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偽りなき者 ★★★★

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『セレブレーション』『光のほうへ』などの名匠トマス・ヴィンターベアが、無実の人間の尊厳と誇りを懸けた闘いを重厚に描いた人間ドラマ。子どもの作り話がもとで変質者扱いされてしまい、何もかも失い集団ヒステリーと化した世間から迫害される男の物語は、第65回カンヌ国際映画祭で主演男優賞はじめ3冠を達成した。孤立無援の中で自らの潔白を証明しようとする主人公を、『アフター・ウェディング』のマッツ・ミケルセンが熱演。
あらすじ:親友の娘クララの作り話が原因で、変質者のレッテルを貼られてしまったルーカス(マッツ・ミケルセン)。クララの証言以外に無実を証明できる手段がない彼は、身の潔白を説明しようとするが誰にも話を聞いてもらえず、仕事も信用も失うことになる。周囲から向けられる憎悪と敵意が日ごとに増していく中、ルーカスは自らの無実を訴え続けるが……。(作品資料より)

<感想>舞台は森に囲まれた田舎町で、幼稚園の先生ルーカスと、彼の親友テオの娘である園児のクララの、ささやかな気持ちのすれ違いからすべてが始まる。それはきっとクララがルーカスに恋をしちゃったんですね。で、ルーカスにいきなりキスして、ハート形のオモチャをプレゼントする。ルーカスはやんわりと断るのだが、そのことで傷ついたクララは、彼に悪戯をされたかのような作り話を園長に話してしまう。調査に乗り出した園長は、それを事実と判断し、父兄会で報告し、警察に通報する。変質者の烙印を押されたルーカスは、この田舎町から徹底的に排除されていく。
ここで明らかになるのは、「回復記憶療法」という精神医学療法のこと。この療法は、主に女性に表れるある種の心身の障害が原因で、抑圧によって記憶から抹消されてしまった過去の体験、具体的には性的虐待のことにあるとみなし、その記憶を再生し、真実に直面し克服することで本来の自己を取り戻すという。

しかし、その考え方にも一理あるが、実際にここでは記憶を再生するのではなく、誘導尋問によって嘘の事実を言ってしまう。本作の少女クララも、ささいな兆候から調査員に誘導され、偽の記憶を押し付けられてしまう。クララが嘘をつく時、必ず鼻と口を曲げる、何だか「奥様は魔女」のサマンサのように見えた。それなのに大人たちは「子供は本当のことしか言わない」って思い込みがあるから信じてしまう。そこで、園長先生は児童福祉施設の職員を呼びクララを尋問するんですね。
しかも悪いことに他の園児たちも「ルーカスにやられた」といい始める。しかも一人の園児が「地下でやられた」と言ったら、全員が同じことを言い始める。だが、ルーカスの家には地下室はなかった。そこでルーカスは逮捕されるけど、釈放されるんです。しかし、本当の恐怖はそこから始まってくる。町の人々は彼の無実を信じていないのだから。
ルーカスの家の窓ガラスは投石で割られ、玄関の前には愛犬が殺されている。スーパーに買い物に行けば、「お前に売る物はない」と言われ、そこにいた客や店員にボコボコに殴られる。
だが、この映画の中で注目しなければならないのは、そんな細かいことではない。最初に印象に残るのは町の男たちが属する猟友会の活動である。彼らは鹿を狩り、酒を酌み交わし、肉の処理の分担を決める。これはこの町に残る伝統であり、家父長制的な秩序を表している。そして猟友会と対置されているのが幼稚園なのだ。そこでは、園長も職員もすべて女性で占められている。

ルーカスはもともと小学校の教師で、小学校が閉鎖され失業したために、幼稚園に保育士として職を得ることになったようだ。つまりは、本来ならそこにはいないはずの人間なのだ。さらにもう一つ見逃せないのが、クララの父親テオの子供に対する態度が問題なのだ。明らかに彼は息子を可愛がり、娘は部屋に閉じこもっていればいいと考えている。だからクララは、父親の親友ルーカスをもう一人の父親のように慕い、結果として偽の記憶を引き金に暴走する原因になったのでは?・・・。
それは、映画の中で男たちの裸の付き合いの描写から始まる。幼稚園でもルーカスと子供たちがじゃれあう姿が印象に残るのだが、それは男の子だけのように見える。だから、話し合うために現れたルーカスを見るなり、血相を変えて逃げ出す園長の姿が物語るように、スキンシップは恐れと疑いに変わってしまう。幼稚園の中は、もはや個人の顔が見えず、何を考えているのか分からない不可解な集団に変わる。そして、闇に紛れて陰湿な攻撃を仕掛けて来るようになる。
無実な主人公が幼女に痴漢をした冤罪をかけられ、魔女狩りにあって村八分にされて抹殺されそうになるという話で、観ていて暴徒どもへの怒りでムカムカした。子供の嘘が発端で、愚かな大人が暴徒化する、という展開が酷く生々しい。少女クララも悪魔じみてて恐かったし、虚言に惑わされる凡人たちの心の問題として描いているのだろうが、主人公が幼児に悪戯してそうな顔に見えないこともなく、マッツ・ミケルセンの演技が巧いと感じた。

その中で唯一救われたのが、離婚したけど母親と暮らしている息子のマルクスくん、彼は父親の無実を信じ続けて、一人でクララの家へ乗り込むんですよ。「お前嘘つくなよ」って、その後に、大人たちにぶん殴られるけど、本当にいい息子なんです。
ラストには、ルーカスの冤罪も証明されて、平穏な生活に戻り、村のしきたりで一人前の男に認められた息子のマルクスに、村人たちから鹿狩り用の猟銃をプレゼントされる。しかし、その鹿狩りで未だに村人の中には、ルーカスを許していない者がいることを忘れてはならない出来事が起こる。この結末に、やはりと想像していた通りだった。いつまでも後味の悪い思いが残る。
2013年劇場鑑賞作品・・・94 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


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