ウディ・アレン監督がケイト・ブランシェットをヒロインに迎え、サンフランシスコを舞台に転落人生の中でもがき、精神を病んでいく姿を描くドラマ。ニューヨークでセレブ生活を送っていたものの夫も財産も失ったヒロインが妹を頼りにサンフランシスコに引っ越し、再生しようとする過程で、彼女の過去や心の闇を浮き彫りにしていく。実業家である夫をアレック・ボールドウィンが演じるほか、サリー・ホーキンスやピーター・サースガードが共演。シリアスな展開と共に、ケイトの繊細な演技に引き込まれる。
<感想>主演のケイト・ブランシェットが、アカデミー主演女優賞を受賞した作品であり、監督、脚本がウディ・アレンということで、前から絶対に観たいと思ってました。大金持ちから転落して、なお高慢さだけは保持した中年女の不自由な生き様を上手に描いている。いるいる、私の周りにもこういう人って。自分の身に合った生き方をしないと疲れるよね。
破産状態なのに、ファーストクラスに乗り、ファッションも高級品と、身の上と行動が伴っていない。シングルマザーの妹ジンジャーは、現在の恋人で修理工のチリを紹介するが、ジャスミンには武骨なチリと付き合う妹の趣味が理解できない。
姉妹とはいえ、ヒロインは里子だそうで二人は血の繋がりがなく、生き方も正反対だ。セレブ気分が抜けないジャスミンは、リッチな生活に返り咲くことを夢見るが、具体的なプランや基本的な生活能力もない。ネットでインテリアデザイナーの資格を取ろうとするが、パソコン操作を習うために、歯科医の受付のバイトをするものの、下心見え見えのドクターのセクハラから逃げ出す羽目になり、プライドも傷ついて、彼女は精神のバランスを崩していく。
そんなジャスミンは、パーティーで出会ったドワイト(ピーター・サースガード)というエリート男性こそ自分に相応しいと見込んで、でまかせの自己PRで、彼に取り入る。上流階級への復帰を着々と進めるシャスミンだが、思わぬ展開が彼女を待っていたのです。
ジャスミンの不自由な振る舞いを過去と、現在をパッパと切り替え、徹頭徹尾に見せ続ける。素敵な男性と知り合い、再浮上のきっかけを掴みかけた女だが、かねてから彼女に恨みを抱く男と偶然再会したことで、打ち砕かれる。見ていて、打ち砕かれることは予想していたのに、予想どおりの展開が続いたのには驚いた。彼女の高慢なせいではなく、彼女自身の愛と寂しさゆえだったから。
「オークランド」と彼女が地名を口に出した時、声をあげそうになった。悪業の限りをつくしたカンダタが、生涯たった一度だけ、蜘蛛に示した慈悲に似た、たった一度の愛だったのに。その一点を見せるために、過剰な彼女の振る舞いと過去の贅沢と、今のブザマな姿とが周到に描かれていた。その、一度だけの愛の発露で彼女は自滅する。救いのない結末に、傾れこむことをその時点で予感させたのだが、観客はもう観ているだけだった。
とても劇的な素晴らしい映画でした。たとえ、それが暗くて救いがなかろうと、未知の気持ちを感じさせてくれるなら、喜んで暗い気持ちにもなる。もともと授かった名前を変えてまで、今の自分ではない、どこかにある本当の自分を求めるという、ノイローゼでもある。
そのギャップに折り合いを付けられない悲劇。ほぼ会話で進んでいくいつもの感じだが、さすがにウディ・アレン、飽きさせない。そして主人公ジャスミンを中心としたダメ人間の綺麗ごとがどんどん剥がれていく快感。羽振りの良かったころと、落ちぶれた現在とのカットバックもギリギリわかりづらくなく、興味の持続のさせ方はやっぱり上手いと納得させられてしまう。
ああ、やっぱりね、そういうもんだよと納得力で推進するストーリー。最終的な崩壊のエピソードも偶然が作用しすぎとも思えるが、「こういう女なら、遅かれ早かれこういうオチになるんだろうな」という納得が勝ってしまう。
救いはない、自分の不幸が災難、上から降ってきたものではなく、自分に折り合いをつけられない自分自身が招いた自業自得。不可避の道であったことを最後に思い出すジャスミン。ですが、悲惨さを必要以上に深刻に見せない軽み。そして、「そういうもんだね」という、いつものウッディ監督が下す、いつもの結論ですよ。78歳の天才映画作家だって人間ですもの、そうも大傑作ばかりも作っていられない。そんな山や谷を乗り越えてきた、ウッディが、お馴染みの古めのジャズやブルースに乗せて撮った作品ですね。
2014年劇場鑑賞作品・・・108 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>主演のケイト・ブランシェットが、アカデミー主演女優賞を受賞した作品であり、監督、脚本がウディ・アレンということで、前から絶対に観たいと思ってました。大金持ちから転落して、なお高慢さだけは保持した中年女の不自由な生き様を上手に描いている。いるいる、私の周りにもこういう人って。自分の身に合った生き方をしないと疲れるよね。
破産状態なのに、ファーストクラスに乗り、ファッションも高級品と、身の上と行動が伴っていない。シングルマザーの妹ジンジャーは、現在の恋人で修理工のチリを紹介するが、ジャスミンには武骨なチリと付き合う妹の趣味が理解できない。
姉妹とはいえ、ヒロインは里子だそうで二人は血の繋がりがなく、生き方も正反対だ。セレブ気分が抜けないジャスミンは、リッチな生活に返り咲くことを夢見るが、具体的なプランや基本的な生活能力もない。ネットでインテリアデザイナーの資格を取ろうとするが、パソコン操作を習うために、歯科医の受付のバイトをするものの、下心見え見えのドクターのセクハラから逃げ出す羽目になり、プライドも傷ついて、彼女は精神のバランスを崩していく。
そんなジャスミンは、パーティーで出会ったドワイト(ピーター・サースガード)というエリート男性こそ自分に相応しいと見込んで、でまかせの自己PRで、彼に取り入る。上流階級への復帰を着々と進めるシャスミンだが、思わぬ展開が彼女を待っていたのです。
ジャスミンの不自由な振る舞いを過去と、現在をパッパと切り替え、徹頭徹尾に見せ続ける。素敵な男性と知り合い、再浮上のきっかけを掴みかけた女だが、かねてから彼女に恨みを抱く男と偶然再会したことで、打ち砕かれる。見ていて、打ち砕かれることは予想していたのに、予想どおりの展開が続いたのには驚いた。彼女の高慢なせいではなく、彼女自身の愛と寂しさゆえだったから。
「オークランド」と彼女が地名を口に出した時、声をあげそうになった。悪業の限りをつくしたカンダタが、生涯たった一度だけ、蜘蛛に示した慈悲に似た、たった一度の愛だったのに。その一点を見せるために、過剰な彼女の振る舞いと過去の贅沢と、今のブザマな姿とが周到に描かれていた。その、一度だけの愛の発露で彼女は自滅する。救いのない結末に、傾れこむことをその時点で予感させたのだが、観客はもう観ているだけだった。
とても劇的な素晴らしい映画でした。たとえ、それが暗くて救いがなかろうと、未知の気持ちを感じさせてくれるなら、喜んで暗い気持ちにもなる。もともと授かった名前を変えてまで、今の自分ではない、どこかにある本当の自分を求めるという、ノイローゼでもある。
そのギャップに折り合いを付けられない悲劇。ほぼ会話で進んでいくいつもの感じだが、さすがにウディ・アレン、飽きさせない。そして主人公ジャスミンを中心としたダメ人間の綺麗ごとがどんどん剥がれていく快感。羽振りの良かったころと、落ちぶれた現在とのカットバックもギリギリわかりづらくなく、興味の持続のさせ方はやっぱり上手いと納得させられてしまう。
ああ、やっぱりね、そういうもんだよと納得力で推進するストーリー。最終的な崩壊のエピソードも偶然が作用しすぎとも思えるが、「こういう女なら、遅かれ早かれこういうオチになるんだろうな」という納得が勝ってしまう。
救いはない、自分の不幸が災難、上から降ってきたものではなく、自分に折り合いをつけられない自分自身が招いた自業自得。不可避の道であったことを最後に思い出すジャスミン。ですが、悲惨さを必要以上に深刻に見せない軽み。そして、「そういうもんだね」という、いつものウッディ監督が下す、いつもの結論ですよ。78歳の天才映画作家だって人間ですもの、そうも大傑作ばかりも作っていられない。そんな山や谷を乗り越えてきた、ウッディが、お馴染みの古めのジャズやブルースに乗せて撮った作品ですね。
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