『二十四の瞳』などさまざまな傑作を世に送り出し、日本映画の黄金期を築いた木下恵介監督の生誕100年記念作。戦時中、同監督が病気の母を疎開させるためリヤカーに乗せて山越えしたという実話を軸に、戦争という時代の荒波に巻き込まれながらも互いを思いやる母と子の情愛を描く。『河童のクゥと夏休み』などで知られる日本アニメ界で著名な原恵一が監督を務め、初の実写映画に挑む。若き木下恵介役には加瀬亮、母たまを田中裕子、恵介の兄・敏三をユースケ・サンタマリアが演じる。
あらすじ:戦時中、監督作『陸軍』が戦意高揚映画でないと軍部からマークされてしまった木下恵介(加瀬亮)は、次回作の製作が中止となってしまう。そんな状況にうんざりした彼は松竹に辞表を出し、脳溢血で倒れた母たま(田中裕子)が治療を行っている浜松へと向かう。戦況はますます悪化し山間地へと疎開すると決めた恵介は、体の不自由な母をリヤカーに乗せ17時間に及ぶ山越えをする。
<感想>木下恵介監督の映画を観たのは、子供のころ「喜びも悲しみも幾年月」でしょうかね。灯台守の仕事をしている父親と家族の物語だった。見ていて皆が拍手をしたのを覚えています。歌もヒットしましたね。どういうわけか、監督の映画は家族の絆を描いているのが多いような気がします。だから、思い出しても泣けるシーンが必ずあった。
この作品でも、木下恵介監督の家族愛と絆が前面に押し出され、昭和19年、国策映画「陸軍」を監督した彼は、出征する息子を追って母親がどこまでもどこまでも走って見送る幕切れが、女々しいと軍部に睨まれ、次回作も制作中止に追い込まれた監督は、松竹に辞表を提出、郷里の浜松に引きこもることに。その夏、脳溢血で寝たきりの母を疎開させるため、リアカーでの山越えを決行した、木下恵介の数日間をみつめる本作である。
この映画は、伝記映画として描くというのではなく、むしろ木下恵介監督作品に出て来る青年像の印象に近い形で描かれている。親孝行のお話とはいえ、いくら若いといっても、兄と交互に引くリアカーの重さ。じりじりと照りつける夏の太陽、夜中の12時に家を出て、夜明けの太陽が昇るころに山の中腹にさしかかり、お天とう様に手を合わせて旅の無事を祈る。
山越えに同行する兄のユースケサンタマリアさん、彼もお笑い芸人のような感じがしたが、実に素晴らしく兄弟愛というか、母親を疎開させると言った弟の尖がった部分を後押しをするという大切な役割ですね。それにもう一人、便利屋の濱田岳が間に入り、ひょうひょうとした演技が自然でいい。
途中で、どしゃぶり雨の中の旅、ハネがあがり泥水が顔にかかってもリヤカーに横たわる母は弱音も文句も、すまないねというような、言っても切ないだけの詫びの言葉も吐こうとはしない。赤い傘を手に、動けない自分の動けなさに耐える母と、その覚悟を尊重し、だからこそ肉体以上に痛む心に耐えて独りと独りの距離を、淡々と呼吸をし、沈黙を分かち合う息子。そんな互いの思いやり、心づかいの緊張の糸が解けるように、井戸水で手ぬぐいを濡らしてきて、母の顔の泥ハネを拭いてやるシーン。
そして、宿の上がりかまちでふと気持ちがゆるみかけるのを、自ら戒め、母親をおぶって旅館に上がるところで、兄に靴を脱がせてもらうシーンでは強い口調で言う。元気だったころの母が、自分の息子が立派な映画監督になったのを誇りに思っていて、そのことを言葉で表す場面。田中裕子さんの母親はセリフが少ないだけに、息子に「木下監督」と呼ぶ感動的なシーン、それからの彼女は脳溢血の後遺症で寝たきりで言葉も話せない、口から発するたどたどしい言葉。全身で表現する病身の母親の役を演じて、この女優さん成長したなぁと、演技の巧さが秀でてましたね。
道中を共にし、河原では「陸軍」のラストシーンがいかに素晴らしかったかを説いて、木下監督を泣かせる便利屋。宿の娘に遠くから歩いてきたと自慢して、いいかっこするシーンなど。後のシーンで、便利屋の名前も聞いてない、その時好きな食べ物を聞くと「カレーライス」が一番食いたいと。だから監督の印象に残っていたのは「カレーライスの便利屋さん」それだけのセリフなんだけど、確か赤紙が来ていて出征すると言っていた。「戦争で死ぬなよ」と言っていたような気もした。
加瀬さん演じる木下監督が、河川敷でアングルを探るところでは、宮崎あおいさんが女教師の役で生徒たちが日の丸を持って付いていくところ。「二十四の瞳」を思い出しますし、それに別れのシーンでは、上下白のスーツの後姿で、トンネルの闇の中へ入っていくシーン、まだ戦争は終わっていない。病身の母を残して旅立つ監督の心情を表しているようですね。ラストの、代表作ダイジェストは、木下恵介監督の映画がすべて映し出され、こんな映画もあったと、もう一度見てみたい作品「喜びも悲しみも幾年月」の1と2でしょうか。原恵一がミニマムな世界観を丁寧に紡ぎだしているのには好感が持てた。
2013年劇場鑑賞作品・・・204 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:戦時中、監督作『陸軍』が戦意高揚映画でないと軍部からマークされてしまった木下恵介(加瀬亮)は、次回作の製作が中止となってしまう。そんな状況にうんざりした彼は松竹に辞表を出し、脳溢血で倒れた母たま(田中裕子)が治療を行っている浜松へと向かう。戦況はますます悪化し山間地へと疎開すると決めた恵介は、体の不自由な母をリヤカーに乗せ17時間に及ぶ山越えをする。
<感想>木下恵介監督の映画を観たのは、子供のころ「喜びも悲しみも幾年月」でしょうかね。灯台守の仕事をしている父親と家族の物語だった。見ていて皆が拍手をしたのを覚えています。歌もヒットしましたね。どういうわけか、監督の映画は家族の絆を描いているのが多いような気がします。だから、思い出しても泣けるシーンが必ずあった。
この作品でも、木下恵介監督の家族愛と絆が前面に押し出され、昭和19年、国策映画「陸軍」を監督した彼は、出征する息子を追って母親がどこまでもどこまでも走って見送る幕切れが、女々しいと軍部に睨まれ、次回作も制作中止に追い込まれた監督は、松竹に辞表を提出、郷里の浜松に引きこもることに。その夏、脳溢血で寝たきりの母を疎開させるため、リアカーでの山越えを決行した、木下恵介の数日間をみつめる本作である。
この映画は、伝記映画として描くというのではなく、むしろ木下恵介監督作品に出て来る青年像の印象に近い形で描かれている。親孝行のお話とはいえ、いくら若いといっても、兄と交互に引くリアカーの重さ。じりじりと照りつける夏の太陽、夜中の12時に家を出て、夜明けの太陽が昇るころに山の中腹にさしかかり、お天とう様に手を合わせて旅の無事を祈る。
山越えに同行する兄のユースケサンタマリアさん、彼もお笑い芸人のような感じがしたが、実に素晴らしく兄弟愛というか、母親を疎開させると言った弟の尖がった部分を後押しをするという大切な役割ですね。それにもう一人、便利屋の濱田岳が間に入り、ひょうひょうとした演技が自然でいい。
途中で、どしゃぶり雨の中の旅、ハネがあがり泥水が顔にかかってもリヤカーに横たわる母は弱音も文句も、すまないねというような、言っても切ないだけの詫びの言葉も吐こうとはしない。赤い傘を手に、動けない自分の動けなさに耐える母と、その覚悟を尊重し、だからこそ肉体以上に痛む心に耐えて独りと独りの距離を、淡々と呼吸をし、沈黙を分かち合う息子。そんな互いの思いやり、心づかいの緊張の糸が解けるように、井戸水で手ぬぐいを濡らしてきて、母の顔の泥ハネを拭いてやるシーン。
そして、宿の上がりかまちでふと気持ちがゆるみかけるのを、自ら戒め、母親をおぶって旅館に上がるところで、兄に靴を脱がせてもらうシーンでは強い口調で言う。元気だったころの母が、自分の息子が立派な映画監督になったのを誇りに思っていて、そのことを言葉で表す場面。田中裕子さんの母親はセリフが少ないだけに、息子に「木下監督」と呼ぶ感動的なシーン、それからの彼女は脳溢血の後遺症で寝たきりで言葉も話せない、口から発するたどたどしい言葉。全身で表現する病身の母親の役を演じて、この女優さん成長したなぁと、演技の巧さが秀でてましたね。
道中を共にし、河原では「陸軍」のラストシーンがいかに素晴らしかったかを説いて、木下監督を泣かせる便利屋。宿の娘に遠くから歩いてきたと自慢して、いいかっこするシーンなど。後のシーンで、便利屋の名前も聞いてない、その時好きな食べ物を聞くと「カレーライス」が一番食いたいと。だから監督の印象に残っていたのは「カレーライスの便利屋さん」それだけのセリフなんだけど、確か赤紙が来ていて出征すると言っていた。「戦争で死ぬなよ」と言っていたような気もした。
加瀬さん演じる木下監督が、河川敷でアングルを探るところでは、宮崎あおいさんが女教師の役で生徒たちが日の丸を持って付いていくところ。「二十四の瞳」を思い出しますし、それに別れのシーンでは、上下白のスーツの後姿で、トンネルの闇の中へ入っていくシーン、まだ戦争は終わっていない。病身の母を残して旅立つ監督の心情を表しているようですね。ラストの、代表作ダイジェストは、木下恵介監督の映画がすべて映し出され、こんな映画もあったと、もう一度見てみたい作品「喜びも悲しみも幾年月」の1と2でしょうか。原恵一がミニマムな世界観を丁寧に紡ぎだしているのには好感が持てた。
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