生涯現役を続け、2015年に106歳で永眠したポルトガルの巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監督が101歳の時に撮り上げた作品。若くして亡くなった美女の遺影を任された青年が、彼女の不思議な微笑みに心奪われ体験する幻想譚を描く。主演は監督の孫でもある「ブロンド少女は過激に美しく」のリカルド・トレパ、共演にピラール・ロペス・デ・アジャラ。
あらすじ:ポルトガルの小さな町に暮らすカメラが趣味の青年イザク(リカルド・トレパ)。ある日、イザクに早世したアンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の写真を撮影してほしいと依頼がくる。白い衣装に身を包んで横たわる美しいアンジェリカにイザクがカメラを向けると、アンジェリカは突然目を開き、イザクにほほ笑み掛ける。その日からイザクは、アンジェリカのことが頭から離れなくなってしまう。
<感想>何だか古くてしかも新しい、時代錯誤的でしかも前衛的、とでもいうのだろうか。今作のテーマは、美しい亡霊に恋してしまう男の話。ただし巨匠マノエル・ド・オリヴェイラの映画にはもう一つ重要な仕掛けがあるのだ。写真と映画の関係性という文字どおり古くて新しい問題系である。
主人公のユダヤ人写真家で、青年イザクが自分の撮った死者の写真に魅了されて取り憑かれてしまうという設定自体が、少なからず意表を突く者だ。というのは、ユダヤ教では伝統的に偶像に対する禁止や禁欲という、モーセ以来の古い掟が伝えられてきたからなのだ。
突然死した若くて美しい人妻が死の床に横たわっている。偶然にも写真に収めることになったイザク。カメラのファインダーを覗いてピントを合わせようとすると、死んだはずの美女が瞳を開いて彼に微笑みかけるのだ。呆気にとられて、遺体の周りを囲む家族たちを振り返るイザク。
だが、彼らの表情には変化がなく悲しみにくれたままであった。つまり、妄想はイザクだけで、そしてカメラの中においてのみ起こっているのだ。慌ててシャッターを何度か切ると、そそくさとその場を立ち去る。
翌朝、昨晩のフィルムを現像して、天井に吊るして見ると、その中の1枚がまたしてもイザクに微笑みかける。このシークエンスは、オリヴェイラが何処まで意図したかが不明ですが、ほんの一瞬だけ主人公の記憶の中に美女が瞳を開けるカットが挿入されているのだ。
だから、主人公のイザクは撮影時と現像時に起こった二度の軌跡に戸惑うのである。街の教会で始まろうとしているキリスト教の葬式に行き、確かにそこに彼女の遺体が眠っていることを確かめる。ですが、キリスト教の司祭が入場するや、急ぎ足で境界から立ち去って行く。もちろん彼がユダヤ人だからであります。
それでも、イザクは写真の中の死者アンジェリカに魅入られてしまう。天使のようなアンジェリカ、夜中に彼女がベランダに来てイザクを誘い出す。二人は、夜の空を夢遊病者のように羽ばたき浮遊するのだ。
ですが、主人公は下宿の窓に面した丘陵地に広がるブドウ畑と、そこで働く農夫たちの写真であります。イザクの本来の関心は、昔ながらの労働に従事する人々を写真に収めることにあるから。だから、その場面はアンジェリカにまつわるシーンと交互に置かれているのだ。
十枚の農夫たちの写真の間に挟まれるようにして、アンジェリカの3枚の写真が横一列に吊るされているのだ。その流域で働く労働者たちの写真と、亡霊や天使もまたリアルな存在であるのだ。
見ている内に、オリヴェイラ監督が亡くなったのかどうかも曖昧になり、まだ生きているような気がしてならない。
2016年劇場鑑賞作品・・・27映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:ポルトガルの小さな町に暮らすカメラが趣味の青年イザク(リカルド・トレパ)。ある日、イザクに早世したアンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の写真を撮影してほしいと依頼がくる。白い衣装に身を包んで横たわる美しいアンジェリカにイザクがカメラを向けると、アンジェリカは突然目を開き、イザクにほほ笑み掛ける。その日からイザクは、アンジェリカのことが頭から離れなくなってしまう。
<感想>何だか古くてしかも新しい、時代錯誤的でしかも前衛的、とでもいうのだろうか。今作のテーマは、美しい亡霊に恋してしまう男の話。ただし巨匠マノエル・ド・オリヴェイラの映画にはもう一つ重要な仕掛けがあるのだ。写真と映画の関係性という文字どおり古くて新しい問題系である。
主人公のユダヤ人写真家で、青年イザクが自分の撮った死者の写真に魅了されて取り憑かれてしまうという設定自体が、少なからず意表を突く者だ。というのは、ユダヤ教では伝統的に偶像に対する禁止や禁欲という、モーセ以来の古い掟が伝えられてきたからなのだ。
突然死した若くて美しい人妻が死の床に横たわっている。偶然にも写真に収めることになったイザク。カメラのファインダーを覗いてピントを合わせようとすると、死んだはずの美女が瞳を開いて彼に微笑みかけるのだ。呆気にとられて、遺体の周りを囲む家族たちを振り返るイザク。
だが、彼らの表情には変化がなく悲しみにくれたままであった。つまり、妄想はイザクだけで、そしてカメラの中においてのみ起こっているのだ。慌ててシャッターを何度か切ると、そそくさとその場を立ち去る。
翌朝、昨晩のフィルムを現像して、天井に吊るして見ると、その中の1枚がまたしてもイザクに微笑みかける。このシークエンスは、オリヴェイラが何処まで意図したかが不明ですが、ほんの一瞬だけ主人公の記憶の中に美女が瞳を開けるカットが挿入されているのだ。
だから、主人公のイザクは撮影時と現像時に起こった二度の軌跡に戸惑うのである。街の教会で始まろうとしているキリスト教の葬式に行き、確かにそこに彼女の遺体が眠っていることを確かめる。ですが、キリスト教の司祭が入場するや、急ぎ足で境界から立ち去って行く。もちろん彼がユダヤ人だからであります。
それでも、イザクは写真の中の死者アンジェリカに魅入られてしまう。天使のようなアンジェリカ、夜中に彼女がベランダに来てイザクを誘い出す。二人は、夜の空を夢遊病者のように羽ばたき浮遊するのだ。
ですが、主人公は下宿の窓に面した丘陵地に広がるブドウ畑と、そこで働く農夫たちの写真であります。イザクの本来の関心は、昔ながらの労働に従事する人々を写真に収めることにあるから。だから、その場面はアンジェリカにまつわるシーンと交互に置かれているのだ。
十枚の農夫たちの写真の間に挟まれるようにして、アンジェリカの3枚の写真が横一列に吊るされているのだ。その流域で働く労働者たちの写真と、亡霊や天使もまたリアルな存在であるのだ。
見ている内に、オリヴェイラ監督が亡くなったのかどうかも曖昧になり、まだ生きているような気がしてならない。
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