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たかが世界の終わり ★★★・5

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「わたしはロランス」「Mommy/マミー」のグザヴィエ・ドラン監督が、38歳の若さでこの世を去ったフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲を豪華キャストで映画化した家族ドラマ。自らの死を告げるために帰郷した34歳の主人公と、それを迎える家族の葛藤と、不器用ゆえの切ない心のすれ違いを緊張感あふれる筆致で描いていく。主演はギャスパー・ウリエル、共演にナタリー・バイ、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤール。

あらすじ:人気作家のルイは12年ぶりに帰郷し、疎遠にしていた家族と久々に顔を合わせる。目的は不治の病に冒され死期が迫っていることを伝えるため。幼い頃に別れたきりの妹シュザンヌは兄との再会に胸躍らせ、母マルティーヌは息子の大好きな料理で歓迎する。一方、兄のアントワーヌはひたすら刺々しく、その妻カトリーヌは初対面の義弟に気を遣いつつも戸惑いを隠せない。そうして食事を囲みながらの無意味な会話が続き、なかなか帰郷の目的を打ち明けられないルイだったが…。

<感想>第69回カンヌ国際映画祭グランプリを獲得した作品。グザヴィエ・ドラン監督の作品は好きかと言えば、好きだと言える。20代の若き天才監督が手掛けたとは思えないほどの、驚く演出に圧倒されます。
観ていて言えるのは、主人公のルイを演じたギャスパー・ウリエルの、ほとんど感情を露にしない存在感が素晴らしかった。その透明感のある抑圧された顔の演技は、あたかも静かな鏡のように、家族の欲望を反映している。

兄の妻カトリーヌを演じるマリオン・コティヤールはさすがの貫禄であり、内気でおどおどした主婦を堂々と演じているのも良かった。ルイとカトリーヌの間に漂う奇妙な連帯感は、二人が何らかの抑圧を受け続けてきたことと、ともにこの家族にとっては、よそ者的なポジションを共有していることによるのだろう。子供の名づけを巡る二人の応酬は、ルイの同性愛傾向に触れそうで触れないスリリングな場面でもあります。

母親は成功した息子を誇らしく思い、久々の再会を前に念入りに化粧し、手の込んだ料理を用意するのだ。妹にとってもルイは限りなく他人に近い存在だが、それでも自慢の兄の記事はまめに切り抜き、兄から送られてきた絵葉書は大事に保管してある。
だが、一方の兄アントワーヌの心情は複雑である。煌びやかな成功を収めた弟に劣等感を感じていて、工場勤務の自身には何の関心もないに違いないと決めつけている。だから、母親と妹が手放しで歓待するのが、面白くない兄との間には、強い葛藤がある。

舞台が家屋と車のみに限定された、舞台劇の原作をなぜに映画化として描くのか?・・・。ドラン監督の狙いは明確であります。それは、俳優たちの顔を主役とするためだろう。顔そのもののクローズアップが多いのだから。
狭い屋内で繰り広げられる家族関係の息詰る閉塞感と緊張感を、顔のアップのカットバックと、畳みかけるようなテンポの編集で見せている。ドランのライフワークとも言える家族の映画。
非難と罵倒を応酬するルイの家族は、エゴと感情をぶつけ合う。だから、自分の余命を報告にきたはずのルイの居場所は、迷い込んだ小鳥すらも、文字通り窒息させてしまうほどである。自身の病について打ち明けることは、家族の争いの火種になるだけだと知り、ルイは無言で家を後にするのだ。

それでも、余命宣告されたルイが家族の元へと帰ってきたのに、彼の悲痛な言葉を発せないままに、家を去ることになろうとは、何日かして彼が亡くなったという悲報が届くまで。これが家族と言えるのだろうか、日本人は理解に苦しむはずだと思う。
家族がぶつかり合い傷つけ合い抱きしめることが、嘘のない繋がりであり、その時間こそが愛おしい“今”であると。死さえも超えてしまうもの、誰にでも平等に与えられた時間というものが、同じ場所で過ごす煌めきを刻むのだから。
歪んで見える家族の一人一人が、描き分けていく脚本、戯曲を原作としているが、主演のギャスパー・ウリエル、兄のヴァンサン・カッセル、兄嫁のマリオン・コティヤールに、母親のナタリー・バイと妹のレア・セドゥなど、芸達者な俳優たちの表情を追うカメラが、家族間の緊張を着実に拾う。ドラン監督が一貫して描いてきた家族のテーマであり、完全にドランのものになっており、彼の力量が証明されたと言えよう。

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