『GO!GO!L.A.』などのフィンランド人監督ミカ・カウリスマキが、著名なピアニストである息子と数十年振りに再会した父親とが旅をしながら交流する姿をつづるロードムービー。人気はあるが私生活はパッとしないピアニストの前に幼くして別れた父親が突然現われ、かつての知人を訪ねる旅をする中、音楽によって心の距離が近づいていくプロセスを描く。息子役は、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』にも出演しているサムリ・エーデルマン。さえない父と息子が旅をする様子に引き込まれると同時に、二人の心の変化も見逃せない。
<感想>南北に長いフィンランドのほぼ真ん中を、ヘルシンキから出発して北の果てと言ってもいいケミヤルヴィまで、父親とその息子が昔のアメリカの自動車で旅をするお話なのだが、この赤いキャデラックだと思うが、近所の駐車場で父親が慣れた手つきで車を盗む。
北へと車を走らせるに従って、他人と言っていい父親の背景が少しずつはっきりとしていく。これは息子にとっては自分の出発点のことでもあるのだ。弟のアキと同様に何ともすっとぼけた語り口が持ち味である、ミカ・カウリスマキ監督。それがえもいわれぬ底ぬけに享楽的なおおらかさがあるのだ。
途中ガス欠にあうも金を売春婦に盗られて無いのに、満タンにして逃げる。この父親は元銀行強盗をしたとんでもない男なのだ。北へと旅する父親の目的は、息子の産みの母親に逢わせるべく、自分も逢いたかったのだろう。その道中にお婆ちゃんの老人ホームへ寄ったり、もう一人の腹違いの娘のところなど寄っていく珍道中なのだ。
原題は「北への道」というのだが、この邦題の付け方が憎いではないか。
冒頭でコンサート・ピアニストとして成功している息子の所へ、35年間音信不通だった父親が突然現れる。この破天荒なる父親と、これまた尋常ならざる堅物の息子と好対照をなしているのも愉快だ。役者がまたいい、そっくりハマっているではないか。
父親を演じるヴェサ・マッティ・ロイリの愛嬌に満ちた芝居によって、二人ともミュージシャンだそうで、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(枯れ葉)を、ホテルのバーで歌うところなど、聞かせるし、かつ痺れさせる。いつしか観客をほんわかとした気分にさせてしまうあたり、この監督のしたたかな手腕といっていいだろう。
北の果てで息子は実の母親に引きあわされる。自分がまだ2歳だったころ、両親は仲間と共謀して銀行強盗を働いた。父親は逃亡し、母親は刑務所に入った。出所した母親をかつての仲間が迎えにきて、二人は結婚したというのだ。現在は馬を飼育する厩舎を営んでいる。
2歳だった息子は養護施設に引き取られそこで育ち、養子にもらわれていった。そのピアニストの息子も妻と娘に愛想を尽かされ逃げられたのだ。妻の実家まで行き、娘の顔を見て、そこにはなにやら男がいるではないか。父親にしては初孫である女の子を抱き上げ、寝物語に話をしてやる。そして、奥さんに「謝りたい」と息子が言っていたと二人の間を取り持つ。
しかし、それからの父親がとった行動は、息子の母親に逢いにいくこと。それと母親の相手の男が銀行強盗の仲間だったこと。何しに今頃来たとばかりにライフルを持ち出し撃ってくる。腹部に流れ弾にあたる父親。重い糖尿病だというのに、インシュリンを打ちながら酒、たばこを吸う。父親が最後に行き着いたのは、かつて愛して息子を授かった廃墟となった家。
ラストの締めくくりが、息子はコンサート・ピアニストとしてステージに上がり、観客席には妻と幼い娘の姿が、その後ろの席には彼の母親が座っていた。
よく出来ている物語で退屈はしない。
2014年劇場鑑賞作品・・・64 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>南北に長いフィンランドのほぼ真ん中を、ヘルシンキから出発して北の果てと言ってもいいケミヤルヴィまで、父親とその息子が昔のアメリカの自動車で旅をするお話なのだが、この赤いキャデラックだと思うが、近所の駐車場で父親が慣れた手つきで車を盗む。
北へと車を走らせるに従って、他人と言っていい父親の背景が少しずつはっきりとしていく。これは息子にとっては自分の出発点のことでもあるのだ。弟のアキと同様に何ともすっとぼけた語り口が持ち味である、ミカ・カウリスマキ監督。それがえもいわれぬ底ぬけに享楽的なおおらかさがあるのだ。
途中ガス欠にあうも金を売春婦に盗られて無いのに、満タンにして逃げる。この父親は元銀行強盗をしたとんでもない男なのだ。北へと旅する父親の目的は、息子の産みの母親に逢わせるべく、自分も逢いたかったのだろう。その道中にお婆ちゃんの老人ホームへ寄ったり、もう一人の腹違いの娘のところなど寄っていく珍道中なのだ。
原題は「北への道」というのだが、この邦題の付け方が憎いではないか。
冒頭でコンサート・ピアニストとして成功している息子の所へ、35年間音信不通だった父親が突然現れる。この破天荒なる父親と、これまた尋常ならざる堅物の息子と好対照をなしているのも愉快だ。役者がまたいい、そっくりハマっているではないか。
父親を演じるヴェサ・マッティ・ロイリの愛嬌に満ちた芝居によって、二人ともミュージシャンだそうで、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(枯れ葉)を、ホテルのバーで歌うところなど、聞かせるし、かつ痺れさせる。いつしか観客をほんわかとした気分にさせてしまうあたり、この監督のしたたかな手腕といっていいだろう。
北の果てで息子は実の母親に引きあわされる。自分がまだ2歳だったころ、両親は仲間と共謀して銀行強盗を働いた。父親は逃亡し、母親は刑務所に入った。出所した母親をかつての仲間が迎えにきて、二人は結婚したというのだ。現在は馬を飼育する厩舎を営んでいる。
2歳だった息子は養護施設に引き取られそこで育ち、養子にもらわれていった。そのピアニストの息子も妻と娘に愛想を尽かされ逃げられたのだ。妻の実家まで行き、娘の顔を見て、そこにはなにやら男がいるではないか。父親にしては初孫である女の子を抱き上げ、寝物語に話をしてやる。そして、奥さんに「謝りたい」と息子が言っていたと二人の間を取り持つ。
しかし、それからの父親がとった行動は、息子の母親に逢いにいくこと。それと母親の相手の男が銀行強盗の仲間だったこと。何しに今頃来たとばかりにライフルを持ち出し撃ってくる。腹部に流れ弾にあたる父親。重い糖尿病だというのに、インシュリンを打ちながら酒、たばこを吸う。父親が最後に行き着いたのは、かつて愛して息子を授かった廃墟となった家。
ラストの締めくくりが、息子はコンサート・ピアニストとしてステージに上がり、観客席には妻と幼い娘の姿が、その後ろの席には彼の母親が座っていた。
よく出来ている物語で退屈はしない。
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