心のおもむくままに過ごす30代の女性と20歳上の恋人、彼女の父親の共同生活を、上野樹里、リリー・フランキー、藤竜也らの共演でユーモラスに描くドラマ。書店でアルバイトをする女性と給食センターでアルバイトをする男性が暮らすボロアパートに、息子の家から追いやられた父親が転がり込み、三人で生活する姿を映す。第8回小説現代長編新人賞を受賞した中澤日菜子の小説を基に、『百万円と苦虫女』『四十九日のレシピ』などのタナダユキが監督を務める。絶妙な掛け合いを繰り広げる、個性的な役者陣の演技が見どころ。
あらすじ:書店でアルバイトをしている34歳の彩(上野樹里)は、給食センターでアルバイトをする20歳上のバツイチ男・伊藤さん(リリー・フランキー)と交際中。ある日、彼らが一緒に住むアパートを、息子の家を追われてしまった彩の父(藤竜也)が訪れる。父親は伊藤さんの存在に驚きながらも、「この家に住む」と言い……。
<感想>とってもホンワカとした気持にさせる物語でした。私の父は60代で胃癌でなくなってしまったので、こういう父親を引き取って暮らすことなんてなかったので、もしこういう生活があったとしたらと、考えてしまいました。それに、一緒に暮らしているのが20歳も年上のバツイチの伊藤さんという、少しオジサンが入っている男。20歳も年上の男の人に惹かれるのは、彼女にファザコンがあるのかもしれないと思った。
ですが、この作品の彼女は34歳で結婚も考える年頃なのに、何となく一緒に暮らすようになり、喧嘩もしないで毎日がのほほんと過ごせるし、飄々とした人柄だから。過去にどんな暮らしをしてきたのかよく分からない謎めいたところがあるが、およそギラついたところがないのがいい。仕事は小学校の「給食のおじさん」だと自分でいう。
というのも、20歳も年上の男だと、生活のノウハウも知っていて、女の好みにも合わせて、朝飯を作って先に仕事へ行くし、洗濯、掃除とか何でもするし、それに彼女の神経にさわることなんて言わないし、嫌いになるようなこともしない。
何しろ、小さな庭で野菜つくりをするのが趣味。花ではなくて、ナスやきゅうりにトマトを作っているのが面白い。リリー・フランキーさんがこの伊藤さんをゆったりと演じていて、映画全体に温かみを与えてるのがいい。
そこへ、兄のところへいた父親がやって来て一緒に暮らすことになるのだが、どうも兄嫁とうまくゆかなくなり転がり込んできたのだ。父親には藤竜也さんが扮しており、小学校の教師をしていたらしく、口やかましく何かと細かく注意をするのがたまにキズである。年寄りだから、晩飯のおかずがトンカツという、脂っこいものは苦手なのだが、それでも出された中濃ソースに文句をつけて、トンカツには“ウースターソース”だと妙なところにこだわる。それに、柿を食べようとすると、柿なんてものは、買ってくるのもじゃない。近所の柿の木から取って食べるもんだと言うのだ。
本屋のバイトをしている娘に、「正社員じゃないのかな、再就職しようとおもわないのかな」と小うるさく言うし、ビールをよく飲む娘に「みっともないんじゃないかな」とか、余りキツク言う言葉には聞こえないのだが。それでも娘には鬱陶しい存在なのだ。
このお父さんが、実は万引きの常習犯で警察のやっかにになる。引き取りに行くも、お兄さんは知っていたらしく、そのことをどうして妹に言わなかったのだろう。家に居候する時に小さな段ボールを大事そうに抱えてきた。その中には何が入っているのだろう。「きっとお母さんからのラブレターだよ」「いや、貯金通帳か金目のものかもしれない」なんて兄妹で詮索する。
その段ボールの中身を知る時がくるのだが、それは父親が万引きをして警察に捕まり、その後に娘の家にいずらくなり家出をしてしまう。何処へいったのかと、伊藤さんが知人に頼んで調べてもらうと、父親の実家へ帰っていたのだ。父親にしてみれば、子供たちに疎んじられて行くべきところは、実家なのだ。そこは兄貴が亡くなり空き家になっていた。
子供のころによく父親に連れられて、遊びにきた思い出のある田舎の古い家。庭の真ん中に大きな柿の木があった。懐かしい古びた我が家で、余生を暮らしたいと思ったのだろうが、老人一人をここに置いておくわけにはいかない。兄妹で相談しても、どちらが引き取って面倒を見るかと迷ってしまう二人。
次の日は、ゲリラ豪雨で大荒れの天気、庭の柿の木にカミナリが落ちて燃えてしまう。それに燃えた木の枝が折れて、古い民家まで飛び火してしまい、お父さんの実家は丸焼けになってしまった。
その時に、父親が大事な段ボール箱を探しているのを見つけるも、箱が破れて中から大量の“ティースプーン”が飛び出すのだ。何故に大事にしまって置いて、これが、万引きをしたスプーンだとは思いもよらなかった。
そうこうするうちに、父親は自分で有料の老人ホームを見つけて来て、退職金と田舎の家を売った金で老人ホームへ入ることを決めてきたと言うのだ。子供たちに残す金を、全部老人ホームへ入る資金にしてしまったことを詫びる父親。まさに、これからの老人たちは子供の世話にならずに、自分で終の棲家を探すことなのだ。
元気なうちに、ボケないうちに、自分の最後の住処を見つけるということは、何か自分にも当てはまるような、そんな気もしないではない。考えさせられる思いであった。
2016年劇場鑑賞作品・・・223映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:書店でアルバイトをしている34歳の彩(上野樹里)は、給食センターでアルバイトをする20歳上のバツイチ男・伊藤さん(リリー・フランキー)と交際中。ある日、彼らが一緒に住むアパートを、息子の家を追われてしまった彩の父(藤竜也)が訪れる。父親は伊藤さんの存在に驚きながらも、「この家に住む」と言い……。
<感想>とってもホンワカとした気持にさせる物語でした。私の父は60代で胃癌でなくなってしまったので、こういう父親を引き取って暮らすことなんてなかったので、もしこういう生活があったとしたらと、考えてしまいました。それに、一緒に暮らしているのが20歳も年上のバツイチの伊藤さんという、少しオジサンが入っている男。20歳も年上の男の人に惹かれるのは、彼女にファザコンがあるのかもしれないと思った。
ですが、この作品の彼女は34歳で結婚も考える年頃なのに、何となく一緒に暮らすようになり、喧嘩もしないで毎日がのほほんと過ごせるし、飄々とした人柄だから。過去にどんな暮らしをしてきたのかよく分からない謎めいたところがあるが、およそギラついたところがないのがいい。仕事は小学校の「給食のおじさん」だと自分でいう。
というのも、20歳も年上の男だと、生活のノウハウも知っていて、女の好みにも合わせて、朝飯を作って先に仕事へ行くし、洗濯、掃除とか何でもするし、それに彼女の神経にさわることなんて言わないし、嫌いになるようなこともしない。
何しろ、小さな庭で野菜つくりをするのが趣味。花ではなくて、ナスやきゅうりにトマトを作っているのが面白い。リリー・フランキーさんがこの伊藤さんをゆったりと演じていて、映画全体に温かみを与えてるのがいい。
そこへ、兄のところへいた父親がやって来て一緒に暮らすことになるのだが、どうも兄嫁とうまくゆかなくなり転がり込んできたのだ。父親には藤竜也さんが扮しており、小学校の教師をしていたらしく、口やかましく何かと細かく注意をするのがたまにキズである。年寄りだから、晩飯のおかずがトンカツという、脂っこいものは苦手なのだが、それでも出された中濃ソースに文句をつけて、トンカツには“ウースターソース”だと妙なところにこだわる。それに、柿を食べようとすると、柿なんてものは、買ってくるのもじゃない。近所の柿の木から取って食べるもんだと言うのだ。
本屋のバイトをしている娘に、「正社員じゃないのかな、再就職しようとおもわないのかな」と小うるさく言うし、ビールをよく飲む娘に「みっともないんじゃないかな」とか、余りキツク言う言葉には聞こえないのだが。それでも娘には鬱陶しい存在なのだ。
このお父さんが、実は万引きの常習犯で警察のやっかにになる。引き取りに行くも、お兄さんは知っていたらしく、そのことをどうして妹に言わなかったのだろう。家に居候する時に小さな段ボールを大事そうに抱えてきた。その中には何が入っているのだろう。「きっとお母さんからのラブレターだよ」「いや、貯金通帳か金目のものかもしれない」なんて兄妹で詮索する。
その段ボールの中身を知る時がくるのだが、それは父親が万引きをして警察に捕まり、その後に娘の家にいずらくなり家出をしてしまう。何処へいったのかと、伊藤さんが知人に頼んで調べてもらうと、父親の実家へ帰っていたのだ。父親にしてみれば、子供たちに疎んじられて行くべきところは、実家なのだ。そこは兄貴が亡くなり空き家になっていた。
子供のころによく父親に連れられて、遊びにきた思い出のある田舎の古い家。庭の真ん中に大きな柿の木があった。懐かしい古びた我が家で、余生を暮らしたいと思ったのだろうが、老人一人をここに置いておくわけにはいかない。兄妹で相談しても、どちらが引き取って面倒を見るかと迷ってしまう二人。
次の日は、ゲリラ豪雨で大荒れの天気、庭の柿の木にカミナリが落ちて燃えてしまう。それに燃えた木の枝が折れて、古い民家まで飛び火してしまい、お父さんの実家は丸焼けになってしまった。
その時に、父親が大事な段ボール箱を探しているのを見つけるも、箱が破れて中から大量の“ティースプーン”が飛び出すのだ。何故に大事にしまって置いて、これが、万引きをしたスプーンだとは思いもよらなかった。
そうこうするうちに、父親は自分で有料の老人ホームを見つけて来て、退職金と田舎の家を売った金で老人ホームへ入ることを決めてきたと言うのだ。子供たちに残す金を、全部老人ホームへ入る資金にしてしまったことを詫びる父親。まさに、これからの老人たちは子供の世話にならずに、自分で終の棲家を探すことなのだ。
元気なうちに、ボケないうちに、自分の最後の住処を見つけるということは、何か自分にも当てはまるような、そんな気もしないではない。考えさせられる思いであった。
2016年劇場鑑賞作品・・・223映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング