カトリック教会が長年隠蔽してきた児童虐待スキャンダルを暴き出し、ピュリツァー賞に輝いた調査報道チームを巡る感動の実話を基に、巨大な権力に立ち向かっていった新聞記者たちのジャーナリズム魂と不屈の執念を描いた実録サスペンス。出演はマーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーヴ・シュライバー、ジョン・スラッテリー。監督は「扉をたたく人」「靴職人と魔法のミシン」のトム・マッカーシー。
<感想>今年のアカデミー賞でみごと作品賞と脚本賞の2冠に輝いたということで観賞。観賞してみて、「スポットライト」は主要人物すべてが主役といっていい群像劇であるも、その中で誰が一番かというとやはり主役はマイケル・キートンだと思う。
1976年、ボストンのカトリック教会の神父が子供に対する性的虐待で警察に拘留されるが、その後事件はうやむやになってしまう。時は経ち、2001年に地元新聞社グローブに新しい編集局長が就任して、その彼が一つのテーマに時間をかけて取材し記事にする《スポットライト》のチームに、25年前の神父の事件を調べるように指示する。あの時の神父は、その後も性的虐待を繰り返していた。
新任の局長はマイアミから来たユダヤ系で、ボストンではよそ者である。しかし、スポットライトのチームの面々はみな地元ボストン出身者。グローブ紙を始め、ボストンのマスコミがこの事件を大きく扱わなかった背景には、カトリック教会に触れたくない、波風を立てたくないという意識があった。よそ者の局長バロンに対しては、早速圧力めいたもの言いをする人物も現れる。
だが、ジャーナリストとして使命に燃える《スポットライト》のチームの面々が事件を調査していく内に、性的虐待をした神父がボストンだけでも70人はいるということが分かる。カトリック教会は問題を起こした神父を一時的に職務停止して、この問題を隠蔽していたのだ。
カトリックの神父による子供への性的虐待の要因は、その一因としてカトリック教では神父が結婚できないこと。同じキリスト教でもプロテスタントの牧師は結婚して家庭を築くのが普通であり、問題解決のためには個々の神父を罰するだけでなく、こうした面での改革が必要なのかもしれない。
多数の神父による驚くべき性犯罪の事実と、被害者たちの苦しみが明らかになるにつれ、《スポットライト》のチームの面々にも動揺が現れる。これまでのようには教会に行けなくなると思い、信仰と現実の間で悩む女性記者のサーシャ。神父の犯罪をできるだけ早く世に伝えたいと思う熱血記者のマイク。神父の犯罪を追及するだけでは問題は解決しないのだ。それを隠蔽した教会も追求しなければとリーダーのロビー。映画の後半ではマイクとロビーの対比とそれぞれの記者の思いが中心になっていきます。
この映画では、神父や教会に対して単純に悪として追求するだけでは終わっていない。謹慎中の神父を訪ねるサーシャは、加害者の神父も少年時代には被害者だったことを知り、自分が子供のころに教会に行っていたが、被害者にならなかったのは運が良かっただけと思い知る。
そして、ロビーが過去に自分が担当していた欄で神父による性的虐待の記事を載せたにもかかわらず、それ以上追及せずに放置しておいたことを思い出します。その記事を見つけたサーシャが、ロビーに報告するシーンでは、ロビーが「それで」とそっけない返事をするのに、一見重要そうに見えないこのシーンが、後で深い意味を持ってくるのです。
ロビーは友人の弁護士から「編集局長は手柄を立てたいだけで、出世して何処かへ行ってしまうけれど、お前は行くところがないのだ。だから、記事を抑えろ」と言われるリアルなシーンがある。ですが、記者たちは特ダネというものに対する渇望、大きなスクープを派手にやりたいというのと、社会欄で告発したいという正義感みたいな感情もある。
隠れていた不正を自分が表にださないと埋もれてしまう、情報が集まりだんだんと全貌が明らかになってくる面白さもある。現場感、特ダネに向かって何かをやるという満足感、それに使命感もある。ボストン出身の記者たちにとっては、この事件は決して他人事ではないのだ。自分が被害者になったかもしれないのに、こういうことが起こっていたことに気づかなかったことを。それを見過ごしてしまったことを。
それでも、神父が子供に性的虐待をするシーンなどは見せてはいない。描かないことで、観客に信仰とどう向き合えばいいのか、今でも繰り返されている性的虐待を。それに、神父だけではない。孤児院や学校などで、小児性愛好者の性的虐待も、権力を笠に着て子供たちを虐待している悪も、現在でもなくならないことを。
しかし、《スポットライト》の記者たちは正義感だけに突き動かされていると言う感じがあります。休みの日でも会社に出て来て仕事しているし、夜中まで夜回りして、絶対に家庭崩壊していると思うのに、記者たちの家庭が出てこないのも不満でした。
配役が適材適所であり、新任の編集局長マーティ・バロンに「完全なるチェックメイト」のリーヴ・シュレイバーが扮して、特集記事欄《スポットライト》を担当するリーダーのウォルターには、マイケル・キートンが、その他3人には、マイクにマーク・ラファロ、サーシャにはレイチェル・マクアダムス、マットにブライアン・ダーシー・ジェームズと変人弁護士のガラベディアン役で笑いを誘うスタンリー・トゥッチはじめ、脇役も充実していて良かった。
ラストで、彼らの働きの成果として、記事の反響の声で編集部の電話が鳴りやまないことが、最高に素敵でした。
2016年劇場鑑賞作品・・・77映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>今年のアカデミー賞でみごと作品賞と脚本賞の2冠に輝いたということで観賞。観賞してみて、「スポットライト」は主要人物すべてが主役といっていい群像劇であるも、その中で誰が一番かというとやはり主役はマイケル・キートンだと思う。
1976年、ボストンのカトリック教会の神父が子供に対する性的虐待で警察に拘留されるが、その後事件はうやむやになってしまう。時は経ち、2001年に地元新聞社グローブに新しい編集局長が就任して、その彼が一つのテーマに時間をかけて取材し記事にする《スポットライト》のチームに、25年前の神父の事件を調べるように指示する。あの時の神父は、その後も性的虐待を繰り返していた。
新任の局長はマイアミから来たユダヤ系で、ボストンではよそ者である。しかし、スポットライトのチームの面々はみな地元ボストン出身者。グローブ紙を始め、ボストンのマスコミがこの事件を大きく扱わなかった背景には、カトリック教会に触れたくない、波風を立てたくないという意識があった。よそ者の局長バロンに対しては、早速圧力めいたもの言いをする人物も現れる。
だが、ジャーナリストとして使命に燃える《スポットライト》のチームの面々が事件を調査していく内に、性的虐待をした神父がボストンだけでも70人はいるということが分かる。カトリック教会は問題を起こした神父を一時的に職務停止して、この問題を隠蔽していたのだ。
カトリックの神父による子供への性的虐待の要因は、その一因としてカトリック教では神父が結婚できないこと。同じキリスト教でもプロテスタントの牧師は結婚して家庭を築くのが普通であり、問題解決のためには個々の神父を罰するだけでなく、こうした面での改革が必要なのかもしれない。
多数の神父による驚くべき性犯罪の事実と、被害者たちの苦しみが明らかになるにつれ、《スポットライト》のチームの面々にも動揺が現れる。これまでのようには教会に行けなくなると思い、信仰と現実の間で悩む女性記者のサーシャ。神父の犯罪をできるだけ早く世に伝えたいと思う熱血記者のマイク。神父の犯罪を追及するだけでは問題は解決しないのだ。それを隠蔽した教会も追求しなければとリーダーのロビー。映画の後半ではマイクとロビーの対比とそれぞれの記者の思いが中心になっていきます。
この映画では、神父や教会に対して単純に悪として追求するだけでは終わっていない。謹慎中の神父を訪ねるサーシャは、加害者の神父も少年時代には被害者だったことを知り、自分が子供のころに教会に行っていたが、被害者にならなかったのは運が良かっただけと思い知る。
そして、ロビーが過去に自分が担当していた欄で神父による性的虐待の記事を載せたにもかかわらず、それ以上追及せずに放置しておいたことを思い出します。その記事を見つけたサーシャが、ロビーに報告するシーンでは、ロビーが「それで」とそっけない返事をするのに、一見重要そうに見えないこのシーンが、後で深い意味を持ってくるのです。
ロビーは友人の弁護士から「編集局長は手柄を立てたいだけで、出世して何処かへ行ってしまうけれど、お前は行くところがないのだ。だから、記事を抑えろ」と言われるリアルなシーンがある。ですが、記者たちは特ダネというものに対する渇望、大きなスクープを派手にやりたいというのと、社会欄で告発したいという正義感みたいな感情もある。
隠れていた不正を自分が表にださないと埋もれてしまう、情報が集まりだんだんと全貌が明らかになってくる面白さもある。現場感、特ダネに向かって何かをやるという満足感、それに使命感もある。ボストン出身の記者たちにとっては、この事件は決して他人事ではないのだ。自分が被害者になったかもしれないのに、こういうことが起こっていたことに気づかなかったことを。それを見過ごしてしまったことを。
それでも、神父が子供に性的虐待をするシーンなどは見せてはいない。描かないことで、観客に信仰とどう向き合えばいいのか、今でも繰り返されている性的虐待を。それに、神父だけではない。孤児院や学校などで、小児性愛好者の性的虐待も、権力を笠に着て子供たちを虐待している悪も、現在でもなくならないことを。
しかし、《スポットライト》の記者たちは正義感だけに突き動かされていると言う感じがあります。休みの日でも会社に出て来て仕事しているし、夜中まで夜回りして、絶対に家庭崩壊していると思うのに、記者たちの家庭が出てこないのも不満でした。
配役が適材適所であり、新任の編集局長マーティ・バロンに「完全なるチェックメイト」のリーヴ・シュレイバーが扮して、特集記事欄《スポットライト》を担当するリーダーのウォルターには、マイケル・キートンが、その他3人には、マイクにマーク・ラファロ、サーシャにはレイチェル・マクアダムス、マットにブライアン・ダーシー・ジェームズと変人弁護士のガラベディアン役で笑いを誘うスタンリー・トゥッチはじめ、脇役も充実していて良かった。
ラストで、彼らの働きの成果として、記事の反響の声で編集部の電話が鳴りやまないことが、最高に素敵でした。
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