけを話すが、この男が明子の素性を知り激怒して暴力を振るうところから話はややっこしくなる。
監督の分身ともいえる老教授の「なるようになるよ」というセリフは確かに真実だが、ノリアキが老教授の部屋に来て扉をドンドンと叩き、アパートの下に置いてある車の窓を叩き壊す音が恐怖を醸し出し、3階の窓辺から石のようなものが放り投げ込まれて、この唐突な結末には物足りなさが残ってならない。確か「トスカーナの贋作」での終わり方もそうだった。観客に思いめぐらせ想像させる憎い手法である。
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