『軽蔑』『十九歳の地図』など紀州を舞台にした名著を多く遺した中上健次の同名短編小説(河出書房新社・刊)を「キャタピラー」「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の若松孝二監督が映画化。
三重県尾鷲市を舞台に、産婆の目を通して、路地に生まれた男たちが命の火を燃やす様を描く命の讃歌。若松監督の「キャタピラー」に出演し第60回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶが男たちの生き様を見つめ続ける産婆を演じる他、「マイウェイ 12,000キロの真実」の佐野史郎、「軽蔑」の高良健吾、「さんかく」の高岡蒼佑、「ヒミズ」の染谷将太らが出演。第69回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門正式招待作品。若松監督の遺作となった。
あらすじ:紀州のとある路地。ここで産婆をしてきたオリュウノオバ(寺島しのぶ)は最期の時を迎えている。オバの脳裏には、オバが誕生から死まで見つめ続けた男たちの姿が浮かんでいた。美貌を持ちながらもその美貌を呪うかのように女たちに身を沈めていった半蔵(高良健吾)。刹那に生き、自らの命を焼き尽くした三好(高岡蒼佑)。路地を離れ北の大地で一旗揚げようとするも夢破れた達男(染谷将太)。オバは自らの手で取り上げた彼らを見つめながら、あるがままに生きよと切に祈り続けた。オバの祈りは時空を超え、路地を流れていく……。
<感想>映画は霧が立ち昇る花の窟を見上げる象徴的なオープニングから、山に貼りつくように走る坂道を下駄を鳴らして女が駆け上がる路地へと舞台を移す。このちょっとだけの出演に故、原田芳雄の娘、麻由が演じている。中本彦之助の女房が産気づいたとの知らせを受け、飛び出していく寺島しのぶ演じるオリュウノオバは確かに若い。その肌も、つましい暮らしの中で海風にさらされた女のものとは違い、白く美しい。それも中本の血を恐れ、苦しむ女房トミを「しっかりせい」と叱咤して、その血にまみれてこの世に生まれこようとする赤ん坊に向かって、「お前が何を背負うていようと、私がこの世にとりあげちゃる。何も恐ろしいことはない」と広げた股の間を見て、瞳の奥に炎を燃やす女こそオリュウノオバだと確信する。この世に産まれ出てくる命を無条件に抱き留め、祈る路地の産婆だと。
この時のオリュウが取り上げた中本彦之助の息子、半蔵は高貴でけがれた血のもと、水も滴る色男に成長する。それが高良健吾演じる半蔵なのだが、オリュウに素行をとがめられ度、性的な戯れ言をいって彼女をからかう。しかし、彼がいう言葉はイケメン青年なので卑猥には聞こえないのだ。オリュウは一人息子を3歳で病で死なせた後、三十になるかならぬかで神仏に没頭するようになった礼如を夫に持つ。夫の役は佐野史郎。
半蔵は間男がバレて大阪へ奉公に出され、「オバはずっとここにおるさかい、いつでも戻ってこい」と見送ったその半蔵が、半年ぶりで路地に帰ってくるシーンでも、寺島は肝のすわった母性とともに、男っぷりを一層上げて帰ってきた半蔵を、溢れんばかりの笑顔で迎えながら女としての喜びを表す。だが、腹の出た嫁が一緒だと分かると上気した表情がふと消えるのだ。
ところが次の瞬間、中本の血に怯える半蔵に向かって「女の腹に宿った命は、仏様が下さったんじゃ、何が悪いことがある」と、また力強い産婆の顔に戻る。土着的な神話性に彩られた中上健次の原作は、オリュウノオバの回想を軸にした連作形式なので、脚本化は難しい。だが、中本一統の血を引く男たちを半蔵、三好、達男の三人に絞り込むことで、自滅する若者のキラメキが際立つ作品になったと思う。
本作は優れた原作を忠実に映像化することで、魅力的な面白さを湛えている。撮影場所もいまや路地にふさわしい土地は難しい中で、三重県尾鷲市という趣きのあるロケ地だし、高良健吾の妖しいほどの美貌や、三好役の高岡蒼佑の哀れな男前ぶりはふさわしかった。しかし、半蔵が間男した亭主に斬り付けられあっけなく死んでしまう。三好も泥棒稼業をして、悪さをしながら生きているが女には困らない。それでも、飯場へ仕事へいくも路地へ帰ってきて港で首をくくって死んでしまう。
短いやり取りの中にオリュウの女心を繊細に滲ませるシーンでは、半蔵、三好、そして達男と相手を変えながら、やがて達男(染谷将太)との性行為によって自らを解放していくシーンへと繋いでいく。寺島しのぶと言えば全裸でのセックスシーンが印象に残っているが、私的には半蔵と結ばれるとばかり思っていたのに、まさか年を取って若い染谷将太とそんな関係を持つとは意外でした。
若い身そらで産婆となったオリュウの生身の生と性を、鮮やかにスクリーンに焼き付けて見せる。「どんなことが待ち受けようと、命が湧いて溢れるように、子は、この世に産まれ来る。生きて、死んで、生きて、死んで・・・」寺島しのぶの声がいつまでも耳に残る。その優しい歌は、霧の立ち込める山に棲む、あの世とこの世を行き来するホトトギスの声ともなって「生きよ」と観る者に囁いているようである。
それでも、物語がオリュウの死によって、中途半端なところで終幕となり、中本の血筋の宿命が描き出し切れず惜しいですね。ここ数年の若松監督作品は、過激な思想に殉じて若死にをした男たちへのレクイエムだったような気がする。自分の死期を予感していたかのように、すべてを許し受け入れる死生観を、寺島しのぶ演じるオリュウノオバに託しているようにもとれた。
2013年劇場鑑賞作品・・・80 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキングへ
三重県尾鷲市を舞台に、産婆の目を通して、路地に生まれた男たちが命の火を燃やす様を描く命の讃歌。若松監督の「キャタピラー」に出演し第60回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶが男たちの生き様を見つめ続ける産婆を演じる他、「マイウェイ 12,000キロの真実」の佐野史郎、「軽蔑」の高良健吾、「さんかく」の高岡蒼佑、「ヒミズ」の染谷将太らが出演。第69回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門正式招待作品。若松監督の遺作となった。
あらすじ:紀州のとある路地。ここで産婆をしてきたオリュウノオバ(寺島しのぶ)は最期の時を迎えている。オバの脳裏には、オバが誕生から死まで見つめ続けた男たちの姿が浮かんでいた。美貌を持ちながらもその美貌を呪うかのように女たちに身を沈めていった半蔵(高良健吾)。刹那に生き、自らの命を焼き尽くした三好(高岡蒼佑)。路地を離れ北の大地で一旗揚げようとするも夢破れた達男(染谷将太)。オバは自らの手で取り上げた彼らを見つめながら、あるがままに生きよと切に祈り続けた。オバの祈りは時空を超え、路地を流れていく……。
<感想>映画は霧が立ち昇る花の窟を見上げる象徴的なオープニングから、山に貼りつくように走る坂道を下駄を鳴らして女が駆け上がる路地へと舞台を移す。このちょっとだけの出演に故、原田芳雄の娘、麻由が演じている。中本彦之助の女房が産気づいたとの知らせを受け、飛び出していく寺島しのぶ演じるオリュウノオバは確かに若い。その肌も、つましい暮らしの中で海風にさらされた女のものとは違い、白く美しい。それも中本の血を恐れ、苦しむ女房トミを「しっかりせい」と叱咤して、その血にまみれてこの世に生まれこようとする赤ん坊に向かって、「お前が何を背負うていようと、私がこの世にとりあげちゃる。何も恐ろしいことはない」と広げた股の間を見て、瞳の奥に炎を燃やす女こそオリュウノオバだと確信する。この世に産まれ出てくる命を無条件に抱き留め、祈る路地の産婆だと。
この時のオリュウが取り上げた中本彦之助の息子、半蔵は高貴でけがれた血のもと、水も滴る色男に成長する。それが高良健吾演じる半蔵なのだが、オリュウに素行をとがめられ度、性的な戯れ言をいって彼女をからかう。しかし、彼がいう言葉はイケメン青年なので卑猥には聞こえないのだ。オリュウは一人息子を3歳で病で死なせた後、三十になるかならぬかで神仏に没頭するようになった礼如を夫に持つ。夫の役は佐野史郎。
半蔵は間男がバレて大阪へ奉公に出され、「オバはずっとここにおるさかい、いつでも戻ってこい」と見送ったその半蔵が、半年ぶりで路地に帰ってくるシーンでも、寺島は肝のすわった母性とともに、男っぷりを一層上げて帰ってきた半蔵を、溢れんばかりの笑顔で迎えながら女としての喜びを表す。だが、腹の出た嫁が一緒だと分かると上気した表情がふと消えるのだ。
ところが次の瞬間、中本の血に怯える半蔵に向かって「女の腹に宿った命は、仏様が下さったんじゃ、何が悪いことがある」と、また力強い産婆の顔に戻る。土着的な神話性に彩られた中上健次の原作は、オリュウノオバの回想を軸にした連作形式なので、脚本化は難しい。だが、中本一統の血を引く男たちを半蔵、三好、達男の三人に絞り込むことで、自滅する若者のキラメキが際立つ作品になったと思う。
本作は優れた原作を忠実に映像化することで、魅力的な面白さを湛えている。撮影場所もいまや路地にふさわしい土地は難しい中で、三重県尾鷲市という趣きのあるロケ地だし、高良健吾の妖しいほどの美貌や、三好役の高岡蒼佑の哀れな男前ぶりはふさわしかった。しかし、半蔵が間男した亭主に斬り付けられあっけなく死んでしまう。三好も泥棒稼業をして、悪さをしながら生きているが女には困らない。それでも、飯場へ仕事へいくも路地へ帰ってきて港で首をくくって死んでしまう。
短いやり取りの中にオリュウの女心を繊細に滲ませるシーンでは、半蔵、三好、そして達男と相手を変えながら、やがて達男(染谷将太)との性行為によって自らを解放していくシーンへと繋いでいく。寺島しのぶと言えば全裸でのセックスシーンが印象に残っているが、私的には半蔵と結ばれるとばかり思っていたのに、まさか年を取って若い染谷将太とそんな関係を持つとは意外でした。
若い身そらで産婆となったオリュウの生身の生と性を、鮮やかにスクリーンに焼き付けて見せる。「どんなことが待ち受けようと、命が湧いて溢れるように、子は、この世に産まれ来る。生きて、死んで、生きて、死んで・・・」寺島しのぶの声がいつまでも耳に残る。その優しい歌は、霧の立ち込める山に棲む、あの世とこの世を行き来するホトトギスの声ともなって「生きよ」と観る者に囁いているようである。
それでも、物語がオリュウの死によって、中途半端なところで終幕となり、中本の血筋の宿命が描き出し切れず惜しいですね。ここ数年の若松監督作品は、過激な思想に殉じて若死にをした男たちへのレクイエムだったような気がする。自分の死期を予感していたかのように、すべてを許し受け入れる死生観を、寺島しのぶ演じるオリュウノオバに託しているようにもとれた。
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