重度の筋ジストロフィーのために人の助けなしでは生きられないにも関わらず、自ら大勢のボランティアを集めて長年にわたって自立生活を続けた札幌在住の鹿野靖明さんと、彼のもとに集ったボランティアたちとの交流を綴った渡辺一史の傑作ノンフィクションを「探偵はBARにいる」「恋は雨上がりのように」の大泉洋主演で実写映画化したヒューマン・コメディ。共演は高畑充希、三浦春馬。監督は「陽気なギャングが地球を回す」「ブタがいた教室」の前田哲。
あらすじ:北海道札幌市。34歳の鹿野靖明は幼い頃から難病の筋ジストロフィーを患い、今では体で動かせるのは首と手だけ。24時間体制の介助が必要な体にもかかわらず医師の反対を押し切り、病院ではなく市内のケア付き住宅で、大勢のボラ(ボランティア)に囲まれながらの自立生活を送っていた。ボラたちはワガママ放題の鹿野に振り回されることもしばしばだったが、誰もが彼の人間的な魅力の虜になっていた。医大生の田中もそんなボラの一人。そんな中、田中の恋人・美咲がたまたま鹿野宅を訪れたところ、いきなりボラとして手伝いをさせられるハメに。しかし、鹿野のわがまま過ぎる振る舞いに、たちまち衝突してしまう美咲だったが…。
<感想>タイトルの意味「こんな夜更けにバナナかよ」って言うのに引っ掛かりました。主人公の鹿野靖明さんがたくさんのボランティア(総勢500人にもおよぶ)を集めては、さまざまなわがままを言ってたって、それだけでグッと惹かれたかと言うか、恐らくこれからこの映画を見る方の、最初の引っ掛かりと同じだったんじゃないかと思います。
このシーンは、医学生・田中(三浦春馬)の恋人である美咲を高畑充希が演じていて、初めて行った鹿野のボラで帰ろうとする夜中に、急にバナナが食べたいと言う鹿野。誰が買いに行くのかという時に、私が行くと美咲が申し出て外へ出かけてのはいいが、コンビニに売っているバナナは1本150円で高い。だから八百屋さんを探すのだが、どこも遅いので閉まっていて、結局コンビニでカウハメになってしまう。それでも走って急いで買って来たのに、有難うの言葉もなく、息をはあぁはぁと切らせて走って帰って来た美咲に対して、「うわぁ、興奮するよ」とのたまう鹿野。美咲は怒りを爆発しそうになるも、身体障がい者のわがままかと、怒ることを辞める。その夜は、結局朝まで鹿野の付き添いをすることになるのだが。
大泉洋さんは大好きな俳優さんで、以前の作品も全部鑑賞しております。コメディ調の口調で、セリフがアドリブじゃないかと思うくらいに、どんどんと出て来るんですよね。普通の人でも病気になると、介護をしてもらうのに余りことばを掛けにくく、遠慮がちになってしまうのだが、鹿野さんは平気で背中をかいてとか、寝返りも自分で出来ないので、床ずれ防止に30分おきぐらいに体制を変えて上げるのだ。
幼少期に筋ジストロフィーという難病を患い、34歳になる頃には動くのは首と手だけという状態の進行性重度身体障がいを持っていた。24間365日、人の手を借りなければ生きてはいけない不自由な身体にもかかわらず、鹿野さんは病院や施設を飛び出し、実家にも帰らず、市内のケア付き住宅で一人暮らしを始めてしまう。
自ら募集した大勢の介護ボランティア(通称ボラ)に囲まれた、彼の自立生活に好奇心を抱き、3年にわたる丹念な取材を通して、鹿野さんとボラたちとの交流を描いた、渡辺一史、渾身のノンフィクションが原作である。
普通の障害者ならば遠慮してしまいそうなことでもずけずけと要求するワガママぶりで周囲を振り回しながらも、自由と夢のために必死に生きる主人公と、その傍若無人な態度に反発しながらも少しずつ障害者の自立の意味を学び成長していく新米ボランティアの交流をユーモラスなタッチで描いている。
鹿野さんという人がいて、こんなことがあったということは、ちゃんと伝えている。と同時に映画として、面白いものにしなければいけない。その折り合いが難しかったと思います。台本の段階では、原作者との間で試行錯誤もあったらしい。でも、あのノンフィクションを短くまとめて、映画化するわけではなかったから、しかもこの映画は渡辺さんの書いた本が原作だけど、それはあくまでも渡辺さんが切り取った鹿野さんなわけで、観る人によって鹿野さん像が随分と違っていると思います。
人工呼吸器をつけた鹿野さんは、言葉を失ってしまう。それを見て、美咲がたくさんの人たちから話を聞いてきて、酸素を入れる分量を少しずつ変えて、声が出て来る練習をするのに、大変な苦労があったと思います。美咲が恋人の田中が結婚をしてくれるのか、ぐずぐずとして煮え切らない態度に「はっきりしてよと」言ってしまう。そして、田中が家族に美咲を会わせることに決まった時、美咲が田中に嘘をついていたことがバレてしまう。つまり教育大学に行っていて、學校の先生になることだと。実は大学は落ちてしまい、レストランで働いていたのだ。そのことを白状する美咲に腹を立てる田中。結局は、二人はそのことで別れてしまうのだが、鹿野が美咲のことが大好きになり、薄々は気が付いていた田中との関係がダメになったと聞くと、今度は美咲に対して、鹿野が積極的にアプローチをかけてくるのだった。
美咲への手紙も、田中に代筆をしてもらいラブレターを持っていってもらうシーン。鹿野が美咲のおっぱいを触りたいと願うも、叶うことってあり得ないのですが、それが人工呼吸器をつけないと死んでしまうというシーンで、「僕は生きたい、生きたい」と声を出していじらしいくらい懇願する鹿野。手術が成功して、目をさます鹿野の手を自分のおっぱいに持っていく美咲の愛の素晴らしさといったら、涙が出てしようがなかった。
身体障がい者でも性欲があり、エロ本を見たり、ピンクのDVDを見たりするのだが、そのことに気づく美咲が、夜勤の時に鹿野と危なくエッチな関係になりそうになる。しかし、すぐに交代の人が来て結局は何もしないで別れる。
それに、鹿野が美咲に指輪を買って来てプロポーズをする場面もある。でも美咲は、まだ田中を愛しておりプロポーズを断ってしまう。
鹿野さんの演技にまったく違和感を感じられなく、障害者に成り切っていた大泉洋さん、さすがに勉強をしたらしく病人らしく体重も落として、めがねをかけた鹿野さんに添うように演技をしていましたね。
美咲とのデートのシーンでは、大勢のボラと一緒で、楽しそうにしてましたが、美咲を二人キリになるところがなく、あったのは、お腹を壊してトイレに急ぐ鹿野さんの車いすを押してる美咲。そして、トイレに間に合わなくてお漏らしをしてしまうところでは、笑い話のように明るく撮影していました。
つまり全てをさらけ出して生きる鹿野さんは、人間の本質を体現した人。あんな我儘男が愛されたのは、彼のキャラクターももちろんあるだろうけど、彼の生命力に、生きることへの貪欲さを感じられずにいられません。
「生きることに必死で、普通の人と同じように自分も生きたい」ということに、正直に生きた人なんだろうなって、我儘いっぱい言っただろうけれど、でもその我儘というのは、あくまで健常者から見た我儘なんですよね。「こんな夜更けにバナナかよ」って、動けない病人なんだから食べるなよって、いう倫理なんですよね。しかし、障害を持つ人たちが「夜更けにバナナを食べたい」って言うことが、我儘に感じない時代が来れば素晴らしいと思いますね。
キャスティングを言えば、鹿野さんの母親に綾戸知恵を起用したセンスが面白い。鹿野さんの生きる目的は、自立して普通の生活をすることでしたが、生きる原動力は、親を想う気持ちだったと思います。絶望の淵に落ちても、鹿野さんはなぜ諦めずに生き続けたのか。親より先に死ぬことほど、親不孝はないと、言われるように、親への愛でした。
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