第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『死の棘』などの小栗康平監督による伝記ドラマ。フランスを中心に活動してきた著名な画家・藤田嗣治を主人公に、彼の生きた激動の時代を描く。プロデューサーは、ヒット作『アメリ』に携ったクローディー・オサール。主演を務めるのはオダギリジョーと中谷美紀、さらに『最後のマイ・ウェイ』などのアナ・ジラルドら日本とフランスの実力派キャストが集結する。
1920年代パリ、日本人画家・フジタ(オダギリジョー)が描く裸婦像は「乳白色の肌」と称賛され、彼は時の人となった。一躍エコール・ド・パリの人気者となったフジタは、雪のように白い肌を持つリシュー・バドゥー(アナ・ジラルド)と出会い、自らユキと名付け彼女と共に暮らし始める。やがて第2次世界大戦が始まり、フジタは日本に帰国し戦争画を描くようになるが……。
<感想>1920年代パリで熱狂的な人気を集め、戦時中は日本軍に戦争絵画への強力を強制された波乱の画家である藤田嗣治。凝りに凝った映像に、ロケーションで1920年代のパリを再現するのは、本当に大変なことだったと思います。セピア色に沈んだ画調に、思わず目を奪われます。
彼の絵画は美術展があると必ず見に行き、本物を見ております。実に繊細なタッチで女性の裸婦を描かれ、まるで日本画かとおもうような筆のタッチで描いているように感じました。
特に裸婦と猫を描いた絵は、猫の毛並1本1本が繊細に描かれており感服した記憶があります。毛筆の細い筆で描いた線は、黒墨で描いているような、それに乳白色の肌の色は、芸子さんのおしろいを使用したということを聞いたことがあります。
根っからの自由人であり、美への殉教者であった藤田の半生を、映画は純度の高いエッセンスの域にまで凝縮して映し出しているようでした。
1920年代のフランスでの「裸婦」の時代と1940年代の帰国してからの「戦争」の時代の落差でもあります。冒頭のフランスでの貧しい暮らしの中で、自分の絵が売れ始めて、暮らしもらくになり夜の酒場に呑みに歩く藤田。フーフー(お調子者)の愛称で呼ばれ、画家として評価を得る一方で、大恐慌前のパリでの狂騒ぶりが描かれていた。
藤田を演じたオダギリジョーの流暢なフランス語、静かに話す言葉に芸術家らしい飄々とした品格。とてもフジタ画伯に良く似ているので、キャスティングとしては良かった。
藤田は当時の最先端であったわけで、カッコ付けてやって行くんだという状態が良く滲み出ていた。とにかく美術映画を観ることは、嫌いな人には退屈極まりなく、観客を眠らせる時間が流れる。
おかっぱ頭の自画像に、演じたオダギリジョーが確かにそっくりであり、パリを舞台にした前半は、モデルのキキや妻のユキとの華やかでビザールな「乳白色」の日々が描かれる。
そして、戦争画の時代へと変わる帰国後は、力作である「アッツ島玉砕」をモチーフにひたすら重苦しく、鉛色のスクリーンで暗く恐ろしく見えた。
ともかく、映画の全編を通して、暗く陰気くさくて、確かに1920年代のパリはまだ電気も付いてなく、ガス灯かランプの時代。帰国後の日本での故郷青森でも、農家ということもあり薄暗く暗いスクリーンに、目が霞んでくるのだ。
それでも、日本での妻役の中谷美紀の艶やかな着物姿に、夫である藤田は何故に妻の着物姿を描かなかったのだろう。
ですが、小栗康平監督の作品は一度も観賞したことがないので、この監督の見せる引きに引いた目線とか、パリから帰国後の日本の故郷を描く説明もない転調も。だから、もう少し藤田嗣治という人物と、絵画に寄って欲しい気がしました。ただ、ラストのフランスの教会の壁画が、とても素晴らしくて見入ってしましました。
2015年劇場鑑賞作品・・・263映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
1920年代パリ、日本人画家・フジタ(オダギリジョー)が描く裸婦像は「乳白色の肌」と称賛され、彼は時の人となった。一躍エコール・ド・パリの人気者となったフジタは、雪のように白い肌を持つリシュー・バドゥー(アナ・ジラルド)と出会い、自らユキと名付け彼女と共に暮らし始める。やがて第2次世界大戦が始まり、フジタは日本に帰国し戦争画を描くようになるが……。
<感想>1920年代パリで熱狂的な人気を集め、戦時中は日本軍に戦争絵画への強力を強制された波乱の画家である藤田嗣治。凝りに凝った映像に、ロケーションで1920年代のパリを再現するのは、本当に大変なことだったと思います。セピア色に沈んだ画調に、思わず目を奪われます。
彼の絵画は美術展があると必ず見に行き、本物を見ております。実に繊細なタッチで女性の裸婦を描かれ、まるで日本画かとおもうような筆のタッチで描いているように感じました。
特に裸婦と猫を描いた絵は、猫の毛並1本1本が繊細に描かれており感服した記憶があります。毛筆の細い筆で描いた線は、黒墨で描いているような、それに乳白色の肌の色は、芸子さんのおしろいを使用したということを聞いたことがあります。
根っからの自由人であり、美への殉教者であった藤田の半生を、映画は純度の高いエッセンスの域にまで凝縮して映し出しているようでした。
1920年代のフランスでの「裸婦」の時代と1940年代の帰国してからの「戦争」の時代の落差でもあります。冒頭のフランスでの貧しい暮らしの中で、自分の絵が売れ始めて、暮らしもらくになり夜の酒場に呑みに歩く藤田。フーフー(お調子者)の愛称で呼ばれ、画家として評価を得る一方で、大恐慌前のパリでの狂騒ぶりが描かれていた。
藤田を演じたオダギリジョーの流暢なフランス語、静かに話す言葉に芸術家らしい飄々とした品格。とてもフジタ画伯に良く似ているので、キャスティングとしては良かった。
藤田は当時の最先端であったわけで、カッコ付けてやって行くんだという状態が良く滲み出ていた。とにかく美術映画を観ることは、嫌いな人には退屈極まりなく、観客を眠らせる時間が流れる。
おかっぱ頭の自画像に、演じたオダギリジョーが確かにそっくりであり、パリを舞台にした前半は、モデルのキキや妻のユキとの華やかでビザールな「乳白色」の日々が描かれる。
そして、戦争画の時代へと変わる帰国後は、力作である「アッツ島玉砕」をモチーフにひたすら重苦しく、鉛色のスクリーンで暗く恐ろしく見えた。
ともかく、映画の全編を通して、暗く陰気くさくて、確かに1920年代のパリはまだ電気も付いてなく、ガス灯かランプの時代。帰国後の日本での故郷青森でも、農家ということもあり薄暗く暗いスクリーンに、目が霞んでくるのだ。
それでも、日本での妻役の中谷美紀の艶やかな着物姿に、夫である藤田は何故に妻の着物姿を描かなかったのだろう。
ですが、小栗康平監督の作品は一度も観賞したことがないので、この監督の見せる引きに引いた目線とか、パリから帰国後の日本の故郷を描く説明もない転調も。だから、もう少し藤田嗣治という人物と、絵画に寄って欲しい気がしました。ただ、ラストのフランスの教会の壁画が、とても素晴らしくて見入ってしましました。
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