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ペコロスの母に会いに行く ★★★

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漫画家・岡野雄一が、自分が経験したことをヒントに描いたエッセイコミックを実写化したヒューマンドラマ。認知症の老いた母親とその息子が織り成す、笑いと涙にあふれた触れ合いをつづっていく。メガホンを取るのは、『時代屋の女房』『ニワトリはハダシだ』などのベテラン監督・森崎東。テレビドラマ「3年B組金八先生」シリーズなどの赤木春恵、数多くの出演作を持つ岩松了が主人公の母子を熱演する。老いや認知症を肯定する前向きなストーリーとテーマはもとより、舞台となる長崎や九州各所の美しい景色も見どころ。
あらすじ:長崎で生まれ育った団塊世代のサラリーマン、ゆういち(岩松了)。ちいさな玉ねぎ「ペコロス」のようなハゲ頭を光らせながら、漫画を描いたり、音楽活動をしながら、彼は父さとる(加瀬亮)の死を契機に認知症を発症した母みつえ(赤木春恵)の面倒を見ていた。迷子になったり、汚れたままの下着をタンスにしまったりするようになった彼女を、ゆういちは断腸の思いで介護施設に預けることに。苦労した少女時代や夫との生活といった過去へと意識がさかのぼっている母の様子を見て、彼の胸にある思いが去来する。

<感想>誰しもが老いれば認知症になる。物忘れもしないで元気で自分の身の回りや家事をこなす老人はいるにはいるが、少ないはず。ここでは、長崎を舞台に、認知症の老母を抱えた五十代半ばの息子のてんやわんやの日々が描かれるのだが、途中に二つの過去が織り込まれている。
それは、郷里の天草における母親の幼少時代と、二十代後半の母が夫および幼い息子とともに長崎に移り住んだ時代である。認知症においては、過去が現在以上に生々しく描写されるのである。
私の両親も二人とも認知症になり、いくら自分の親と言えども介護は本当に心身ともに大変でした。確かに認知症の老人は、現在のことは忘れても、過去のことは鮮明に憶えているもので、若き日の楽しいことや辛いことなどが蘇ってくるところがあるようですね。

現在のシーンに過去が混入する場合は、通常、回想の形を取っている。老母の赤木春恵から「夜声八丁」と言う言葉を聞いた息子の岩松了が、夜、車を運転するシーンに、若い母の声がかぶさり、彼女が幼い息子を寝かしつける光景が出て来る下りがそれである。
その後に、自宅で眠る赤木春恵の姿に続いて、1943年の天草の家における幼い妹や親友のシーンが出て来るのも、回想シーンである。だが、そのシーンが、幼い母と親友を漫画に描く現在の岩松了の姿へと転じ、再び眠る赤木春恵へと。起き上がった彼女が天草で親友に約束した手紙を書く姿へと画面が進む時に、微妙に様相が異なるのだ。
それは夢と回想と現在とが入り交じってゆくようでもある。そして、回想の混在はそれ以後も出て来るのだ。介護施設に入った老母が、幼い時の歌を口ずさむ天草の家から原爆雲を見る映像と、老母が施設に訪ねてきた妹二人に会うシーンでは、天草の庭で別の妹が歌いながらマリをつくという場面である。

だが、その後、施設で縫物の動作をする老母が、夫の背広のつぎあてをしなければと呟くや、1965年の若い母の原田貴和子が夫の加瀬亮に赤ん坊と長崎の家へと移ってくる場面に替わるあたりから、混在の有り方が一変するのだ。
1965年のシーンでは、親友を探して赤線を歩き、現実とも幻想ともつかぬ形で親友の原田知世と再会する場面へと、原田貴和子が彼女に手紙を書き、返事を待ち焦がれるシーンへと進むのだが、彼女は長崎で原爆に遭い、生き延びるも十年後に原爆症で死亡。
それが現在への過去の混入が単なる回想とは思えないほど印象的に映るのだ。
それは、給料を酒で使ってしまう酒乱で錯乱する夫の加瀬に怯える妻と子供たち。雪の道で酔いつぶれ、その夫を背負い帰る幼い息子と妻の原田貴和子。
これは、現在に過去が混じってくるうちに、別のもう一つの物語が繰り広げられ、そんな現在を生きる母子が描き出され、夫をめぐる苦労のあと、原田貴和子と息子が、夜の埠頭に立つ自殺寸前のシーンが出て来るのだ。
それが、岩松了の回想シーンとして始まりながら、ランタン祭りの場面でこれは年老いた赤木春恵の現在に他ならないと判ることに。
この映画の中でしばしば登場する「早春賦」の歌、“春は名のみの”と、・・・この歌は、現在と過去を橋渡しするのではなく、二つの時代が二つとも現在にほかならないと思わせるようでもある。
2014年劇場鑑賞作品・・・8 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


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