清水玲子の人気コミックスを「るろうに剣心」の大友啓史監督が実写映画化したSFサスペンス。死者の脳をスキャンして、生前の記憶を映像化するシステムが開発された近未来を舞台に、その技術を利用してある迷宮入り事件の解明に乗り出した捜査官たちを待ち受ける衝撃の運命をスリリングに描き出す。主演は「予告犯」の生田斗真と「ストレイヤーズ・クロニクル」の岡田将生。共演に吉川晃司、松坂桃李、栗山千明、リリー・フランキー、椎名桔平、大森南朋。
あらすじ:死んだ人間の脳をスキャンして、その人物が見た映像を再生する“MRI”という新たな捜査手法で迷宮入り事件の解決を目指す特別捜査機関、通称“第九”。ある時、家族3人を殺害して有罪となり、死刑が執行された露口浩一のMRI捜査が行われることに。それは、今も行方不明となっている長女・絹子を見つけ出すためだった。第九の室長で、発足時からの唯一のメンバーである薪剛は、自らスカウトした新人捜査官、青木一行とともに露口の脳内捜査を開始する。しかしそこに映っていたのは、刃物を振り回す絹子の姿という予想外の映像だった。冤罪の可能性が濃厚となる中、薪たちは当時事件を担当した刑事・眞鍋を捜査に加え、絹子の行方を追うとともに事件の真相究明に乗り出すのだったが…。
<感想>この映画は、考えるとSFにして哲学や宗教観なども内包していて、一石を投じる映画になっているようですね。死者の脳から生前の記憶を、視覚映像を読み取れるようになった近未来の話。
その世界観に魅せられた大友啓史監督が映像化して、設定上、劇中では実現しなかった3ショット(生田、岡田、松坂)と、何よりもまずは体力勝負、なおかつ精神的にも重い負荷がかかる現場。自由度が高い分、相当クオリティの高い表現が求められていたのでは、岡田くんが撮影中はかなり痩せたというのだが、それくらい精神的に背負うものがあった言えるからだろう。
生田さんが演じる薪は、鈴木(松坂桃李)と青木(岡田将生)とは、元相棒と現相棒なのだが、どこかで二人を重ね合わせてしまっているように見えた。薪が青木に対して拒絶というか一線を引いているようにみえるのは、鈴木のように苦しんで欲しくないという思いがあったからではないかと。
しかし、青木は脳という深淵な世界にどんどんのめり込んでいってしまう。少しずつでも様々な人の記憶映像を見ていくとやっぱり正常ではいられなくなる。何が正常で何処からが狂気なのかと言われたら、ちょっと説明出来なかったりもします。
しかしながら、かつて共に第九を立ち上げるも、20数人を連続殺害した凶悪犯、貝沼清孝(吉川晃司)の脳内を覗いて精神を病んでしまった親友の鈴木(松坂桃李)の姿を青木と重ねていたのだ。
でも、第九を正式な警察組織にするのは相当に難しいでしょうね。国家が制止するんじゃないかと思うんですがね。それは、神の領域を犯すことに等しいから。多分、人の脳内映像を見てしまったら、普通じゃいられなくなってしまう。鈴木のように自分の脳がどうにかなってしまうだろうし、そこへ頭に付ける電磁ヘルメットは精神的な負荷が掛かるのだから。人としての心を保つことが難しくなるということ。
精神異常者の露口の長女絹子のやりたい放題には、観ていてどうにかできなかったのかと、イラつく映像が満載。父親との近親相姦に溺れ、姉妹や母親までも惨殺して、その犯人に父親を仕立てる。父親も近親相姦の負い目から、長女の言いなりになり、甘んじて死刑宣告を受けるのだ。
“第九”が事件で覗く被害者や犯人の記憶にも、おぞましい妄想や幻覚、そして彼らが死んでも隠そうとした事実もあったのだ。脳を覗かれる意味を知る第九の面々は、死んだ後自身の脳を見られたくないと思いながらも、調査のために他人の脳を覗くしかないのだ。その葛藤を抱えながらも、彼らは目のまえでのうのうと生きる、まるで真意の見えない犯人と対峙するわけ。
警察は、露口家の一家惨殺の犯人が父親だと信じているし、精神障碍者の長女の絹子のことなど構っていないし、良く調べもしない。だから、死刑になった父親の脳内を調べる第九の青木には、余りにも惨い惨殺の行為が惨たらしく脳内映像に映し出され、とても平常ではいられないのだ。
行方不明になっている絹子を探し出すミッションを“第九”が請け負おう。刑事の大森南朋の執拗な追跡に、重要参考人である長女絹子が捕まり事情聴取を受けるも、かなり精神異常者であり精神病院送りにするしかないでしょうに。何故に捕まえずにしておくから、盲目の少年が盲導犬と一緒にトラックに轢き殺されるということがあり、それを死んだ犬の脳内映像で第九で調べると、やはり絹子が出てきて殺人を犯しているのだ。
ラストで映し出される、昔の廃墟の孤児院の跡地には、人骨がたくさん捨てられており、今まで殺した人間の骨とも見える。ハリウッド映画の「ザ・セル」(2001)でも、サイコ殺人鬼の心の中へ入り込んで、事件を解決しようとする心理学者の異様な体験を描いた作品もあるが、日本版ではこれが精いっぱいのような感じもする。
死者の視覚映像を読み取るというのは、死者の心を覗くということでもあるからして、つまり、今までなら墓場まで持って行けた秘密や、決して外に見せなかった本質が、死んだ後に暴かれてしまうことに他ならないのだ。
他人が何を考えているのか分からないのは当たり前としても、相手の死を以てその心の中が見えたら、私たちはどうするのだろう。死んだ後に本当のことが分かっても幸せなのか?・・・あるいは知らない方が幸せなのかも。
背筋が凍るような事件の中で、その両側面が提示された時、そこに人間という生き物の希望は見るか、絶望を見るかはあなた次第でもあるのだ。
2016年劇場鑑賞作品・・・155映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:死んだ人間の脳をスキャンして、その人物が見た映像を再生する“MRI”という新たな捜査手法で迷宮入り事件の解決を目指す特別捜査機関、通称“第九”。ある時、家族3人を殺害して有罪となり、死刑が執行された露口浩一のMRI捜査が行われることに。それは、今も行方不明となっている長女・絹子を見つけ出すためだった。第九の室長で、発足時からの唯一のメンバーである薪剛は、自らスカウトした新人捜査官、青木一行とともに露口の脳内捜査を開始する。しかしそこに映っていたのは、刃物を振り回す絹子の姿という予想外の映像だった。冤罪の可能性が濃厚となる中、薪たちは当時事件を担当した刑事・眞鍋を捜査に加え、絹子の行方を追うとともに事件の真相究明に乗り出すのだったが…。
<感想>この映画は、考えるとSFにして哲学や宗教観なども内包していて、一石を投じる映画になっているようですね。死者の脳から生前の記憶を、視覚映像を読み取れるようになった近未来の話。
その世界観に魅せられた大友啓史監督が映像化して、設定上、劇中では実現しなかった3ショット(生田、岡田、松坂)と、何よりもまずは体力勝負、なおかつ精神的にも重い負荷がかかる現場。自由度が高い分、相当クオリティの高い表現が求められていたのでは、岡田くんが撮影中はかなり痩せたというのだが、それくらい精神的に背負うものがあった言えるからだろう。
生田さんが演じる薪は、鈴木(松坂桃李)と青木(岡田将生)とは、元相棒と現相棒なのだが、どこかで二人を重ね合わせてしまっているように見えた。薪が青木に対して拒絶というか一線を引いているようにみえるのは、鈴木のように苦しんで欲しくないという思いがあったからではないかと。
しかし、青木は脳という深淵な世界にどんどんのめり込んでいってしまう。少しずつでも様々な人の記憶映像を見ていくとやっぱり正常ではいられなくなる。何が正常で何処からが狂気なのかと言われたら、ちょっと説明出来なかったりもします。
しかしながら、かつて共に第九を立ち上げるも、20数人を連続殺害した凶悪犯、貝沼清孝(吉川晃司)の脳内を覗いて精神を病んでしまった親友の鈴木(松坂桃李)の姿を青木と重ねていたのだ。
でも、第九を正式な警察組織にするのは相当に難しいでしょうね。国家が制止するんじゃないかと思うんですがね。それは、神の領域を犯すことに等しいから。多分、人の脳内映像を見てしまったら、普通じゃいられなくなってしまう。鈴木のように自分の脳がどうにかなってしまうだろうし、そこへ頭に付ける電磁ヘルメットは精神的な負荷が掛かるのだから。人としての心を保つことが難しくなるということ。
精神異常者の露口の長女絹子のやりたい放題には、観ていてどうにかできなかったのかと、イラつく映像が満載。父親との近親相姦に溺れ、姉妹や母親までも惨殺して、その犯人に父親を仕立てる。父親も近親相姦の負い目から、長女の言いなりになり、甘んじて死刑宣告を受けるのだ。
“第九”が事件で覗く被害者や犯人の記憶にも、おぞましい妄想や幻覚、そして彼らが死んでも隠そうとした事実もあったのだ。脳を覗かれる意味を知る第九の面々は、死んだ後自身の脳を見られたくないと思いながらも、調査のために他人の脳を覗くしかないのだ。その葛藤を抱えながらも、彼らは目のまえでのうのうと生きる、まるで真意の見えない犯人と対峙するわけ。
警察は、露口家の一家惨殺の犯人が父親だと信じているし、精神障碍者の長女の絹子のことなど構っていないし、良く調べもしない。だから、死刑になった父親の脳内を調べる第九の青木には、余りにも惨い惨殺の行為が惨たらしく脳内映像に映し出され、とても平常ではいられないのだ。
行方不明になっている絹子を探し出すミッションを“第九”が請け負おう。刑事の大森南朋の執拗な追跡に、重要参考人である長女絹子が捕まり事情聴取を受けるも、かなり精神異常者であり精神病院送りにするしかないでしょうに。何故に捕まえずにしておくから、盲目の少年が盲導犬と一緒にトラックに轢き殺されるということがあり、それを死んだ犬の脳内映像で第九で調べると、やはり絹子が出てきて殺人を犯しているのだ。
ラストで映し出される、昔の廃墟の孤児院の跡地には、人骨がたくさん捨てられており、今まで殺した人間の骨とも見える。ハリウッド映画の「ザ・セル」(2001)でも、サイコ殺人鬼の心の中へ入り込んで、事件を解決しようとする心理学者の異様な体験を描いた作品もあるが、日本版ではこれが精いっぱいのような感じもする。
死者の視覚映像を読み取るというのは、死者の心を覗くということでもあるからして、つまり、今までなら墓場まで持って行けた秘密や、決して外に見せなかった本質が、死んだ後に暴かれてしまうことに他ならないのだ。
他人が何を考えているのか分からないのは当たり前としても、相手の死を以てその心の中が見えたら、私たちはどうするのだろう。死んだ後に本当のことが分かっても幸せなのか?・・・あるいは知らない方が幸せなのかも。
背筋が凍るような事件の中で、その両側面が提示された時、そこに人間という生き物の希望は見るか、絶望を見るかはあなた次第でもあるのだ。
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